第16話 証言をミニチュア上で確認
《波戸絡子の行動記録》 2333年4月18日 午前10時15分
私たちからの質問が出尽くしたとみたか、森岡刑事が「では先ほどご覧いただいた証言を、戸の開閉ログと併せて検証してみましょう」と提案してきた。するとまもなく、宙に敷地付きの研究棟のミニチュアが現れる。
どうやら、こちらに拒否権はないらしい。
まあ、拒む理由もないのだが。
ミニチュア上、本来一辺が90メートル強のほぼ正方形の敷地が『50分の1』ほどに縮尺されて、180センチ平方ぐらいの広さで再現されている。南端に出入り口ゲートがひとつ。
敷地の中央には、タテヨコ30センチ平方、高さが60センチほどの正四角柱の『ミニ研究棟』が2棟。
両棟を結ぶバッテンも再現されている。
天井と各階の床部分を残し、外壁が透けているから、中の様子が分かるつくりになっていて、そのB棟3階にあたる空間に『球と円柱』をそれぞれ頭と胴体に見立てた簡易的な『人型』があった。
『人型』は視認性を良くするためか建物とは異なる縮尺率が採用されているようで、高さが8センチくらいあり、胴体に『狭池』と表記されていた。
今のところ、他に『人型アイコン』は無い。
ミニチュアの中空、A棟3階の横あたりに、おそらく『当時の日時』を示したであろう数字が浮かんでいる。作ってみて敷地が広すぎると感じたのか、森岡刑事は研究棟の縮尺はそのままに、敷地を1メートル平方に縮めた。
では――と刑事は始める。
「『昨日4月16日はお昼頃までずっとこのB棟3階に居た』と証言した狭池氏は、【エイリアス】によれば、そのあと午前11時50分から12時10分の間に、いつの間にか合流していたヤマタナダ氏と一緒に2階に降り、『窓』を使って、A棟1階ことA1に移動しました」
最初、『B棟』とフキダシのついた棟の3階には狭池の立体アイコンがひとつだけだったが、下から同じ形のアイコン――こちらは胴体に『山棚田』と表示している――が上がってきて合流。
ふたつのコマは『板』を使い、B棟2階に降りると、『窓』に近づき、一瞬にしてA1にワープ。
要するにアイコンは刑事の説明を『行動』で実演した。
「彼らがA1に到着すると、ちょうど外から中に入ってきたヌルマユ氏とかち合います」刑事の言葉に合わせ、いつの間にか敷地に出現していた無眉のアイコンが、戸を半回転させ研究棟に入ってくる。「先ほどの証言内にはありませんでしたが、おそらくタイミングから言って、狭池さんたちは互いに連絡しあい、示し合わせてA1で『合流』したのだと思われます」なるほど一理ある。「彼らは『板』でA2へ上がりました。そしてそこでしばし雑談。やがてヤマタナダ氏とヌルマユ氏がA2内に擬似的なバトル空間をつくり、手合わせを開始。狭池さんはそれを観戦していた――とのことでしたね」山棚田と無眉のコマの間に『BATTLE』の表示が出る。アニメーションや効果音などはなかった。「このバトルがどれくらいの時間行なわれたのか……、【エイリアス】が黙しているので正確な時刻はやはり分かりませんが、ともあれ午後3時ごろ、狭池さんは研究棟および敷地内にメッセージを送ります。内容は『みんなでバトルカップの準決勝を観ないか』というもの。それで上から、A3から、まずは、ツミマツ氏が降りてきます――が、彼は『準決勝は一人で観たい』と主張。3時20分までに『窓』を使ってB1へ」
ミニチュアの中でも同じように『積松』が下りてくる。
アイコンからは『3時00分から3時10分の間にA2へ』のフキダシが出ていた。
A2に到着すると、時計が早回しになるような、おそらく『時間経過』を示すエフェクトが生じて、今度は『3時10分から3時20分の間に《窓》を使用し、B1へ』と新たなフキダシを出しつつ、『窓』を使ってB1へ飛ぶ。
「前後しますが、【エイリアス】によって、このツミマツ氏が降りてくるまで、A2には狭池さん、ヤマタナダ氏、ヌルマユ氏の3名だけだったことが確定しています。先ほど申し上げたように狭池さんはバトルを観戦していましたが、その目を盗んで、誰かが部屋を行き来した――という可能性がこれによって潰れています」
と刑事は付け加え、こちらを窺う。
私の左隣にいる井出ちゃんは、視線をジオラマに向けたまま、あご先を左手で支えるように腕を組んでいる。
いわゆる『考えてますよ』というポーズで、とても様になっていた。
もし彼女がそのまま名探偵のように歩き出したら、私も鏡のようにその隣に並んで歩いてやろうかとひそかに企んだ。
そしてそれが実現したときの滑稽さを想像し、危うく吹き出しそうになる。
刑事の視線に気づき、唇を噛んで誤魔化す。
いや、むしろ、無表情をつくって、見つめ返す。
「さて――」私の視線を催促の意と捉えたのか、刑事は再開する。「先ほどご覧いただいたように、A3からA2に降りてきたツミマツ氏は、おそらく他の方々と軽く言葉をかわしたあと、『窓』を使い、B1に飛びました。これがだいたい午後3時から同時20分までのあいだでした。それからしばらくして――具体的には午後3時20分から同時28分のあいだに、A3から今度はクツキ氏が降りてきます」
ミニチュア上でも同様のことが再現される。
A3からA2へ、『犬京足』というアイコンが『板』に乗って降りてきて合流。
「定刻になり、この4名で準決勝をリアルタイムで観戦」刑事は続ける。「日本時間一昨日の午後3時30分に開始したブラジル対ポーランドの一戦は、午後4時20分に前半戦が終了。10分間のハーフタイム――休憩となりました。この10分のあいだにツミマツ氏が下から合流」という刑事の言葉に急かされるように、B1にいた積松のアイコンが『戸』を回転させ、いったん敷地に出て、A棟の『戸』を開けて、2階に上がってくる。その間を繋ぐように「本来『戸』の開閉ログは手続き上は記録されるものの、その内容は公開されない方式でしたが、今回は特別に【TEN】が、昨日の正午、つまり『午後0時ジャスト』から本日『通報を受けた警察が到着するまで』の当該ログを開示してくれました」と刑事は言い、分かりやすく『開閉ログ』と銘打った一覧表型の【プロペ】をつくって、私たちに見えやすい位置に設置した。
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午後0時00分 回転戸の開閉記録 記銘開始
午後4時27分 ツミマツ B棟 退出
午後4時28分 ツミマツ A棟 入場
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このログによれば、後半開始直前になって、積松はB棟を出て、A棟に入ったということになる。
積松の言葉を信じるなら、彼は『B棟で前半戦を観戦した』ということか。
そして後半戦はA2にいる狭池たちと合流し、観戦。
「入れ替わりにクツキ氏が下へ。【エイリアス】によれば、このクツキ氏の移動はヌルマユ氏がA2に戻ってきたあとの話で、間違いなくハーフタイム中に完了したようですね」犬京足のアイコンが『板』を使って、下に降りる。『戸』は使っていないようだ。A1に留まる。「試合中の動きはこれだけですね……。さて、先生方もご存知のとおり、この準決勝はブラジルの辛勝。午後5時27分に終了しています」
「日本に勝ったスウェーデンに勝ったポーランドに勝ったブラジルが、明日の決勝、カナダ相手にどうなるか、って感じですね」井出ちゃんが言う。
「さすがにブラジルでしょ?」私はつい話に乗ってしまう。「あの人達、なんでもありだから」
「とはいえ飛車角抜きですよ?」井出ちゃんが笑顔で反論する。「それに『なんでもあり』なら、カナダには本名NGケリー・アルファがいます」
「アルファねえ……、アルファは、そうだなあ……、まだ、そこまでの格じゃないね」偉そうに私は評価する。「あと数年して、もうひと成長したら個人でトップ30入りしてもおかしくはないけど」
「いやいや、開花するのは一瞬。そして開花したら一気ですよ」井出ちゃんも笑顔で返してくる。『開花――』のくだりはバトル競技の常套句である。「仲間を使うのもお上手だし」
「ブラジルは敵すら仲間みたいに使うじゃん」私は彼らの狡猾さを思い出して、言った。
「たしかに」思いあたるフシがあったのか、井出ちゃんも笑顔で頷く。
「――というような会話で盛り上がっていたのか分かりませんが」刑事が引き取り、なぜか分からないが私たちは笑ってしまった。当の刑事は『手柄』を粒だてることもなく、続ける。「ともあれ準決勝終了後、下からクツキ氏が上がってきてA2に5人が集結。被害者以外が勢ぞろいしました……。さあ、先生たちもご承知のとおり、バトル観戦後の、あの、なんとも言えない残り香めいた高揚は言うに及ばずでしょう。かの5名もご多分にもれず、その熱気に当てられたようです。1時間ほどの感想ないし検討会のあと……、え~、午後6時半ですね、ヤマタナダ氏とツミマツ氏が3階へ上がります。狭池さん曰く、『準決勝に感化されて、自分を除いた4名でバトル大会が行なわれた』とのことでした」ミニチュアA棟3階に山棚田と積松のコマが上がると、出迎えるようにさらにもう1体コマが現れる。「被害者の吟見氏です」刑事は言う。「もろもろ逆算とすると、死亡推定時刻の開始はどうやらこのタイミングですので」
「ということは、被害者は最初からA3に居た、ということでしょうか?」井出ちゃんが首を傾げながら言った。
「状況から鑑みれば、ほぼ間違いなく」と刑事は迷いなく頷いた。
「ですよねー。普通に考えると、このタイミングしかないですもんねー……」
数秒待ったが、井出ちゃんから新しい言葉が生み出されることはなかった。
「老いも若きも誰もが熱狂するって触れ込みのバトルカップに目もくれず、ひとり潜んでたってわけね?」皮肉っぽい調子でセンゾが言ったが、『被害者が準決勝を観ていない』とは断言できないだろう、と私は思った。「まあ、これから自ら望んで殺されるわけだから? この世に興味も未練もなかったんかもしんねえけど」
『殺されたがる人間の心理など勘案したところで意味はない』ということだろうか。
ならば同様に『どうせ死ぬなら決勝を観終えたあとにしたら?』という提案も無意味なものなのかもしれない。
ともあれ、言って満足したのかセンゾはあっさりと消えたので、私も特に言葉は継がなかった。
「よろしいでしょうか」区切りを察してか刑事はミニチュアを手で示す。「サムライ上位勢によるバトル大会……。これは一本勝負だったのか数十秒で終わったようです。まずヤマタナダ氏がA2に戻ってきます」
ミニチュア上、A3から山棚田のコマだけが板で降りてくる。
入れ替わるようにA2から無眉のコマが、同じく板に乗って、A3へ上がる。
「少なくとも狭池さん以外の4名は、準決勝の観戦を終えた時点でもうこの研究棟を去るつもりだったようです。ですが、思いのほか話が盛り上がったのか、世界トップレベルの死闘に感化されたのか、帰るまえにA3でバトルで――1対1で遊ぼう、ということになった、と」
「勝ち残り形式のバトル大会」井出ちゃんが、自ら生み出した音をキッカケに情景を想像するつもりなのか、呟いた。




