第22話 ■読み飛ばし可■ VS 雨3
《ソメナイの行動記録》
不染井の左手にはテーピング状に伸ばした『札』が、ボクサーのバンテージのようにぐるぐる巻きつけられていた。
いや、拳を固めたわけではない。
『グッド』とハンドサインをするように親指をまっすぐに立て、それ以外の四指で拳は握りこまず、ガンブレードの柄がすっぽり入るように、わずかに空間をつくり、けれど、人差し指だけは『あたかも拳銃のトリガーを引いた状態』にして固めた。鍵盤のように並ぶ中指たちに比べ、人差し指がわずかに突き出た感じだ。
ちなみに、彼女がここで用いた『札』はフェイク品なので、ガンブレードを『装備中』にも使えるし、このように身体に巻いても支障はない。前述のとおり、本物とフェイク武器の違いは、『攻撃や防御に関する、いわゆる戦闘機能を備えているか否か』だけである。
準備を終えた不染井はすぐに動く。
まずは固めた左手でガンブレードを握り、傍に浮遊していた鳥型を両断すると、宙に留まったその死体を敵めがけて、蹴りつけた。
それはアメフラシがこちらに近づこうと踏み出した足が地面から離れた直後で、実に厭らしいタイミングだったが、敵は不染井と違い、やはり動体視力が良いようだ。
顔面を狙って蹴り飛ばした鳥型の死体を、アメフラシは素早くムチ型を卓球のラケット型に変形させ、呆気なく顔の前で防いでみせた。
先ほど同様、自動車のハイライトを手で避けるような、無駄な力のない、優雅な所作。
さて、言ってしまえば『板』に阻まれた格好の鳥型だったが、跳ね返らず、ラケット型の中に吸い込まれるように、溶けるように消えた。
煙も出なかったのは、やはり『熱エネルギィを吸収する性質』のためだろうか――と不染井は思ったが、深堀りするほどの物理学的知識を持ち合わせていなかったので、その思考を閉じた。いや、そもそもそんな暇がなかった。彼女は鳥型を蹴りつけた次の瞬間から、アメフラシに向かって駆けだしていた。
当然、相手もそれを承知しているのか、すでに『網』を放っている。
顔の前にかざしたラケット型が目隠しになって、一時的に不染井の姿が見えていないのに――いや、見えていないからこそか、網を展開する判断が迅速だった。
走りながら不染井は剣を目のまえで回す。フィッシュテール。刃はプロペラみたいな造形になる。左手から離れたそのプロペラは、不染井の首を回り、背中を回り、胴を回りと、身体を滑るように伝っていく。あたかも意志を持った生物的な挙動にも見えたが、彼女にはちゃんと刃を操っている実感がある。そうでないと面白くない、という不染井の要望が通ったらしい。
等速で膨らむ『網』が、駆ける彼女の眼前――1メートル先に迫ったとき、まだアメフラシ本体までおよそ5メートルの距離があった。『網』の展開速度が速い。その反面、『網』の目は隙間が粗くなっている。
不染井は、その隙間を縫うようにアメフラシに向けて、『何か』を蹴りつけた。
手だ。
自分の右手。
手首から15センチほどのところで切断されているから『右腕』と表現したほうが正確かもしれない。
フィッシュテールの挙動で誤魔化しつつ、いつの間にか斬り落としていたらしい。
右腕はロケットパンチのように拳を固め、網の目をくぐり抜け、まっすぐアメフラシの顔に向かって迫っていく。
アメフラシは胸の前でラケット型を構える。
速度が光弾ほどではないから余裕があるのか、おそらく直前まで待って、避けるか、払うかする考えだろう。
その視線は飛来物ではなく、不染井のほうに向けられている。
彼女はもう近づいていない。
『迫る網が気になる』とばかりに、数歩ほど後方へ退く。
そのモーションにまぎれて、また『何か』をアメフラシに向け、蹴りつけた。
やはり手。
今度は左手。
先ほど『札』で形を固めた左手だ。
こちらは手首部分できっちり斬られているため『左手』と表現して支障はないだろう。
勢いこそ右腕よりもあったが、いかんせん低い。
すぐに高度を保てなくなり、途中で地面に墜落――ぶつかって、反動で大きく跳ねた。
不染井の思惑どおり、その接地により、蹴った瞬間ほぼ無回転だった左手には回転が加えられた。
サッカーというより、ラグビィボールのような軌道だ。
左手は速度も充分。上に広がる『網』に届かない高度で弧を描きながら、アメフラシの顔に迫る。
こちらの動体視力では怪しいが、アメフラシの目にはちゃんと『バンテージのようなもので、人差し指を曲げた状態で固定された左手』を認識できただろう、と不染井は予測し、次の行動に移る。
それまで首や肩、背中に、大蛇のようにまとわりつかせていたガンブレードを切断した右腕に送る。
突如『プロペラ』が生えた右腕は、微妙に角度と速度を変えた。
ガンブレードにはバドミントンのラケットほどの質量を設定しているから、『接着』した瞬間、重心も、空気抵抗も変化し、当然、プロペラによる推進力、あるいはジャイロ効果が加わり、動きを変化させた。
さらに、その『プロペラ』を遠隔操作で今度は左手へと送り、同様に速度ベクトルを操作する。
これを交互に素早く繰り返すことで、左右の手は羽虫のように予測しづらい動きとなった。
それらをアメフラシに『理解』させたところで、彼の頭上、もうジャンプしてラケットを伸ばしても届かない位置まで上昇させた右腕に『プロペラ』を送る。それまで右腕の同じ箇所で回転させていたガンブレードを、今度は、ボルトのねじ山を作るよう、少しずらして渡した――なので、刃は回転のたびに上空側を向いた手首から、だんだんと下側の、拳側へと移動する。数百回転もするころには、『プロペラ』は拳先に到達し、まもなく、外れた。
刃は回転を保ったまま、重力に引かれ、アメフラシの脳天めがけ落ちる。
右腕のほうは、だんだんと下がっていくプロペラに揚力を与えられ、さらに上昇していたから、刃と明確に分離した形だ。
フィッシュテールは先も見たように遠隔で操作が出来るが、刃と不染井の身体が『接着』していないと使えない。
この戦術を披露している最中、鳥型がアメフラシにそのルールを説明しているはずだ。
だから、もう、あの刃は不染井には操作できない理屈になる。
彼はそれでも不染井の動向に注意を向けつつ、ギリギリまで引きつけ、ようやく頭上まで落ちてきたガンブレードをラケット型で打ち払う動作に移る。
オレンジ色の板が、刃の剣先を呑み込んでいくのを確認してから、不染井はフィッシュテールを敢行。
左手に『本物のガンブレード』を送る。
先ほど鳥型を両断したときにエネルギィを獲得し、いつでも放出攻撃可能な状態の、本物の刃。アメフラシから死角となる自分の背中に札で貼りつけていた刃を、だ。
不染井が蹴り、地面にぶつかり大きく跳ね返った左手は、当初、アメフラシの顔面に向かってくるような軌道であったが、適宜なタイミング、位置、速度、角度でプロペラを取り着けたことで、強いブレーキが掛けられていた。後方の敵機――その背後を取ろうとする戦闘機のように意図的に失速して、いかにも『いつでも軌道を修正して急襲できるぞ』というモーションを見せながら、フェイントを繰り返し、地表近くまで落ちてきていた。回転の具合も完璧だった。なので、不染井がそこに『本物』を送った瞬間、その銃口たる剣先はアメフラシの眉間に向けられる格好となった。
もちろん、それら操作は不染井がデザインしたものではない。
前述したように彼女にはそのような物理学的素養がないし、そもそも優秀な使い魔がいるのでその必要がない。
いつもヒマさえあれば、くるくる刃を回しているから、ジャイロ効果の存在――その塩梅ぐらいは体感として知っていたかもしれないが、そもそも飛来している物体に刃の質量が加算されたり、そのプロペラが受ける空気抵抗、あるいは、回転による速度ベクトルの変化と角運動量の兼ね合い、重心の変化などなど、とてもではないが、不染井には――少なくともあの短い間には、計算不能だ。鳥型に任せた。それでも左手がどこを向いているか分かるように立てていた親指は、最後の最後に目印となった。本物を送る直前、親指が上を向くのが不染井にも分かって、少しだけ嬉しかった。
さて、札で『トリガーを引いた状態』に固定した左手へ、柄を握らせるように本物のガンブレードを送ると、すぐさま光弾が発射された。
鳥型から吸収したエネルギィ量が少なかったためか、光弾というより、細い線状となったが、その緑色の美しい粒子の束は、慌てて戻したラケット型よりも一瞬速く、下をすり抜け、見事にアメフラシの眉間を直撃した。
その瞬間、痩身で柔軟な不染井でもまだ『無傷』では通り抜けられる広さではなかった『網』が、消える。
すかさず不染井は敵に向かって走る。
『柄を握らせるように遠隔で刃を送れば光弾を発射する左手』の仕掛けはあからさまで、あえてそれを相手に理解させることで、むしろ『それは陽動である』と匂わせる意味合いもあったが、今回は期せず『本命』になってしまった。彼女が当初想定していた本命は『奇術師の壁抜け』ならぬ『忍者による網越えの術』である。
早い話、両肩を犠牲にしていいのなら、不染井は敵がまったく想定していないであろう、狭い状態の網を抜けることが出来る。ただし、それはガンブレードを所持していない場合の話だ。得物を溶かされないように網抜けするなら、もっと隙間が広がるのを待たなくてはいけないし、そもそもそこまで待つなら両肩はさておき得物を握る側の肩だけ残して網をパスすることも可能だ。アメフラシは事前に『片腕を欠損したプレイヤー』に痛い目に遭わされていたから、『不染井が片腕を犠牲にして狭い網を抜けてくるかも』と――まあ、多少飛躍気味だが、そういった思考をするかもしれない。実際、敵は『片方の肩ないし腕を犠牲にしていいなら抜けられる広さ』までは網の隙間を広げていない。そうなる前に消している。おそらく両肩を犠牲にした網抜け策は相手にとって想定外だったはずだ。あとはどうにか『網』の中に無傷のガンブレードを送ることが出来れば良い。すべてはそのための布石だった――
ところが、偽装目的の――捨て石のはずだったガンブレードの光弾(光線?)がアメフラシに命中したことで、その本命を使う必要がなくなってしまった。
地面スレスレから斜め上に向けて光弾を放ち、反動で吹き飛んだ刃は、駆ける不染井の数歩先の地面に衝突し、跳ね上がることで勢いを失くしていた。当初に目論んだとおり、『網抜け』が決まった際は、たとえ両腕がなくても走りながら回収可能な高さまで刃はバウンドしていたが、もうそれを拾う必要はない。
前述のように『左手による遠隔射撃』が色々な意味で『不発』に終わっても、次のアイディアは用意していた。
けれど今回は初手で決まってしまった。
このような『下準備が徒労に終わる』事例は、実力差とは無関係に、わりとある。
時間や手間が掛かった相手のほうが瞬殺できた者より強敵――とは限らない。
ただあまりにも順調に事が進んでいるし、被弾リアクションで仰け反っているアメフラシの手にまだラケット型が握られていたので、『被弾したフリをしてわざと網を消し、不染井を間合いに呼び込む』というようなワナの可能性も考えたが、攻撃が命中した際の『ヒットエフェクト』は見間違えようがない。
(それとこの快感)
あとはトドメだ。
さて――
まずは、傾けたらすぐに崩れそうなソフトクリームアイス――そのコーンを右手で握っているところを想像してほしい。別に左手でもいいが、その場合、以下左右表記は逆側に変換していただく。
アイスを落とさないようバランスを取りつつ、コーンを握った右腕をまっすぐ前方に伸ばした状態。
そこに左手でつくった『手刀』を、右ヒジ辺りの上からゆっくり落としてみると、ヒジが下がるようにして右腕が折り畳まれ、多少の作為は必要だが、ちょうど口にソフトクリームが届く感じになる――そんなイメージをしてほしい。両手のない不染井が用意したフィニッシュはそんな感じだった。
つまり、右手の持ち主がアメフラシで、ソフトクリームがラケット型で、彼の右ヒジを上から押すのが、左手首から先のない不染井の腕――と変換すれば画が分かりやすいだろうか。
ただ、不染井がアメフラシのヒジを押し下げたとき、ラケット型は、口ではなく、喉元に向けられた。そのせいか刺さりが甘くなってしまったので、ラケット型を握った右手の底面――つまり小指側を、不染井は右ヒザで押した。飛び膝蹴りの要領だ。
おかげで甘く刺さっていたラケット型はアメフラシのノドからウナジまで貫通し、首を溶断し、頭部を落とした。
これで勝負あり。
けれど、このままアメフラシの身体から離れると、まるで『飼育員の顔に飛びついたお猿さん』のようだと思い、不染井はアメフラシの身体を壁に見立てた水泳のキックターンで、おそらくサルには出来ないであろう『伸身』の宙返り、それと多少のひねりを加えて、離れた。昭和時代の仮面ライダーのようになったが、悪くないと着地後に不染井は満足した。




