12話 希望をチラつかせてやる。
12話 希望をチラつかせてやる。
生命商会自体は、ぶっちゃけて言ってしまえばどうでもいい。
金の力をフルに使えば、どうにか叩き潰せなくもないただのヤクザ。
問題は、その裏にいるサバキ。
決して触れてはいけないパンドラの箱。
武に魂を売った者のみで構成されているという噂の、謎多き秘密結社。
絶対に逆らってはいけない、この世界の頂点。
あくまでも噂だが、サバキには、『ビッグでも勝てないツワモノ』がゴロゴロ在籍しているという。
サバキは、面倒な表の処理をビッグにやらせ、秘密裏に世界を統治している最強にして最悪の組織。
――本当かどうかは知らないが、しかし、少なくとも、そんな噂がささやかれるほどの強大な裏を持つ存在である事だけは事実。
そんな最悪組織の息がかかったヤクザ。
それが、目の前の連中。
だが、クソ庶民ゆえ、そんな噂さえも知らないゴードは、
「マイさん。逃げてください」
「……は?」
「俺があなたを守ります。相手はたった三人。体格差を考えれば、時間を稼ぐくらいできます。さあ、はやく」
マイは、狂人を憐れむ目でゴードを見た。
『この男は、頭がおかしいのだろうか』という視線。
だが、ゴードは、そんな彼女の視線・内情を無視し、爽やかにニコっと微笑み、
「あなたの心配はわかります。けれど、ここは俺に任せてください。あなたが逃げる時間だけは絶対に稼いでみますから」
澄んだ笑顔で、
「さあ、はやく逃げてください」
などと、言いながらも、腹の中では、
(……希望をチラつかせてやる。その方が、より絶望が増すだろうから)
黒い顔でせせら笑っていた。
つまりは、決して、善意からの発言ではない。
ただの悪意。
人間特有の醜さが爆発しているだけ。
(俺の方がガタイは上なんだから、勝てる可能性はある……けど、それはつまり、この女を守るって結果になる。そんなの、癪どころの騒ぎじゃない。お前は、ここで俺と死ね)
肉体的疲労と惨めさがキャパシティを超えると、
人間は、たいてい、ヤケになる。
――もういいよ、ここで死んでやらぁ。ただし、お前も道連れな。苦しんで、苦しんで、それから死にやがれ、クソ女――
ゴードの頭の中にあったのは、マイという女をいかに苦しめてやるか。それだけ。
――だったのだが、
(この男……)
マイは、グっと奥歯をかみしめた。
ゴードの言葉を受けて、不覚にも感動してしまった。
心の底から震えてしまった。
(生命商会の事くらい、知っているはずなのに……)
マイは、ゴードも、生命商会の存在くらいは認知していると思っていたのだ。
やつらは、シバクで最も有名な筋モノ。
誰しも、子供のころ『あの人たちと関わってはいけません』と親に躾けられるのがシバクでの一般的な教育の常識。
裏にいるサバキに関してはともかく、相手が面倒なヤクザである事くらいは庶民でも知っているはず。
――その『認知違い』がまねいた勘違い。
マイの耳にはこう聞こえた。
『とてつもなく厄介なヤクザが相手ですが、それでも、俺はあなたを守るために、この命を張ります』
生命商会という組織の鬱陶しさを深い所で知っているからこそ、『世間知らずで底意地が悪いゴードの嫌味』を、マイは、この上ない勇者の発言と受け止めてしまった。
結果、マイは、
「逃げるのはあなたよ」
奥歯をかみしめ、震えながら、そう言った。
「は?」
「相手は、気まぐれに私をオモチャにしようとしているだけ。そこに、あなたが死ぬ理由はない。だから、逃げなさい」
「……」
マイは、ゴードの『輝くような勇気』に『全力の誠意』で応えようとした。
お嬢様であるがゆえの潔癖な部分が大爆発。
圧倒的な金の力に守られて生きてきた、傲岸で不遜な大貴族の御令嬢――ゆえに、心の深い部分は、まだ清潔に保たれている。
態度が不遜であるからといって、
心が腐っているとは限らない。