プロローグ
「宿は離れたところにした方がいい」
道具屋の若い主人はそうアドバイスをくれた。これが本当によいアドバイスだったということをサン・クンはあとになって理解した。この一言がサン・クンにとって今回の話のプロローグだった。この『街とクロスボウ』という話は街の冒険者ギルドと冒険者ギルドの抗争の話だ。しかし彼にとってのプロローグは抗争とは無関係のこの助言だったと後になって思うのだ。
新米冒険者サン・クンはその前の冒険で呪いのかかった貴重品を手に入れていた。呪われたワイトの装飾品。指輪、ブレスレット、チョーカーの3点だ。身につけると呪われた上に肉体が死んでしまう。指輪は指が死ぬし、ブレスレットでは手首から先が死ぬ。チョーカーは人間には試さなかったが首から先が死ぬことは予想がついた。実用性は使い方次第だ。こういうものは冒険者が持っていても厄介なだけだが欲しがる人間はいる。
サンが所属している冒険者ギルドは通称『カイヤ組』と呼ばれていた。ボスの名前はもちろんカイヤ。カイヤ・ゲダレコ。そしてその道具屋もカイヤ組御用達の店だった。他のギルドのメンバーはこの道具屋は使えないし、サンたちもギルドに所属している以上、他の道具屋は使えない。明確なルールがあるわけではない。これは掟のようなものだ。縄張りの話といっていい。他のギルドを儲けさせてはいけない。できるだけ自分たちの身内で儲けを独占すること。それがルールだ。それを破ったら村八分をくらってしまいどの店も使えなくなってしまう。中立などとかっこいいことを言っていられるのは、本当の余所者だけで、それもせいぜい最初の一週間の話である。サン・クンはギルドに所属してその猶予期間を経過していた。実を言うと3ヶ月を過ぎていた。
カイヤ組御用達の道具屋の主人の名前はテグデグといって最初に言った通り若い男だった。生まれは金持ちだったが道楽で珍品の商いをするようになり店を構えてこれ一本でやっている。そのような出自なので商人なのに善人すぎるところがある。カイヤ組の専属の店などやるのは商売としては賢いとはいえない。顔も垂れ目でどこか緊張感のない顔で、髭も生やさず短髪に刈り込んだ頭は威厳やハッタリもできそうになかった。いつも店で暇そうにしているか、自分の仕入れた品を自分でうっとりと眺めている。世間知らずのおぼっちゃんという印象だった。実際にもお人好しの部分があって印象と実態にそこまでズレはなかった。
サンは指輪を隠し、ブレスレットとチョーカーだけを店のカウンターに置いてアイテムの説明をした。
テグデグは目を光らせて早口で色々とまくしたてた。
光る洞窟でこれを手に入れたんですか? あの光る洞窟で? あそこにはもう宝なんてないと思っていましたよ。それも呪いの夫人のアンデッドがまさに身につけていた? ものすごいですね。いやいや、嘘を言ってないのは分かりますよ。私も目は利きますので。いやー、すごいですね。これなら正直、いくらでも値が付きますよ。
「で、いくらで買い取ってくれますか?」
「金貨10枚ですね」駆け引きする様子もなくテグデグは言った。
「じゅっ……」サンは絶句した。大金である。大金すぎる。サンは思わずカウンターの向こうの倉庫兼事務所を目で探ったほどだ。この奥に金貨10枚があるのか? 半年は遊んで暮らせる金額だ。
テグデグはそんなサンの様子を面白そうに見ていた。「ほかの店に持ち込んでもいいよ。けど、次に持ち込んできたら金貨9枚にさせてもらうよ」
9枚でも大金である。サンが想像していた買取価格を大幅に上回っている。顔に出したつもりはないが、道具屋の店主にはサンが考えていることが筒抜けだった。サン自身も、顔に出るとか出ないとか以前に、大金すぎてこちらの足元を見透かされたことを自覚できた。
サンは合意した。
この交渉はサンと店長の1対1でしたものではない。サンには同期の新人冒険者であるランス・ガードという相棒がいた。彼も同席していた。サンは交渉においてランスの様子を窺ったが不満はないようだった。金貨5枚ずつがお互いの取り分として成立した。
店長のテグデグはブレスレットとチョーカーを受け取り、金貨10枚をカウンターの上に置いた。数える必要はないがサンが数え、ちゃんと10枚あることを確認するとランスと5枚ずつに分け合った。
数えているときに店長が言った。「宿は離れたところにした方がいい」
サンは自分の取り分を懐に入れたあと、「どういう意味ですか?」と聞いた。
店長テグデグは肩をすくめた。「大金を持ったら安宿からは離れた方がいいってことさ」
しかし、店長の言い方はそういうニュアンスではなかった。贅沢をしろというよりは別の含みがあった。
ランスは顔に手をあてた。「カイヤ組から距離を取れと?」
店長はニヤリと笑った。言葉にはしなかったが、彼によるカイヤ組への否定的意見はよく伝わった。店長もまたカイヤ組とズブズブの関係だったが、それを歓迎はしていないということがよく分かった。
「分かりました。ありがとうございます」サンは言った。
そして助言に従ってその日からちょっと高くてカイヤ組から物理的にも経営的にも距離のある宿屋に2人は移った。これがサン・クンとランス・ガードにとってのプロローグだった。
本来の「ギルド」は、中世ヨーロッパに発達した商人および職人の同職組合で、メンバーの権益保護を目的とした組織である。
——安田均/グループSNE『シティ・コレクション(上)』
相手の企みは裏を突けば必ず儲かる。
——支倉凍砂『狼と香辛料』
「楽しそうじゃないか、ええ?」男は言った。「いや、結構。若者が楽しそうにしているのを見るくらい嬉しいことはないからな」
——ジム・トンプスン『残酷な夜』
男は自宅2階の仕事場で帳簿を見ていた。宝石商の仕事は在庫確認と帳簿確認に尽きる。しかしここ数日、彼は数字が頭に入らなかった。幸せな理由からではなく、不幸な理由により仕事をする気力を失っていた。
娘が強盗に襲われて殺されてしまったのだ。
宝石商の男の名はベリミボドと言う。彼は娘の死の責任は自分にあると考えていた。
そんなときにある名前を告げて一人の男が尋ねてきた。本人の名前に覚えはなかったが紹介状も携えてあり、身元を確認したベリミボドは彼と面会した。
面会室に通されたシュリフィールという男は背が低く、態度も小さかった。格好もみすぼらしく、服も安物だった。ただ彼が彼なりに身形を整えて訪問してきたということは理解できた。シャツの上にどこで手に入れたのか分からない擦り切れたベストを羽織っている。髪に櫛も通したようだ。ゴワゴワでまだあちこちが跳ねてはいるが努力は認められた。普段は街のチンピラとして生活していてベリミボドの目には入らない存在だろう。キョロキョロと部屋を見回して落ち着かない様子だった。ズボンの裾やシャツを握ったり放したりを繰り返している。紹介状の役に立つ男ですという内容とは釣り合わなかった。
それでもベリミボドは社交的に自己紹介をし、席を勧め、相手にも自己紹介を促した。彼はシュリフィールという名前だけ言って、それから黙ってしまった。
ベリミボドの方から話を振った。「この紹介状には鉄芯会の名前があって、あなたが役に立つ男だと書いてあるが、どのように役に立つという話なのだろうか?」
「俺はカイヤを殺す。カイヤを殺したら金貨5枚くれ」
緊張した様子で話し方がカタコトになっていた。普段からこうなのか、今の雰囲気に飲まれてこうなのかベリミボドには判断つかなかった。服装を整えるくらいの配慮があるなら後者だろうと彼は判断した。
そして鉄芯会のボスが彼を紹介した理由もすぐに理解した。
娘の恨みと、今後、鉄芯会に頭が上がらなくなることを天秤にかけた。こんなところで借りを作ったらこの宝石商は俺の代で終わりだなと思った。それから娘がもう死んでいて、その婿にあとを継がせて孫を抱っこするという夢が叶わないという現実を思い出した。どっちにしろこの商売は俺の代で終わりなのか。
「やってくれ。成功したらさらに金貨を払う。奴の仲間につき金貨2枚だ」