必中のクロスボウ その4
最初に路上で狙撃されたカイヤ組の男がどうなったか気になったが、わざわざ見に行く気にもならなかった。
銀の手斧亭から離れたくて泊まっている宿の方へと向かった。周囲の人間は先程の騒動を受けてまだざわざわしていた。足を止めて何があったのかとお喋りをしている。ランスは最初、自分の事を話しているんじゃないかと思って聞き耳を立ててしまった。自分の事を話しているわけじゃないと気づいてからも気になってその会話を聞き続けた。
人々は何があったとか誰がやったという会話から、冒険者ギルドの最近の勢力争いへと噂が広がっていた。
「一体、何があったんだ?」「道を歩いていたカイヤ組の奴が射殺されたんだと」「マジで? なんで?」「カイヤ組が最近、鉄芯会と抗争しているらしい。縄張り争いでモメてるんだと」「鉄芯会が川を越えて来たってことか」「そうらしい」
正確にはカイヤ組の方が川を越えて鉄芯会のシマを荒しているといった方が正確なんだけどな。ランスは思った。意外とみんなはカイヤ組に好意的だ。鉄芯会の方が侵略者という感覚になっている。どちらの味方をするかといったら地元の冒険者ギルド、カイヤ組最高!という雰囲気が漂っている。なんなら鉄芯会に負けるなという応援の機運すら感じられた。路上で暗殺してきた卑怯者、鉄芯会許すまじという声も聞こえる。
カイヤ組を潰すというのは意外と簡単なことではないんだな。潰すと恨まれそうだ。直接カイヤを見ていれば嫌いになるのは簡単なのにそうでない人間の評価はちょっと違うみたいだ。
ランスはもういいと言われたことには納得していなかった。そして代わりに拷問を始めた先輩もシュリフィールから別に何か聞き出せていたわけではないことにも納得がいっていなかった。偉そうなことを言うほど奴らも有能ではなかった。つまりランスは苛ついていた。
こういうときはちゃんとカイヤ組の悪口が聞ける場所に行きたい。宿の近く、なんなら今の宿にあるラウンジでもそういう話が聞けるかもしれない。今の宿は建物の中央にラウンジがあり、宿泊客が入れ替わり立ち替わりそこにやって来ては座ってダラダラ話している。長期滞在しているサンとランスもそこで顔馴染みができるくらいには交流していた。
移動の最中、鉄芯会の悪口を言っている市民の声を何度も聞いた。カイヤ組を応援する声は多くない。しかしカイヤ組の悪口は誰も言わない。言うのは鉄芯会の悪口だった。ここが鉄芯会の傘下になったら今より苦しくなる。鉄芯会は地元の人間ばかり優遇するので移住組は奴隷にされる。殺されても文句が言えない。
噂は嘘ばかりではなかったが、カイヤ組のランスが聞くと大袈裟なものが多かった。カイヤ組も捕まえる犯罪者は懸賞金がかかった奴とカイヤ組の面子を潰した奴だけだ。地元かどうかは関係ない。人を殺したり女を犯したところで基本は放置だ。逮捕代を被害者が払えないなら無視。普段、みかじめ料を払っていたとしても追加でいくらか払わないとカイヤ組は犯罪捜査をしない。そんなわけなので鉄芯会がひどいといってもカイヤ組の方がマシだとはランスは思えなかった。そして地元優遇についてはよく分からない。ビリオンは新しい町で人の出入りも激しい。こんな町では地元民が何かを定義するのも難しかった。鉄芯会のマドカホザキは3代目だそうだが、鉄芯会のメンバーがビリオン生まれいうとそういうわけではないと聞いている。
結局、ただのイメージでみんな話しているだけだ。そしてランスが見たカイヤ組の実態はイメージではなく現実の話である。そこに食い違いがあるのはしょうがなかった。
ランスは宿の近くまで来たが宿——『バンリーフの綺麗な部屋とおいしい食事』——には向かわず、近くの店を探した。『水と麦』という名前の酒場があった。看板も店構えも狭かったが奥行きはありそうだった。中から客の話し声も聞こえる。
ランスが入ると奥のカウンターにいた女の店主がいらっしゃいと声を掛け、それから、ランスを見て子供かと言いたげな怪訝な顔をした。
ランスは店主が女であることに驚いた。なんとか反応を隠した。
店は細長かったがテーブルは埋まっていて全部で15人ほどの客がいた。客も女が3割ほどで酒場としては不自然な構成だった。女性用の酒場など聞いたこともないし、ここも男の客を見れば普通の労働者っぽいので特定のギルド向けというわけでもなさそうだった。とはいえ居心地の悪さを感じながらランスはじろじろと見てくる客の視線を感じつつカウンターに向かった。ウエイトレスも見える範囲では全員女で、男の店員がいないように見える。キョロキョロと様子を見ながらカウンターにつくと店主に向かって言った。「ここは俺が入ってもいい店なのか?」
店主は恰幅のいいおばさんといった見た目だった。大衆食堂のおかみさんと言われた方が納得できる姿だ。見た目通りの太い声で彼女は言った。「いいよ。最近、バンリーフの宿に泊まっている若い冒険者だね」
「ランスンスだ」知られている驚きを隠してランスは右手を出した。
店主はそれを握った。「ワーン・ペペワジだ。『水と麦』へようこそ」
挨拶をしてカウンターに座ると、何歳だと質問された。嘘を言おうかともランスは思ったが素直に14歳だと答えた。否定的なことを言われるかと思ったが店主はそういうことは言わずに、どうしてカイヤ組なのにこんなところに宿を取ってるんだと聞いてきた。
「客のことを根掘り葉掘り聞くのが酒場の店長の仕事なのか?」
店主は笑った。子供に生意気なことを言われた年長者によくある鷹揚な笑い方だった。ランスは馬鹿にされている気分になるのでこういう態度は大嫌いだった。
「確かに酒場の店長のやることじゃなかったな。すまない」彼女は言った。
ランスは頷き、エールを注文してそれを受け取ってから話し掛けた。「ここはカイヤ組のシマになってるのか?」
「当たり前だよ。ヘヘミュルンは全部カイヤ組だ」ヘヘミュルンというのは川で四分割されたビリオンの南西、カイヤ組の区画の名前だ。「毎月金貨1枚をあんたらに納めることで街の治安を守ってもらってるってわけだ。いつもありがとう」
「……」反応に難しい挨拶だった。サンだったらもっと悩んでいたかもしれない。ランスは自分の感情のままに応えた。「カイヤ組はクソだ。ありがたがる必要なんかねえ」
反応に悩むのは今度は店主のワーン・ペペワジの方だった。「いやいや。ありがたいよ。感謝してるよ」
「建前はいいんだよ。みんなだってそう思っているだろう?」ランスは重ねて愚痴を言った。
店主はランスの顔を観察してからゆっくりと口を開いた。「うちの店は女だけで切り盛りしてるんだよ。分かるかい?」
そのときのランスには分からなかった。分かるのは数日あとのことだ。この夜のランスは単純な返事をした。「それは見れば分かるぜ」
「だからカイヤ組には感謝してるんだ」店主は言った。周囲の客やウエイトレスが会話に聞き耳を立てていたがランスは気づいていなかった。「何かあったのかい?」
「大した話じゃない」
「そうかい。もしよかったら聞くよ」
もちろんランスは愚痴を言いたかった。愚痴るために店に入ったのだ。ランスは話せと言われると話したくなくなる性格だったが、このときの店主の声の掛け方はファインプレーだった。「ここでカイヤ組の悪口を言ってもいいのか?」
「みんな言ってるよ」店主はまるでそれが近所のゴシップの話のように言った。
ランスは道端でカイヤ組の先輩がクロスボウで狙撃されたことを話し始めた。時間がほとんど経っていないのに店主もウエイトレスも近くの客もそれを知っていた。それどころか犯人シュリフィールの名前を皆が知っていた。ランスが狙撃犯を追った話になると周囲の客も聞き始めた。ランスが言いたいのは拷問を止めたくせに先輩も何も聞き出せない口だけの男だったという話だった。ランスはシュリフィールを拷問するところに話を進めようとした。しかしそこを詳しくは聞いてもらえなかった。店主と何人かの店の客は、クロスボウの矢が標的を変更して空中で曲がったという話に食いついた。
「『ビリオンのクロスボウ』だな。まだ残ってたか」
「あの追跡するクロスボウにそんな名前があるのか?」
店主は言った。「昔、ビリオンにいた職人が大量に作っていて名物だったんだ。その職人は殺されちまったがね」
「で、俺はそのシュリフィールって男のいる建物に乗り込んで取り押さえたんだ」
「そのクロスボウはどうした?」話を横で聞いていた客の1人が言った。
「気がついたらなくなってた。屋上生活者に持っていかれたんだろう」ランスはそっちの方を見て言った。「屋上生活者とか野次馬がすごい人数になってたからな」
「『ビリオンのクロスボウ』には賞金がかかってて、持ち込めばいい金になる。今も街への持ち込みは禁止されてるしな」
店長がその客に向かってニヤリと笑った。「そうは言ってもまだ街に何丁も残ってるだろう?」
「たぶんな。俺は見たことないが」客はランスの方を見た。「そんな狙撃犯よりクロスボウの方が金になるぞ」