4話 究極の邪神。
4話 究極の邪神。
――20年前のことだ。
その少年は、小さな国のとある路地裏で死にかけていた。
その時代、戦争で親を失い、命のつなぎ方を見失った子供が、チンピラどものオモチャになるのは珍しい光景ではなかった。
(……死ぬ)
お仕置き。折檻。あるいは、いやがらせ。
命の火が消える。それを前にして、彼――幼き日のビッグはこう思った。
(はやく死ね……体)
もういい。何度思っただろう。
――もういい、と、いったい何度。
(もういいから、はやく死んでくれ。楽になりたい……)
三人に囲まれ、袋叩きにあった。
爪をはがされ、右足を折られた。
もう充分だろう。はやく死んでくれ。壊れてくれ。なぜまだ持つ?
涙が枯れ果て、心が砕けた。
――死を待つだけのボロ雑巾になった彼の前に、『彼女』は現れた。
ただの偶然。
たまたま。つまりは奇跡。
「俗世の人間には、極力、武を振るわないと決めているのだけれど、『理不尽な暴力』の前では、話が別なのよね」
『彼女』は、淡々とそう言いながら、
「ぎゃあ!」
「ぐああ!」
「ぬぁ!」
チンピラ三人を、五秒とかからずに片付けてみせた。
少年には、『彼女』の動きが、ほとんど見えなかった。
目がかすんでいるからではない。
異次元の動きだったから。
強さの桁が、あまりにも違い過ぎたから。
「ゆっくり動いたから、あなたの目にもギリギリ見えたはずだけど?」
問いかけてくる彼女の言葉に、
「……」
若き日のビッグはが絶句するしかなかった。
あまりにも速過ぎて見えなかった動きが、彼女からすれば、ゆっくりだったらしい。
「……かみ……さま……?」
純粋に、そう思った。
目の前に現れたのは、自分を救いにきてくれた神様ではないか、と。
「一般人ではないけれど、しかし、神ではないわ。まあ、私を神扱いする連中は少なくないけれど……ね、S2」
尋ねた瞬間、闇の中から、一人の『女』が現れた。
深いフードで顔を隠しているその女は、現れると同時に片膝をついて、
「御大こそ真の超越者。伝説に謳われる闘神でも、御大には勝てないでしょう。御大は強すぎます。御大こそ至高。真なる最強。誰も近寄れない真なる頂き」
「それが寂しいのだけれどね」
溜息を一つ挿んで、
「ま、とりあえず、人間という種の中で私が最強なのは事実。それだけだし、それ以上でもないと思う。けれど、決してそれ以下ではない現実」
そこまでの話を耳にした若き日のビッグは、理解しきれない事も多々あったけれど、しかし、そんな事はどうでもいいとばかりに、
「……ど、どうか……」
地に頭をつけて懇願した。そうするしかないと思った。
「お……お名前を……」
「無双仙女。そう呼ばれているわ」
「……無双……仙女……様……」
そこで、少年は、再発する痛みをこらえて、彼女の足もとに平伏し、
「どうか……僕を……弟子に……」
「あんたには可能性があるわ。だから、三日だけ鍛えてあげる。でも、そのあとは自分の足で歩きなさい。師匠を探すのも修行の内と心得――」
★
――ビッグは、この上なく充足した日々を過ごしていた。
「足元のお留守番が昼寝してまちゅよ」
音速で足をかられ、ビッグはすっころんだ。
神々の中の御一人、酒神と組み手をしながら、ビッグは思う。
(酒神師匠も桁違いに強い。動きがまったく読めない。つかみ所のなさではクロート師匠やデビナ師匠の比ではない)
酒神が得意としている、『分からん殺し』の代表とも言われる『死神邪気眼酔拳』は、マスターこそ難しいが、一通りこなせれば、対策を怠っている者では手も足も出せない厨スタイル。
(素晴らしい。八人とも、尋常ではない強さ。さすがは偉大なる闘神の御弟子様方)
感嘆しているビッグのトイメンで、酒神は、つまらなそうに、
「ふぁああーあ。むにゃむにゃ……んー、オイちゃん、この子の相手するの飽きちゃいまちた。ボウちゃん、デビナちゃん、後はお任せしまちゅ」
そう言うと、酒神は、目にもとまらぬ速さで道場を後にした。
ヒョイヒョイと、サルのように高い柵を飛び越え、木々の枝を伝って走り去る。
二秒後には、影も形も見えなくなった。
「っつ! おい、こらぁ! ……ちっ、あのくそボケ!」
眉間にしわを寄せて叫ぶデビナの背後で、ビッグが、呆れた笑みを浮かべつつ、
「……な、なんというか、本当に、よく分からない方ですね、酒神師匠は」
その言葉を受けて、壁にもたれかかり、静かに窓の外の空を見ていたボウが答える。
「酒神の事を気にしても損をするだけだ。相手にしないのがベストだと心得よ」
「ああ! なんせ、ただのバカだからな!」
溜息まじりにボリボリと頭をかきながら、デビナは、そこで、ビッグを睨みつけ、
「まあ、でも、酒神がバックレたくなった気持ちも、わからないではないけどな!」
「確かに」
ボウが、常にくわえている高い楊枝をピクっとさせて、
「……ハッキリ言うが、ビッグ、貴様に才能はない。貴様と我らの間にある力の差を分かりやすく数字で例えれば、我々の段位が八百前後なのに対し、貴様の段位は五十あるかないかだ」
「そ、そこまで……」
「だが、最強神の弟子である我々が考案した的確なプログラムをこなしているため、徐々にだが強くはなってきている」
「ほ、本当ですか?! い、いやぁ、実は、自分でも、最近、少し強くなったなぁと――」
「調子に乗んな、ボケぇ!」
「称賛されるべきは、貴様ではなく、貴様のような無能でも強くすることができる我々、ひいては、そんな我々をここまで育て上げてくださった我が師である」
「は、はい。まさにおっしゃるとおりです」
「つーか、お前! 最初から思っていたが、なんで、その『姫神無天』のスタイルにこだわってんだ?! ぶっちゃけ、お前には合ってねぇぞ!」
「こ、これは……昔、私を助けてくださった方に教えてもらった武術でして。あの、それで、お聞きしたかったのですが、お師匠様たちの師であらせられる闘神とは、もしかして、無双仙女様のことでしょうか?」
「あ? 誰だぁ?! それぇ?!」
「ぁ、違うのですか……」
「この世界には、無双仙女とかいう存在もいるのか。ふむ。なるほど。後でクロートに言っておこう」
「しっかし、そいつ、才能ねぇな! お前に姫神無天のスタイルを教えるなんてよぉ! バカだ、バカ! ひゃはは!」
「……ぁ?」
「ん? なに、キレてんだぁ?! 殺すぞぉ!」
「も、もうしわけ……し、しかし、命の恩人の悪口だけは……どうかご勘弁願いたく……」
「けっ! まあいいけどよぉ! 次はねぇぞ!」
「申し訳ありません」
頭を下げてから、ビッグは、
「と、ところで、ボウ師匠、デビナ師匠」
「なんだ?」
「あん?!」
「闘神様とは、いつ、御会いさせて頂けるのでしょうか? 敬愛する師匠たちの師である闘神様にご挨拶もできていない現状は、少々、いえ大変心苦しいものがありまして――」
「我が師は非常に奔放で好奇心旺盛な御方。神々の世界『虚無』にいた時も、数日ほど姿を見せない事はザラだった。新天地を目の当たりにした我が師が、数か月ほどの旅に出たとしても、なんら驚きはない」
「つまり、闘神様は、現在、旅に出られているため、御会いすることができないと、そういうことでしょうか?」
「そういうこった!」
「では、せめて、どんな御方なのか、お話だけでもお聞かせ願えないでしょうか。いつか御尊顔を拝する事が叶った際、無知ゆえの無礼があってはならないと存じますゆえ」
「我が師を一言で現した時……やはり、最も的確なのは『悪逆非道』だろう」
「……え?」
「だな! 残忍にして冷酷! 殺戮の権現にして、絶望の化身! 混沌と殺戮を司り、消魂と自棄を掌握する、悪神の中の悪神! 虚無と呼ばれた神々の世界で、正しく虚と無を犯した無慈悲の大邪神」
「……ぇ、ぇ……ぁ、あのぉ」
「暴虐無尽、厚顔にして無頼。我が師は、邪と悪のすべてに愛された、負の絶対神」
「神々からも忌み嫌われ! 先生を前にしたすべての者が口にするのは漏れなく罵詈雑言! その神生においては、挨拶よりも『頼むから死んでくれ』と言われた回数の方がはるかに多い!」
「……」
「にじり寄る絶念、地獄のキ○ガイと罵られ――」
「あ、あのっ」
「どうしたぁ?!」
「あの、その……闘いの神なんですよね? 師匠たちの師は」
ボウが深く頷いて、
「そうだ。神々の中でも、真なる強者だけが背負う事を許される究極神段。その神々しい称号の中でも、頂点の中の頂点、最上位の中の最上位に位置する絶対のエンブレム。数万の神がひしめく虚無でも七人しかおられなかった『究極闘皇神』の座につかれていた偉大なる御方」
「先のジハードにおいてぇええ! 他の六人の究極闘皇神をなぎ倒しぃい! 真の中の真の頂きに立たれたぁああ! 究極にして最強の闘神! それこそがあたし達の先生ぇえええ! くぅ、マジかっこよすぎぃい!」
「でも……邪神なのですか?」
ボウは、先ほどよりも深く頷いて、
「そうだ。爆笑しながら赤ん坊(始めたばかりの初心者)をミンチにするなど日常茶飯事。日夜、嬲り殺しの練度を磨き、どうすれば他者に『より多くの苦痛』を与えることができるかと夢想にふける。そんな毎日に幸せを感じる。我が師は、そういう御方だ」
「……」
「おい、ビッグ! 先生に失礼があってはならないという、その想定は確かに正解だ! けど、危機感を、今想定している億倍に上げておくことをお勧めするぜ! ひゃはは!」
「しょ、しょ……承知……いたしました……」
ブルブルふるえながら、
ビッグは何度も首をたてにふった。