必中のクロスボウ その1
ランスはまだじんじんする頬を手で押さえながら夜のビリオンを歩いた。
夜の酒場、娼館、賭場などはまだ開いている。これらの店はカイヤ組の収入源だが、ほかにも市場の露店や工芸、鍛冶屋などの昼間の商売も面倒を見ていた。逆にカイヤ組がみかじめ料を徴収していないのは交易圏の広いいくつかの商会と宝石商ギルドだけである。宗教施設もビリオンで布教する代わりにみかじめ料を払っている。
銀の手斧亭に近い店はカイヤ組や顔馴染み以外は入れない。下手な客が来るとどこから来たとか誰の紹介だとか取り調べされてしまう。ランスはやらないがそういうパトロールもカイヤ組の大事な仕事である。そして銀の手斧亭から通りを2本くらい離れると警戒は緩くなる。あと2時間もすれば街も静かになるが今はまだ人が多く騒がしい。
14歳というのは微妙な年齢で、まだ人攫いのターゲットになる可能性がある年齢だ。ランスが夜の街を1人で歩いていて無事で済んでいるのは彼がいくらか武装していて、武装が許されるということはカイヤ組の人間であるということが見た目で分かるからだ。ビリオンの街は色々な事情があって街中での武装解除は義務になっていないが、イキった格好をすれば目をつけられて痛い目に遭わされる。逆にカイヤ組は目立つように威圧的な格好をして周囲に冒険者であることを示す必要がある。ランスも剣をぶら下げている。そうすればトラブルには巻き込まれないし、攫われることもない。人攫いはカイヤ組の仕事だ。そしてカイヤ組以外の人間が人攫いすることはカイヤ組が許さない。だからランスは安全なのだ。
繁華街を歩いていると子供であるランスを見て人が一瞬だけ動きを止める。それから腰の装備に視線を落として目を逸らす。
ランスの方は居心地の悪さを感じた。こんな風に立場に赤の他人から恐縮されるのは初めてではない。威張られるのは大嫌いだが威張るのも苦手だった。
まだガキじゃねえかという小さい声が聞こえた。
声のした方を見ると汚い格好をした男2人と目が合った。咄嗟に睨んで売られた喧嘩を買おうとしたとき通りの別の方向から、「うわぁ」という声が聞こえた。人が逃げるように散る中で路上にいた武装した男がそちらに近づいていた。男がカイヤ組だと判断したランスもそのあとに続いた。
通りに男が倒れていて、その周りを3人の男が囲んでいた。喧嘩という様子ではなかった。1人は膝を曲げて倒れた男の様子を見ている。他の2人は周囲に目を走らせていた。視線がやや上を向いていて周囲の建物を見ている。ランスとも目が合ったがそのままスルーされた。周囲を警戒している2人も腰に剣、頭にスケイルの頭巾を被っていて、目つきが鋭い。カイヤ組は顔付きで分かる。堅気の顔はしていない。
野次馬は倒れた男から距離を取って輪を作っていた。関わりになるつもりはないが何があったのか興味は隠せないという様子だ。
「大丈夫か?」
「あ、あう」
膝を曲げしゃがみ込んだ男が声を掛け、倒れている男が返事をした。返事の声には苦痛が混じっていた。
ランスが更に寄ってもっとよく見ようとしたが、立っていた方の男の1人が緊迫感のある声で命令してきた。「矢を射掛けた奴がいる。探せ」
ランスも命の危険を感じて視線を上げた。
通りの幅は馬車2台分はあり、通行人は多くない。逃げているような人物は見当たらない。
両側の建物は2階建の木造だ。建物同士がくっついていて互いに支え合い全体で塊になっている。路地があっても狭い上に屋根の間に筋交いが渡されて連結されていた。どこかの屋上に狙撃手がいたとしても屋上伝いに逃げようと思えば地面に下りずにどこまでも行ける。水路を越えない限り。
2階の窓から見ている野次馬と目が合った。そしてその上、夜の屋上に人影が見えた。
そっちじゃねえと注意されたランスは、「あっちの屋上に人がいました」と言ってその建物へと小走りになった。先輩のカイヤ組はついてこなかった。ランスが向かった方とは全然別の方向を警戒していた。
建物は酒場で、階段は見えるが屋上へのルートがそれで正解か分からなかった。ランスは、「カイヤ組だ。屋上へ行きたい」とその辺の客に声を掛けた。反応が悪かったのでウエイトレスに同じことを聞いた。外に出て裏に外階段があると教えられ、ランスはまた外に出て路地から裏へと入った。外階段というより梯子だった。付いている泥が乾いていなかった。
梯子を登って上に顔を出すとき、ランスは目立たないようにゆっくりと動いた。
夜のビリオンを屋上から見るのは、ちらっとではあっても初めてだった。
ビリオン城塞内にはいくつか高い建物がある。商会の建物やビリオン市議会の建物などだ。真円の城壁には“デザイナー”が生成した尖塔も4つ建っている。それらの建物は揺れる街灯の明かりに照らされて下側の壁だけがぼうっと見えていた。先端は闇に溶けて暗くなって空に消えている。2階建3階建の建物も通りからの明かりによって屋上が下から光を受けて、その縁だけが白や赤で染まっていた。屋上そのものは真っ暗だ。星の光はあってもほとんど見えない。
屋上でじっと動かないでいられたら、そいつを見つけることは不可能だ。しかしビリオンの屋上は無人ではない。そこかしこに人が布を掛けたテントを張って生活している。雨が少ないビリオンでは屋上の生活も苦ではない。
「さっきここにいた奴はどこに行った?」ランスは近くに座っていた浮浪者に銅貨1枚を指で挟んで見せた。
浮浪者はある方向を指差した。ランスはそっちを見た。暗闇とテントしか見えなかった。銅貨を渡すとランスは示された方向に向かって声を出した。「逃げた奴を押さえたら金を払う。庇ったらただじゃおかねえぞ」
おお、という小さい声が聞こえたかと思うと、すぐに、「こっちにいるぞ」という、普段あまり声を出してなさそうなしゃがれた声が聞こえた。隣の建物の屋上だった。
こんなカイヤ組のシマのど真ん中でカイヤ組を狙うとか馬鹿じゃないか。ランスは思った。「押さえろ」ランスは言って背を低くして横に動いた。
向こうもこちらも暗いので狙われる心配はあまりないが、飛び道具があるのは向こうだけだ。できれば隠れながら解決したい。
建物の縁に出ると通りの明かりに照らされてしまうので、彼はそうならないように隣の建物に近づいた。
ガタガタと音がして、屋上の暗がりの中で人影が動いた。立ち上がり背中を向けて逃げようとしている。屋上生活者たちは拘束に協力的で、その背中に何人かが抱き付いていた。
「いたぞ!」ランスは大声を出して通りにいるカイヤ組に伝えた。通りの縁から顔を出し、こっちを見上げていた先程の男たちに、「あっちに逃げてる」と言った。先輩のカイヤ組が通りを走り始めた。
ランスは狙撃手のいる建物と同じ屋上に飛び移った。