15話 人間という下等種では決して辿りつけない、無上の領域に立つ者。
15話 人間という下等種では決して辿りつけない、無上の領域に立つ者。
マイという女は、莫大な財を持つ稀代の名家に生まれた本物のお譲様。
一定を超えた金持ちは、例外なく、殊更に教養を重んじる。
ゆえに、マイは知っている。
世間一般における強者と呼ばれる者(サバキを除く一般的な武術家)の力量の程度を熟知している。
いうならば、ワインのテイスティング。
超一流のソムリエは、一万円と二万円のワインの差を完璧に見極められる。
それとほぼ同様に、マイ・バンデミッシュは、『武』に関する正確なモノサシを有している。
強さの『程』と『差』の識別を間違うほど愚かではないという『自信』と『確信』が彼女にはある。
そんな彼女の、ゴード・ザナルキアという男の鑑定結果は、
(強さの次元が違う……人間じゃない……)
マイは知っている。
ヤクザの中のヤクザ、武闘派スジモノの中の頂点である生命商会に弱者は存在しない。
構成員は、全員が何らかの武術の達人。
事実、あの三人も、決して弱くはなかった。
足運び・身のこなし・細部の立ち居振る舞い。
すべてが如実に物語っていた。
彼らの機微に触れた結果として、マイは絶体絶命と判断した。
だから心が折れていたのだ。
やつらがただのチンピラだったのなら、体だけは大きいゴードを押しつけて逃げるという選択肢も視野に入れていただろう。
しかし、それができない理由があった。
相手の強さ。
桁違いの力量。
逃げられる訳がないと確信していたから無抵抗という決断に至った。
なのに、
(こんな……ばかな事……)
マイにはわかる。
あの三人は間違いなく強者だった。
一般人相手ならば二十人いても相手にならない強さを持つ本物の達人達。
そんな連中を秒殺したこの男――
(ありえない……力の程度が、僅かも理解できない。ビッグの力量でさえ正確に識別できる私が、僅かも武の定数を図る事ができないだなんて……こんなこと……)
億単位のワインまでならば、識別する事は容易。
兆でも、おそらくはギリギリ可能。
だが、その単位が『京』や『澗』や『極』さえも飛び越え、『那由他』や『不可思議』の領域にも届いているワインともなれば、味の違いを解する事さえ、当然不可能。
一見しただけでは、『強いのか』『弱いのか』すら分らない。
――理解の範囲外に位置する、不可知の現象――
人という脆弱で夢見がちな種は、往々にして、『ソレ』を『神』と呼ぶ。
「いやぁ、意外と、どうにかなりましたね」
困惑の底に沈んでいるマイとは対照的に、ゴードは、なんとも呑気な声で、
「さあ、こいつらが起きないうちに、どっか安全な場所にいきましょう。大勢の目があるところなら、暴漢に襲われる心配もありません」
言いながら、ゴードは、マイの腕を引いて走り出す。
軽く腕をひかれ、追従するしかない、マイは、
(……武の極み。人間という下等種では決して辿りつけない、無上の領域に立つ者……)
頭の中で、真なる武の極致について考えていた。
認知の外に位置する天上の華。
認識が、理解に届く――マイの理解が、だから、事実に届く。
生命商会のヤクザ相手にもひるまない気概。
達人程度ならば何人いようと瞬殺できる力。
遙かなる高み。
真なる武の極み。
(もはや疑いようもない。この男は――)
人間という種の限界・臨界点を超えた先、その頂きに立つ超越者。
すなわち、
(――この男……いや、この御方は………………闘神だ)
『神がついに降臨なされた』
その噂は、当然、彼女の耳にも届いている。
闘神の存在は、『この世界の上層部で生きる者』にとって、非常に重く深く広く大きい。
――いつか、神々の世界で頂点に立った『最強の闘神』が顕現し、この世界のあまねく全てを完璧に統治なされるだろう――
この世界で産まれた者なら、誰でも一度は聞いたことがある予言。
遙か太古から脈々と語り継がれてきた伝説。
(くだらない御伽話だとばかり……)
マイは、神様の伝説など、つまらない空想でしかないと思っていた。
大概のものはマイと同じように考えている。
『そういう妄想をするのは楽しいよね』
『でも、神様なんて、いるわけないよね』
それが、いわば、共通認識。闘いの神など、いる訳がない。
否。
否、否!!
事実!!!
現実!!!!!
(本物の……神様……)
冷汗がにじむ。顔の筋肉が硬直する。
(寿司職人なんて、仮の姿……)
神は、
地上に降り立った際、壮大なる目的のため、目立たぬよう、その神々しい姿を、一時的にみすぼらしい姿に変えることがある。
そんな神話は山ほど耳にしてきた。
百年以上前に発売された『乞食に姿を変えた神が密かに人間を裁定する様を描いた小説』は、驚くほど売れた伝説のベストセラーとして、今も皆の記憶に残っている。
神が姿を偽るというのは、お話としてならば、誰だって知っている常識。
現状は、ただ、それが事実だったというだけの話。
(でも、なんで寿司職人? ……いや、きっと、凡人には理解できない深遠な理由があるのだろう……)