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第9話 窓

 《波戸絡子の行動記録》 2333年4月18日 午前9時40分




「この研究棟には、実はもうひとつルールがあります」森岡刑事は2階に着くや否や、自ら率先して歩いていくことで、私たちを『窓』の近くへと誘導する。「ずばり『入って来た戸ではないほうの戸から出ること』というもの。具体的に言うと、A棟から入った者は必ずB棟から出なくてはならない、というものです」

「なぜ、そんなルールが?」井出ちゃんが『そもそも論』を尋ねる。

「狭池さんいわく、『人の行き来により、棟内に漂う《気》を撹拌かくはんするため』だそうです」

「気、ですか……」井出ちゃんは言いながら、天井辺りを見回した。「それ専用のサーキュレーターをつくったらオシャレなのに」とこちらに笑顔を向けた。「気を撹拌する専用機」

「いや、そりゃ、ただの扇風機だろ?」センゾが出てきて、言った。

 軽い笑いで終わる。

 それぞれのジョークセンスが噛み合わずにすれ違ってしまった、という感じだ。

 数歩ほど足を進めたところで、もしかして先ほど見た『板』がそれぞれ反対側の壁に設置されていたのも、なるべく人を行き来させ、棟内の気をかき回すためだろうか、と思いついたが、口に出すほどの発想でもないし、なにより旬が過ぎてしまったと判断し、やめた。


「では撹拌を兼ねてB棟へ向かいましょうか」私たちを先導していた刑事が『窓』のまえで立ち止まり、こちらに振り返って、にこやかに提案する。「この『窓』に手を当て『B棟へ行く』と、口に出して宣言しても、心の中で念じてでもどちらでもいいので、とにかくあちらへ向かいたいと意思表示すれば、飛べます」タイミング的にはそこで説明終了、いざ実践――という感じの間が空いたが、「ああ、それと――」と彼は思い出したように続ける。「この移動の際、【マシン】製以外の物――つまり、『実物』は持って行けません。凶器となったヒタチドウの刀は当然、『実物』なので、駄目です」

「なるほど……」と名探偵のように井出ちゃんが意味ありげに呟いたが、いまここで、なにか見解を披露するつもりはなさそうだ。

「駄目、とは?」仕方なく私は声を使う。

「ああ、失礼」刑事は笑顔でまた頭を下げた。「そもそも『窓』が機能しない、ということです。これに抵触しても警告記録などは残りませんが、【プロペ】によって注意が表示されます。ええと、『実物を所持した状態でこの窓は使用できません』というような」

「だとすると――」私は井出ちゃんを手で示す。「いま指輪を着けている彼女は、飛べないのでは?」

「ああ……、またしても失礼しました、波戸先生」と刑事はぺこり。「井出先生にお渡した『刀』はニセモノです……」

「ちなみによ~」とセンゾが出てきて、きょろきょろ辺りを見回す。「こん中に、なんか『実物』ってあんの?」

「いえ、研究棟――建物はすべて【マシン】で構築されたものです。備品や調度品のたぐいはご覧のとおり、ありません」

 もし机や椅子が必要になったときは、その都度つど【マシン】を集めてつくればいい。それが常識だから、むしろ実物を所有していることのほうが珍しい現代だ。

「なるほど」センゾはわざわざ筆記用具を使い、メモをとる。「『刀のほかに実物はない』と」

 

 『貴方』がどこまで厳密にこだわる性分か分からないので念のために記すが、我々24世紀に生きる『ヒト』は、『生物』という群に属すためか、ここでいう『実物』にはあたらないようだ。

 けれど、よくよく考えれば我々『現代人』というやつは、筋肉どころか細胞すら【マシン】で補強し、場合によっては『新品』に代替しているはずで、さらに言えば、酸素も飲食物も【マシン】製だから、ウナギの付け足しダレのように、いつしか肉体が【マシン】にすげ代わってしまう――ように感じるのだが、それでも人体は【マシン】製にはあたらないらしい。

 そうはならないように【TEN】が暗躍しているのかもしれないが、なんにせよ人知の及ぶ領域ではない。


 そんなことをぼんやり考えているとフラボノが現れる。

「森岡刑事による『窓』の説明に、『窓とは一方の棟の2階から、もう一方の棟の1階にのみ瞬間移動できる装置である』の一文を加えて、『正しい窓の説明です』と【TEN】に代わり、保証いたします。『入ってきた戸から退去することはできない』も同じく間違いはありません」と言い添える。

「待て待て待て」センゾがメモをパラパラめくりながら呼び止める。「ちょっと確認すっぞ。研究棟の出入りには『戸』だけ。同じ棟の上下階の移動は『板』だけ。で、2階からもう片方の1階への移動は『窓』だけで、それ以外の移動方法はねえんだな?」

「敷地と研究棟の行き来、および、研究棟の別の階への移動にはその3種類の方法しかありません」フラボノがお墨付きを与える。「例えば、壁や床に穴を開けることも、すり抜けることも原則禁止です。そして、この研究棟1階部分は床面がなく、逆さに置いたコップにも似た構造ですが、これを傾けたり、持ち上げたりするなどして出入りすることも当然禁じられておりますし、秘密の通気口などもありません」

 フラボノがここぞとばかりに曖昧な箇所を潰した。

 センゾも満足したのか、それ以上は問わず、なにやらメモをしている。

 私の腹話術でないことは私が分かっているが、『彼ら』の解説漫才である可能性は否定できない。少しだけ疑った。


 さて――


 ほんのり金色を含んだグレイの壁に、ぴったり水平に埋め込まれているような『窓』は、直径80センチほどの真円型で、床から高さ1メートル60センチほどだろうか――そのぐらいの位置に窓の中心があった。レンズっぽいが、凹凸おうとつがないから、『ガラス窓』みたいだ。けれど『窓』という印象はそういう質感くらいなもので、外でバッテン型の通路に繋がっているせいか、奥が見通せない。色は壁より少し濃い灰色だが、前述のように明らかにガラスの質感なので、そこだけ浮かび上がって見える。


 『窓』の使用は一人ずつらしい。

 まずは井出ちゃんが先駆けとなる。

 今の時代において、とくべつ風変りなギミックというわけではないから、井出ちゃんは躊躇なく『窓』に手を近づける。

 指輪を嵌めた左手が『窓』に触れた瞬間、彼女は消えた。

 この装置のデザイナが、さすがにそれだけではそっけないと思ったかどうかは知らないが、消えた彼女の跡にはオレンジとピンク色のダイヤモンドダストのような、ごくごくささやかなエフェクトが巻き起こり、霧散した。綺麗だが、前時代的と言えば前時代的な視覚効果だ。花のような爽やかで甘い残り香も感じられた気がするが、こちらは私の錯覚かもしれない。

「『窓』を利用した場合には、必ず、このようなエフェクトが出る仕様となっているようです」刑事は言う。「なので、この空間に居た者には『あ、いま、誰か窓を使ったな』と分かると」

「なるほど」合図代わりだったわけだ。私は、先ほど短絡的に『古臭い』と断じてしまった自分の不明を恥じた。

「まだですか?」と宙に【プロペ】が現れて、井出ちゃんの顔が映った。

 『貴方』の時代でいう、ワイプのようなものだ。

 刑事に譲られたので、私は窓に手をつける。

「さすが……!」と刑事が膝を曲げて軽く吹き出す。「常人だと手をつけた瞬間、飛んでしまうのですが」

 そのとおり、いま私は何も考えず窓に触れている。

 飛ぶには多少なりとも意志が必要、ということらしい。

 窓は、実物のガラス窓のように薄いチープな感触で、強く押したら突き破れそうだな、と思ったら、試すまえに飛んでしまった。


「B棟1階です」フラボノの声で私は風景が変化していることに気づく。

 目のまえに井出ちゃんがいる。

 味わう間もなく、移動は完了していた。

 三半規管にも飛ばされたような余韻が残っていなかったから、だまされているみたいだった。

 いや、余韻がないからこそ瞬間移動なのか。

 床がプリン色に変化していることにようやく気づいた。やはり1階らしい。

 まもなく刑事がやってくる。

 私がワープした場所から一歩も動かなかったためか、彼は私の隣――『窓』から少し離れた位置に現れた。

 現れる際、注意喚起のためだろう、小鳥のさえずりのような、ささやかな警告音と、やはり飛ぶ時と同じようなエフェクトが巻き起こった。

 警察手帳のバッジのような、くすんだ金色のエフェクトで、やはり前時代的な仕掛けだったが、思わず手を伸ばしてみたくなるほど美しかった。

 自分はどんなエフェクトだったのだろうと思ったが、声を使って尋ねるほどの意欲はともなわなかった。


 念のため、フラボノに命じて座標を呼び出し確認したが、私たちは間違いなく隣の棟に移動していた。「最初に『B棟1階です』と申し上げましたが」とフラボノは嫌味を言ってから消えた。これは記憶力というより、注意力の問題だなと私は内心気を引き締める。

「繰り返しになりますが、もしここで忘れ物に気づいても、この窓を使ってA棟に引き返すことは出来ません」刑事は『窓』を手のひらでぺちぺちと叩いたり、ぐっと体重を掛けるようにもたれ掛かったりしたが、巨大な押しボタンめいたそれはびくともしなかった。「先ほども申し上げましたが、あくまで一方通行なので」

 2階から位置エネルギィを消費して1階へ転送している、という理屈なのだろうか。

 こうして間近で見てみると、『窓』は2階のものより、いくぶん色が薄いように思えた。

「では、参りましょうか」 

 刑事の案内で私たちは上階を目指すことにする。

 横目で、A棟1階と同じく、外に出るための『回転戸』があるのを確認。

「あそうそう」目ざとさに定評のあるこの刑事は、私の視線を辿ったようだ。「研究棟から敷地へ出る際も、敷地から建物の中に入るのと同様のルールに従います。つまりあの『戸』から我々三人で外に出ようとしても認証するのは代表者一人だけでいい、ということです」

「あ、そっか」井出ちゃんは刑事の言いたいことに気づいたようだ。「じゃあ、もし私たち三人のうち、誰かB棟から入場していた人間が混ぎれていたら――」

「はい、その場合、『入ってきた戸から出てはいけない』のルールが勝ちます」刑事が頷き、引き取る。「たとえ自分で戸を認証しなくても、入って来た戸からは敷地には出られません」

 その場合、そもそも戸が回転しない仕様らしい。

「もういっちょ確認」とセンゾが現れる。「じゃあ、そのルールに則ってさえいるなら、外から誰かが認証して戸を回転させるのと同時に、入れ違うように、中に居た人間が外に出る――ってのもOKってことだよな?」

「はい」刑事が答え、戸のほうを指差す。「認証の際、あの戸と一緒に回転する半円――皿の上に乗っていれば入れ違いは可能です」

「その場合、認証した人には分かるんですか?」と井出ちゃん。「自分が中に入るのに便乗して、戸の裏側に潜んだ誰かが外に出ようとしているぞ、って」

「う~ん……、調べようと思えば」刑事は疑問形のように語尾を上げた。「基本は、裏に誰かが乗っているかは分かりません……、いや、分からないんじゃなくて、気にしない、という感じでしょうかね」

 なるほど、なら、私たちがA棟に入って来た際、実は戸の裏に誰か潜んでいて、今ごろ入れ替わりに敷地の外へと出てしまっているかもしれないわけだ。井出ちゃんが好きそうなテーマだな、と思った。

「そういえば、定員とかあったりします?」井出ちゃんがふと気づいたように訊いた。

「あっ、面白い」刑事は感心したように笑った。「あの皿は一見一度に大人数が乗れるように見えて実は人数制限がある、と」なるほどなるほど、と調べてなかったのか手帳型の【プロペ】を呼び出し、ぱらぱらめくった。「あー、定員の上限は特に設定されていないようですね……。そもそも最大で6名しか乗らないから決めてなかったのかもしれません」


 それら情報にフラボノが『正しい』とお墨付きを与えているあいだ、私は『あの皿の上に凶器を置いておけば、戸は回転できなくなったのではないか』と気づいたが、その場合『建物内で人間の手から刀が離れた』と評価され警告を受けたはずか、と思い直し、言葉にすることは控えた。


 閑話休題。

 私たちは『板』を二度使って、B棟最上階へ向かった。

 総括めいた感想を言うなら、B棟もA棟とほぼ同じ造りに思えた。

 相違点と言えば、1・2階の『窓』の位置が西側になっていたことぐらいだろうか。


 ともあれ敷地を含めた全フロアを踏破した私はフラボノにスキャンさせて、当該敷地および研究棟内に『そのどちらにも属さない領域』がないことを確認した。これはあくまで念のため、である。もしそのような領域があれば、これこれこういうトリックができるのになあ――なんて、具体的なアイディアがあったわけではない。現代ではそのような建物をデザインすることが許されているから確認したまでだ。

「ダメ押しするなら」とフラボノ。「一見、ヒトの目には『A棟の1階内』に見えますが、定義上『他の階』どころか『建物外』として認識される――などという『中庭』めいた領域は、作成こそ可能ですが、実行はなされませんでした。【TEN】に代わって保証いたします」

  

「あ、そう言えば、私たちが外へ出るには、こちらの棟の戸を使うわけですね?」ぐるぐる辺りを見回すのにも飽きたか、井出ちゃんは刑事にく。「外に出たあと、『あ、中に忘れ物しちゃった』って気づいた場合は?」

「いったん外に出てしまえば『出た戸』からでも再び中に入ることは可能です」規則は把握済みなのだろう、刑事はすらすら答えた。「『入った戸からは出られない』というのが重要らしいので」

「なるほど、研究棟の入場者は必ず一度は『窓』を使わないと外には出られない、ということですね……。そして『窓』は実物を除外するフィルターになっていた……」そう呟いた井出ちゃんは鹿爪しかつめらしく腕を組み、左手をあごに添え、なにやら考えを巡らせている様子。私は何も思い浮かばず、彼女の所作が優雅だな、と思ったぐらい。

「他に何か、ご質問はありますか?」刑事が問う。

「いえ。私からは」

 顔を上げ、そう返答する井出ちゃんの反応を見てから、刑事はこちらに視線を送ってきた。

 私はわずかに首を横にふってみせる。一往復だけ。


「では」刑事は『厳かさ』を表現しようとしたのか、ブレス多めの小声で言って、『電子画面型』の【プロペ】を呼び出す。「次は『逃亡に参加しなかった』狭池さんの証言をご覧いただきましょう。聴取はここB棟3階で行なわれました」


 

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