ロイヤルロイン
ステラを強引に頷かせたロランは走った。歓喜のあまり叫び出したいのを抑え、必死でカフェ・ポラリスに向かった。
迫る足音に気づいたジルはカフェの開店準備の手を止めた。息を切らし走り寄るロランの姿を目にして慌てて立ち上がった。
「レンツ様、昨日の話の続きをステラ様にされましたか?」
「ああ、ジル。僕は何を話せば良いのかな? ねぇジル、台本をすぐ用意して……その前に予約だ! メガネどうしよう……あっ、早く夕方にならないかな?」
(何がどうなって、今に至るのだ? 昨夜より酷い、とうとうレンツ様が壊れた?)
ニコニコとオロオロを繰り返す要領の得ないロランにジルは驚いた。こんな支離滅裂な主人ははじめてだった。
頭脳明晰、眉目秀麗、王族としての自覚も高いロランが、まったく何を言っているのか? 始業時間まであと5分しかないというのに、この混乱ぶりはどうしたものかとジルの頭も混乱した。
ジルは混乱に乗じて、ロランの口にマドレーヌを押し込み、一時的にロランを黙らせた。
「レンツ様、時間がありません。私の質問に答えてください。
ステラ様に仕事を続ける旨を伝えられましたか?」
ロランはもごもごと口を動かしながら頷いた。
「ステラ様はそれを快く了承してくれましたか?」
ステラが「良かった」と言ってくれたことを思い出したロランは涙を浮かべ、大きくうなずいた。
「それはよろしかったです」
ジルはロランの先ほどの取り乱した際の気になる言葉を思い出した。
「今、私が優先すべきことは、台本・予約・メガネのどれですか?」
「……ょぉ……あ……くっ」
「予約ですね、何の予約ですか?」
ロランは口の中のマドレーヌを何とか咀嚼し飲み込もうとしてゴホゴホとむせた。ジルが差し出す水を急いで飲み、ロランは息を整えた。
「はあ、苦しかった。ジル、僕はまだ死ぬわけにはいかない。やっとお茶の約束を取り付けたのだから」
「予約の場所と日時をこちらにメモしてください。台本とメガネについては、休憩時間にでも詰めましょう。始業の鐘が鳴る前にお戻りください」
ロランは高ぶる気持ちを抑えて記入したメモをジルに渡し執務室へと戻った。
ジルは「今日、夕刻、カフェ・ロイヤルロイン、2名(僕とステラ)」と書かれたメモを見たあと、こめかみを指でグリグリと押しながらカフェの貸し切りや警備についての段取りや今後の展開に頭を痛めた。
(随分と急展開だな。花開くのか? 最後の思い出となるのか?)
ジルは考える。
現在、ステラにとってのロランは従順な後輩といった存在にすぎない。これから2人がメンターとメンティーの関係を進化させても仲の良い同僚レベル止まりかもしれない。ステラの意外な一面に数多く触れたロランが、冷めていくか、さらに恋焦がれるか? 冷めぬロランの思いにステラが気づき、恋愛感情が芽生えた時、身分違いの恋と騒がれ、王家はあの時のようにまたスキャンダルに塗れるのか? ロランとステラが互いを求めた時、ロランはもう何もできない子どもではない。決してステラのことを諦めないだろう。むしろ諦めて欲しくないと。
退勤後、庁舎から5分くらい歩いたところの堅牢な黒い建物の前に着いた。
「ステラ先輩、ここです」
「近いのね。……ねぇ、こんな服装で入店できるの?」
「できます。時々、ロイン国の基準で入店できないことがあるそうです」
「(ちょっと、待て! なにそれ……)その基準とは?」
「僕も分からないのですが……たぶん大丈夫です」
ロランがステラにすっとエスコートの手を差し出した。ステラはエスコートされていない女性は入店できないと理解し、ロランの手を取った。ロランはその瞬間、全身が震えそうだった。それをステラに悟られないように平然を装いながらも、耳を赤く染め、大きく息を吐いた。その様子をみてステラは動揺した。
「ねぇ、ロッシュさん。入店に際して息を整える必要があるお店なの?」
「あっ、いえ。あっ、はい」
(大丈夫かな? 重厚な建物、この中にカフェがあるの? なんか緊張してきた)
ステラは思わずロランに伸ばした手に力が入ってしまった。
「うっ……(僕の心臓、止まるな!)」
「ロッシュさん? 顔が赤いけど、日を改める?」
「ステラ先輩、僕は……僕はカスタードロールケーキがあるかどうか心配で」
(ロッシュよ、あれだけの書類量に動じないのに、ロールケーキを心配するの? 予約の時にロールケーキも予約すれば済んだのでは……優秀なのに残念かも、ふふっ)
ふっとステラの肩から力が抜けた。
「まず入店、次にそのカスタードロールケーキを攻略しましょう」
「はい、ステラ先輩」
2人が店内に入ると、店員が「お待ちしておりました」と席まで案内してくれた。
お店にはロインの物と思われるお菓子やお茶が並んでいた。
「高貴なる方、ようこそいらっしゃいました」
店の責任者が出てきた。まず、ロランに頭を下げ、ステラにも頭を下げた。
ステラはロイン風にあえて表情を変えずにやり過ごした。
「カスタードロールケーキありますか?」
「ございます」
「では、それを。彼女にも同じものをそれに合わせる茶葉は──」
(おお〜凄い。従順な子犬のようにいつも仕事の指示をあおぎ、それを爆発的な速さでこなすメガネ君が紳士に変わった。しかも私の好きなお茶まで注文してくれている。あれ、メガネ? あれ、顔の雰囲気が違う? 何だか格好良くなっている!?)
ステラは色々な意味でいつもと違うロランを観察した。
ロランは今も残るステラの手の感触が消えませんようにと願いながら必死だった。少しでもステラと楽しい時間を共にしたかった。仕事ではかなわないが、スイーツ店経営者として、ステラの生粋のストー……長年の信奉者として、ロランは仕事以外の一面をも評価してもらいたかった。
「ステラ先輩。ロールケーキのあとに違うスイーツを頼みましょう」
「えっ、そんなには無理よ」
「ここのスイーツは、濃厚で美味しいのに胃にもたれません」
「そう。では、まずロールケーキね」
ロールケーキは美味しかった。絶品だった。これテイクアウトできるかな? とステラの呟きを拾うとロランはすぐに店に確認した。
「ステラ先輩、何本必要ですか?」
「うん、あるだけ欲しいかな……」
「えっ、ステラ先輩! 太っ腹ですね」
「我が家は甘いものに目が無いのよ」
「家族仲が良いのですね」
ロランが寂しい表情に変わった。
「ロッシュさんの家族仲はどうなの?」
「かつては多少なりとも仲良かったですよ、今は少しギクシャクしていて」
ロランが継承順位を上げたとき兄の1人は継承権を失った。家族仲に比べてマシだった兄弟仲は消滅した。
男尊女卑の激しいハザウェイ国で一人娘を大事にするシャロン家はロランの憧れる新しい家族像であった。制度改正によりロランとステラの身分差は広がった。旧態依然とした王家にステラを迎えることはステラのためにもシャロン家のためにもならないと一度は諦めたほどの理想の一家だ。
家に美味しいお菓子を買って帰る……些細なことだ、だがそれができる家族関係にロランは憧れを禁じ得ない。こんなに側にいても、あまりにも遠い光に感じた。色々な感情に包まれたロランは泣きそうな微笑みを浮かべた。
「(地雷だったのだろうか? 話題を変えよう)そう……。そういえばロッシュさん。いつの間に……ステラ先輩になり、メガネを取り、前髪を上げたの?」
「えっ、今になって……前髪変ですか?」
「今の方がスッキリしていて良いかも、髪を上げられない事情があったわけではないの?」
今朝、ロランは、シャロン先輩からステラ先輩に呼び方を変え、退庁時に前髪を上げメガネを外していた。庁舎を出るときにステラはそのことに気づいていなかった。
容姿を褒められることが多かったロランは、ステラに対して自分の容姿が有効に作用しないことに驚いた。
「(もしかして、今やっと気づいたとか? 僕ってその程度なの!?)えっ、あっ……おでこを出すのがコンプレックスで」
「随分と乙女ね(整った綺麗な顔、頭の良い人特有の額だわ)。でも、前髪を下ろすことで安心するならおろせば?」
「はい、職場ではそうします。僕のことをロランと呼んでもらえないですか?」
「(急になに?)さん付でよければ……」
「はい。では“ロランさん”で。今はそれで満足です」
(今は? 君は訳あり高位貴族でしょ……この先はない!)
「僕はシャロン先輩をステラ先輩と呼ばせてください」
「(すでにそう呼んでいるし……)ロランさん、特別に許す!」
ステラは少し偉そうに笑いながら言った。ロランは「有りがたき幸せでござる」とおどけてみせた。
穏やかに談笑する2人を店員は興味深く眺めていた。
「なぜハザウェイ王家がお忍びで、高貴なるアースアイの令嬢を連れて……」
店員の呟きは2人には届かなかった。
「レンツ様、カフェはどうでしたか? そろそろ思いを告げたらどうですか? 現状、全く異性として意識されていませんよ」
「今のままでいい……怖いのだ……後輩だから警戒されずに側にいられる。恋愛感情があると知られたら、ステラに避けられそうで怖いのだ」
「レンツ様、玉砕覚悟で押しまくるべきです。ステラ様が職場の誰かと恋に落ちたらどうしますか?」
「ない! そんなはずない! そんな相手はいない、僕が認めない!」
(ステラ様、もう手遅れかもしれません……)
「なぁジル、家族にロールケーキを買って帰ったことあるか?」
そう言いながらステラ・ダイアリーの記入をはじめたロランを眺め、ジルはこめかみに指を押しあてながら、やれやれと静かに溜め息をついた。




