第11話 拡張五感
《波戸絡子の行動記録》 2333年4月18日 午前9時53分
「ええと、それで、正確な時刻は忘れましたが、正午になる少し前かな? ヤマタナダの来訪を受けました」狭池は目を閉じ、自らのペースをつくるように首を回しながら言う。「それで彼と一緒に『窓』からA棟に」
この証言を【エイリアス】は『狭池ヒロシは、昨日(日付略)の午前11時50分~午後0時10分までのおよそ20分のあいだに、B棟3階からB棟2階に降り、同行していた山棚田夏十が『窓』でA棟1階飛んだ直後(3秒以内)に、同じく『窓』を使い、A棟1階に行った』と校正し、シロを出した。
さっそく繰り返しになるが、【エイリアス】は証言のすべてに真偽判定をするわけではない。なので「正確な時刻は忘れたが――ヤマタナダの来訪を受けた」という主張は部分的に無視された格好となっている。だから実際、狭池は『A棟に行った正確な時刻』を憶えていたかもしれないし、本当に気にしていなかったかもしれない。不明だ。
それと、証言に【エイリアス】が付け加えた『何時何分から何時何分の間に』という表現についての解釈なのだが、これは単純に『当該行為の開始時刻と完了時刻を示しているわけではない』ので、そこは注意してほしい。当該時間帯のどこかのタイミングで『移動を開始し』同じく範囲内で『それを完了した』ことを示しているだけだ。であるから、狭池がB棟3階を出発したのは午後0時を過ぎてからかもしれないし、逆に、正午になる前にはもうA棟に到着していたかもしれない。
おそらく、かような【エイリアス】による時間表現は以降も出てくる可能性が高いと予想される。ここで提示した解釈を忘れないでほしい。
「私たち(狭池と山棚田)が『窓』でA棟(1階)に到着したとき、ちょうど、外から(敷地から『戸』を使ってA棟1階に)ツミマツ(積松竹流)が入って来ました。それで3人(狭池、山棚田、積松)で上(A棟2階)にあがって」ここまでがシロ。「しばらく雑談して――」この箇所は判定をスルー。「そのあと2人(山棚田と積松)がバトルを始めて。私はそれを観てました」にシロを出す。
このように【エイリアス】の校正を受けた証言は、文字となって【エイリアス】の周囲を巡るのだが、それはシロ判定と『その証言は誤りである』を示すクロ判定、あるいは、滅多にないが『どちらとも言えない』と評価するグレイ判定の3つのみ。『判定をスルー』されたものは、そもそも取り沙汰されない。捨てられる。ちなみに、巡る証言の色は判定と同色。質問役の問いは赤みがかった金だが、こちらは被験者が『はい/いいえ』で答えたものにしか付随しない。まあ、いずれにしろ銀色の半球型とそれを飾るように巡る文字列たちは、全体として美麗である。
さて、前に森岡刑事が断ったとおり、この研究棟内からバトル世界に飛ぶことは禁じられているから、ヤマタナダたちはA棟2階に擬似的なバトル空間をつくり、そこで競技を楽しんだようだ。ちなみに狭池の証言ではどの程度のサイズまで擬似空間を広げたかは明らかになっていないが、同じ階にいる狭池にもバトルが観戦できる方式を選択したようだ。
「ツミマツさんとヤマタナダさんのバトルですか……」質問役の刑事が唸るように呟いた。バトルゲームに対する興味は『24世紀人類に唯一共通する普遍的な欲求』と言ってもいい。彼はその内容が気になったようだが、自制する。「それはどれくらいの時間入っていたのですか?」
「ええと、バトルカップの準決勝が始まるまでやってたから、3時間ほどでしょうか」
一昨日行なわれたバトルカップの準決勝・第1試合『ブラジルVSポーランド』の一戦は、手元の記録では日本時間の午後3時30分開始となっている。
『準決勝が始まるまでやっていた』ということは同時29分ぎりぎりまでだろうか――と思ったが、この証言に対し、【エイリアス】はスルーだ。判定を返していない。
なのでこの証言はまったくのウソっぱちで、実際のところ、バトル遊びをしたという積松たちは数分もせずにさっさと止め、当該時間帯をそれぞれ別の場所に移動し、過ごしていたかもしれないわけだ。その可能性を【エイリアス】は否定していない。
……ちょっと頭がぐるぐるしてきた。
さて、ここも面倒なので、以降、証言中『準決勝』と表記するときは、『一昨日行なわれたバトルカップの準決勝・第1試合ブラジルVSポーランド』のことを指す――とする。
同様に以降、証言内で『試合』と言えば、上記準決勝のことである。
ちなみに余談だが『準決勝・第2試合』は日本時間の昨日の午後3時半――森岡刑事曰く『この聴取が終わった数時間後』に行なわれているので、そちらと取り違える心配はない。まあ、狭池の証言には【エイリアス】が逐一『準決勝・第1試合ブラジルVSポーランド』と付記しているのだけれど。
動画に戻ろう。
「そのあいだA棟2階には3人だけで?」質問役が、まさに私が訊いてほしかったことを尋ねてくれた。
「そうですねえ……、準決勝開始の30分くらい前までかな」狭池は素直に答える。「(A棟の)2階には私たち(狭池、山棚田、積松の)3人だけでしたよ」
【エイリアス】は証言の後半部分に『この日(4月16日)狭池・山棚田・積松の3名がA棟2階に到着してから、同日午後3時ごろまで』と注釈を入れて、シロ判定を返す。
具現化された白い文字が半球の周囲を巡る。
それとは逆に――と言っていいのか、私のぐるぐるは治まる。
まもなく、その注釈された自分の証言を見たのか、狭池は――
「じゃあ、その少し前の2時59分ごろでしょうか」と時刻を添えて、「『みんなで準決勝を観ない?』みたいな主旨のメッセージを送りました。それで少し経ってから、上(A棟3階)から最初にヌルマユが、そのあと……、十数分くらい経ったあとでしたか、試合開始のギリギリになってクツキも降りてきました」と証言を続けた。
それに対して【エイリアス】は――
『前日の午後3時00分から同時10分の間にA棟3階からまずは無眉道霧が、次に同日同時20分から28分の間にA棟3階から犬京足次々が、A棟2階に降りてきた』と証言を一部直してシロ判定。ほぼ同時に白い文字が具現化し、半球の周囲を巡る。一方、午後2時59分ごろにメッセージを送った、という部分の判定はスルー。こちらは文字化されない。
「被害者は?」質問役が問う。
「いや、来ませんでしたね」狭池は首をひねる。
この曖昧な問答に対し、【エイリアス】はシロを返したが、証言は具現化しなかった。
代わりに――
『被験者・狭池ヒロシの嗅覚は、当該敷地内または研究棟の同棟同階などの《同じ空間》に、吟見巧久の肉体(生死を問わない)が存在した場合、漏れなく感知できる能力がある。ただし、本人はそれを自覚することは出来ない』と前置きしてから、『4月15日に当該敷地および研究棟へと入場を果たした狭池が《同じ空間》にいる吟見巧久を感知したのは、4月17日A棟3階での遺体発見時が最初であり、唯一である』と保証し、この銀色の文言を自らの周りに巡らせた。
いわゆる『拡張五感』というやつだ。
我々24世紀人には、このように『本人にも自覚できないが、凄まじく機能が拡張された五感』が具備されている……、らしい。
いや、『五感』だけではなく、『記憶』も拡張していて、その『生まれてこのかた絶対に風化しない、精密な記憶』は『深層記憶』と呼ばれ、冒頭に少し説明したが、【エイリアス】はこれを参照する装置だから、『絶対に間違えないウソ発見器』と呼ばれる由縁となっている。【TEN】が言うには、ほとんどの人間は『深層記憶』を備えているとのことだが、『拡張五感』の性能には個体差があるらしい。
「もちろん被害者はこの時点では存命です」脇から森岡刑事が発言したことで、立体動画は勝手に一時停止した。「狭池さん曰く、メッセージは誰々宛て――という形式ではなく、研究棟に居るすべての人間に無選別に送られる形式だったそうで、被害者の吟見さんが受け取ったかどうかは分かりません。建物の外に居たかもしれませんし」
だから返事がなくてもおかしくはない――という主張だろうか。
いや、この刑事は『被害者はこの時点で、すでにA棟3階に居た』という考えではなかったか?
――などと思ったものの、音にするほどの意見ではないと私は見切り、声に出さなかった。
動画が、こちらの会話の終わりを気配を察したようにやはり勝手に動き出す。




