苦悩
それから1年くらい経っただろうか、私は既に1人で走り回れるくらいになっていた。身体が動くようになってから、何度死のうと思ったか、こんな呪われた身体から直ぐに解き放たれたい。そう思っていたが、この身体やけに頑丈らしくその辺の刃物位ならば、突き刺しても軽く血が出るほどなのである。それに数日もすれば元に戻るのだ。食事もあまり必要とせず、3日位ならば何も食べなくとも平気なのだ。
何より驚いたのはこの身体に流れているのは、人間だった頃と同じ赤い血なのだ。その血を見る度にあの時の光景がフラッシュバックして、意識を失いかけてしまう。どうせなら緑とか蒼とかの血ならなんの躊躇いもなく私自身を害せるのに。
お陰で、ふたりは、私の部屋からそういった類の物を片付けてしまった。外出もあの二人が付き添っている時以外は出しては貰えない。当然と言えば当然か。
「あなた、なんであの子は自分を傷つける様なことばかりするのかしら?私たちの愛情が足りなかったの?」
「分からない、言葉を話せないのも強いストレスによるものだと先生は言っていたし、何か原因があるのかもしれない」
私は耳が良いらしい、隣の部屋から聞こえるヒソヒソ話もよく聞こえるのだ。もう嫌だ、こんな私の命に価値などない。いっそ誰か殺してはくれないか、こんな姿で生きていることに耐えられそうになかった。
私は仕切りに部屋のドアを叩く。
ドンッ!ドンッ!
「あなた、またあの子が暴れてるわ」
「いったいどうすればいいんだ…!」
このドアには鍵穴が見当たらず、その割にドアノブを回しても開かないのだ。どうやらなにかの力が働いているようだった。
暫くして、子供が産まれた。私が暴れるのを恐れて近づけては貰えなかったが、遠巻きに確認できた。私の目は普通ではなかった。草木や動物等全てのものの周りにオーラのようなものが漂っているのが見えるのだ。それが何なのかは分からなかったが、感覚的にそれが何なのか理解できた。
あいつらが時々話していた魔法という単語。この部屋に掛けられたものも魔法なのだろう。
ある日、2人が出払ったのを見計らい。ドアに掛けられている魔法を解除した。勿論、そんな魔法は知らなかったが、目に見えるものを取り払うだけだった。私はこの目に見えるオーラのようなものを操作出来るらしい。
ゆっくりとドアを開くと辺りを見回す。2人とも先程出ていったばかりで辺りはしんっと静まり返っている。
直ぐに家を出ようと玄関のドアに手を伸ばした時、声が聞こえた。
「アァ!アァ!」
その声のする方に目をやる。小さな子供用のベットに赤子が寝かされている。私はドアに伸ばした手をゆっくりと戻すと、ふらふらとその方向へと歩き出す。
見ると私と同じような姿をした赤子が半泣きになっている。私の中にふつふつと怒りが込み上げてくる。なんで、こいつらだけ幸せそうなんだ。なんで…私達にあんなに酷いことをしたのに!
「グルルル」
何処からか獣が唸るような声が聞こえる。一瞬我に返り、目の前の鏡の中の自分と目が合った。そこにはあの時の魔族と同じ鋭く怒りに歪んだ眼がこちらを睨み返していた。唸り声も自分のものだとその時気づいた。
違う、こんなの私じゃない。これじゃあいつらと同じになってしまう。そう思った瞬間、今度は抑えきれない悲しみと切なさが込み上げてきた。
「う、ううぅ」
「あー、あー」
その時、玄関がガチャりと開き2人が血相を変え入ってきた。
「アリス!?どうやって部屋から出たんだ!」
最初は声を荒らげていた2人だったが、泣きじゃくるアリスとそれを見て微笑む赤子に安心したのか、私を抱きしめた。
やめろ、私はお前達もこの赤子もみんな嫌いだ。大嫌いだ。
弟の名前はハリルと言った。ハリルは、歩き始めると私の後をしつこくついてまわるようになった。勿論私は睨みつけて追い払うのだが、直ぐにまた笑顔で追いかけてくるのだ。2人はその光景を見て安心したのか、ドアに鍵を掛けなくなった。
私も自傷行為は日に日に少なくなっていったが、私の心から怒りと憎しみと悲しみが消えることは無かった。しかし、ハリルの姿を見る度に生前の弟の姿と重ねてしまっている自分にさらに腹が立ってしょうが無かった。
「姉さーん」
ハリルはすくすくと成長し3年が過ぎた頃には元気に走り回っていた。自分の時もそうだったが、魔族というものは成長が著しく早いらしい、人間でいえばまだ歩くのもままならない歳でも、3年も経てば転ぶことも無く走り回れるようだった。
いつも愛想なく突き放す私だったが、相も変わらずハリルは私の後を追いかけてくる。そんなある日だった。ハリルが病に倒れた。
「あなた、先生はこの病気の原因が分からないと仰っていたわ」
「治癒魔法も薬もまるで効果ないとは…」
ハリルは、突然高熱が出たと思ったらそのまま数週間熱が下がらず意識も朦朧としている様子だ。
私はその瞳でハリルをじっと見た。ハリルの体を覆っている普段は緩やかに漂っているオーラが出たり引っ込んだりしている。私はそれが原因だとすぐに気づいた。
おそらく体内にあるオーラが多すぎて制御出来ずに暴走してしまっているのだろう。幼いハリルにはまだそれを自分自身で制御する程の力が無いせいだ。
私は、ハリルの周りを覆う余分なオーラを取り払い、溢れ出していたオーラをハリルの身体へと戻してやった。自分でも何故そんな事をしたのか分からない、魔族なんて全員死んでしまえばいいと思っているはずなのに、それをしてからハッと我に返り、私は自分の部屋に逃げ込んだ。
2人は、私の行動が理解出来ていないのかキョトンとしたままだったが、ハリルは翌日には元気になっていた。
「アリスお前が治してくれたのか!?」
「…」
「ありがとうアリスあなた、アリスはやっぱり本当はとても優しい子なのよ」
その名で呼ぶな、私は私の名前が嫌いだ。これは私の本当の名前ではないからだ。それに、ハリルには恩を返しただけ、あの時私が化け物に変わってしまうのを止めてくれた、その借りを返しただけだ。そう自分に言い聞かせた。
「ありがとう、姉さん!」
「…」