しくしく作戦
ロイン使節団歓迎式典は、婚約発表の熱に覆われたまま無事に終了した。
式典後からが長かった。ステラは侃々諤々の渦中で息を潜めて過ごすことになった。
ロランが早期の婚約書類の作成にこだわった。
そのため歓迎式典終了後すぐに、ハザウェイ王家とシャロン家の意向のすり合わせが始まったが、そこにロイン国王太子エドワードが口を挟んだ。
フィリップは、早急にステラを王城内に迎え入れ王族教育を開始しようとする。
エドワードは、ステラとロランをロインに派遣するようにと主張する。
エドガーは、“捨てた王太子妃候補グレースの結婚とその子どもの代の結婚において、王家が全面的に協力する”というハザウェイ王家の念書とロインでの兵糧攻めのような食事を理由に両王家の主張を拒否する。これが延々と続いた。
ロランは念書と兵糧攻めに驚いた。
念書のせいでステラとの婚約に王命を使えなかった真相を知った。
また、食事量の少ないロインでの兵糧攻めという言葉に動揺した。何度もパウンドケーキとケークサレの礼を述べられたが、それは社交辞令ではなかったことにロランは驚いた。
ステラはぐるぐるジャンケンを続ける大人たちに呆れた。
ステラの頭の中で、腹黒なタヌキとキツネが輪になって踊りはじめた。
(この化かし合いはいつまで? それにしても、お腹がすいたっ)
膠着状態をクールダウンするため夕食となった。
食後のお茶が過ぎると……決着つかない話は、ステラとロランの勤務について争点を変えた。
すかさずロランが主導権を取った。
今まで通り、2人は勤務を継続すると強く押し通した。
ステラが勤務の継続を希望していること。ステラが王族と婚約したことが皆に知れるが、その相手がロラン・ロッシュと同一人物だと周囲は気づいていないこと。上層部には引き続き口を閉じてもらい、ロランがステラの護衛を兼ねることが最適であるとした。
ロランの主張にハザウェイ国王とエドワードが難色を示そうとしたその瞬間、ステラの母グレースが口を開いた。
「僕はすぐにでも臣籍降下をして君を支えたい。これからもずっと!」
「私が事務官を続けることは可能かな?」
「僕も事務官を続けるよ。この子たちのように僕たち2人はいつも一緒だよ」
グレースはロランとステラのやり取りを再現した。ロランは顔を赤くした。ステラは嫌な予感と同時にワクワクした。
(母が、訳わからないことを言い出すと、物事は終わりを迎えるのよ、そろそろ帰れるのかな? 早く自分のベッドで横になりたいよぉ。頼む母よ、さぁフィナーレはすぐそこよ!)
グレースは続けた。
「そしてステラが婚約を承諾すると……『ステラ! 僕は幸せだ。君と一緒にもっと幸せになることを誓う』ってロレンツ様は仰って素敵でした。
でも、国王陛下の意向によればステラは勤務を続けられないのかしら、ロレンツ様の言葉は偽りになってしまう。
ステラが勤務を続けると、ステラはロインへ派遣されてしまう……うっ……結婚前の娘には母という存在が必要です」
グレースは涙を拭った。でも止まらない。
「早くに母を亡くし、王太子妃候補になった私は心細くて髪が抜けたのよ……しくしく……ステラにはそんな悲しい思いをさせたくないの。母娘の時間を過ごせず寂しい思いをステラにだけはさせたくない……うっ……ステラ、私の大切な娘っ……しくしく。
仕事に娘を取られ、次にハザウェイ王家とロイン王家に……こんなことになるなら仕事なんてさせなければよかった。
この話し合いが始まってからは、ステラは不安な表情ばかり。ロレンツ様からプロポーズされたときは、あんなに幸せそうだったのにぃ」
「グレース、泣かないでくれ」
「あなた……しくしく……ごめんなさい、人前で取り乱して」
突然のグレースの涙にステラ以外は言いようのない罪悪感を持った。
グレースは絶妙のタイミングで感情に訴え、流れを引き寄せ有利に事を運ぶのに長けている。ステラは最初の婚約破棄でそれを目にし、前回の婚約解消でこれが母の戦法だと気づいた。今回、ステラは確信した。
(やはり、空気が変わった。恐るべし……しくしく作戦!
母よ、この場の偉い人達に向かって「この婚約、当事者以外がガタガタうるさい」って言ってるよね。王太子妃候補時代の辛酸や私の仕事に関しての主張を混ぜ込むあたりが計算高いなぁ)
立場の弱い女性としての戦い方をここぞという時にグレースはステラに見せた。愛妻家エドワードの反応を見越したグレースの絶妙な嘘泣き小芝居にステラは感嘆した。
(母、凄い、流石だわ。あんなにタイミングよく効果的に涙を流すにはどうすれば? 私もやってみようかな……目が乾いて痛いよぉ~)
嘘泣きのために瞬きを我慢したステラは目の渇きと格闘した。
その姿を見たロランは、ステラが下を向いて戸惑い悲しんでいると勘違いした。
ロランはステラを泣かせたくなかった。
「国王陛下、エドワード王太子、この結婚は政略ではありません。私たち2人の意志を尊重していただけないのならば、駆け落ちします」
それを聞いたエドガーは目を輝かせロランに提案を示した。
「駆け落ちまでの覚悟がおありなら、どうぞ我が家へお越しください」
「まぁ、駆け落ち! ステラも不安よね……しくしく……婚約者と一緒に過ごしたいわよね。さっ、立って……帰りましょうね」
場にいた全員が、やられた! と悟った。
この話し合いの舵取りは、いつのまにかグレース・シャロンにすり替わっていたと気づいた。
グレースはステラとロランの手を取って連れ帰ろうとしていた。
急に吹きはじめた追い風を見逃すはずもないエドガーは、国王陛下とエドワード王太子に頭を下げた。
「本日はもうこんな時間です。明日、もう一度お時間をいただけますか?
ステラの身柄を囲いこもうとする本当の理由をお聞かせください」
この日はお開きになった。
ロランはステラを送り届けてから城に戻ることになった。
「ステラ、少し夜の街を歩こう」
(えっ、もう帰ろうよぉ、ドレスを脱いで温かいお湯に浸かりたいよぉ)
「今日は、遅いから……」
「ステラ先輩、少しだけ歩きましょう。ねっ」
(うっ、ステラ先輩をここで使うなんてずるいよぉ)
通り雨が過ぎた広場に来た。
「ステラに確かめたいことがある」
「はい?」
ロランには確かめたいことが、聞きたいことが、伝えたいことが……15年分ある。いざそのチャンスが来ると頭が白くなった。
濡れた街を月の光が照らしはじめ夜の街が輝いた。
「きれい」
何も言わないロランを急がすこともなくステラは広場を見回していた。
ロランはやっとの思いで言葉を口にした。
「ステラにとって、この婚約の先に結婚は見えている?」
「結婚かどうかわからないけど、未来の私の隣にはロランさんが見える」
「ステラ! ありがとう」
そういうとロランはステラを優しく包むように抱きしめてむせび泣いた。
ロランにとってはあまりにも、長い片思いだった。
声を殺して泣くロランにステラは驚いた。
今までのロランの涙、ロランとの会話、ロランの振る舞いの端々を繋げてステラはお得意の空想力を発揮させた。そこには優しく温かいものが満ちていた。
距離を置こうとステラが決心しても、ロランがただの後輩ではないとこの数日で思い知らされていた。
今日、泣きそうなとき、不安なときにそっと背中に手を添えてくれたロランの温かさはステラに十分な確信を与えた。
「ロランさん。私は随分と愛されていたのかな?」
「はい。いえっ、もっともっと愛します」
「では、まず私たちの婚約の書類を攻略しましょう」
「はい! 一緒に攻略しましょう」
「攻略したら、まず私と恋をして欲しい」
「僕の恋する思いは生霊のように重いですよ」
「えっ、生霊!?」
「ははっ、冗談です。何度でも恋をしましょう」
2人が仲良くはしゃぐ姿を少し離れたところから見ていたエドガーとグレースは、両王家からこの2人を守ると心に決めた。




