財閥の総帥とその娘
「ステラ、リリーさん達は帰ってしまったか?」
「おかえりなさい、お父様。はい。今頃、ちょうど国境を超えたころかと、嵐のようでしたね」
リリーはシャロン邸に1泊すると早々に帰国した、ミハエルと仲良く。
「そうか、間に合わなかったか、見送りをしたかったのだが……」
「お父様、リリーとミハエルを快く迎えていただきありがとうございました。2人はお父様に感謝しておりました」
「当たり前のことだ。ステラは留学したことで強くなった。それはステラの努力もさることながら、友の存在も大きかったはずだ。
ステラ、若い時の仲良しな関係というものは脆い。その後の環境と時間の経過で簡単に道をたがえてしまうのが常だ。留学先で良い親友を得たな。大事にしなさい」
「はい。リリーは若くして家業を継ぎ……私にはもったいないぐらいの親友です」
ステラの発言にエドガーは違和感を覚えた。
ステラは、一人っ子にしては自己評価が低かった。それをエドガーは常々気にしていた。
「ステラ? ステラも立派だぞ!」
ステラは意外そうな顔をした。
エドガーが後継指名しないのはステラがそれに値しないからだとステラはうっすらと自覚していた。それなのに、その父から立派と評されることが腑に落ちなかった。
「お父様、私は家業……お父様の事業を継ぐだけの力はありません」
「ステラ……どうしたのだ? 継ぎたいのか?」
「あっ、いえ。そういうわけではなく……」
「ステラ、私が頑張れるのは、グレースとステラがいるからだ。侯爵位は制約も多かった。この国は男尊女卑が強く、私はそれを受け入れられなかった。そのため、爵位と領地を早い時期から返上するつもりでいた。
そのために、ステラが生まれてすぐに新しい事業に着手した。それが軌道に乗り、財閥にまで成長した。おかげで心置きなく爵位を返上することができた。
ステラが無理に私の事業を継ぐ必要はないのだ。我々は、そういう古いしきたりから解放された上級市民になったのだから」
(父よ、ありがとう。いつもは無口なのに……なんだか心が温まる)
「ステラが王都の事務官になったことは私の自慢なのだ。
色々な肩書を背負わされたステラが、親に頼らず事務官になると言った時は少し寂しかった。夢見がちな可愛い娘が頼もしい娘へと成長したと嬉しくもあった。
王都の事務官職を地味な職業とグレースは言うが、社会的信用度は高く、政治や経済的影響を受けにくい手堅い職業だ。収入も男女同額だ。
女性に経済力がないと、生活のために望まない相手との結婚に追い込まれることが珍しくない。だが、王都の事務官になったことで、ステラは生活のために無理に結婚する必要はほぼなくなった。とは言っても……私達はステラの幸せを最優先にし、私達がいなくなっても大丈夫なように手は尽くしてある。もしもの時は、リシャールに──」
(父よ、どうした? 母がいると置物のように静かなのに……これ遺言?)
「お父様、どこか遠くに逝かれるのですか?」
「ははっ。近頃はそういう小説を読んでいるのか?」
愛情表現が不器用な父親が、自分の死期を知り、家族に愛を伝えるための物語「ありがとうと伝えるまでに」をステラは読みはじめたところであった。
「えっ、あっ、はい」
「夢見がちなステラもまだ健在か、それはそれで嬉しいな。ははっ」
「お父様、事務官を辞める予定はないですが、長く続けるかどうかも……」
ステラは良い娘だった。親に心配をかけるようなことも少なかった。何も要求しない子だった。そのため、エドガーとグレースは先回りして何でも用意した。ステラはそれを静かに受け入れる子だった。
はじめて拒絶したのは婚約者だった。次に拒絶したのも婚約者だった。そして文官の道に進むと言い出した。
「ステラ、先のことは誰にもわからん。それにしても、ステラは良い子が過ぎる。遊びが足りていないのだな!」
エドガーは愛妻家で親バカである。
妻グレースが楽しそうに話す姿を見ていると幸せで胸がいっぱいになった。
娘ステラが「お父様、王都中のドレスが欲しい」「お父様、世界で一番大きいダイヤモンドが欲しい」「お父様、あの島が欲しい」といつ言われても良いように、せっせと稼いだ。もちろんグレースが同様のお願いをしても対応できるように万全を尽くしていた。
エドガーの努力も虚しく、グレースもステラも欲しがらない。
(父よ、私、仕事を定時に終えて、王都中のスイーツ店巡りをしているのよぉ)
「今も遊んでいるようなものです」
「ステラ、まだまだ親に甘え足りてないぞ。仕事が辛ければ辞めて良いのだぞ」
(えっ、辞めない。私、辞めたそうに見えるのかしら、3年はやめない。スイーツ店巡りに飽きるまでは辞めない)
「お父様、事務官という職業は悪くないと思います。今のところ、楽しいとかやり甲斐があるとまでは言えませんが……。
……お父様、ゆくゆくは後継者が欲しいとか、孫が欲しいと思うことは?」
ステラは、ずっと気になっていたことを口にした。
エドガーは呼吸を整えた。
「ステラ、後継者を指名するほどの大きい事業ではない」
(父よ、何を言っているの? 現実を見て、財閥だよ。おい、総帥!?)
エドガーは、ステラが2度の婚約を終わらせた際の迅速な判断に驚かされた。世の中の流れをわきまえながらも、なし崩し的にそれに流されることがなかった。その上、エドガーの想像に及ばない文官という職業を選び、上級枠に一発合格するほどの才を見せた。
正直なところシャロン財閥を引き継ぐだけの力がステラにはあるとエドガーは考えている。だが、非情な決断を要する総帥の孤独を若い娘に強いることはできない、しかし財力が多くの不幸を解決するのも真理である。エドガーはその思いを今も積んでは崩し、崩しては積んでいる。
エドガーはステラ以外を後継指名するぐらいなら、財閥を解体するつもりでいる。
しかし、それを口にしてしまうとステラは生き方を変えてしまう可能性が高く、エドガーは後継指名についての言及をあえて控えている。
「ステラが子を欲しいと思わないのならば、私達も孫が欲しいとは思わない。
ステラ、結婚・出産は女の幸せと言われているものの、女性としての道を狭めることもある。しかもこの国は男児を産まないと風当たりが強い。何も言わないがグレースは苦労したはずだ。まぁ、それも時代と共に変わってきているが……。
ステラ、自分の人生だ、報われない苦労だけはするな」
エドガーは親として、ステラに良い環境とお金を残すことくらいしかできないと常々考えている。親としては、心通じた伴侶がステラに寄り添い温かい家庭を築くことを望むものの、財産目当ての変な男に引っかかるぐらいなら、今のままが良いと思ってしまう。
ステラには、ある程度の年齢になったら相手を選ばずに親の言いなりで結婚する覚悟があることをエドガーは見抜いている。いまだにステラを取り巻く環境には制約が多い。
エトガーから見て、ステラは自身が一人娘だという自覚が強いように思え、それが不憫だった。そこで、エドガーはステラの幸せのためにリシャールを育てた。
ステラがシャロン財閥を継ごうが継ぐまいが、優秀な伴侶を得ようと得まいが……いずれ莫大な財産を相続するステラを補佐する者として優秀なリシャールは欠かせない存在になった。2人は兄妹のような関係を築くようになった。
エドガーとグレースが、ステラに結婚を急がせない理由にリシャールの存在は大きく関係していた。
「報われない苦労って……渦中にいると気づかないのでは?」
「まあ、確かに結果論だな……」
「お父様、シャロン財閥って凄いですね。自分が仕事するようになってお父様の凄さを思い知りました」
「そう思うのなら、ステラ、時にはわがままになりなさい。それを叶える力が私にはある。我々を心配させるのも立派な親孝行だ。最低でもあと10年は先を考えずに日々を楽しみなさい」
エドガーは「自慢の一人娘」をステラに押し付けるつもりが無い事を明言した。
無責任にシャロン財閥の後継について口にすべきではないとステラはこの話題を終わらせることにした。
「お父様、先日の指名競争入札で妙に低廉な札を入れたとか……」
「何度も不調になった案件らしく、王都の経理部契約課がシャロン財閥を入札参加業者として指名したのだ」
「お父様が損をしてまで安い札を入れなくても」
「大丈夫だ。イニシャルコストを安くして落札したが、定期メンテナンスと消耗品でペイできる」
「でも、定期メンテ関連は毎年の指名競争入札では?」
エドガーは総帥としての顔をはじめてステラに向けた。
「シャロン財閥の資材と技術が無ければできない、従って……」
「業者指定、長期契約ということですか(父よ、おぬしもワルよのぉ~)」
「ステラ、すっかり王都の事務官だな、こういう話をする日が来るなんて……ステラが契約関係の課に配属になったときは、シャロン財閥は王都の入札に参加しないから安心してくれ」
「いえいえ、不正を問われるようなことを私はしません。ご安心ください」
その夜、ステラは笑いながら父と珍しく長い時間を会話に費やした。
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