13話 聖人ではないが、サイコパスでもない。
13話 聖人ではないが、サイコパスでもない。
「さあ、はやく行きなさい!」
かなり大人びて見えるが、実際はただの十代。
貴族社会の『穢れ』に、まだドップリとは浸かりきっていない彼女は、どこかで、まだ、精神的にも美しくありたいと願っている部分がある。
背伸びをしている潔癖なお嬢様の意地。
マイの、そのしょうもない意地が、
(この女……)
ゴードの中にも幾許か残っている無垢な部分を震わせた。
ゴードも、まだまだ二十年ちょっとしか生きていない若造。
だから、荒んだ心の中にだって、まだ、美しさを求める少年の魂は残っていた。
別に、『困っている人を見境なく助けたい』とは思わない。
だが、『自分を守ろうとしてくれた人』が困っているとなれば、話がちょっと変わってくる。
彼は決して聖人ではない。
しかし、決して『サイコパス』ではないのだ。
(この女……俺を心配しているのか? ワガママな金持ちの分際で……生意気な……)
ゴードは奥歯をかみしめ、両の拳を握り締めた。
(そういえば、初めてだな。他人に命を心配されるのって。……妙な気分だ)
安全がタダの日本で孤独な公務員として生きていたので、誰かに『命がけで守られる機会』など、もちろんなかった。
奇妙な初体験。
心にグっと熱がともった。
頭の中で、グルグルと、多角的な思考が渦を巻いた。
――その結果、ゴードは、
「……ちっ」
鬱陶しそうに舌打ちをしてから、ゆっくりと腰を落とした。
「ガラじゃないんだけど、しゃーない。それに、是が非でも死にたいって訳でもないしな。うん、ほんとしゃーない。……だから……ああ、いいよ」
両の拳をギュっと握り締め、
「ヒーローを、やってやる」
呟いてから、イメージする。
(不健康で虚弱極まりなかった元の世界の俺と違って、このゴード・ザナルキアという男の体は、力もあるし、柔軟性もあるし、俊敏性もある。この世界に転生した日から、ずっと思っていたよ。この体なら、多少はイメージ通りに動けるんじゃないかって)
頭の中で、『殺神拳』のすべてを明確にイメージする。
神々の頂点に立った者。
武の極みに達した最強の究極闘皇神が、
最も得意としていた特殊拳法。
(虚無の格闘スタイルは、どれも、どこか現実に近いところがある。事実、殺神拳は、実際の古武術や実戦空手をモチーフにしたスタイル。力学的、理論的に正しい動きが多々ある拳法だ。本当に体に叩き込んだわけじゃないけど、俺は、全ての動きを、フレーム単位で把握している。所詮はイメトレでしかないが、一応、濃密な時間を10年も積んできた。多少は思い通りに動く体を手にした今なら、ちょっとしたマネ事くらい……できなくもないんじゃ……)
もちろん、格闘ゲームを何年もプレイしたからって強くなれる訳ではない。
だが、もし、ゲームの動きを再現できるほどの強靭な肉体を、『武術の理論だけは完璧に把握している格ゲーマニア』が獲得したら、いったいどうなる?
「あ? おいおい、お前、まさか、俺らと殴りあうつもりじゃないだろうな」
暴漢の一人が、舌を打ちながら、
「まさか、そこまでのバカはいないと思うが……お前がそのレベルのバカだったら、いろいろと面倒だから、一応忠告する。やめとけ。下手に抵抗するな。俺らに歯向かえば、家族や友人や恋人はもちろん、知り合いの知り合いの知人に至るまで、その被害は及ぶ。だから、やめとけ」
続けて、二人目三人目も、
「だな」
「間違いない」
と、忠告をぶちこんでくる。
「――命ってヤツには、生まれながらの階級ってもんがある。覆しようのない明確な格差。下等種であるお前は、上位者である俺に殺されて死ぬ。それは仕方がないことであり、もっと言えば運命だ。無駄に抗って苦痛を増やすな。サダメを受け入れて可及的速やかに、この世界から退場しろ」