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メンター制度➁ 意外な顛末

 

「ロランさぁん」

「ベーレンさん、私の家名はロッシュですが……何ですか?」

「やだ、バネッサって呼んでね。

 シャロンさんがメンターになると聞いたけど、大丈夫?」

「大丈夫とは、何に対してですか?」

「もし良かったら、私がメンターになろうかと……」

「シャロンさんがメンターに決まったとフォーレ係長に言われました」

「えっ、あっ、だからロランさんは嫌だろから、今からでも」

「ロッシュです。ロランと呼ばないでください!」


 ロランはバネッサにロランと呼ばれることを嫌がり、あからさまにバネッサを睨みつけた。



 昨年、バネッサは、ステラ・シャロンには近づかないように人事課長から命令された。その上で、週1回程度、職員健康安全衛生室に通うようになった。バネッサは「自分は誤解されている、おかしい」と訴えたが、次第に所属の人達や同期との会話の機会は減ってしまった。

 バネッサは王都事務官になれば、全て上手くいくと思っていたが、何かにつけて裏目に出て辛かった。寮暮らしといえども経済的に苦しく、色々な焦燥感に襲われたバネッサは同業者と結婚して解決を図ろうとした。今年、入庁した新人なら自分のことを誤解しないと思い込んだバネッサは、貴族と思われる優秀なロランに近づいた。


 思いがけないロランの眼光の鋭さに、バネッサは小さい悲鳴を上げながらも持ち前の粘り強さを発揮した。


「ひっ……シャロンさんは人と上手く話せないみたいだし、貴族が苦手なシャロンさんのためにも……」

「私は貴族ではありません」

「えっ、貴族じゃないの? ロッシュ伯爵家の……」

「そもそも違う係のベーレンさんが、何を理由に私のメンターになれると思うのですか? 私がそれを望んでいるとお思いですか? だとしたら愚かすぎですね!

 始業時間が近いので、もういいですか?」

「えっ、そんな……酷い!」


 そこへ、クレマンとフォーレとタイラーが現れた。


「ベーレンさん。人事課長に呼ばれた。一緒に来てくれ」

「人事ですか? なんでぇ?」


 バネッサは嬉しそうに答えた。


「それを聞くために人事課へ行く、我々も行くから。さぁ」


 人事課長から本日付けの「出先機関への配置替え」か「一般退職」を選ぶように迫られることになるとは知らず、上司に伴われてバネッサは自慢げに人事課へと向かった。



 バネッサが姿を消すとロランはすぐにステラを視界におさめた。始業の準備をしている何気ない日常の風景の中にいるステラを見てロランは温かい気分に満たされた。しばらくすると、ステラは法令・例規集等を抱えロランの方に近寄ってきた。ロランは思わず視線をさまよわせた。


「ロッシュさん。ステラ・シャロンと申します。同じ事務分担になりました、よろしくお願いします」

「あっ、今年採用されたロラン・ロッシュと申します。よろしくお願いします」


 同じ係であってもステラはロランと話すことはなかった。例の一件以来、ステラは声なき挨拶、会釈をする程度で所属の人とは話を一切しなかった。ロランは声をかけてもらえる幸運を感じながら、ステラの美しい瞳アースアイを見つめ続けた。


(固まっている? 大丈夫かな、メガネ君)

「ロッシュさん?」

「あっ、何をやれば……」


 ステラはロランにまず関係法令を説明し、それに基づく担当業務の流れを説明した。

 ロランはステラの分かりやすい説明に驚いた。今までの訳の分からないマニュアルを渡されて読めと言われ、質問すると「マニュアルを読んで自分で考えろ」という職人気質な仕事のやり方に呆れていた。

 ロランはステラの説明を聞いて仕事に興味がわいた。


 ステラの説明が2時間続いたころ、執務室内に緊張が走った。

 3人の役付きに囲まれたバネッサが戻ってきた。彼女は泣きながら自席を片付け始めた。何があったのかと周囲は気になったが、ただならぬ異様な光景に皆が発言を控えた。

 周囲を気にしないステラでも執務室の緊張状態に気づいた。


(えっ、何が起きているの?)

「それで、次は? シャロン先輩」


 ロランは何も気にせずにステラに指示出しを求め、この場に居たたまれないステラは物理的距離を取ることにした。


「……休憩にしましょう。15分後に再開します」

(カフェに救いがあるはず、同期カフェのポラリスとミモザ、どちらにしようかしら? ポラリス? いや、ミモザ? この時間帯だから……うん、ポラリス!)


 ステラは逃げるように離席し、庁舎内のいつものカフェ・ポラリスへと向かう。カフェに近づくにつれてコーヒーの香りが強くなり、ステラの頭から先ほどの異様な光景は消えた。


 昼間人口5千人以上と言われる庁舎内には、本庁舎勤務職員と来客の胃袋を支えるためカフェやレストランが多数ある。

 ステラが入庁したとき、高級路線のカフェ・ポラリスとカフェ・ミモザとレストラン・アルファードが新たに庁舎内に出店した。今まで庁舎内に出店する店はリーズナブルが売りだったが、それとはかけ離れたカフェとレストランだった。しかも開庁時間中は王都職員限定という変わった経営形態をとった。

 そのため、この3店舗は、いつも空席が目立った。大半の職員は、3カ月ぐらいしか持たないと思っていた。しかし、「都庁舎内にある高級店」として王都で有名になり、夜は一般に開放され予約なしでは入れないほどの好評を博した。


 ステラは、待たない、店内が静かできれいといった基準でカフェやレストランを選んでいた。そのため、ステラと同期である高級なカフェとレストランを頻繁に利用していた。心の中で「同期カフェ、カフェ〜、今日もガラガラぁ~すいているぅ~」と歌いながら店内を覗き込んだ。


「いらっしゃいませ」

「アイスコーヒーをお願いします」


 店員はアイスコーヒーにマカロンを添えてステラへそれを運んだ。


「これは?」

「来月から販売開始予定のマカロンです。よろしければ……」

「ありがとう。美味しくいただきます」


 ステラは綺麗な色のマカロンを眺めてから、口に運んだ。


(こんなに美味しい、ロケーションも良い、店内も綺麗、価格だけで比較すると少しお高めだけど……トータルで考えるとお手ごろなのよね。割引券をよくくれるし……)


 カフェ効果に満たされたステラは、ストローを回し氷の音を楽しみはじめ「イメージと違う」と呟いた。

 ロラン・ロッシュ……黒髪、長身、細身、少し顔色が悪い、メガネをかけ前髪がむさ苦しい、穏やかな雰囲気だけど時々周囲と揉めていた。それでも、毎朝早くに来て、時々美味しいお菓子をみんなの机上に置いていた。

 少し難しい後輩と覚悟を決めてロランに近寄ったステラだったが、そのあとのロランの物腰柔らかな受け答えに驚かされた。


(あの時の綺麗なお菓子はどこで買ったのかしら? また配ってくれないかしら? それにしてもハザウェイ王立大学法学部卒は優秀だ。関係法令を見せるだけで、一瞬で全てを理解した。質問内容が、このあと説明しようと思っていたレアケースに関することだったし、もう説明することが無いのだけど……あれでは自分が優秀なことに気づかず、周囲が無能にみえるはず。私の言うことを聞いてくれるのはあと数日だったりして……すでに聞いているフリだったりして……気を付けよう)


 ステラは、近い将来「シャロン先輩、そんなことも分からないのですか?」「もう僕の方で全部やります」とロランから言い捨てられる日が来るかもしれないと予想した。あの子を潰すどころか私が潰されるかもとステラは気を引き締めてロランと接すことにした。



 休憩を終えてステラが執務室に戻ると、バネッサは人事異動で王都の北のはずれにある分室勤務となったとフォーレから説明された。すでにバネッサの姿は消えていた。


 ステラは、突然の人事異動に驚いた。


(転校生みたい。転校続きといっていたけど所属まで……)

「随分と急な異動ですね」

「本当は、1年前にも出ていた話だった……採用配属直後でベーレンさんの将来も考えて様子を見ていたのだが、芳しくなくてね。これ以上、この所属に置いておいても改善の見込みはないと判断された。退職か分室異動の二択だった」

(退職して欲しかったなぁ~)

「そうですか、事務官を続けることを選んだのですね」

「ああ、ベーレンさんは『事務官になれば全てが上手くいくはずだった』と今回も泣いてね」

「(今回も?)上手くとは?」

「さぁ〜? 仕事なのか、人生なのか、はたまた……」

「そうですかぁ~」


(ベーレンさんは事務官になれば上手くいくという思いに囚われた。事務官になった時に未来を塗り替えられなくなって、新人事務官として大事な時期を台無しにした。それに本人は気づけたのかしら? 泣いているようでは、まだまだ状況が分かっていないのよね)


 昨年、パワハラ調査委員会からの聞き取り調査の際、ステラはバネッサと課に対しての怒りや処分や制裁を何も口にしなかった。それは良識や臆病や優しさからではなかった。


恩返しかえしなんてものは意外な時期に意外なところからやってくるのが一番効果的なのよね。

 バネッサ・ベーレン、やはり自滅した。泣いて悔しがるなんて……幼いわね。同期といっても研修クラスが違った、身分も違う、過去に接点はなかった。それなのに執拗に絡んできた。尾行されたこともあった。悪意に満ちていた。あのタイプは性懲りもなく新しい場所で次のターゲットを探すのかな? くわばらくわばら)


 ステラは今後を分析した。異動先や研修先で鉢合わせすることがあっても、所属が違えば無関係でいられるはず。だから大丈夫! と確信し小さく頷いた。


「シャロン先輩、休憩時間が過ぎました。続きを教えてくだい」


 ロランの明るい声がステラに届き、ステラの黒い思考は途切れた。不思議と肩の力が抜けた。


(さっ、とりあえず仕事を頑張ろう)


 気を引き締めなおしたステラは、頭の切れる後輩に説明を再開した。



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