8.格闘家とそぼろ弁当(3) 疑う心に囚われて
「あぐっ!? うぐぐぐっ……」
彼女の力があまりに強すぎて、気道が潰されたようにも感じられた。呼吸ができそうにない。思い切り振り払おうにも軟弱な俺の力では無理だった。
「ショウつったかよぉ! レディアを森の中で助けたからって、調子に乗ってんじゃねえよなぁ?」
「あががっ……!」
「あん!? 答えろ! ふざけんじゃねえよ! そこは『はい』だろっ!?」
「うっ……!?」
彼女に一発腹を殴られる。非常に理不尽だ。不真面目に返答していると思われたみたいだが、彼女自身が首を締め付けるから声が出ないのだ。おまけに口が緊張と焦りで乾きまくる。
じたばた手足を動かして、悪あがきをするも一発の蹴りが腹に入る。
「ぐはっ!」
そこで体全体の力が抜けていく。それからも彼女の暴言と猛攻は続いていた。
「何で殺さねえかってか? そりゃあ、レディアが悲しむからだ。あの天然な奴はお前が悪い奴でないと信じて疑わねえ。死体が出てきたら泣くだろうからな」
苦しい。怖い。ソリアは殺さないと言っているが、死なせないとも言ってはいない。このままだと、彼女自身の力で殺す意図がなくても死んでしまう。
首を絞めていない方の片手で殴られることを覚悟しつつも、動かない足で相手を蹴りつけた。
「ああん? 抵抗しやがんのか……?」
更にキレたらしいソリア。彼女は俺を壁の方まで投げつけた。頭の痛みと共に冷たくなっていく背筋。投げられた衝撃で舌を噛んでしまったよう、口から血も流れ出している。
ほんの少しずつ、死体に近づいていく俺。
「ううっ……!」
血が付く顎を拭いながら、彼女の姿をしかと見た。
間違っているはずのない、彼女の顔。だけれど、雰囲気も何もかもが最初に出会った時と違う。真っ黒な煙が纏っているように認識できてしまう。
最初の時は太陽。今は暗雲だ。
彼女は恐ろしく暗い顔で俺の元へ近寄ってきた。心臓も止まりそうな、気持ち悪い空気。耐えきれず、逃げようとしても前にはソリアで後ろは壁だ。逃げ場がないし、そもそも痛みで体が動かない。
「お前は何が目的なんだよ。レディアの何が目的だ? 財産か? 力か? 利用して、自分の野望でもかなえようとしてんのかよ? それとも……?」
「そんなの求めてない。俺はただ……! ただ……レディア達と……!」
彼女は勢いよく壁を叩く。家が揺れたような気がする。
恐ろしくて体が震えて、仕方がない。
「んなこと言っても、綺麗ごと言うだけっつってんのは分かってんだよ! おい! へらへらしてんじゃねえぞ!? おらぁ!」
ヘラヘラなどしていない。見せている表情と言えば、苦痛に喘ぐようなものだけだ。しかし、反抗しても更に苦しませられるだけ。分かっているから文句は言えなかった。
「うっ……じゃあ、近づかなければいいのか……?」
「ん? ああ、レディアにな」
「じゃあ、約束できんのか」
「約束する。もう、この家に近づかない。それでいいんだろ?」
俺は降参の意を表して、片手を上げる。彼女は突然、穏やかになってその手に左手を添える。
「それでいいんだ。それで幸せになれる」
「ソリア……」
「んな訳あるかよ、馬鹿がっ! お前の言うことなんて信用できるかっ!?」
思わず白目を剥いてしまいそうな痛みが俺を襲う。
ソリアは左手で俺の腕ごとを手を捻っていた。
「あああああ……や、やめろ……本当だっ!」
「ううん、それじゃあ信用できねえっつってんだろ。……そうだ。チャンスをやるよ。この家からさっさと出てって、森の奥に逃げられたら、お前の勝ち。逃げなかったらレディアの隙を見て、お前を拷問して殺し、森の中へ放り込む!」
言ってることが無茶苦茶だ。あの森の中は山菜を取ろうとした地元民のレディアだって散々迷っていたんだ。素人の俺が逃げるために入って、突然の異世界転移が起こらない限り、森から抜けられる訳がない。そのまま飢えて死ぬのが関の山。
ソリアの話を直訳すると、こうなる。「死ね」だ。
彼女の言葉の意味に心底震え上がっていた。その中で見えた彼女の表情。どす黒く黒いものだけではない。俺の存在を恐れているものでもない。嘲笑っていた。俺をこんな目に遭わせること自体を楽しんでいるみたい。サディスティックなんて言葉だけでは言い表せない、最悪の感情が見え隠れするソリア。
どうして、こんなことをする……?
お前はあの優しいレディアの姉じゃなかったのか?
「ソリア……」
「何だ、どうした早く行かねえのか?」
行かない、逃げないと言うより、逃げられない。
「お前のせいでな。無理なんだよ。足が変な風になっちまった」
「……はっ、面倒だな。とにかく、レディアとは関わるな。後、ここに今、うちが戻ってきたこと、誰にも言うなよ。この怪我をうちがさせたこともだ。レディアに知られると面倒だからな。いいな」
彼女は俺の真正面にまで拳を近づけた。たぶん、ここで否定などしたら顔を潰される。
「うっ……」
脅迫に対して、首を縦に振るしかない。
「いいな! 消え失せとけよ!」
そう話し、ソリアは身を翻して、家を飛び出していった。たぶん、用事を済ませに出かけたのだろう。
圧倒的な暴力による恐怖を残して……。
「酷い……」
彼女がいなくなった後に頭を抱え、呻いていた。
あのソリアは、レディアとは違ったのか。それは健全な姉ではなく、裏の顔を持つ残忍な女だったのか。最初の笑顔にはこちらへの憎しみしか隠されていなかったのか?
怖い。
やっぱり恐ろしい。
外は人を排他することか、利用することしか、考えてない人ばかり。
レディアがそうでないと分かったから。最大限の力を振るい、俺を助けてくれたから。その姉だって、優しい人じゃないのか!?
「裏切られた……酷い裏切りだ……ソリアは楽しい人だって思ってたのに……いや、単に俺が勘違いしてた……だけなのか?」
俺が勝手に期待してしまっていただけなのか?
異世界の人達は現実の人とは違うと……。
体育座りになって、うずくまっていた。泣きたくなっても顔の表情が恐怖で歪んだまま。涙も流せない。
そんな最中のことだった。
「ああ! 待たせちゃってごめんね! あれ……お姉ちゃんは?」
レディアの声がした。彼女の言葉に、何て返答すれば良いのか分からなくなった。ソリアが何の用事をしようとしていたのか忘れてしまったのだから。分かることは一つ。俺を脅して、何処かに行ったと言うこと。
しかし、現状をソリアの妹に伝えるのは残酷すぎる。いや、知っているのか。レディアはソリアの裏を知っていて、隠しているのだろうか?
レディアは何も答えなかった俺へと続けざまに質問をした。
「あれ、うちのお姉ちゃんは……どうしたのかな? あっ、食事の準備してないなー! うちのお姉ちゃん! 留守番、ショウちゃんに任せて何やってるのかな!?」
一瞬、レディア自身も悪の心を持っているのでは……?
疑心暗鬼が過剰になって、あの素敵だったはずの彼女にすら近寄ることができなかった。