第19話 ■読み飛ばし可■ ヒクシカヴァの行動記録 後編
《プレイヤーネーム・ヒクシカヴァの行動記録》
音も気配もなく、けれど現れた途端に存在が際立つ女型――
【プロペ】で名前を確認する必要はない。
先のバトルカップでも活躍した現役の日本代表プレイヤー。
不染井だ。
彼女から――いや、正確には、彼女の使い魔である鳥型から『仕切り直し』の提案が来たので、承諾すると、オレの左腕は小手と共に復元し、体力も完璧に回復した。
万全のオレとやりたいらしい。
酔狂だが――
「まあ、オレでもそうするわな」と口元を上げてしまった。
開戦時刻は5秒後に設定された。
そのあいだにオレは、復元された左腕の感触を確かめつつ、相手を観察する。
十数メートル先に対峙する不染井は、左胸に小さな日の丸の付いた、背中には『SOMENAI』とローマ字のネーム入った海外a社のジャージを羽織り、いかにも『日本代表』という感じ。ただ、いつものようにピンクや青や紺ではなく、ティファニーグリーンをくすませた色合いだったので、同じ海外a社がサプライヤーのメキシコ代表のようにも見えた。
まあ、その基準で言えば、赤ければスペインに、白ければ、それこそドイツ代表っぽく見えてしまうのだが。
そのジャージを除けば、下は21世紀の女子高生みたいな格好。
そちらはいつもどおり、だが――
(ベルト、ごっつ)
ミニスカートを履いた細い腰に、男物だろうか、レディースにしては幅の広い革製のベルトを緩めに巻いていた。
そのため、いかついゴールドのバックルが手前に倒れるように下がり、彼女のなんてことない所作のたびに、ゆさゆさと揺れた。
(も~、ちゃんと締めろや~)
オレはなんだか妙に腹が立って、戦いが始まったら、殴るついでにあのベルトを「矯正じゃい」とばかりに、ぎゅーっと絞ってやろうかと妄想した。
気がつくと、オレの視線はさらに下、揺れるスカートに流れていた。
(あ~、そっかそっかあ……)
不意に合点がいった。
ウソかホントか『前世代、ヒトがネックレスをするのは、相手の視線を胸元に誘導するため』という説を聞いたことがある。
ヒトの意識は装飾品が放つ輝きはもちろん、『揺れ』にも注目がいくものらしい。
(闘牛やん)
不染井の緩いベルトや揺れるスカートは、さらにその下、長く細く色のきれいな足を見てもらいたい、という戦略があるのかもしれない。
自慢ではないが、ドレスと水着と色気のない細長い足にまったく惹かれないオレは、さらにその下、彼女の履く白いスニーカーのほうに興味を持った。
(あのデザインは……)
日本代表に選ばれた者にのみ提供されるという、ウワサの『限定品』ではないだろうか。
「倒せば分かりますよ」不染井の鳥型が、オレの思考を読んだかのように答える。仕切り直し対戦の旨を伝えてくれた『こいつ』は、不染井のもとには帰らず、たとえ踏み込んでもぎりぎりパンチが届かない、絶妙に腹立たしい位置に木で足場をつくり、悠々と佇んでいた。
ともあれ、これでオレのモチベーションはかなり高まった。
通常、購入不可・譲渡禁止な限定品装備は、持ち主を倒すことによって入手可能となる場合がほとんどだ。
これは『倒して奪う』のではなく、倒すことで限定品購入の資格が得られる権利――ポイントを消費して物品と交換する権利が得られる、ということらしい。
ちょうどこれといったポイントの使い道がなく迷っていたところなので、渡りに船というやつだ。
そんなふうに思いつくままの脈絡も益体もない思索で頭を満たしてから、【マシン】で思考をクリアにする。
競技かるたではないが、バトル競技でも直前の戦い――その感覚を忘れることが肝要なのだ。
騒がしい思考から一転、静寂で満たされると、普段より高濃度な集中を実感できた気がする。
ふう、と吐いた息になんの思想の欠片もない。健全だ。
いっぽうの不染井はスカートの表面を手の甲で払う仕草にまぎれて、奇術師が取り出すハトのように、手にガンブレードを出現させた。流れのままそれをバトントワリングみたいにくるくる回す。どういう仕様か、あのように回転させている間は本来1メートル以上ある刃を70センチくらいまで縮ませることが許され、エフェクトのせいもあってか、銀色のプロペラみたいに見える。
彼女の代名詞的な手遊びを生で観たわけだが――
(あれがホンモノとは限らない、か……)
バトルカップでも観たが、不染井にはもうひとつ『札』という生成武器がある。刃と札――双方の同時使用は出来ないし、装備変更には原則60秒ほどの待機時間を経なくてはいけない仕様だが、片方を使用時にもノーペナルティで、もう片方の『フェイク』を出現させることは可能らしい。厄介なことに、この『フェイク』は本物と見分けがつかない。本物との『決定的な唯一』の違いは『武器としての性能を持ち合わせていない』ぐらいなので、今、片肘で下から小突くようにプロペラ状の刃をお手玉している不染井は、実は『札』を装備しているのかもしれない。そこは注意が必要だ。
ちょうど5秒が経ち、スタートの合図がなされる。
何度も言うがオレは後の先だ。基本は動かず待つ。
想定どおり不染井のほうから一直線に接近してくる。
彼女は刃をくるくる回しながら、あえてリズムにならないような、幻惑するようなステップワークを使ってきた。
スピードスケーターのような強さと10代前半の体操選手のような柔らかさを兼ね備えた足首から生まれたフットワークは、次の瞬間、一時停止どころか、逆方向に舵を切ってもおかしくない雰囲気がある。優雅だが、ある種リズム音痴のようなトリッキィさが随所に見て取れた。おそらく走りの一歩一歩ごとに足裏の接地パターンを、爪先だけ、踵だけ、あるいは双方――と不規則に変化させたり、靴底にスパイクを生やしたり、来客用のスリッパのように滑らかにしたりとこだわってステップを構築しているのだろう。具体的な足さばきに関して解説はできない。見て、脳が分析するまえに次のステップが生まれてしまうからだ。種明かしをすると、オレは『足音』でそう判断しているに過ぎない。そうやって観察している今も、不染井は『距離』ではなく『タイム』を競う変則ルールの三段跳びのように右右左と、あえて左足の踏み込みを省略してきたりもした。
(あー、これがスキップの由来か)
オレの目には彼女は今までと変わらず交互に足を繰り出しているように見えていた。けれど、音だ。音で左足の踏み込みが生じなかったことに気づけた。そちらから逆算して高速三段跳びめいたステップと見当をつけたわけだ。
(代表クラスともなると、いろんなことするもんだ)
ただ全体的な推進力――速さ自体はどうだろう。
……。
…………。
う~ん……。
時季柄、世界トップレベルの試合を見過ぎたせいか『まあまあ』と思えてしまうのが我ながら頼もしい。
そう思った瞬間、不染井の足運びもきちんと見てとれるようになる。
(動体視力、上がってんのぉ?)
ここに来て才能が開花したのか。
いや、あるいはこれが元来オレに備わった能力であって、リフレッシュのお陰で回復したのか。
いずれにせよ動体視力が極まっている。
それだけではなく情報処理能力も引き上げられているようだ。
相手の速さはそのままに。
けれど状況の一瞬一瞬を、きちんと把握できている。
迫る不染井は、きれいな顔をしていた。
肌質がほどよくリアルで、けれど、21世紀中盤に隆盛を極めたCGアニメのような無機質さ、不自然さはなく、かといって『現実』のように空気に圧されて、顔面がへこんだりしないし、駆ける足の振動が伝わって、ほっぺたが無様に振動したりしない。いや、さすがに微妙に揺れてはいるか。髪や衣服のほうが空気の影響を大きく受けているので、肌のそれが目立たない。自然だ。口元にうっすら笑みを浮かべている。叢雲にかすむ月のように、揺れる前髪が魅力的な瞳を時折、隠した。
(なるほど、ここにも『揺れ』があるわけな)
処理機能が向上し、体感速度が遅くなった弊害か、少し待ちくたびれてしまったオレは、思い出したようにスキルを使って不染井の『クリティカルエリア』を表示させてみた。迫る彼女の手足を除くすべての面に金色のエリアが広がる。前に友人に見せてもらった20世紀の、あれは教育番組のワンシーンなのだろうか。全身に金箔を塗り疾走鍛錬する人々(修行僧?)を想起させる、不染井の姿だった。
(なんやんそれ?)
「不染井様は脆弱ですので」鳥型がわざわざ答えてくれる。その音声は脳内に直接響き、瞬時に内容が理解できた。「ヒクシカヴァ様の必殺技とやらを使わずとも、一撃でも顔面にまとも――いえ、『まともの39パーセント』ほどの打撃が当たれば、殺せてしまいます」
(ジャブで?)オレは思わず心の中で訊き返す。
「いまヒクシカヴァ様が想像したジャブは『まともの20パーセント』に満たないですね」鳥型は言う。「さすがに舐めすぎです」
オレは吹き出しそうになる。
すまんすまん、と声にせず、舌だけが閉じた口の中で微妙に動いた。
「僭越ながら――」と鳥型。「これくらいです」
ふっと脳裏に、過去にオレが放ったことがある打撃の感覚が蘇った。
敵のボディブローを腰を引きつつかわし(結局、これは軽く当たってしまったのだが)、苦しまぎれに放った一撃。さすがに猫パンチではないが、丹田に力が込めきれていない、腕の筋力、遠心力に頼った不格好な大振り。
(あんなんでええんかい……!)オレは堪え切れず短く吹き出した。
「繰り返しになりますが、顔面なら、です」鳥型は言う。「ボディですと一撃殺には『まともの70パーセント』は必要かと」
そう言って、オレにその感覚を思い出させてくれる。
(鳥めっちゃ便利やん)
以上の脳内会話を50ミリ秒以内に済ませ、オレはようやく間近に迫ってきた不染井に集中する。直視すると目がチカチカするので、金色のクリティカルエリア表示はすでにオフにしてある。
右手でくるくるとガンブレードを回しつつ駆けてきた彼女は、オレの数メートル先で急に後ろに振り返る。
あたかもガンブレードの回転が身体に移ったような――タテ回転の歯車がヨコ回転の歯車と噛み合って連動するような、優雅な動きだった。
そんなふうに不染井は『SOMENAI』のネームが入った背をこちらに向けた。
その体勢から彼女は上に飛んだ。空中で後方回転する。
いわゆるバク宙――サッカーでいうバイシクルシュートの要領で、またしてもアナログ時計の譬えになるが、6時の位置で踏み切り、時計回りで回転。足が7、8、9、10、11と上がり、12時で頂点。さらに回転を続け、1、2、そして3時、いや、4時のあたりで、ちょうど下から見上げるオレの頭上に蹴りを落としてくる感じだ。足癖の悪さには定評のある彼女のことだから、この一撃が様子見で、逆足での二連撃という可能性は高かったが、初撃を『完全防御』してしまえば、そこで強制静止だ。連続攻撃だとしても止まってしまう。もし仮に刃がフェイクで、彼女の得物が札であったとしても、蹴りのついでにオレの小手に貼りつけようと考えているなら無駄だ。彼女の使い魔が言うには、札をつける際の『接着行為』を『完全防御』してしまえば、札は剥がさずとも自然に粘着力を失い、朽ち落ちる仕様らしい。もちろん、爪先で仔猫にちょっかいを出すようなソフトタッチで札をつければ、それだけ彼女が静止している時間は短くなり、スローなオレの追撃はかわせるだろうが、問題はない。『不染井の現在の得物は札』という情報が明らかになれば、あとは体術勝負に持ち込める。本来オレは『格ゲー』出身者だから願ってもない展開だ。『素手』の相手限定で使える『ゲージ技』の発動も解禁されるから、不染井目当てでこの対戦動画を観るであろう多くの視聴者に『格ゲープレイヤー、かっけえし、つええな』とアピールできる絶好の機会になる。
そんな展望に想いを馳せつつ――
オレは頭部を庇うように掲げた両腕の隙間から、自慢の動体視力でよく相手の動きを見極めつつ待ち、頃合いで小手を合わせ防御を発動。
狙いどおり、24~32フレーム後ぐらいに小手に衝撃。
痩身の小娘の体術は、想像よりも軽かった。
『完全防御成立』の特徴的な音が鳴る。実感が沸く。
もう嬉しさで、札付きの攻撃だったかどうでも良くなった。
(どうせ剥がれる!)
前述のように軽い蹴りだったが、とはいえ、そこそこの威力があったから、静止時間は充分。
現実の格闘技と同じく、苦しまぎれ隙だらけのバクチ要素の高い『ジャンプ攻撃』はこのゲーム世界でもなかなかお目に掛かれない。
つまり、『空中でストップしている画』は珍しい。
さあて、じゃあ、宙で固まっている不染井を後ろから抱きかかえ、あの緩いベルトを締めつつ、ジャーマンスープレックスのような投げ技で『技術点ボーナス』を狙おうか――と構えを解いた瞬間、視界が流れる。風景が回るような感覚。
(えっ……?)
ご自慢の動体視力が働かない。
いや、認識能力か。
この頭に三半規管があるのか分からないが、ぐらっと大きく揺れた感じ。
遠目にゴキブリかと思いスプレーを用意して恐る恐るテーブルに近づいたら、ソースの染みだった――みたいな視覚の正常化が起きたのか、ようやくオレの認識が機能する。
果たして、オレの視界は地面すれすれにあった。
少し斜めだが、地面と空を上下逆転して映していた。
そう状況を把握した途端に、頭部が地に接しているような感覚を見つけることができた。
手足の感覚はなく、首の辺りが温かく、気持ちがいい。
そう認識すると、今度はとてつもない快感が溢れた。脳が痺れる。誰かにひんやりとした手でグググと直接脳を押し掴まれているみたいだ。怖さはない。快感だけ。我慢できずに喘いだつもりだが、首だけだから、声が出たかは不明だ。なおも強烈な快感が迫る。あれは序の口だったのか。今度は絶頂に近い――いや、超えている。これこそが真の絶頂だろう。
そんな快感に浸りつつ、思考の一部が冷静に状況を把握しようと試みた。仮説はすぐに浮かんだ。
どうやらオレは首を斬り落とされたようだ。
そして、その首が地面に落ち、逆さまになっている?
そもそも、なんで斬られてる? 完全防御に成功したのに?
そんな疑問を遮るように、目のまえにドサッと、何かが落ちた。
これはすぐに認識できた。
(この特徴的なデザインは……)
不染井のスニーカー――右足だ。
靴から、ふくらはぎ辺りまで。
その先は、切断されたのか、無かった。
もちろんその断面は黒く染められ、グロテスクな感じは受けない。
それにつられたのか、オレは自分の首の断面を想像した。
「蹴りが小手に当たる前に、ご自分で足を斬った、ということですね?」離れた位置から鳥型の声が、おそらく不染井に向けて発しているのだろう、けれど明瞭に聴こえた。
なるほど。
あるいは、こちらに背中を向けたときにはもう足を斬っておいて、呪いはないがガムテープのように接着力のある『フェイクの札』かなにかで、けん玉のように『足』と『足先』を繋いでおき、小手に接触する直前に『フェイクの札』を消し、分離した『足先』だけをぶつける――要するに『飛び道具』扱いにしたのかもしれない。
そうだとすれば『完全防御』の効果は『切断された不染井の右足』だけに掛かるから、片足になった不染井本体は硬直ペナルティを受けずに済む。『かかし』となった彼女はそのまま静かに着地して、ガンブレードをオレの死角――掲げた両腕の下の隙間から差し込み、首を突くように斬り落としたのだろう。発想は単純。ごくごく初歩的だが、背面を向けることで切断した足を死角に置く工夫、回転させたままのガンブレードは、切断のタイミングを隠すミスディレクションになっていた。鮮やかな手際だ。もっと言えば、完全防御の寸前に得物を手放して――という対策法は誰もが思いつく方法なので、こちらも相当気をつけていたつもりだったが、足――要するに『生身の身体』を切り離す、というのは考えの埒外だった。己の発想の貧困さを棚に上げて、お見事と向こうさんを持ち上げるしかない。
(そういや、『かかし』になった彼女は着地の際、足音を立てたか?)
思い出せない。
(……ひょっとして、その気になれば、消せんのか?)
快感溢れる脳裏に、彼女が接近の際に立てていた不規則な足音たちが蘇る。
(あれはあえて聞かせてたんか……?)
オレは早くリプレイが観たくなった。
同時に『相手の攻撃を受けてから、反撃』という自分のスタイルを看破されていたのかもな、と思った。
鳥型の話では『腰が引けた状態でのパンチ』でも当たれば不染井は倒せるということだったから、こっちが完全防御のスタイルに固執せず、相打ち上等の覚悟で打ち合っていたら、もしかしたら、いや、さすがに無――
そんなふうにまともに思考が働いたのはそこまで。
快感の波に意識は囚われていく。
引きずられるように落ちていく。
(そうだ、このゲームで死ぬときって、こんな……、めっちゃ気持ち良かったんだよな、なんで忘れてたんやろ……)




