《No.00 prolog》
こぼれそうな封筒を軋む本に挟み込む。
車椅子の彼女は慣れた手つきでそれを持ち上げた。
彼女が大事に抱えたその本の正体は「AH-k1n1r2a」
この店の主人が彼女のために作った本の形をした水蒸気式の擬似声帯だ。
ある出来事で声を失った彼女にとって、この歯車と蒸気機関が発展した機械仕掛けの騒々しい世界では、唯一彼女が自分の想いを届けることが出来る大切な物であり、彼女自身と言っても過言ではない。
この世界の大概の物は技水珠という球体型の蒸気機関で動く。空を飛ぶ飛空艇も、道行く四足ロボットも全て蒸気と金属音を上げながら行き交っている。
ここはオーダーメイドの義手や義眼、ロボットアーム製造を専門としている機械工房「猫ノ手技水工房」であり、その三階居住スペースが彼女の部屋だ。
一階の店舗スペースで入店のベルが鳴るのが聞こえた。
彼女の持つ本も、車椅子も技水珠をはめ込む部分があり、本の表紙に象られた枝で休む小鳥のレリーフは目の部分がそれになっている。彼女はその球体に水を注ぎ、目の部分にはめ込んだ。祭りで目にする水笛のような音がなった後、本の表紙が軋みを上げつつ開く。そして彼女は本の文字を強くなぞり起動した。同時に鳥のレリーフは口を開き、金属音を上げつつ、こう叫んだ。
「イらっしゃイませ。マスター、お客様が来店なさイました。」
それは機械音だが、確かに彼女の声でありどこかで作業をする工房の主人、通称マスターに届いた。
この物語はそんな彼女が見てきた、工房とマスターと依頼主そして彼女自身の記憶を綴った日記である。