第12話 勝ち残り形式の小バトル
《波戸絡子の行動記録》 2333年4月18日 午前9時58分
「では被害者を除いた5名で準決勝を?」質問役の刑事が尋ねる。「ご覧に?」
「いや、ええと、ヌルマユだけ、『一人で観たい』みたいなことを言って、『窓』を使って、B棟(1階)へ」
個人主義全盛の時代だ。
この無眉の動きも特別おかしなものではない。
浮足立つような試合前のやきもきした時間を気心の知れた者と分かち合い、けれど、試合自体は静かに一人で観たい。
かくいう私も、少なくとも『日本代表の試合』だけは一人でじっくり観たい派なので共感ができた。
ともあれ、この狭池の証言に【エイリアス】は『午後3時10分から同時20分の間。すなわち『最後の合流者』である犬京足がA棟3階から降りてくるまえに』などと追加して、シロを出す。
ところで、注意してほしいのは、無眉が狭池たちに対し『一人で観たい』と発言したことは事実だが、A棟2階から去った彼が本当に一人で準決勝を観たのかどうかは不定である、ということ。その内容についてまでは【エイリアス】は保証しない。
「(準決勝の)途中――ハーフタイムの時に、ヌルマユは(A棟1階からA棟2階に『板』を介して)戻ってきました。代わりに、今度はクツキが(『板』を使い)下(A棟1階)に」
これもシロ。
さらに【エイリアス】は『準決勝のハーフタイム中、無眉が板を用いA棟2階に戻って来たあとに、犬京足が板を用いA棟1階へ移動』と直した。
ちなみに、この時のハーフタイム時刻はフラボノが調べてくれた。『午後4時20分から同時30分』の10分間だ。
ちなみのちなみに『毎回競技規定が変わる』でおなじみのバトルカップは、今年は前半50分、10分の休憩(ハーフタイム)を挟んで、後半50分、プラス数分の追加時間の中で得点を競う、いわゆる『クラシック』形式を採用しており、1試合あたり、おおよそ2時間弱ほど掛かるレギュレーションとなっていた。
さて、話を戻そう。
狭池の次の証言は、要約すると『準決勝が終わった午後5時27分に、A棟1階から犬京足が『板』で上がってきて、また(吟見を除く)5名がA棟2階に勢ぞろいした』で、【エイリアス】はこれにシロ判定を与えた。
さらに証言は続く。
「準決勝のあとに、リプレイを観ながら感想というか、話が盛り上がって。で、みんな感化されたのか、(狭池と不在の吟見を除く)4人で『勝ち残りのバトル』をやることになって。まずツミマツとヤマタナダが上(A棟3階)に行きました」
【エイリアス】は前半の『狭池の推測部分』をカットし、改めて『準決勝の試合が終了したあとに』という一文を加えて、シロを出す。
「ん? ええと……」質問役が待ったをかける。「準決勝の観戦終了後に、逃亡者組の4人が、A棟3階を舞台に、勝った者が残り、負けた者が去るというルールの1対1の小規模バトル大会みたいなものを行なったわけですね?」
「はい」
【エイリアス】は、証言の大意を変えないよう、質問役の言葉を少しだけ整え、シロを出す。
繰り返しになるが、これは『狭池は他の4人にそう聞かされた』ということを保証しただけで、実際上階でバトルの試合が行なわれたかどうかは不明だ。
「この……、開始時刻は? お分かりになりますか?」
という質問役に対し、狭池は「1戦目が(午後)6時半スタートでした」と明確に答え、シロをもらう。
狭池が言うには『勝ち残り戦のまえに各々準備やプライベートな所用があったから、締め切り(開始時刻)が決められていた』『その開始時刻の管理は第三者である自分に任せられていた』『ゆえに時刻を憶えていた』とのことらしいが、【エイリアス】はそれら真偽判定をスルーした。
証言は『勝ち残り戦』の内容に移る。
「開始時刻になって、二人(積松と山棚田)が(A棟3階に)上がってから、数分――2分くらいしたら、まずヤマタナダがこっち(A棟2階)に降りてきて、入れ違いに今度はヌルマユが(A棟)3階に(上がった)」
これもシロ。
質問役の刑事が唸ったが、それは積松と山棚田の勝敗結果――いわゆる序列がついたことに対する感慨のようにも聞こえた。
ちなみにバトルでの対決時間は、彼らが選択したレギュレーションに依存するので数十秒で終わったとしても不思議はない。
あー、それと、『窓』でも行ける1階はさておき、2階←→3階の行き来には『板』による方法しか存在しないので、証言中の「板を使用し――」という主旨の【エイリアス】の自明な注釈は省略しているし、以降も削る場合があるかもしれないことをここに追記。
「そのあとすぐに――」という狭池の前置きを省き、「ヤマタナダが『そろそろ帰るわ』みたいなことを言って、下(A棟1階)に(板を用い、降りた)」という証言に、シロ判定。「それで、やっぱり2分くらい経ったころかな?」という部分の判定をスルーし、「上(A棟3階)からツミマツが(A棟2階に)降りてきて。入れ違いに最後はクツキが(A棟)3階に(上がった)」こちらに【エイリアス】はシロを出す。
さらに狭池は続ける。
「負けたツミマツは『帰る』って言って――」という部分の判定はスルー。「(A棟2階から積松が)『窓』を使って、あっち(B棟1階)に(飛んだ)」にシロ判定。
「よく憶えてんな」センゾが疑わしそうな声で茶々を入れる。
「『行動記録』を参照しながら証言しているのでしょう」井出ちゃんが答えた。
「つかよ、『行動記録』なんてもんがあるなら、最初からそれ、警察に見せりゃいいのに」と、センゾ。「そうすりゃ時刻もハッキリすんだろ」
ごもっとも。
けれど、それは飼い主の『行動記録』を自由に読めるペットならではの発想だ。
当然、持ち主は『自分の行動記録』を自由に参照できるが、他人のものはたとえ『持ち主の許可』があっても部分的にしか閲覧できなかったりする。
どういう理由かは我々人類には考えも及ばないが、【TEN】が禁じているのだ。
なにより『行動記録を他人に公開することは死ぬほど恥ずかしいこと』というのが現人類共通の普遍的な認識であり、その『開示拒否権』が尊重される世の中である。
そのような人権――というより生理的な共通理解から、たとえ殺人事件だとしても、行動記録開示の強制は禁じられているし、所有者もとくに意味はないけれど『あえて』曖昧に証言したりする。
だからこその【エイリアス】とも言えるか。
「最後にクツキとヌルマユが(A棟3階から)一緒に降りてきて――」狭池が証言する。「ちょうど自分もB棟に戻ろうかと思っていたタイミングだったので、三人で『窓』を使ってB棟(1階)に行きました」と、彼は首をひねる。「で、どれくらいだったかなあ、数分かそこら、(B棟1階で)三人で立ち話して……。終わり際にクツキが『あ、俺、こっちから入ってきたんだった』みたいなことを言って。(話が終わったら、自分は)クツキと一緒に板で(B棟)2階に(向かった)」
ここまで3か所、狭池の「」内の証言に対して【エイリアス】はシロを3回出した。
ただし、狭池の「ちょうどB棟へ戻ろうかと思って――」などの『気持ち』の部分は省かれたが。
さて、重ね重ねで恐縮だが、犬京足が『俺、こっち(B棟)から入ってきたんだった』というような趣旨のことを狭池に語ったのはシロ――事実だが、彼が本当にB棟から入ってきたのかは【エイリアス】は保証していない。それと、省略したが、この証言中の『三人』の内訳は狭池、犬京足、無眉で、不変だ。
もうひとつ、蛇足の極みかもしれないが、このB棟1階での立ち話の際に三人が話していたというのは『勝ち残り対戦』の最終試合のことらしい。狭池が尋ねる形で話が始まり、軽い感想戦に至ったようだ――と『推測』の形式になるのは【エイリアス】が判定をスルーしたから。
自明だが、最終勝者はランキングどおり、『元・四天王』こと犬京足だそうだ。
「あ、ひとつだけ確認を」何か閃いたらしい、質問役が軽く手を挙げる。「えー、B棟1階、三人で感想戦をしたとのことですが、その際、狭池さんはA棟3階に被害者が居たかどうかお二人に確認したりしなかったのですか? ……ええと、だから、アナタが研究棟に入ってから一度も被害者とは顔を合わせていないわけですよね? 『皆で準決勝観戦しないか?』のメッセージに対しても被害者だけ返答はなかった……。彼の所在に興味はありませんでしたか?」
狭池は、ああ、と思いがけない問いにあったような反応を見せた。しばらく考えるように斜め上方に視線を向けてから、「はい、興味は沸きませんでした」となんら気後れする様子もなく、微笑を添えて答えた。
【エイリアス】はこれを『外形こそ《Yes/No》で答えられる命題形式ではあるが、その主体となるのは、外部に明確な結果が伴なう《行為》ではなく、個人内で収まってしまう《感情》だ』と捉えたのか判定をスルー。
たしかに『興味が沸いた/沸かなかった』は判定に困る問いだ。
いや、【エイリアス】なら完璧な返答が出せるだろうが、それをやってしまうことで、思考や感情というものの『境界』を人類に示してしまうことになる。
『数学を含めた広義科学的な課題は人類が独力で解決するもの』と標榜している【TEN】にとって、それは望ましくない。だから判定を放棄したのだろう。
同様に殺意があったかなかったか――殺意の有無についても【エイリアス】は答えない。『【エイリアス】に誓って、キミを愛してる!』という宣言は勝手だが、真偽判定はしてくれないわけだ。




