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ステラの涙

 

 ステラが配属先で仕事と人間関係に悪戦苦闘しながら3カ月が経とうとする年の瀬、上司フォーレが話しかけてきた。


「シャロンさん、また飲み会不参加か?」

「係長、私は飲み会に誘われていませんが?」

「えっ、いつものようにベーレンさんが飲み会の連絡を……」


 ステラが飲み会に参加しないのには、作為的な何かがあると悟ったフォーレは言葉をのんだ。


 ステラにはフォーレとの噛み合わない会話に思い当たることがあった。


(やはり、仲間外れにされていた。なんとなくそんな気がしていたのよ。突然、「昨日は残念だったね、体調はどう?」とか「急に親戚が来て、大変だったね」等と身に覚えのないあの先輩たちの声がけ……またベーレンさんかぁ、同期に恵まれなかったなぁ)


 ステラは感情を押し殺して、事実だけを述べることにした。


「ベーレンさんから飲み会の開催や参加について聞いたことは1回もございません。あっ、そういえば先月の始めに『前の飲み会で課長が、シャロンさんも誘って全員で食事をしようと言い出してね。シャロンさんはこういうのは嫌いでしょ。だから、私ね、気を利かせて断ってあげたからね。気にしないでね。あれっ、行きたかった? 今からお願いする?』と不可解なことを言われたことが……。

 いずれにしても誰からも飲み会に誘われたことはないので、断ったことも無いのですが……」


 フォーレにはもう1つ気になることがあった。


「シャロンさんに個人的に借金があるというのは?」

(ほぉ〜借金!? 何のことだか?)

「フォーレ係長、職場内にも社交界が存在するのですか?」

「いや……その次の飲み会だけど……」


(おいおい、そこまでしてなぜ私を飲み会に誘うの? 今までベーレンさん任せにしていたくせに!)


 今後、バネッサと彼女の嘘を信じた人達と関係性を深める必要性は1ミリもない、とステラは判断した。

 誘われない飲み会の不参加を責められ、ステラは理不尽だと思った。個人的な借金があるとまで誤解されていたことにステラは呆れると同時に悲しくなった。


(所属の皆さんとは浅い人間関係で良かった、これからもそれで! いや、これを機にそれを徹底しよう)


 ステラはその怒りを上司達が恐れる言葉に変換し反撃に出た。


「私には声をかけない決まりがあるのでは? パワハラは終了したのですか?」

「いやっ、そんなっ……今となっては言い訳だが、ベーレンさんが言うには──」

「気づかなかった? 知らなかったと? 見事に私の耳には届きませんでしたが」


 フォーレは焦った。パワハラやいじめは王都職員の中で大きな問題となっている。特定の職員だけ飲み会に誘わないことも、飲み会を毎回断るからはじめから誘わないこともパワハラやいじめの典型的事例とされている。

 会計課職員たちは新人女子と飲みたがっていた。これ自体がセクハラに繋がり兼ねない。しかし、バネッサが毎回嬉しそうに「この日なら、シャロンさんは飲み会に来られると言っていました」という言葉を課長・各係長・職員達は信じていた。

 フォーレは、セクハラに警戒していたが、その陰で職場いじめのようなことが起こっていたことに驚いた。しかも、それに自ら関与してしまっていた。


「本当にパワハラとかではなく……」

「パワハラではないと……毎回、ベーレンさんを直接誘い、私はおまけ程度にベーレンさんに伝言を頼んだ……ということですね。今後もそうしてください。その連絡は永久に私には届かず、私は不参加となりますのでご理解ください。

 私は残念に思います、隣席の直属の上司から誘われなかった飲み会で、ありもしない陰口をたたかれ皆さんがそれを信じたことを。

 今後も勤務時間内は上司としてご指導のほどよろしくお願いします」


 ステラの感情のこもらない発言にフォーレは背筋が冷えた。なぜ、この新人は状況を瞬時に把握しながらもこんなに落ち着いていられるのだろうか。

 フォーレにとってステラは優秀で可愛い部下だった。毎日の出勤が楽しくなるほど、見込みのある事務官だった。その部下から自身に投げつけられた鋭利な言葉にフォーレは動揺した。


「シャロンさん、少し事情を聞かせてくれないか? こちらの説明も──」

「この話題はもうやめてください! 私の知らない時間外のことで私が責められるのは理不尽で不愉快です。私が時間を割く筋合いもございません。色々な意味で“この職場には飲み会は存在しない”と理解します。全てはそれで解決です。だからパワハラやいじめは無かった。この会話もなかった。これで全て解決です」


 ステラは悪態をついた。バネッサの姑息なやり方に乗せられたフォーレを残念に思った。ステラは感情的になったことを恥じながらも言い過ぎたとは思わなかった。


(仕事で大きな失敗をしたわけではない。王都シエラに不利益になるようなことはしてない。お給料分は働いているはずだから大丈夫! 私に過失はない。

 ああ〜でも、猛烈に不愉快! それに、悲しい! もぅ、何なの!) 


 事務官になることを反対した母の言葉を思い出したステラは、事務官という仕事を選んだことは間違っていないと自身に言い聞かせた。


(私には癒しのスイーツがあるから大丈夫! 今日の消毒は盛大にケーキ2個だぁ)




 この日、ステラは帰宅途中にカフェ・デネブに寄りケーキを2つオーダーした。


「ジル、ステラが辛そうに見える。何かあったのだろうか?」

「おそらく何かあったのでしょう。いきなりケーキを2つも……でも一口ごとに表情は回復なさっているように見受けられますが」

「そうか? 少し前から顔色が悪くなっているぞ」


 ステラは見も知らぬ人たちに観察され心配されていることに気づくどころではなかった。ステラの手は2個目のケーキを半分食べたところで止まったままだった。


(何だか急に頭が痛いよぉ。ケーキが多すぎた? 違うなぁ……急いで食べ過ぎて血糖値が急に上がりすぎたぁ。以前もお菓子を食べ過ぎて調子を崩したことが多々あったなぁ。これ以上は無理して食べるのは無理だぁ)


 スイーツで消毒するつもりがケーキを残さざるを負えない状態に陥り、ステラは罪悪感に襲われ悲しくなってしまった。


(ケーキさん、残してごめんなさい。それに今日は味わってあげられなかったなぁ。どうしよう、なんだか泣きたくなってきたかも、もう帰ろう)


 ステラは心の中でケーキに謝罪した。食べ残したケーキを眺めているうちにステラは涙ぐんでしまった。誰にも食べられずこのあと処分されてしまうケーキと職場内における自身が重なるような気がした。


 ステラは涙をそっと拭き、会計を済ませてトボトボと帰路についた。


 ステラが店を出て扉が閉まった瞬間、ロレンツは動いた。


「ジル、今日はステラを家まで送り届ける」

「お待ちください、私も同行いたします」


 スイーツでステラを笑顔にすることができず、ステラの涙の理由を聞いて慰めることができないロレンツは胸が張り裂けそうだった。あまりの無力さに情けなかった。


(ステラ、何があったの?)


 ステラが無事にシャロン邸の門をくぐるまでロレンツはそっと見送った。




「お嬢様、お帰りなさいませ。お顔の色が……どうかなさいましたか?」

「嫌なことがあって、ケーキを食べ過ぎてしまって……頭痛が……」

「お部屋で少しおやすみください。すぐ、ミント水をお持ちします」


 ステラは自室に戻り着替えてから窓の外をぼんやりと眺めていた。


「お嬢様、ミント水をお持ちしました。何があったのですか?」

「猛烈に不愉快なことがあったの。そのせいで気持ちのコントロールができないみたい……気持ち悪くてイライラして悲しかったり、それを繰り返しているの」


 ステラはそこまで言って、ミント水を飲み干した。

 ステラの弱音を久しぶりに耳にしたリシャールは質問をはじめた。


「仕事でのトラブルですか?」

「仕事というより、職場の人間関係かな。私、いわれのない妬みや嫉みを買うことは多かったけど、今回は……色々と考えていてら虚無感が……」

「今、お辛いですか?」

「辛い? ……帰る途中のカフェでケーキを食べ切れず半分も残したことがとにかく残念で辛いかな」

(お嬢様がケーキを残すなんて! これは深刻だ)


 ステラがケーキを2個オーダーしたことを知らないリシャールは、純粋にスイーツ好きのステラがケーキを残したことに驚いた。そんなに辛いなら退職を促そうとリシャールは質問の方向を変えた。


「その人間関係から解放されるために仕事を辞めたいと思われますか?」

「それがね……そうは思わないのよ」


 ステラの答えにリシャールは少し安心した。


「組織内において人間関係が上手くいかないことはよくあります。お嬢様は大きい組織に所属しておられます。人事異動を希望なさってみては?」

(人事異動! その手があった)


 年度途中の人事異動は悪目立ちする。何かやらかしたと噂される傾向が強かった。根も葉もない噂だらけのステラが年度途中に異動しようものなら、その時は何て噂されるのかをステラは想像する。


(借金持ちと言われ……ここで異動したら横領未遂とか言われるの?)


 仕事で足を引っ張られないうちは、今のままにしておこうとステラは結論づけた。


「リシャール、ありがとう。人事異動という方法があったわね。

 その最終手段はまだ使わなくても大丈夫。次に同じようなことがあったら躊躇なく異動を希望するわ。

 ……今日のこの会話はお父様とお母様には内緒にしてもらえるかな?」


 リシャールは優しい微笑みを浮かべ、ステラの礼に対して軽くお辞儀を返した。


「かしこまりました。お嬢様、苦しく辛いことは独りで抱え込まれずに……私でも解決の糸口を探せることもございますので」


(今日は優しいリシャールだ)


 ミント水で回復したステラは、この日の夜には虚無感から解放された。




 しかし、この件はステラの冷めた対応とは反対に大きな問題となった。


 フォーレは速やかに裏取りを行った。

 毎回、飲み会を希望したのはバネッサであった。毎回、バネッサはステラには同期の自分が連絡すると言った。毎回、突然不参加になるステラに対しある事務官が「財閥のお嬢様は俺らと席を共にしたくないのか!?」と言い出した。

 問題はそこから思わぬ方向へと動いた。ステラが飲み会に来られない理由は個人的借金のため残業が必要と囁かれはじめた。それからは、飲み会の日はステラだけに残業を押し付けて皆で飲み会を開いていたことが判明した。完全に悪意が確認された。


 職場内いじめ・パワハラ事案と判断しフォーレは直属の上司クレマン課長にそれを報告した。報告を受けたクレマンは、処分されることを覚悟のうえでそれを人事課に報告した。その後、庁内パワハラ調査委員会がこの件を調べはじめた。ステラを含め全ての職員を個別に呼び出し聞き取りが行われた。ステラは事実を口にする以外は沈黙を貫いた。

 バネッサが「元侯爵令嬢のシャロンさんは貴族の私とは同席したくないみたい」「親に言えない借金があったりしてぇ?」等と発言していたと複数の証言が寄せられ、バネッサは何度も呼び出された。


 それからというもの、上の方からの通知で職場の飲み会は無くなった。


 しかし、バネッサはバネッサだった。


 家族から離れ王都の借り上げ寮で暮らすバネッサにとっては、飲み会は夕ご飯代を節約でき寂しさを紛らわす場だった。全員参加なら飲み会が開けると思いこんだバネッサは必死だった。ステラにつきまとい飲み会参加を要求した。


(もう嫌っ、この人! 本当にあの採用試験に合格しているの?)


 バネッサに理解力と反省という概念が無いことにステラは呆れた。


 つきまといの事実をステラはフォーレに報告した。それから、バネッサは職員健康安全衛生室に定期的に通うようになった。


 それでもバネッサは、ステラが参加しないから飲み会ができなくなったと陰で言い続けた。それに同調する職員も数名いた。ステラはそのことに気づいてももうなにも行動を起こさなかった。


(仕事のできない者同士群れて、飲み会、飲み会って仕事もせずにうるさいなぁ)


 ステラは仕事のできないあちら側にはなりたくないと思った。

 ステラは一切の雑談を控え仕事に打ち込むことを選んだ。


 かつてステラが「恋に〜仕事に〜」と歌っていたトキメキや楽しい日々はそこにはなかった。


 

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