衝突点 その2
ランスはぐっと立ち上がると遠くにいる先輩を睨んで、そのまま目に涙を浮かべたまま銀の手斧亭の出口へと向かった。
サンもそのあとを追った。ランスが何か言い返すつもりで涙が止まらず外に行ったというのはサンにも分かった。いきなり殴られてショックで涙が止まらなくなるというのはサンにも経験があった。サン自身は慣れてきて泣かないことができていたが。
銀の手斧亭の前には娼館が何軒も並んでいる。日が落ちてきたので店は開いていて2階と1階の窓から娼婦たちが通りに手を振っている。店先で客引きをしている老女たちはサンを見たが声をかけてはこなかった。
サンが銀の手斧亭を出たとき、ランスは店からちょっと離れたところに立ち止まり、涙を拭って殴られた頬をさすっているところだった。友達と喧嘩をした青春の仕草になってしまっていたが、実際の成り行きは割と格好悪い。
サンがそばまで行くと、ランスが「くそっ」と涙声で言った。
「まあ、あれは避けられないよ。しょうがない」すぐに話題を変える。「そんなことより、カイヤの居場所を鉄芯会に教える方が手っ取り早いと思うんだよね」声が聞こえる範囲に人はいない。とはいえ銀の手斧亭のある路地は宿屋も酒場も多い歓楽街なのでこの時間の人通りは絶えない。ちらりと見ては関わらないように人が過ぎていく。子供がこんな時間にこんなところにいると地元の人間ならすぐにサンたちの正体を察する。「どう思う?」
「どう思うってのは何だ?」ランスはまだ多少上擦った声になっていた。
「僕はもうビリオンに仕事は無いと思ってる。こんなところに未来は無いよ」なんか悪魔の誘惑みたいになってるなとサンは思った。「どう思う?」
ランスは深呼吸をして涙声を抑えた。「ふー。それで?」
「けど、ここは合わないんでよそに行きますっていうのは逃げてるみたいで癪なんだよね。どうせならもう1つ大仕事をしたいんだ。大儲けできる奴」
ランスは分かりやすくサンに疑惑の目を向けた。
疑われてサンはちょっと傷ついた。お互いを固い友情で結ばれた親友などと思っていたわけではないが、もうちょっと信頼関係があると思っていた。「信用できないかもしれないけど僕もカイヤ組で出世しようなんて思ってないよ」
サンを見ていたランスがまた深呼吸をした。「お前みたいに口が上手ければカイヤ組で出世もできるだろ」それから腕を組んだ。「どういう計画なんだ?」
「クサリか、誰か幹部を殺して鉄芯会に罪を着せるっていうのを考えてる。あの馬鹿は絶対に引っかかる」あの馬鹿というのはカイヤのことだ。2人の間ではあの馬鹿で通じる。
ランスは腕を組んだままだった。「……悪くないな」
悔し泣きしておいてかっこつけるランスには突っ込まずに、「カイヤには護衛がいるけどクサリは隙だらけだ」とサンは言った。「この辺の店にも1人で入ってる」
「2人だけでクサリをやるのか?」
「声が大きいよ」サンは言った。「歩きながら話そう」
移動を始めながら周囲を見た。誰かと目が合うことはなかった。
銀の手斧亭から離れて当てもなく歩きながら話した。歓楽街を移動する間は通行人が絶えず、できるだけ聞かれないように注意した。
「ワイレーヒって先輩は分かる?」
「カイヤ組か?」
「そう。顔に痣があって、顔が丸っこい。髪はちょっと赤い」
「ああ、分かる」
「多分、鉄芯会のスパイだ。あの先輩に罪を着せる」
「サン……」
呆れたようなランスの声にサンはすぐに後を継いだ。「いやいや。言いたいことは分かるよ。けど間違いないんだ。あれは鉄芯会だ」
「俺はそっちを言ったんじゃないんだ。ワイレーヒって先輩のことはどうでもいい」ランスの声は本当にどうでもよさそうだった。
「え?」サンは理解できずに聞き返した。「直接クサリを狙うのは無理だよ」気持ちは分かるけど。
「無理じゃない。クサリをやるか、カイヤをやるか、俺達が直接やるんだ」ランスは殴られた頬を撫でていた。「そうでなくちゃ意味がない」
サンは笑ってしまった。「“意味”ってなんだよ」
「分からないか?」
「分からないけど、整理すると、僕もランスもカイヤにムカついてて、ビリオンで冒険者なんかやってらんないって思ってるところは合ってるよね?」サンは自分とランスを交互に指した。
「だから口の上手さで俺を説得しようとするな」ランスは言った。「その、その、それだ。それじゃねえ。えーと、つまりだ」
「カイヤは自分の手でやりたいとか?」
「だからそういうんじゃねえ」ランスは強くサンの声を止めた。「少し黙っててくれ」
「分かった」
2人はしばらく夜のビリオンを歩いた。南へ向かって流れる水路が見えた。中央から湧いて東西南北に正確に真っ直ぐ5キロ伸びる水路はビリオンの名物であり象徴だった。魔法によって下手な大河を凌ぐ流量300立方メートル毎秒が発生し4分割されて流れているその水路の幅は20メートルあり、向こう岸は鉄芯会の縄張りだった。両岸はきっちり石で護岸されている。橋は見えなかった。
「つまり俺達が直接やらなくちゃ意味がないんだ」ランスは同じことを言った。
サンは黙っていた。待っていればランスが別の言い方を考えると分かっていた。
「俺達は逃げるわけじゃないし、この街の冒険者から恨まれたいわけでもない」ランスは上品な話し方になった。
「冒険者ギルドは恨まれてるよ」
「そういう話じゃない。汚れ仕事なのは確かだし、汚れ仕事はギルドを組織しないと成立しないのは確かだ」
急に話が変わってきたな。サンは思った。組織とかランスはなんの話をしてるんだ。
「そういう話でもないな。えーと、何の話だった?」
「カイヤを直接やる意味」
「そう。それだ」ランスはまるで自分が頭のいい学者であるかのように語った。「陰謀策謀をこらしてカイヤ組を罠にはめようなんてことはやりたくないんだ。ムカついたからやる。味方が誰もいなくてもやる。もしやったときにたくさんの人に『よくやった』と褒めてもらえたらラッキー。それが冒険者のやり方じゃないのか? 俺は冒険者になりたくてなったんだ。冒険者ギルドの権力争いをやりたいんじゃない」ランスは自分で手を叩いた。「そう。そういうことだ」
「味方がいなくて、『なんてことしたんだこの野郎』ってみんなに恨まれたらどうするの?」サンは言った。「あれでカイヤは人気あるよ」
「どんなにカイヤが人気あっても、俺は好きじゃない。俺にとって理由はそれで充分だ」
2人はまだ護岸に着いていなかった。護岸の高さは人より低い。年間を通して定量で水量が変わらないので水面ギリギリで問題ないのである。護岸の高さは上に降る雨の分の余裕しかなかった。だから遠くからでも水面はすぐに見えるのだ。
ランスの意見は悪くなかったがサンには響かなかった。その賭けに負けたらギルドの裏切り者として間違いなく処刑される。子供すぎるので命までは取られないかもしれないが、二度とビリオンには入れなくなるだろう。こんな大都市に将来に渡って出禁を喰らってしまうのは困る。サンの計画でもビリオンからおさらばするつもりではあったが、それは単に活動拠点を変えるだけのことで、殴られて怒った相手が投げる石から身を守るためにするものではなかった。
とはいえ反対なわけでもない。それにランスの考え方が嫌いなわけでもなかった。
「誰かに罪を着せるのはやめるとしても、まずは味方を増やすことはしてもいいんじゃないかな。僕達は悪いことをするわけじゃないんだし」
「まあ、それは反対しない」ランスは偉そうだった。
「うん」サンは言った。
何が悪いことなのか、聞く人によって意見が分かれるところではあるが、2人の間ではそんな風にカイヤ組の内部改革の話としてまとまったのだった。
護岸に着いて2人はそこに上がって流れる水面を見た。ごうごうと水が流れている。真っ暗だが対岸の火の光を反射してゆらゆらと光が動いていた。この位置でもこの水路の水はほとんど汚れておらず底まで完全に見えてしまう。夜でもじっと見ていると底の石が明かりに照らされてちゃんと見えた。左右には橋も見える。左右どちらもまったく同じ橋脚で同じ見た目で同じく水面ぎりぎりの高さの平らな橋だった。ビリオンに来たばかりの2人にはどっちがどっちか見分けがつかない。
水源はビリオン中央の地下100メートルにあり、そこで完全に純粋な水分子H2Oが発生している。水路によって4つに分割された区画のうち半分の2つを鉄芯会が支配している。カイヤ組は4分の1だけだ。残り4分の1は別の冒険者ギルドが支配しているが、こっちは中小の冒険者ギルドの寄合連合なのでまとまりがない。完全に問題外だ。
80年ほど前、乾燥して痩せた平原の真ん中に魔法使いが水源と水路と橋を作り、さらにそれを囲んで直径10キロの丸い城塞を構築した。この魔法使いは土地改造をしては人間社会の変化をじっくり経過観察するのが趣味という奇人で、デザイナーとかオブザーバーとかシミュレーターとか呼ばれていた。彼の“作品”はビリオン以外にも数は少ないが5つか6つはあると言われている。彼は初期設定だけしてはあとは人々の争いや生態系の変化、気象の変化を観察するだけで、そのあとに直接介入して微調整をするようなことはしない。少なくともこれまでの歴史上はない。初期の入植者の生活やその後の侵略者との抗争、支配権の争い、近隣の畑や森の発達と野生動物や畜産の変化、そして衛星都市の発生をニヤニヤしながら今も見ているに違いない。
この水路も彼の作品なら、その向こう岸の鉄芯会もこちら側のカイヤ組も彼の作品かもしれなかった。
サンは対岸の明かりを見ていた。「鉄芯会の様子も見たいな……」
「それはやめておけ。接触なんかしたら言い訳ができなくなる」ランスも対岸を見ていた。「スパイから話を聞いたらどうだ?」
スパイに接触しても言い訳できないよとサンは思った。「本気じゃないよ。ちょっと知りたいと思っただけ」水路に背を向けて銀の手斧亭の方を向く。「とりあえず味方を増やさなくちゃ」