タクシーにハネられたので、小説を書くことにしました。
2024年11月11日──。
その日は暖かい日でした。
冬の到来を間近にして、肌寒くなるかと思いきや。
外に出たくなるほどの素敵な陽気。
これは自転車を乗り回してダイエットでもしよう。
揺れる腹の肉を引っ提げて、一汗かいてやろう。
そう、思い立ったのがいけなかった。
タクシーにハネられました。
一時停止線のない狭い十字路を走行中、右横から凄い速度で迫るタクシー。
瞬間、私の脳が加速しました。人間って凄いですよね。
これは止まるよりペダルを蹴って前に進んだ方が致命傷は避けれるのではないか。
その判断が功を成し、自転車を思いっきり一漕ぎしたところ。
タクシーのフロントが自転車の後輪に衝突。
私の肉体には一切の接触はありませんでした。
しかし、巨大な鉄の塊がぶつかってきたのですから、その衝撃たるや。
私は自転車ごとアスファルトに吹き飛び、地を転がって頭を打つ。
わけではなく。
私は自転車をどうにかして転ぶことを回避したのです。
どうやってそんなことができたのか、覚えていません。
命の危機に瀕した人間の底力は凄まじいものです。
衝撃を逃すような動きをしていたのかもしれません。
もしくは、今年から筋トレを始めていたので、その成果なのかもしれません。
やっておいてよかった、デッドリフト。
なんとか転倒を回避した私は、即座に自転車から降りました。
内股が痛い。サドルがぶつかったせいで、内股がひたすらに痛い。
タクシーの運転手も車から降りてきます。
しかし、その動きが妙に遅い。
急いで降りてこちらの無事を確認すると思いきや、ひどく気怠い様子。
そして、股を抑えて悶絶する私に言うのです。
「チッ、警察呼びます?」
舌打ちです。人間をハネておいて舌打ちが出ますか。
私は唖然として「お願いします……」と。
力無く呟くように言うと、運転手は面倒くさそうにスマフォを取り出し、電話しはじめました。
こんな怖い人間もいるんだな、というのが率直な感想です。
大丈夫ですか? の一言も無いのは、流石に怖気を感じました。
人間をハネたことに何も思っていないような、ただ面倒なことが起こったとしか認識されていない有様。
しかし、運転手の方からすれば、こちらが急に飛び出したような形かもしれない。
そう思っていたのですが、タクシーが走行していた道路にはしっかり一時停止線がありました。
「やばコイツ」
私の口からついこぼれてしまいました。
その呟きが聞こえたのか、運転手はこちらを睨め付けてきました。
気まずい、怖い。なので、こちらも負けじと睨み返します。
どちらが先に目を逸らすか、そんなゲームを楽しもうと思いました。
私も私でクレイジーな面がありました。事故直前のアドレナリンのせいでしょう。
もしくは筋トレでついた筋肉の分、尊大な気持ちになっていたのかもしれません。
ともかく、運転手と睨み合って一〇分ほどで警察が到着しました。
四〇代思しき柔和な雰囲気を纏った婦警さんが、まず私に声をかけてきました。
「救急車呼びましょうか?」
驚きました。そういうのもあるのか。
私の脳裏で孤独のグルメの井乃頭五郎がカウンターに肘をついていました。
なんせ、生まれて初めて交通事故。
負傷者であり被害者である自覚が抜け落ちてました。
それもそのはず、タクシー運転手と睨み合っている間──。
(もしかして悪いの私のほうか?)
そんな思考に陥っていました。
よく、被疑者が警察の激しい尋問によって、冤罪でも罪を認めてしまうというお話。
ありますよね。すごいテクニックです。
警察の方曰く、タクシー運転手はよく事故を起こすそうです。
なので、もしかしたら私をハネた運転手は歴戦のハネラーなのかもしれません。
どういう態度をもって接すれば、相手に罪悪を背負わせられるか、知っていたのかもしれません。
しかし、プロの目は誤魔化せません。
車の傷と私の自転車の損傷を見比べて、婦警さんが運転手に言いました。
「これ……六〇キロは出てましたよね? こんな細い道で……」
やっぱりヤバい奴でした。
しかも、この道は小学校の通学路であったはず。
それを婦警さんも承知していたのか。
「近くに小学校があるんですよ? 最悪な場合、子供を殺してしまうことになったんですよ?」
運転手の良心に刻むように言った言葉が、私の胸にも刺さります。
自転車も車両です。私の愛車は完全なる人力車ですが、怪我をさせる危険は伴います。
今後はサイクリングコースを変更しましょう。人気のないところでこっそり腹の脂肪を落とします。
話を少し巻き戻します。
結局、私は救急車を呼びませんでした。
内股が痛いだけで緊急を要する怪我は負っていないと判断しました。
しかし、このときは興奮状態だったもので、帰宅した頃には首と腰がめちゃ痛いのなんの。
急いで病院に行こう。タクシーに乗って。
しょうがありません。同胞の尻拭いをしてもらいましょう。
これで私をハネた運転手さんが来てくれたら、より話は面白くなったのですが。
そう都合よく行きません。活気のある笑顔が素敵な、少し竹内力也に似たおじさんでした。
さて、病院の診断結果は次の通りです。
頸椎捻挫、左股関節打撲傷、背部打撲傷、腰部打撲傷。
まるでお経です。私の肉体にお経が刻まれました。
しかし、骨に異常は見られないのは幸いです。
治療期間もそう長くはかからないと、そう思っていたのですが。
現在、腰と首がすんごい痛いです。交通事故とはそういうことです。
どんなに軽症に見えても、ちゃんとダメージが肉体に入っている。
身をもって痛感しました。
ただ、運よく私は自営業を営んでおりますので。
仕事を休む期間は自分で決められます。ゆっくり療養することになりました。
そこで、本題の小説です。
私は長く、一つのタイトルを書いては改稿し、また書いては改稿と。
ひたすらに同じ話を研磨し続けておりました。
2018年からそんなことを続けていたので、流石に疲れて、私は少しの間、筆を折ってしまいました。
精神的に向き合えなくなり、活字が追えなくなっていたのです。
懊悩の渦を脳内に形成し、濁流で自分を溺れさせていたのです。
これはまずいと思っていたのですが、どうにも手につかない。
続きを書きたいのに、書けない。
そんな苦しみを抱えていたのですが、事故後の暇つぶしに、私はある本を自然と手に取っていました。
〈心と皮膚〉 著:太宰治
私の大好きな小説です。ご存知なければ、是非ご一読ください。
登場人物の関係性に、素敵な仕掛けがあり、読者の心にそっと手を添えてくれるような一冊です。
人間の悩みというものを、この作品の中で俯瞰して捉えていた太宰治。
なぜあのような最後を迎えてしまったのでしょうか。
諸説あるらしいですが、ただただ惜しいと、思い出しては噛み締めるばかりです。
こんな風に人の気持ちを軽くするような話を書きたいと、この作品に出会った頃の私は思いました。
その初心を思い出すと、不思議と活字が追えるようになり、自作の続きを書きたくなりました。
事故後に分泌された異常な量の脳内物質が、私を駆り立てたのかもしれません。
これもタクシーにハネられたおかげですね。
もしかしたら、私のご先祖様だとか、神様だとか、スタンドが、私の背中を押してくれた。
そう思ってもいいかもしれません。
何もタクシーで押すことはないんじゃないかとは思うんですが。
プラスに考えて損はないでしょう。
そんなわけで、私の下らない話にお付き合い頂き、ありがとうございます。
息抜きもできたので、また小説の続きを書きたいと思います。
では、またどこかでお会いしましょう。
追伸 すべてのタクシー運転手さんがおかしいわけではありません。
良識を持った素敵な方もたくさんいらっしゃいます。
このエッセイは特定の職業を貶める目的はございません。
散文失礼しました。