第10話 【エイリアス】
《波戸絡子の行動記録》 2333年4月18日 午前9時50分
「では――」森岡刑事が『電子画面』型の【プロペ】を操作する。「次は『逃亡しなかったゲスト』こと狭池ヒロシ氏の証言をご覧いただきましょう。聴取はここB棟3階で行なわれました」
それが合図だったのか、すーっと部屋全体が暗くなる。
対照的に部屋の中央だけが、あたかもそこだけ『昼の室内』のようにぼんやりと明るい。
そこにはテーブルを囲む3人の男女の姿が映されている。
原寸大の3次元映像だ。
その質感は生身の人間そのものだが、私たち24世紀人にはきちんと『つくりもの』だと分かるのが面白い。
彼ら3人が囲んだ円卓は、麻雀をやるには少しだけ大きすぎるサイズで、卓面中央に『絶対に間違えないウソ発見器』こと半球型の【エイリアス】が置かれていた。下半分を真っ二つに割られたバスケットボールほどの大きさの【エイリアス】は、鏡面加工が施されているような体裁だが、どんな角度から見ても周囲を映さないためか、シンプルに銀色に見える。それは何度見ても不思議な造形で、ツクリモノと分かっていても見惚れてしまうような魅力があった。
【エイリアス】の天辺部分は【ステイト】と呼ばれる、井出ちゃんが表現するところの『文庫本の栞サイズ』ぐらいのへこみがあり、本来そこに収められていた『栞サイズの板』は、今、被験者である狭池の額にピタッと付着している。これが【エイリアス・センサ】と呼ばれる装置で、ヒトの脳内に存在すると言われる『生まれてこのかた絶対に風化しない記憶』こと『深層記憶』を参照する機能を備えている。
さて――
これから『貴方』には、事件当事者のひとりであり、遺体発見者でもある狭池ヒロシ氏の、【エイリアス】を用いた聴取風景をご覧いただくことになるのだが、そのまえに諸注意を。
動画に登場する事件関係者は『名字』だけで表記される場合があるが、間違いなく『当該事件の関係者6名のいずれか』である。混同してしまうような『同姓または同名の、別人』は登場しないし、当然、途中で改名した者などもいない。
それと、場面によって、名前が漢字表記だったりカタカナ表記だったりするかもしれないが、その辺りは視認性を良くするためにフラボノに調整させた結果であり、やはり、前述のような杞憂は不要である。
日付も、『きょう』と言えば、犯行のあった翌日――聴取が行なわれた『2333年4月17日』のことだし、『きのう』と言えば、その前日――犯行があった『同年4月16日』のことである。
言わずもがなだが、それら日時はすべて日本の標準時で統一されており、例外はない。
証言に出てくる『敷地』とは、私たちが今滞在している、吟見氏殺害事件の現場となった『東京都本郷区88-64』で定義された土地およびその地表から上空80メートルまでの空間であり、『研究棟』と言えば、その領域内に設置された3階建ての二つの棟のことである。この行政区名と座標を足し合わせた『住所』は【TEN】が規定し、管理するもので、同じ地番の住所は同時に存在できないし、変更もできない。蛇足を承知で言うが、当該敷地および研究棟内に日本国以外の領域は存在しない。
他に競合するものもないと思うので、『戸』や『窓』、『板』はいずれも、先ほど森岡刑事に案内してもらった際に見た、研究所内に取りつけられた装置のことを指し示す――とする。
そして被験者は狭池であるから、彼の証言内において『私』と表記したものは、当然『狭池ヒロシ』当人のことである。『私』という姓、名、またはニックネームを持つ別人など登場しない。
以上のことを【TEN】に代わってフラボノが保証する。
だいぶ長くなったが、それもこれも『視覚入力系しか復元されなかった貴方』のための、ささやかな配慮のつもりだ。
なぜこのような断りが必要なのかは、聴取が始まれば、おそらくすぐに分かるはず。
「では、映像を再生するまえにひとつだけ」森岡刑事からも、なにか注意事項があるらしい。暗闇だが表情が分かるくらいの明度調整が自動でなされている。「証言中、人物の行き来が多少なりとも活発になる部分があります。え~、たとえば、誰々がA棟の3階に行ったり、誰々が『窓』を介してB棟の1階に降りたり、とか……、言葉だけの説明では状況が把握しづらい箇所が生じるかと存じます。なので、こちらで『証言をもとにした再現劇』をご用意致しました。動画視聴後に改めてそちらをご覧いただく手はずとなりますので――」
「証言映像は流れだけ追っておくだけで充分、ということでしょうか?」井出ちゃんが引き取る。暗闇のせいか何故なのか、理由は定かではないが小声だった。
「規定上、いったん再生してしまうと、一時停止は出来ますが、『さっきの証言まで数秒戻してもう一回』ということは禁止されていますので……」と刑事もトーンを落とした声で言い、井出ちゃんに向け、頷いたようだ。「そうですね、流れの把握だけで充分だと思います」
――と言われると、むしろしっかり観てやろう、という気持ちになってしまうのは私だけだろうか。
ともあれ、映像が動き出し、私は、期せず向上してしまった注意力をそちらに向ける。
「アナタは狭池ヒロシさんですね?」立体動画の刑事が尋ねた。
「はい」
そう狭池が答えると、卓上、半球型の【エイリアス】は、てっぺんのへこんだ部分――【ステイト】と呼ばれる部分を白く発光させる。
その一箇所から出たはずの光は、まるで【エイリアス】全体から発せられたかのように周囲を淡く照らした。
これがいわゆる、シロ判定。
ごくごく簡潔に、かつ、本質から逸脱することのないように表現するなら『被験者・狭池ヒロシが答えた、その証言は正しい』と『絶対に間違えないウソ発見器』こと【エイリアス】がお墨付きを与えた――ということだ。おそらく【エイリアス】のメカニズムを長々詳らかに説明するより、『【エイリアス】は決して間違えないウソ発見器である』と、こういうシンプルな理解のほうが誤解はないはず。
最初に名前を問うのは、被験者の緊張をほぐす目的と『ほらね、ちゃんと【エイリアス】は機能するでしょ?』というデモンストレーションを兼ねた、いわゆる決まり事である。
ちなみに、彼らのやりとりは文字に起こされ、回遊魚のように【エイリアス】の周りをぐるぐる巡っているので、万が一聞き漏らしてしまっても問題はない。
「この人物の名前は分かりますか?」言いながら動画の中の刑事は、狭池の前に被害者である吟見のバストアップ画像を出す。「フルネームでお願いします」
「はい。吟見巧久さんです」
と、狭池が答える。
こちらにもシロ判定が出る。
さて、ここで用いられたバストアップは、発見された遺体を基に、【TEN】のデータベースと照合して取り寄せた、生前の――殺傷痕などがついていない被害者の画像だ。なので、先ほどの何気ないやりとりで、被験者・狭池の脳内に『現場にあった遺体=吟見巧久』という図式が改めて構築されたことになる。これで『被験者が被害者の名前を誤って認識している可能性』も消されたわけだから、わりと重要な手続きだと私個人は評価している。
そんな感慨をよそに、立体動画はさっさと進む。
「では、『いいえ』でお答えください」質問役の刑事は常套句を口にした。「アナタは吟見巧久さんを殺害しましたか?」
「いいえ」
【エイリアス】は、一拍置いてから、白く輝いた。
つまり――
質問者 『アナタは(遺体から照合した)画像の人物を殺害したか?』
被験者 『いいえ』
【エイリアス】『被験者の主張内容は正しい』
――という流れが成立したわけだ。
蛇足だが、まあ、なにしろ平和な世の中である。被験者が『殺す』という言葉の概念を知らなかったり、意味を履き違えていたりした場合、【エイリアス】は当該判定を保留し、その旨を使用者らに伝えることが約束されているから、なんというか、間違いはない。
ともあれ、これで『吟見殺し』における狭池の無実は確定したことになる。
従来ならこれで被験者の義務は完了――なのだが、今回は『特例』としてそのまま任意の事情聴取へ移ることになった。
このあたりの段取りについての是非――法解釈は曖昧だ。
なにしろ今の時代、殺人事件など滅多に発生しないから、参考すべき『前例』の数が極端に少ない。
そしてその稀少な『前例』は、『臨機応変、現場判断に委ねる』という他人任せな――いや、時代に即した、極めて柔軟なもので、けれど、きちんと『結果』を出しているから、そのまま大した検証もなく、なし崩し的に踏襲されているのが現状だ。ゆえに弁護士である私と井出ちゃんもこの時点では異議を唱えず、看過する。
質問役の刑事は、死体発見までの経緯を話すよう、狭池に促した。
「昨日は、お昼前まで、ずっとB棟の3階に居ました」
この狭池のアバウトな証言は本来、より厳密に『昨日――日本時間2333年4月16日の午前0時から午前11時40分ごろまで、私(狭池ヒロシ)はずっと東京都本郷区88-64敷地内に設置された研究棟B棟3階に居た』と【エイリアス】に勝手に直されて、シロ判定を受けている。
想定より遅くなったが、これでようやく先ほど『貴方』に注意事項を提示した理由がお分かりいただけただろう。
【エイリアス】が校正した『証言』は、正確を期すため、そのままだとかなり長ったらしく煩雑な文章になってしまうのだ。
なので『貴方』の負担を減らすため、以降、自明な部分は極力省き かつ、証言内容が変質しないようフラボノに監修してもらったものを提供したい。
とはいえ、『とりあえずビール』を『とりあえず(私に)ビール(をコップないしジョッキに1杯分だけ下さい)』というように適宜名詞や助詞・動詞等々を補足した『不細工』な形式になってしまうことは大目に見ていただきたい。
それと、『貴方』が忘れているかもしれないから念のため付け足すが、【エイリアス】がこのような注釈を入れるのは、原則として、シロ判定と評価された証言のみである。まあ、もちろん、これはあくまで『原則』なので『例外』が存在しうることも付記しておく。




