サイコパスは踊る その1
銀の手斧亭の表の通りが騒がしくなった。人が入ってきて店の客が聞こえるような大声で、チャワーホがやられたと言った。「やったのはシュリフィールだ。捕まえた」
ほとんどの客がカイヤのいる店の奥の方を向いた。サンは意味が分からなかったがもつられてカイヤを見た。
「なんだと!」カイヤは急な大声を出した。捕まえたと報告した男の方に向かって座ったまま顔を上げた。その顔は笑っていた。邪悪で凶悪な笑みだった。「いまどこだ?」
声をかけられた方も直接カイヤに話し掛けられて戸惑っていた。声が小さくなり、「向こうの通りです。連れてきます」と言った。
「急げよ」カイヤは嬉しそうに言った。
男ははいと返事をしてとんぼ返りで店を出ていった。
ドアがばたんと閉まり、店内の客が一斉に喋り始めた。
カイヤは同じテーブルにいるクサリにすごい笑顔で何かを話していた。喧騒でサンの耳に声は聞こえなかったが、言っている内容は大体想像がついた。やったぜとかよっしゃとかそういうことを言っている顔だった。
店内の客の話の内容もシュリフィールが捕まったという話題だった。事情が分からないサンは隣の先輩の会話に割り込んで、すいませんシュリフィールって誰ですかと話し掛けた。
横で話していた先輩は子供のように目を光らせわくわくした笑顔でサンに説明を始めた。「シュリフィールっていうのは元カイヤ組の裏切り者だ。奴には何人も仲間を殺されてる。腕は大したことないんだがとにかくしつこくてな。誰かが1人になるところをずっと待って、背後から急に襲ってくる。闇討ち専門のクソ野郎だ」
「それを捕まえたってことなんですね」
「そうらしい。よく生け捕りにできたな」
「鉄芯会なんですか?」
サンが話し掛けたそのグループの先輩たちの声が色々と同時に出た。「当たり前だ」「違う」「たぶん」そしてお互いに顔を見合わせて議論が始まった。横から議論を聞いていたらサンも事情が大体分かった。シュリフィールはカイヤ組に恨みがあって闇討ちしている。闇討ちすることで鉄芯会から報酬を受け取っている。だが鉄芯会のギルドメンバーとしてそういう活動をしているのかというと誰もそれは分かってない。
サンは、先輩たちがシュリフィールが鉄芯会なのかどうかを話すときに『杭を打ってるか』『鉄芯を食らってるか』という言い回しをすることに気づいた。「その、鉄芯って何ですか?」
聞かれた先輩たちは知らないのかと意外そうな顔をした。先輩たちは互いの話に割り込みながら説明した。会話をまとめると、鉄芯会には“鉄芯”という入会儀式があり、それを食らうと体に直径1センチの杭を打たれたような傷跡が出来るのだという。なので鉄芯会かどうかという会話に、杭を打ったか、穴を開けたかという言い回しが生まれたのだそうだ。この傷の実態は『遠距離空間固定』という魔法で、これは投げ釘や鏢のサイズ、長さ約20センチの細長い空間を固定する。鉄芯会のボスは入会希望者にこの魔法を使い、空中で身体を磔にしてしまう。当然、ものすごい激痛で、固定された部分の肉体が落ちようとする身体に引っ張られて裂けてしまうし酷い傷跡が残る。それに耐えられた者だけが鉄芯会への入会を認められるのだ。
サンは顔をしかめた。「なんですか、それ。おっかないですね」
「だろ? 全員がそれやってんだよ。イカれてんだ、奴らは」
「で、そのシュリフィールって人は『痣が無い』ってことなんですね?」
「鉄芯会に新人が入ると噂になるからな。シュリフィールが杭を受けたって噂は聞かねえ。たぶん、痣は無い」
「へー。勉強になります」サンは言った。
そこで先輩たちがまた、いや、シュリフィールは痣がある、とか、鉄芯を免除された上で鉄芯会に入っているだとか議論を始めた。雑な言い合いの議論だった。そこから話が変わっていってどっちか賭けようという話になり、周囲の様子を見たら、実はその先輩グループだけでなく銀の手斧亭の客全体で先に賭けが始まっていた。連行されてくるシュリフィールの身体に杭の痣があるかないか。さあ張った張った。賭けの言い出しっぺから巻き取って仕切りを任された店長がカウンターの中でオッズを表にして掲示していた。提示を見て店内が盛り上がってきた。一口銀貨1枚。イベントとはいえ一口が割と大きい賭けだった。賭け率は2対1で圧倒的に痣が無いが有利となっている。先輩たちはそれを見てまた、ほら見ろやっぱり痣は無いぞ、いやあるねという言い合いをしながら賭けに参加していた。そこの賭けでもやはり痣が無いが2対1で有利だった。無いに賭けると銀貨1枚が1.5枚になり、有るに賭けると銀貨1枚が3枚になる。
大穴狙いが少ないのは不自然だなとサンは思った。冒険者は生き方そのものが刹那的な傾向にある。サンはそのことをこの三ヶ月で体感していた。3倍になるならオッズを見てそっちに賭ける奴が増えてもよさそうなのに変化がない。痣が無いことを皆が知っているか、痣が有ると賭けることでカイヤを怒らせるのか、答えはどちらかだった。そして不機嫌な顔のカイヤの様子を盗み見て、正解は後者だと分かった。シュリフィールがその辺にゴロゴロいるカイヤ組アンチだったら問題ない。そいつが鉄芯会に使われていて、鉄芯会にカイヤ組が踊らされているというのは不愉快なのだ。どっちであっても状況は変わりないとサンは思うのだが、組織のボスであるカイヤの感覚は違う。サンはそう推理した。
カイヤ組の3人に1人は、鉄芯会が策謀で色々やりかねないと思っている。恨みのある元カイヤ組の男を懐柔して暗殺者に仕立てるなんていかにも鉄芯会がやりそうだとみんなが言っていた。
カイヤ組は武力集団だ。これまでの勢力圏の外に手を広げて、逆らった奴を見せしめに痛めつけてどんどん鉄芯会や独立ギルドの勢力を奪ってきた。強盗や空き巣、山賊行為をして、「鉄芯会なんかあてにならないだろ。今度からはカイヤ組が守ってやる」と声をかけて売り込んだ。鉄芯会の報復は返り討ちにした。カイヤ組はこれも噂で流して利用した。鉄芯会は弱い。地元でなあなあにやっているうちに体を鈍らせた軟弱者の集団だ。そんな風に吹聴した。
カイヤ組が鉄芯会のメンバーを暗殺者に仕立てるなんてことをできるとは思えない。イメージが違いすぎる。カイヤ組はその辺の鉄芯会をボコってお前らのボスはどこに潜んでいると脅して聞いて回るのが精一杯だ。
サンは銀の手斧亭で反カイヤの人を見つけようとしたが数は多くなかった。イケイケの雰囲気に乗せられている人間も多いし、鉄芯会よりはマシという消極的支持の声も多い。カイヤ以外の誰が鉄芯会に抵抗できるんだと考えたら選択肢があまりないのはサンも認めている。そして新人冒険者っぽく何も知らないフリをしていても、雰囲気から自分が裏切り者っぽくなってしまっていることにも気づいた。聞き込みで、『今のカイヤ組に不満はありませんか?』と直接聞いて回ったわけではないが不信感を持たれた。立ち回りに失敗したとサンは自覚した。これでは店長が言った通り、覚悟の足りない半端者と思われても仕方がない。
本当は半端者でもなんでもなくてがっつりカイヤが死ぬところを見たい裏切り者なのだが。
裏切り者だからこそ過剰に忠誠心をアピールする必要があるのかもしれない。言われた通りに鉄芯会の幹部を拉致ってくるとか。
自分が浮いてきたことも問題だが、聞き込みで判明した大きな問題は反カイヤ組でまとめて一気に形勢逆転するという計画の見通しが立たなくなったことだ。カイヤを倒して別の冒険者ギルドを立ち上げようとまで不満を抱えている冒険者はそんなに多くない。リーダー候補がいない。店長がやる気なしで、クサリは論外、ほかの候補でサトレードや何人か名前はあってもカイヤがボスの方がいいという空気だ。カイヤが大失敗をするか、ほかの誰かが大手柄を上げるか、どちらか起こらない限りは今のままというのは新人のサンでも分かった。
こういうときはブレーキかけるよりもカイヤの背中を押した方がいいな。サンはそう判断した。シュリフィールに傷が見つかり、本格的に鉄芯会が喧嘩を売ってきたとなればみんなの頭に血がのぼり、抗争が始まり、結果的にカイヤの失脚が早まる。そうと決まればシュリフィールとかいう奴が鉄芯会の手先としてヘイトを集めてくれるとありがたい。
サンは自分に鉄芯会の入会儀式について教えてくれたパーティと一緒にいながら、チラリとカイヤの方を見た。笑顔で隣のクサリと喋っている。上機嫌は続いているようだ。サンは、お話ありがとうございましたとその場に告げると椅子を後ろにずらした。
がたっと音が鳴った。自分のジョッキなどはないので手ぶらで立ち上がった。混んでいる銀の手斧亭の店内をちょっとすいませんと言いながらすり抜けてカイヤの方へと移動した。周りに立っている護衛が自分に目をつけたのが分かったのでサンは手を腰から離し、不自然ではないように胸の前で腕を組んだ。これなら襲撃と勘違いされないだろう。カイヤの側近たちと他のテーブルの間には人がいない真空地帯がある。サンはその真空地帯へと出た。店の喧騒のボリュームが下がったように感じた。周辺の護衛だけでなく、カイヤと同じテーブルにいるメンバーの中で、サンの正面に座っている護衛もサンに気づいて睨んできた。サンは愛想笑いを浮かべた。
あまり近づきすぎないよう、充分な距離を取って立ち止まった。
声をかける前に、横に座っていたクサリが大きな声で言った。「なんだあ、お前は」
それを受けてカイヤがサンを見た。ジロっという音が聞こえそうな睨み方だった。頑丈そうな顎とでかい鼻、そして小さくて細い目だった。
「サン・クンといいます。僕の方でシュリフィールの体に痣を付けようと思うのですがいかがでしょうか?」そのテーブルにだけ聞こえるような音量にした。とはいえそこまで秘密の会話でもないので怪しまれないように気をつけた。テーブルにいたカイヤ組幹部と近くに立っている側近には聞こえるはずだ。
カイヤはサンを上から下まで見回した。カイヤと話すのはこれが初めてではない。カイヤは毎回、こんな風に人を品定めする癖があった。カイヤの表情に好意的な感情が見て取れた。サンの提案を気に入ってくれたようだった。「悪くねえが、わざわざ痣を付ける必要はねえ」
「分かりました。出過ぎた真似をしてすいません」サンは騎士が退場するようにカイヤの方を向いたまま数歩下がってから背を向けて引き下がった。
真空地帯を抜け、また客の中に戻った。カウンターの賭けが締め切られていた。店長が賭けはここでストップだと言った。オッズはほとんど変わらず痣無しが有利だった。
サンはシュリフィールがもう連れて来られるのかと思って入口のドアの方を見てしまった。
実際にはその賭けの勝ち負けが決まるまでには締め切りから少し時間がかかった。その前段階で、シュリフィールが連れてこられる前に店内にはやっぱり傷は無いらしいという噂が流れた。サンにはその噂の出所が分からなかった。こういう賭けでは抜け駆けで答えを知る人間が出てこないように早々に締め切るというのをサンはあとになって知り、また、店長が賭けを締め切るタイミングは見事というしかない最高のタイミングだったとあとになって思うのだった。あれよりあとだと答えを知って賭ける奴がいたという話でモメていただろう。
銀の手斧亭のドアが開いた。店内の客からは自然にうおーと歓声が上がった。ドアの外には黒髪短髪で背の低い男が手を後ろに回されて立っていた。