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ステラ・ダイアリー

 

「ステラ、そんな地味な服で出勤するつもり?」

「もちろんです、お母様。買い物の目的は通勤服選びですので」

「まるで、さえない文官のよう……」

(母よ、私はその文官になる予定なの。王都事務官としての通勤服が必要なの)


 ステラ・シャロンは母グレースと共に自身の通勤服を求めて王都のブティック街に来ている。グレースはクラシカルな雰囲気の可愛系ワンピースを10着前後揃えようと考え、ステラはオーソドックスなスーツとブラウスを2セットほどと考えていた。噛み合わない母娘の買い物は難航している。


「お母様、事務官というのは文官です。文官らしい服は誉め言葉ですよね」

「ステラ、本当に文官になるの?」

「また、その話ですか!? (母よ、その話は……もうおしまいです)」

「ステラ、せめて私の納得する服装で出勤してくれても」

(母よ、諦めてくれ! 来月には初登庁で時間がない……そうだっ!)

「お母様、ワンピースとスーツの両方にしましょうか?」

「そうね、ステラ」


 19歳で王都シエラ事務官採用試験に合格したステラに対し、グレースは「文官って、家が経済的に少し苦しく、身分に関係なく頭の良さだけで勝負して身を立てるための職業よ。ステラのように贅沢に慣れた育ちでのほほんとした子は共通の話題にすら事欠くのでは? ステラ、考え直して進学を」と今も反対している。



 王権が失墜しはじめたハザウェイ国は増えすぎた王侯貴族を整理縮小すると決め貴族制度改革を実行した。

 尊属4親等以内に王の直系に繋がる血を持たない貴族は貴族籍から抜け特権を失う。貴族籍を抜けても、家名と領地の継承を許された者は上級市民となる。

 上級市民は貴族でもなく平民でもないという位置付けになり、この国の身分体系は王族・貴族・上級市民・平民と分類された。


 この貴族制度改革成立にあたり、庶子の扱いについて紛糾した。当初は庶子を認めないとする勢力が強く、無理な縁組や婚姻が横行した。混乱と議論の末、改正法施行時までに貴族籍に登録された庶子は正当な子と認めるとした。

 一方で整理縮小という意味合いで、王家は王継承権の見直し、貴族は尊属4親等以内でも当主からの申出により爵位の辞退を認める等の条文が加えられた。


 この貴族制度改革法は、ステラが12歳の時に発布され、17歳の時に施行された。かつてシャロン家は侯爵位であったが、貴族制度改革のどさくさに紛れてステラの父エドガー・シャロンは爵位を返上した。


 ステラは16年間侯爵令嬢として育ったが、今は上級市民である。常々、周囲からは「贅沢に育ち、のほほんとした子」と言われた。

 ステラにしてみれば、贅沢に慣れているのは親であって自身は普通に育った。空想の世界に浸っていたのは幼いころであって、今はかなり曲がった性格の女性になってしまったと自覚していた。


「お母様、今日はこれぐらいで」

「そうね、季節が変わったらまた買い足しましょう」

「はい。お母様、あそこのカフェ・デネブでお茶をしませんか?」

「近頃、新しいカフェが次々にオープンしているけど大丈夫なのかしら」

(確かに。王都から我が家の間にやたらとカフェが……時々、母は鋭い)


「お待たせいたしました。シブーストでございます」

「お母様、ここのシブーストは絶品です」

「ステラはカフェに詳しいのね」

「貴族特権が無くなって困るのはカフェや劇場の利用と思っていましたが、意外となんとかなるものですね」

「そうね……でも、王宮の夜会やお茶会に参加できないから、出会いの機会が減ってしまったのよね。ステラ、縁談は嫌なのよね」

「お母様、しばらくは結婚を考えずに働きたいかな?」

「そう。ステラ、でも出会いは突然よ、いつも可愛い服装を心がけてね」

(確かに……第一印象は大事よね)

「ステラの選んだ人なら、私達は反対しないから」

「はい、お母様」


 15歳のときに婚約破棄、19歳のときに婚約解消……2度の婚約がダメになり、結婚も進学も選びたくないステラは、シャロン家の執事リシャールの助言を受け王都シエラの事務官への道を選んだ。ステラには「職場結婚! 恋に~仕事に~」と可愛い野望があった。しかし、両親、特に母にはその野望を秘密にしておきたかった。




 ステラがシブーストを口に運ぶ姿を見つめるロレンツは、離れた席で静かに母娘の会話に耳を傾けその様子を見守っている。


(よしよし、ステラは今日も笑顔だ)

「レンツ様、本日もシブーストをお選びのようです」

「紅茶は何を選んだ?」

「セットの紅茶ではなく、ニルギリの茶葉をお選びに」


 ロレンツは「ステラ・ダイアリー」にそれを書き込んだ。


「シブーストを定番商品にしよう。ケーキセットのお茶の内容を変えてくれ」

「かしこまりました」

「あれが、グレース夫人か……従兄、王太子の妃候補だった……」

「過去のお話です。それよりレンツ様、ステラ様にまた接触してみては」


「なぁ、ジル。あの時の微妙な笑顔の意味は何だったのだろうか?」

「私には分かりかねます(すっかり臆病になられて、どうしたものか?)」


 ロレンツに長年仕えてきた従者ジルベールは主人を不憫に思う。現国王には王太子よりも若い弟がいる。その王弟の末っ子が現在18歳のロレンツ・ロラン・サンク・ハザウェイである。


 ロレンツ・ロラン・ギースと名乗っていた5歳の時、6歳の侯爵令嬢ステラ・シャロンに婚約を打診したが、既にアラン・アルバ伯爵令息と婚約が成立していると断られた。王家の力を持ってもどうすることもできない訳ありの婚約だと聞き5歳のロレンツは、はじめて自分に得られないものがあると知った。

 ロレンツはそれを契機に色々なことを勉強するようになった。その一方で、得られないステラ・シャロンという存在を強く意識するようになった。


 ステラを見守るようになったロレンツは、婚約者アランから声をかけられずエスコートもされないステラの姿に庇護欲を掻き立てられ思いは募った。

 12歳のステラが隣国スニミキラに留学すると知り、11歳のロレンツも留学を国王陛下に申請した。国王から許可がおりるまで1年を要し、しかもスニミキラ国ではない国への留学が許可された。王命には逆らえずロレンツは、泣く泣く予定外の留学先へ渡った。5年の留学予定期間を3年で終わらせ帰国した。

 15歳で帰国したロレンツは、ステラ・シャロンが婚約破棄したことを知った。ステラとの婚約のチャンスがロレンツに巡ってきた。1年後に迫った貴族制度改正法施行後の慶事として正式に王家が動く段取りが進んでいた。

 ロレンツはステラのいる貴族学園には入らず、飛び級でハザウェイ王立大学経済学部に入学し、ステラと出会うその日を心待ちにしていた。


 しかし、貴族制度改正法施行直前、ロレンツの切望は叶わないと判明した。


「どういうことだ、ジル。どうしてステラとの縁組話が反故になった」

「レンツ様、シャロン家は改正法の追加条文に基づき爵位を返上するそうです」

「なぜだ! シャロン家ほどの実力ある名門が……」


 ハザウェイ国では、王族の配偶者は伯爵家以上と決まっている。

 帰国してすぐにステラに婚約打診をすべきだったとロレンツは後悔した。ステラに年下で頼りないと思われないように飛び級で大学へ通い自分を飾っている場合ではなかったと。


「シャロン家を含め上位貴族5家ほど爵位を返上しました」

「で、シャロン家は平民落ちするのか?」

「いえ。上級市民になり領地・家名の存続を許されます。ただ、貴族特権を失いましたので、王宮行事等には不参加となります」


 改正法施行後の王家主催の夜会でロレンツがステラへ声をかけることは決まっていた。ロレンツは、事前に陛下の許可を取っていた。偶然を装って出会い、ダンスに誘い、その場でシャロン家に婚約を打診するという段取りだった。


「王族と言っても私は傍系だ。順位も低い、王族籍から抜けよう」

「レンツ様、それが……今回の貴族制度改正法に併せて王継承権の見直しがございます。この見直しにより、王族の婚外子から継承権が剥奪されることになりました。よって、レンツ様は現在11位ですが、見直し後は5サンク位となり公式にはサンク・ハザウェイを名のることになります。申し上げにくいのですが、然るべきお立場の方との縁組が必要となります。また継承権が上がったため王城に居を移すことになります」


(男子を持つことだけに拘り正妃を泣かせ、外腹の子を当然のように王子として認めてきたではないか、ここにきて嫡出性になぜこだわるのか?)


「陛下は知っていたのだな。シャロン家の意向も、私の継承順繰り上げも、だから留学許可を遅らせ、行き先を変え、ステラの婚約破棄を私に伝えず、帰国後に大学への飛び級入学を後押しして……」


(これが、いつも優しい伯父の答えというのか……伯父が国王という立場を優先するのは当たり前のことだ……私の長い夢は叶わず終わるのか? 諦めるしかないのか?)


「どうしてだ! 段取りは完璧だった! ジル、教えてくれ、私とステラの縁は切れてしまうのか? 何か方法はないのか?」


 ジルの無言の姿からその方法がないと知ったロレンツは苛立ちから机上の物を払い落とした。いつにない感情的なロレンツの姿にジルは慌てた。


「レンツ様。冷静におなりください」


(これが、王権強化のための王侯貴族の整理縮小だというのか!? 有力貴族が離脱しはじめた。どうやって王権を強化する!? この国の王政はおかしい。だが、私はそのおかしい王族の正当な血を引くということか……)


 ロランは歪んだ現実に頭を抱えた。可愛いステラの姿が浮かぶ……。


「こんなおかしい家系の私がステラを望んではいけなかった……ははっ」

「レンツ様。今回の件は陛下も気にして、高位貴族との養子縁組を模索して──」

「もういい! 改正法では貴族養子縁組は実父母との関係を切ってしまうものになる。あんなに仲の良い家族を壊せるはずがないだろう。ステラの幸せのためにも……もういい」


 ジルの主な仕事“ステラ・シャロンの調査”はここまでとなった。

 悲嘆に暮れたロレンツは、それからは王家主催の行事に一切参加しなくなった。


 ロレンツの悲恋には本人が知らない背景があった。

 婚約が成立しないことにショックを受けてはじまったロレンツのステラへの思い。当時、それは一過性だと思われていた。

 王族としても群を抜く容姿を持つロレンツは勉学において頭角を示した。唯一の懸案はロレンツがステラの動向を追い続ける姿だった。近づくこともなく、諦めることなく誕生日ごとに等身大のステラ人形を欲しがった。描く絵はステラのみ、ステラと過ごす将来の夢を作文(妄想)し、毎日記されるステラとの日記(妄想)、自室のクローゼットを改装して自作のステラ人形と過ごしはじめた時には周囲の誰もが危ない領域だと判断した。


 相談を受けた国王陛下は、留学先を変えてロレンツの気持ちが冷めるのを待つことにした。優秀なロレンツは5年間の過程を3年で修了して帰国した。

 ちょうどその頃、ステラは婚約破棄していた。ロレンツが勢いづくと思ったがその逆だった。陛下の言葉をうけ大学へ進学したロレンツは慎重に外堀を埋めはじめた。


 ロレンツとステラを見守ってきたジルは、今度こそ2人を一緒にしてあげたかった。王弟であるロレンツの父ギース公と王家もそれを望んでいた。しかし、シャロン家の爵位返上の動向を王家は全く掴んでいなかった。臣籍降下した王族の妻にも伯爵家以上の家格が求められ、王族が婿入りする際も同じだった。王家が後手に回ったのだ。


 貴族制度改革が見事に二人を隔てた。


 可愛い甥への負い目を感じたハザウェイ国王は王家主催の行事に参加しなくなったロレンツを責めることはなかった。


 ロレンツはステラという存在を忘れるために勉学に励んだ。

 17歳になったロレンツは卒業論文のため、王都で大規模な消費動向実態調査を行うことにした。スイーツを扱った事業を選び、王都で複数店舗を経営展開し、調査を行っていた。


 それは偶然だった。


 ステラが2番目の婚約者ルイ・ピアジェとの毎週の待ち合わせに使っていたカフェ・レグルスは、ロレンツが経営する店の1つだった。実態調査で各店舗のデータを集めていたロレンツとジルはすぐに店内にいるステラに気づいた。


 その瞬間! ロレンツが必死で心の奥底に沈めた恋情の灯は一気に燃え上がった。


 ロレンツはステラの調査を再開し、ステラが2度目の婚約中だと判明した。しかし、2度目の婚約者ルイとステラとの関係は良好には見えなかった。


 ジルはこの結果に、ロレンツとステラの絶ちがたい縁を感じた。それは、良縁なのか悪縁なのか腐れ縁なのか……主人ロレンツはもちろんステラにも幸せになって欲しいとジルは願うようになっていた。


 毎週、ステラがルイを待つカフェ・レグルスにはロレンツとジルの姿も必ずあった。ステラのストーカーと化した怪しい2人は、ステラに気づかれないように注意を払ったこともあったが、ステラは窓の外を眺める以外は本に視線を落としていた。全く周囲を気にしないステラの様子に、ロレンツは逆光を利用してステラの近くの席に着くようになった。


「今日もお見えになりましたね、婚約者との定例の待ち合わせですが……」

「どのような形でも、僕は嬉しい」


 ロレンツはステラ・ダイアリーに今日の服装や表情を記入する。


「そうですね。一方的な再会ですね(自作のステラマスコットを肌身離さず、遠目からの観察日記……この状態を続けさせていいのか?)」

「2番目の婚約者にも邪険に扱われ、それをものともせずに上級事務官採用試験対策問題集に向かうステラの姿が凛々しい」

「レンツ様、女性に凛々しいという形容はいかがかと……」

「それにしても毎回、長時間、待たされ続けるステラが可愛そうだ!」


 ステラの視線が本から離れ、何かを呟いたことにロレンツは気づいた。


「今日はいつもと様子が違う、大丈夫か?」


 その言葉と同時に立ち上がったロレンツは、ギャルソンエプロンを腰に巻き従業員のフリをしてステラに近づき声をかけた。

 ジルが止める暇もない瞬間的な出来事だった


「お茶のお代わりはいかがですか?」

「ありがとう、お願いします」


 衝動から声をかけてしまったことにハッとしたロレンツであったが、はじめて自身に向けられたステラの笑顔と言葉に舞い上がった。


(今日まで生きて良かった。経済学部で良かった。いつかステラに僕のお菓子が届くようにと立地を絞って出店した甲斐があった。こんな近くで声を聞けた。ステラの眼はグレーの虹彩と報告にあったが……ブルーと僅かな緑が混じる美しいアースアイだったのか、美しい。まさしく、恒星ステラの輝きだ)


 高速で全ての情報を処理したロレンツは思わず言葉を続けた。


「当店自慢のアップルパイが焼きあがりました、いかがですか?」

「お願いします」

「かしこまりました」


 会話している! ロレンツがはじめてステラに近づき声をかけた瞬間に何かが変わるのではないかとジルは思った。ロレンツが名乗り告白すると思うほどの熱を感じた。


 ロレンツが「かしこまりました」といったあとステラが曖昧な微笑みを浮かべたため状況は冷えた。長年に渡ってステラを見続けたロレンツは彼女の困惑を読み取った。ロレンツはそれ以上の会話を諦めステラから離れ、従業員にお茶とアップルパイを用意するよう指示した。


「レンツ様……」

「ジル、どうしよう!? どのような形でもステラの側にいたい……」


 毎回、ロレンツが経営するカフェでスイーツを幸せそうに口に運ぶステラ。今日、ステラに向けたロレンツの笑顔。この2人は引き合っている。ステラの2度目の婚約はそう遠くない先に消滅するだろうとジルが予想した直後、それは確信に変わった。


 待ち合わせに遅れてきた婚約者ルイに対してステラが拒絶の態度をとった。それを見逃すはずもないロレンツとジルはステラが退店した店内で驚喜の表情を浮かべた。


「レンツ様! 不謹慎かもしれませんが、チャンス到来です!!」

「ああ、ああ、ジル。あの婚約者はダメだ。前回同様、ステラが決断したならば早々にこの婚約は消えるだろう」


(ステラは泣くのかな? 僕は君のことを何も知らない……10年も追いかけて、本当の瞳の色を今日知ったくらいだ。今のままでは涙も拭いてあげられない)


「ステラの側にいたい。ステラの側でステラを助けたい。私はステラから信頼される存在になりたい。

 ジル、国王陛下に謁見を申し込んでくれ」

「かしこまりました」


 新たな希望に満ちたロレンツの明るい表情を久しぶりに目にしたジルは、ロレンツとステラが結ばれることを願わずにはいられなかった。


 その後、ロレンツは、ステラの婚約解消と王都事務官採用試験合格を確認した。




「やはり、ステラは王都事務官の道を選んだようだ」


 ロレンツの声でジルは長い回想から抜けた。ロレンツの視線の先にはプラチナブロンドのグレースとステラが楽しそうに話す姿がある。ロレンツがステラとの結婚を諦めてまで守った美しい光景だ。


「レンツ様、あの美しい絵に加われる日が来ると良いですね」

「ああ、それは夢のまた夢だ、まずはステラの側に……どうして王都事務官採用試験には飛び級採用がないのだろう」

「レンツ様。陛下からの条件は?」

「経済学部修士と法学部学位を修めるようにと、あとは──」


 ロレンツは窓辺に座るステラを見つめ続けた。

 


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