1話 最強の闘神は、絶望の底で寿司職人を目指す。
第1話 最強の闘神は、絶望の底で寿司職人を目指す。
『YOU WIN!!!!!』
『――第一回虚無世界大会、優勝者は、平熱マン!!! 真なる最強は、平熱マン!! この世で最も強い、闘いの神は、平熱マン!! ファンタスティック!! コングラッチュレェェェェェェェショォォォォオオオオン』
流れるアナウンスを耳にしてゾーン状態から戻った平熱マンこと佐藤は、つい、大事に使っているアケコン(定価3万6800円)を放り投げながら、
「いよっしゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
天を仰いでガッツポーズを決めた。
――その直後――
「――うるせぇえ!」
パカンと頭をたたかれた。
「は?」
佐藤は、反射的に、自分を殴った相手に視線を向ける。
と同時、ありえない状況に直面し、混乱の底へと沈んでいく。
佐藤は、自分以外誰もいない自室で、唯一の扉から一番遠い壁を背にしてプレイしていた。
後ろから誰かに殴られるなど、物理的にありえない現象。
「なに騒いでやがんだ、ボケ! 黙って研げ!」
背後にいたのは、白い半纏を着た、ガタイのいいオッサン。
間違いなく『はじめまして』の相手。
あまりにも意味不明な状況。
もちろん、言われている内容など理解できない。
というか、言葉など、耳に入ってこなかった。
「……え? ここ、どこ?」
そこは、ガヤガヤと喧騒が絶えない戦場だった。
一流寿司屋の厨房。
周囲では青い顔をした見習いたちが、あたふたしながら、必死に、それぞれに任されている仕込みをこなしており、己の目の前には、数十本の包丁と、ミスリルを含む砥石。
「ゴード! お前、ほんとに、なに、ボーっとしてんだ! 手を止めるなぁ!」
背中に蹴りを入れられ、頭頂部にはゲンコツをくらう。
「聞こえんのかぁ! 返事をしろぉ! ゴードぉおお!」
佐藤――いや、『ゴード・ザナルキア』は、
「――ぁ……す、すいません!!」
反射的に謝罪の言葉を述べた。
『現状把握』が『理解』を超えていく。
『困惑』を置き去りにして、『焦燥』にケツを叩かれる。
とても妙な感覚。
ゴードは、包丁を握りしめ、急いで研いでいく。
(包丁のとぎ方なんて知らない……はずなのに……)
やってみると、器用に研げていく。
決して一流の手さばきではないが、基本は理解している手つき。
(……ここは……シバク・デ・ホンマ共和国の首都ミナミにある一流寿司屋。俺の名前は……ゴード・ザナルキア)
不思議なことに、
(寿司職人見習いの三年目。半年ほど前から、包丁研ぎを任されている)
理解が把握に追い付いた。『己』が理解できる。
だから、ゴードは、手を止めない。ひたすらに、包丁を研ぎ続ける。
(……なんで、俺は……この俺を……ゴード・ザナルキアを理解してんだ?)
頭の中を探ると、なぜか記憶が見つかった。
自分――ゴードという男の記憶。
(意味わかんねぇ……なんで、こんな、一体どういう……)
混乱、疑念、不安――一通りの感情が過ぎると、少しだけ冷静になった。
現実を受け入れる――となれば、
(やべぇっ……あと一時間しか残ってねぇのに、まだ研いでないのが十本以上残ってる。余計な事を考えている余裕なんかない!)
現状に対して真剣になる。
必死になる。
焦燥が加速していく。
もはや、『ここがどこであるか』など考えない。
そんな余裕はない。
心を殺して、一心不乱に包丁を研ぎ、
どうにか時間以内にすべての包丁を研ぎ終えたが、
「この、ドへたくそ!」
いつものように、怒鳴りつけられ、五本ほどやり直させられる。
いつものように――そう、これは、いつものこと。
慣れ親しんだ日常。
知っている世界。
「すいません!!」
奥歯をギュっとかみしめ、急いでやりなおす。
包丁は、使用者の癖によって研ぎ方が変わる。
包丁をまともに研げるようになるだけでも三年はかかる。
(包丁研ぎだけでも、あと二年以上……二年……長いな……)
純粋な不安に苛まれる。
転生どうこうなどという、くだらない事は、もはや、頭の中から消えていた。
いつまでも、そんなヌルイ事を考えていられる余裕などない。
――もちろん『ここがどこなのか』や『なぜ、自分はこんな所にいるのだろう』という当然の疑問が完全になくなった訳ではない。
しかし、それよりも、山積みになっている『やるべき事』がゴードの視野と思考範囲を狭くする。
(あ、今日のトイレ清掃チェック、俺じゃねぇか。あ、あと、マナ板の漂白……鯉のエサもやってねぇ。やべぇ、マジで時間がねぇ)
よそ見をしていられる余裕が、現状、あまりにも無さ過ぎる。
それだけの話。
(やべぇ。これは、また怒られるぞ。……こ、こんな調子で、俺に寿司を握れる日はくるのか?)
ゴードは、今、すべての見習いが常に頭の中で飼っている不安に包まれている。
寿司職人の修業期間はおよそ五年。その間に最低限を覚える。
それから二十年かけて、一通りを覚える。
――職人歴五十年の大将は言う。
『ワシ程度は半人前にも届いちゃいない。この道を究められるほど、人間の寿命は長くない』
無我夢中で半世紀を駆け抜けて、ようやく、『半人前という通過点』が、遠くに、ボンヤリと見えてくる。
それが寿司職人という修羅の道。
(ゴミを出すだけでも、腕がパンパンになる……どんなに念を入れて掃除をしても、必ず、どこかで怒られる。キツい……苦しい……なんで、俺はこんなことをやっているんだ)
見習いのゴードに与えられる休憩時間は一日に五分が限界。
一瞬の隙をついて、まかないを胃にかきこみ、吐きそうになりながら、店中をかけずりまわり、合間、合間に、先輩のパシリをこなす。
(パシられている時が一番楽だ……)
近所の酒屋にダッシュで向かっている途中、ゴードは、ようやく、自分の状況を振り返る。
(……ここは、今まで俺がいたのとは違う世界だ。なんで分かるのか、それは、ゴードの記憶の大半が、ところどころ霞がかってはいるものの、しかし、確かに、俺の頭の中に存在するからだ。俺の魂は、どうやら、このゴードという男のからだを乗っ取ったっぽい。何でそんな事になったのか……それは、勿論わからん。なぜ俺がこんな目に……)
店に帰って、仕事を再開する。
ほとんどが力仕事。
――それだけならいい。
佐藤太郎と違い、ゴード・ザナルキアという男にはそれなりの体力があったから。
大変なのは、覚えることが山のように残っている事。
(なんで転生したのか知らんが……どうせなら、高位の立場に転生したかった……)
職人の見習いは奴隷に等しい。
いや、やらなければいけないことが尋常じゃない分、奴隷よりキツい。
(つーか、なんで異世界なのに、寿司屋があんだよ! 意味わかんねぇよ! 記憶からすると、この世界は、完全に地球とは違う文明を遂げた、いわゆるファンタジーの世界なのに、なんで、寿司だけは健在?! ふざけんな!)
ようやく一日の仕事を終え、二十人以上が死んだように眠っている大部屋の隅に敷かれている汚い布団に横たわる。
(ふざけんな、ふざけんな、ふざけ……)
現状に対して心の中で文句を叫んでいると、いつの間にか眠っていた。
疲労には逆らえない。
ほんの僅かな休息。
明日はすぐに来る。