第14話 萎まなかった研究棟
《波戸絡子の行動記録》 2333年4月18日 午前10時04分
「え~、では、次は、それ以降のお話を」刑事は狭池に向き直る。「翌日――今日ですね、遺体発見に至る流れをお話しください」
「そうですね……」狭池は視線をいったん左側に流してから始める。「ええと、研究棟のルールはご承知ですか? 『研究棟内にヒトが3時間以上存在しなかった場合、建物が萎む』というルールは……」
「ええ、捜査員から聞きました。【TEN】にも確認済みです」
狭池は、うんうんと頷いてから、「先ほどお答えしましたが、私はB棟で半日ほど作業をしていました。なので、帰るためにA棟に飛ぶ際、『A棟が膨らむのだろうなあ』と想像していたわけです。けど膨らまなくて」
「膨らむ?」
「はい。萎んでいた建物に再び人間が入ると、なんだろうな……、なんというか、ぼわーっと、まあ、なんか、そんな感じで膨らむ感じがするんです。気持ちよく」
と、狭池は『気持ち良さ』を顔で表現した。
「膨らませた人間には、自分が入ったことで建物が膨らんだという、しっかりとした実感があるのですね?」
「まあ、独特の」狭池は頷く。「むしろ、それも楽しみのひとつとして一人居残って作業してました。なので、今日、A棟に飛んだ時、拍子抜けしてしまって……」
「ああ、もしかしたらそれは重要かもしれません」刑事はいくぶん前のめり気味だった背筋を正した。「改めて証言してください。狭池さんがA棟に飛んだ時――」
「私が(本日)A棟に飛んだとき、A棟は萎んでいなかった」
【エイリアス】がその証言にシロを返す。
さて、『貴方』はもちろん、私や井出ちゃんからしてみても『研究棟が萎む・膨らむ』の話は初耳だったが、動画を注視している森岡刑事の横顔は先ほどより暗くなって表情が読み取れない。井出ちゃんも黙っているので、ひとまず流すことにする。
ちなみに、証言中の『萎む・膨らむ』という『専門用語』の部分には、逐一、先ほどのこの研究棟のルールが注釈として加えられているから、他の用途での『萎む・膨らむ』と混ざる危険がないことを先に表明しておこう。
「ですから、最初不思議に思って……。それですぐに見当をつけたのです」狭池の証言は続いている。「あー、こっちの棟に誰か残っているのかな、と。べつにそのまま帰っても良かったのですが、バトルの分析をし過ぎて好奇心が溢れていたのかなあ。誰が居るのかなって、まあ、挨拶がてら見てまわろうとしたら、3階で吟見さんの死体を見つけたんです」
【エイリアス】は、勘違いさせないような配慮か、それともサービスだろうか、時刻付きで『狭池は本日午前10時9分ごろ、A棟3階で吟見巧久の死体を見つけた』と直し、シロを出している。狭池が辿った思考や感慨などはものの見事に削ぎ落した。
「それこそマップ使えば良かったのに」センゾが現れて、そんなふうに指摘したが、「まあ、状況からして、残ってるのはロラミエしかいねえって見当ついたからやんなかったんだろうけどな」と、自ら反駁してみせた。
「狭池氏による110番通報は、この発見の数十秒後となります。ほぼ発見直後ですね」森岡刑事が囁くように言い添えると、ようやく動画が止まる。はっきり表情が分かるくらいに、いつの間にか辺りは明るくなっている。「えー……、それと、遅ればせながら、先生方にお伝えしなくてはならないことがあります……」洋画の字幕みたいな言い回しに私は笑いそうになった。「研究棟にはもうひとつルールがありました」
「研究棟内に3時間ほどの無人状態が続くと建物が萎むってやつですね?」井出ちゃんが腕組みしながら返す。声に冷ややかな抗議のニュアンスがこもっていたが、全体としては冗談の雰囲気があった。
「こちらの動画のほうが分かりやすいと思い、省きました」と刑事は悪気のない笑顔でぺこり。「このルールは文字どおりなので、ご理解いただけたと思いますが、私から追加するなら『A・B両研究棟は、1週間前に無眉氏がこの敷地を立ち上げて以来、現在まで一度たりとも萎んではいない』ということぐらいでしょうか」
すかさずフラボノが出てくる。「その情報を【TEN】は『正しい』と保証します。もちろん、動画内における『研究棟の萎む・膨らむ』のルール説明にも致命的な誤りはありません。3時間――つまり、10800秒を超えると建物は萎みますが、プラスマイナス1秒程度の誤差は含みます」
それと――と付け加えたフラボノの話によれば、この『萎む・膨らむ』は比喩ではなく、本当に建物が極限まで萎んで、ほとんど消失している状態になるのだそうだ。ただし、入り口となる『戸』と『バッテン型の通路』は残されていて、そのどちらかを介して消失した棟に入れば、建物は『膨らむ』らしい。ちなみに私たちがこの研究棟を訪れたとき、ちゃんと建物が見えていたのは、萎まないよう刑事が定期的に建物内に足を踏み入れ、膨らみを維持したおかげだそうだ。
「タテモンのスリープ機能みてえなもんか」訳知り顔でセンゾが総括する。
スリープ機能とは、今と違って物質の劣化――要するに広い意味でエネルギィの再利用が難義だった時代ならでは概念・用語だろう。おそらく研究棟の設計者にそのような意図などなかったはずだ。『棟内の気の撹拌のため』あたりに理由はありそうだが……、まあ、どこまで考えてもそれが正解だと立証できないことが分かっている。この空想はさっさと閉じよう。
さて、森岡刑事の話によれば、この『膨らみ萎む2対の研究棟』は、今回が初めてのお披露目ではないらしい。集う面子にもよるが、無眉がデザインを任された場合には、ほとんど定番となっているものなのだそうだ。
「なるほど」と井出ちゃん。「だから、狭池さんは『既に知っている体』で証言なさっていたのですね」
言われて、たしかに、と気づく。
今回の滞在中、狭池は(どころか、誰一人として)研究棟を膨らませていない――なのにも関わらず、彼が『膨らませたときの気持ちよさ』を語ることが出来たのは、過去にそういう実体験があったからか。
「ちなみに」と森岡刑事が軽く手を挙げる。「被害者を含めた関係者6名中、過去に同じような『2対の研究棟』を体験している者がいるかは不明です。おそらく無眉氏がデータを秘匿する設定にしているからでしょう」
「つっても、狭池は?」センゾが割り込む。「訊いてねえの?」
「もちろん、伺っております」刑事は手帳型を開く。「いわく『少なくとも数百程度』だそうです」
「よく飽きねえな」センゾが毒づく。「暇か!」
そのとおり、暇なのだ。
ただし、後ろめたさの微塵もない暇さ、だが。
「ああ、それと」参照した余韻でぱらぱら手帳型をめくっていた刑事は何かを見つけたのか、付け加える。「大した情報ではないかもしれませんが、狭池氏と被害者はこれが初対面らしいです」
悟られないように井出ちゃんのほうを窺うと、彼女はその情報をしっかり吟味するような真剣な表情で固まっていた。私は『あー、たしかに被害者だけ、さん付けで呼んでいたな』とか『だから、居場所や存在に興味を示さなかったのか』と思った程度。
ぱたんと手帳型を閉じた刑事と目が合う。
「他に伝えるべき研究棟のルールはありますか?」私は訊く。内緒だが、多少吹替え字幕っぽい言い回しを選んだつもりだ。
「いえ、ございません」と刑事は神妙な顔をこちらに向けたが、口の端が笑っている。
フラボノの『森岡刑事に同意します』という返事を待ってから――
「では、続きを」と私は催促した。
動画の一時停止が解除されると同時にまた薄暗くなる。
「被害者の遺体には触れましたか?」質問は遺体発見時のことに及んでいた。
「いえ」狭池は首を横にふる。
【エイリアス】はシロを出す。
巡る文字は『いえ、私は吟見巧久の死体には触れていません』と少し言葉が付け足された形となった。
「ペットに調べさせて、亡くなっていることは分かったので、近づきもしませんでした」この狭池の証言に対し、【エイリアス】は「近づかなかった」だけを削り、シロを出す。「それですぐに警察に通報しました」を『発見後数十秒以内に』と直してシロ。被験者がちらちら【エイリアス】を見ながら自嘲気味に続けた「余計なことはしなかったと思いますけど……」は案の定スルー。
死体発見から通報までの時刻は、先ほど森岡刑事が言ったとおりのようだ。
「吟見氏の遺体を発見したあとは?」
「警察の方からの指示があったので」という前置きは省かれ、「(初動捜査員が到着するまで、狭池は)ずっと、下の――(A棟)2階に居ました」がシロ。
「この研究棟の外には出ていませんね?」
「ぃやあ、もちろんもちろん」狭池は早口で何度か頷いた。
厳密性を重んじる【エイリアス】は『吟見巧久の死体を発見してから、この聴取を受けている現在まで』と期間を限定し、シロ。
「では、吟見さんの死体を発見してから、この建物内で、誰か、別の人間を見ましたか?」
狭池はまったくその発想がなかったようだ。少し驚いた顔で「……いいえ」と答える。
判定はシロ。
さらに【エイリアス】は『吟見の遺体発見から通報を受けた捜査員が到着するまで、狭池の拡張された嗅覚は、当該研究棟内で(登録者6名以外の)他の人物(生死を問わず)を一切察知しなかった』と分厚く上書きした。
「凶器はご覧になりましたか?」聴取役の刑事が訊く。
私は500ミリ秒くらい遅れてから、『あー、良い問いかも』と感心した。
「う~ん……、凶器かどうかは分かりませんが、吟見さんの(遺体の)指に『ヒタチドウの指輪』が嵌ってました」狭池は答える。「これもペットが(指輪の存在を教えてくれた)、はい……」
こちらも狭池の感慨部分を除いてシロが出される。
「指輪が誰の所有物か、分かりますか?」
「ペットが。吟見さん本人の物だと」
【エイリアス】はこれをスルー。
横から森岡刑事が「繰り返しますが、凶器は吟見さんの物で間違いありません」と言い添えた。
「あ、そう言えば――」と井出ちゃん。「吟見さんの他にヒタチドウの刀を登録している方は? いらっしゃらないのですか?」
「ええと、奇しくも、と申しましょうか……。去年までは6名全員が登録していたのですが、先生方にご尽力いただいた『キュウカクカン事件』の解決後ほどなくして、吟見さんを除く5名がヒタチドウ協会に刀を『返却』しています」刑事は言い、電子画面型の【プロぺ】をこちらに示す。たしかにその言葉を裏付けるような情報が画面に表示されていた。「この『返却』とは刀の所有権の放棄と同義でありまして、なので、本案件の当該期間中にヒタチドウの刀を登録していたのは関係者の中では吟見さんだけ、ということになります」
フラボノが、刑事によって示された『凶器の所有者』と『事件関係者6名の、ヒタチドウの刀の登録状況』について「正しい情報です」とお墨付きを与える。
動画に戻ろう。
「アナタは吟見さんの死体を発見するまえに、ヒタチドウの刀、または指輪状態のそれをこの研究棟内で……、あ、敷地内も含めて、見かけましたか?」
「う~ん……」と狭池は自身の記憶を検索するような、思案する顔になったが、その逡巡が無価値な――ただの時間の浪費であることを思い出したのか、「いいえ」と早口で発した。
シロ判定が出る。
【エイリアス】はさらに『被験者・狭池ヒロシの嗅覚は、当該敷地内または研究棟の同棟同階などの《同じ空間内》に、いわゆるヒタチドウの刀(指輪状態も含む)が存在した場合、たとえそれが天井や床、壁の中を含め、どんなに巧妙に隠されていても、漏れなく感知できる能力がある。ただし、本人はそれを自覚することは出来ない』と『吟見の肉体』の時と同じような文言を付け足した。
シロが出た時点で「あ~、そうなのかあ」というように微笑を含んだ表情を浮かべていた狭池は、続けて提示された己の潜在能力――その解説文を読んだのか、少しぎょっとした顔になった。無意識なのか、思わず指で鼻の頭を摩っている。21世紀の映画作品なら『リアリティに欠ける、わざとらしい演技』と評論家に突っ込まれてしまうリアクションだろう。
「形式的なものなので、お気を害さないでほしいのですが」と質問役は前置きしてから尋ねる。「アナタは、今回このような殺人や逃亡が行なわれることを、事前にご存知でしたか?」
「いいえ」狭池は、その問いを予期していたのか、それとも仲間外れにされた自嘲がそうさせるのか、軽い微笑を湛えた顔で答えた。
判定はシロ。
『もしかしたら気配で察していた』かもしれないが『話』としての殺害計画は知らなかった、ぐらいの感じだろうか――なんて、私もテキトーに言っているので、賢明な『貴方』は参考になさらずに。
「もしかして、4人のうち、誰の犯行だか見当がついていたりしますか?」質問役は少し冗談めかすようなフランクな口調で言った。
「いいえ」
と首をふった狭池もやはり微笑んでいる。
判定は予想どおり、スルー。
それを受けて質問役は、うん、と小さく頷き、宙に浮かべた『電子画面型』の【プロペ】を手でなぞった。守秘義務か、その【プロペ】はどこから覗き込んでもトランプの裏側のような模様で隠され、何が記されていたかは見えなかった。今までほとんど無言だった裁判所からの出向人が、刑事に「そうですね」と返したので、どうやら二人でやりとりをしていたことが知れた。
「あ、いや、どうも。長々と。ご協力、痛み入ります。ありがとうございました」
質問役は立ち上がり、どこか事務的な響きのこもった棒読みの口調で言い、狭池に頭を下げた。遅れてそれに倣おうとしたのか、出向人も立ち上がった――そんなあたりで動画は終了する。




