継承権消えないかな?
翌朝、出勤したステラはロランの姿を見つけ安心したものの昨日の今日でハラハラドキドキしながら朝の挨拶をした。ステラの予想と違い、ロランはいつも以上の笑顔で挨拶を返してきた。
「おはようございます、ステラ先輩。昨日の話、僕、考えました……」
「(えっ、もう結論を出したの? 辞めるって言わないよね)そう、聞かせてもらえるの?」
「はい、僕はステラ先輩の側でがんはります」
「(うん? ニュアンスが違うよ)それは、発言に気をつけるということ?」
「あっ、はい」
「そう、辞めないのね……良かった」
ステラはロランが辞めるという選択をしかねないと心配していた。ロランの頭脳は申し分なく優秀で、立ち居振る舞いが洗練され、指導に対し従順なだけでなく、ステラのミスを未然に防ぐ気遣いまで示していた。
入庁してから、いつも孤独に仕事をしていたステラはロランと仕事をすることによって、1人でこなせる仕事の限界に気づかされた。チームや班がなぜあるのかといった組織学の知識を実感でき楽しくなっていた。
早期退職を口にしたものの内心では、まだまだロランと仕事を続けたいと願うステラは「良かった」という本音を漏らし、笑顔を浮かべていた。
そのステラの呟きを耳にし、その笑顔を目にしたロランの目には涙が込み上げてきた。
(僕は嫌われていない。僕が側にいることを喜んでくれた。ステラが事務官として少しでも働きやすくなるように、僕、頑張る!)
「ロッシュさん? (昨夜、眠らずに考えたとか?)目が赤いけど……」
「大丈夫です。あっ、今日は僕の好きなお菓子を持ってきました」
「あっ、このお菓子(この前、美味しかったお菓子だ)」
「ご存じですか? 僕が12歳で留学した国、ロインの代表的なお菓子です」
「ロイン!! これって、ロインのお菓子だったのね……」
ステラはふと思い出した。
(そういえば、私のロインの王位継承権ってその後どうなっているの?)
ステラの母方の祖母カトリーナはロイン国の王女であり同国の公爵家へ降嫁していたが、数年してロイン王家の力で離縁させられ、ハザウェイ国の伯爵家に嫁いでいた。カトリーナはグレースを出産し、グレースが10歳のときに身罷った。ステラは祖母のこともロイン国のことも深くは知らなかった。
15歳の時、ステラは母から「ロイン王家は少子化な上に短命なのよ。それに継承辞退者も多くてね。5年前の“ロイン王家にかかわる法律改正”で私達にも順番が来ちゃったのよ」とロイン国の王位継承権を有していることを軽く説明された。父からは「ロインの歴史や習慣や言葉についても学びなさい」と言われた。
王位継承権といってもステラの継承順は98位と下位だったため、全く忘れていた。
(あの事実を知らされてから5年以上経つのか、ということはあの婚約破棄からも5年以上。あの時、私は自由になったものの確実に縁遠くなったような。私の「恋に〜仕事に〜」の恋はどこを出歩いているのかしら? もう戻ってこないのかしら? あの時からロイン国についての勉強を惰性で続けているけど、継承権があったからだった……ロイン国の継承権消えないかな? そうすれば恋愛が近づいてくるかな?)
ステラの頭には恋愛や結婚に対する色々な思いが浮かんだ。
婚約破棄と解消を経験してステラの結婚観は大きく変わった。そう簡単に恋は始まらない、恋愛の先に結婚があるとは限らない、人生のゴールが結婚でもない。恋愛は個人と個人の2人だけの繋がり、結婚は家と家とのつながり。恋愛と結婚はベクトルが違う。
その上、元貴族で今は上級市民・父は財閥の総帥・ロイン国の王位継承権を有する等といった自身の複雑な立場をステラは自覚していた。
ステラは契約結婚を考えることもあったが、父エドガー・シャロンを騙せるような契約相手を見つける暇がない。時間があったところで、そんな相手がこの世に存在するのだろうかと思うほど父は切れ者だった。
(何もかも捨てて相手についていく、そんな燃えるような恋愛をする性格ではないのよ、私。恋愛相手が結婚相手なんて奇跡を夢見る年齢でもない。だいたい探してもいないのだから恋の相手が現れるなんて甘い妄想だ……いずれ結婚することになるならば、少しでも若いうちにお父様の選んだ方と結婚した方が良いのかな、もう21歳だけど。焦るべきなの? 既に手遅れのような……)
恋愛と結婚について久しぶりに考え、数年前から何も進展していない現状を再確認したステラは視線を床に落とした。
「──ロン先輩? ス、ステラ先輩?」
「えっ、あっ。何の話をしていたかしら?」
「ス、ステラ先輩、今度このお菓子を売っているお店に一緒に行きましょう」
「あっ、(ロインのお菓子、お母様は喜ぶかしら?)ありがとう、場所を教えて」
「ステラ先輩、僕と一緒は嫌ですか?」
(えっ、なに、この展開?)
「僕の何がダメですか? 年下で頼りないですか? 前髪がメガネにかかりそうでむさ苦しいですか?」
たしかにロランの前髪はむさ苦しい。もう少し切るか、キチッと撫で付ければとステラは思っていた。ステラはロラン本人がそれを自覚していることに驚いた。ロランの持ち物や靴・服は上質だったが、それを前髪が相殺していた。人の印象を大きく左右する目元を隠すのはどうかとステラは思ったが、容姿に関わる指摘はメンターの枠を超えて不適切だと思いあえて黙っていた。
「先輩、僕に至らないところがあれば改めます」
(だから、前髪だってば。そんなこと言えないよぉ)
「僕とじゃ嫌ですか?」
(えっとぉ〜、今ってお菓子の話をしているのよね。ロッシュよ、どうしてこんなに必死なの? 迷子の子犬に見えるのはなぜかしら?)
ロインのお菓子をきっかけに明らかに変な方向に話が展開しているのはわかる。しかし、なぜそうなるのかステラには全く理解できない。仕事では見せないロランの必死な物言いに困惑した。
「私と一緒に出歩いても大丈夫? ロッシュさんは貴族でしょ? 私は貴族ではないのよ……そのお店は紹介がないと入れないの?」
「大丈夫です。僕も貴族ではないですし」
「えっ、そうだったの……(どう見ても君は貴族だよ、その前に)詮索するようで申し訳ないのだけど、婚約者がいるとか、すでに妻がいるということは?」
「そういう心配は不要です」
「それは、そういう存在がいても気にしないでということ?」
「あっ、妻も婚約者も存在しません。真の意味で単身者です」
この歳で自信ありげにそう言われても……とステラは困惑した。
「そうだ、今日の帰りに行きましょう。ねぇ、ステラ先輩?」
(ロッシュよ、君の今度は今日の夕方なの……)
ロランはステラの戸惑いを全て無視して話を強引に進めた。あまりの勢いに押されたステラは頷いた。
必死だったロランは、その頷きを見て破願した。
まぁ可愛い笑顔! とステラは頬を緩めた。
(あれ? 前にも、この感覚……あったような、なかったような……気のせいかしら? 何だったかな……)
「っ! イートインもありますから予約を入れてきます」
ステラが既視感の原因を考えているうちにロランは走り出してステラの視界から消えた。
「まだ始業前だよね。なんか疲れた、帰りたいかも」
ステラはそう呟いてから、少し早いが仕事を開始した。




