7.元・王女は新しい仕事場所を紹介される
翌日、リンは早朝に目を覚ました。
いつもは寝付きだけは良いのにメレーヌに起こされるまで起きることが出来ないリンにしては、一人で起きれたことは快挙だったが、何だか昨日の夜はあんまりよく眠れなかったため頭はぼうっとしていた。
良く眠れなかったせいでまだ眠い。眠すぎる。
だけど、デラニーさんを待たせたらどれだけ怒られるだろうか。間違っても待たせられない。
リンはメレーヌを起こさないように出来るだけ静かに服を着替え、顔を洗ってからデラニーさんの所へと向かった。
「おはようございます!」
「朝から元気でよろしい」
デラニーさんはすでに起きていて、装備も完璧に朝の下ごしらえをしていた。リンはその姿にとても感服した。
厨房はとても良い匂いで満ちている。リンは朝を食べていなかったからお腹が鳴りそうになったが、ジロッとデラニーさんに睨まれたからグッと意思の力で我慢することにした。
「それで、デラニーさん。私はこれから何をすればいいんですか?」
「女中の仕事は私の管轄外です。これから、2週間限定であなたの上司になる人のところまで連れていくから、その人に指示を受けて」
「上司、ですか?」
「そう。詳しい話は後。行くわよ」
リンとデラニーさんは、連れ立ってトコトコとリンの上司の部屋へと向った。
デラニーさんが静かにノックをすると、優しげな声が答えた。
(あれ、何か聞いたことがあるような声だけど……)
首を傾げながらもリンが入ると、部屋の中には50代くらいに見える少しふっくらとした女性がニコニコと微笑みながら立っていた。
「あっ!」
もう片方の面接官の人だ!デラニーさんと一緒に質問された人!
そう叫んだリンの頭を、デラニーさんが強目に叩く。痛みに呻いたリンの頭を鷲掴みにし、自分と一緒に深々と頭を下げさせた。
「お、は、よ、う、ご、ざ、い、ま、す」
「………おはようございまづ」
「す」
「す」
「おはようございます」
「おはようございます」
「ふふふ、おはよう」
二人の一連のやり取りを見ていたリンの面接官だった女の人は、ころころと笑った。
「デラニーとうまくやっていけているようで何よりよ、リン」
「私の名前、覚えていてくださったんですね!」
「勿論よ。私が採用した女の子の名前を忘れるわけがないわ。私は、王宮の女性使用人を監督する家政婦のロザリーよ。ロザリーと呼んでくれたら嬉しいわ」
「ロザリーさん、ですね。…あの、王宮なのに家政婦なんですか?」
「本当なら、王宮政婦とするべきなんでしょうけど。それだと語呂が悪すぎるでしょう?だから、取り合えず家政婦という役職名にすることになったのよ」
「‥‥なるほど」
よく分からない。が、リンはとりあえず分かった振りをすることにした。後ろでデラニーさんが拳を振り上げようかとうずうずしている気配を感じ取ったので。
「それでは、王宮の使用人の中で一番偉いのはロザリーさんなのですか?」
「そうね。女性の使用人の中では一番偉いのよ。でも、厨房のトップの料理長や執事など私と同じくらい偉いか私よりも偉い人も使用人の中にはいるわ。それに、王族付きの侍女も私より偉いわ」
「そうなんですね」
まあでもとりあえず、リンよりは何十倍よりも偉い人だということだ。
リンは、今更ながら出会いがしらに叫んでしまったことを後悔し始めた。
「申し訳ありません、ロザリー様。リンは少し抜けている時がありますが、それでも掃除をするのはとても上手なのです。隅々までよく気づいて掃除をしてくれるため、今回の代役に推薦いたしました」
「ええ、貴女の推薦だから心配していませんよ。管轄外の台所女中の貴女に掃除をする人を推薦させてしまってごめんなさいね」
「いいえ。雑用専門下働きは、私の管轄ですから」
「そうね、いつもありがとう。もう下がっていいわよ」
「かしこまりました」
深々とデラニーさんはロザリーさんに礼をして、部屋から去っていった。
(ロザリー様!?デラニーさん、ロザリーさんに“様”ってつけてる!私もつけた方がいいよね?でも、さっきはロザリーさんって呼んでねって本人から言われたのに…!うわああ、どうしよう!)
リンは、背中が冷や汗で濡れているような感覚を味わった。
「…よ、よろしくお願いします」
そのため、リンはもう一度深々と頭を下げて90度に腰を曲げて挨拶をすることにした。
「あら、ダメよリン。それは王族か貴族に対してだけ使っても良い礼。私に使っちゃダメよ」
「あ、はい、すみません!」
「ふふっ、元気でいいわね~」
ロザリーさんはまったくリンの奇行を気にした様子もなく、ニコニコと笑って流した。それを見て、リンはすこし安堵した。
「さあ、これから二週間リンにやってもらう仕事について説明するわね。まず、リンは今まで困ったことがあれば誰に質問していたかしら?」
「デラニーさんです」
「そうね。でも、この二週間だけは私に聞くようにしてね。デラニーは台所が基本の職場だから、あまり王宮の部屋については知らないのよ」
「はい、分かりました!」
「それと、リンには今まで入ってはいけなかった部屋の掃除をしてもらうことになるわ。後で掃除してもらう場所を案内するから、そこ以外の部屋は絶対に入らないように。王族が使う部屋を掃除してもらうことになるから、間違って入ったただけでうっかり切り捨てられてしまうような部屋があるかもしれないわ。だから、私が許可する部屋以外は絶対に立ち入らないこと。いい?」
「‥は、はい!」
「よろしい」
リンの元気な返事にロザリーさんは満足気にほほ笑んだが、リンは内心卒倒しそうだった。
(入っただけでうっかり切り捨てられる部屋!?どんな部屋よそれ!?怖すぎるんだけど‼)
こんな仕事、やりたくなかった…。と、リンは密に涙ぐんだ。
「それじゃあ、これからリンに掃除してもらう部屋を紹介するわね。ついてきて」
「はい!」
リンはロザリーさんの後に続いて、違う部屋へと移動した。
とても早い時間のため、二人が歩いていく廊下には点々と立っている警備以外には誰もいなかった。警備は二人をまるで見ていないように無視し、まるで彫像のように微動だにせず立っている。その様子はかなり不気味で、ただでさえ泣きそうなリンを更に追い詰めた。こ、怖すぎる。
ブルブル震えながらも歩いていると、ロザリーさんが立ち止まった。
「一つ目は、ここよ」
リンは、ポカンとしながら薔薇と蔓が彫られている非常に豪華なドアを見つめた。
(こ、ここ~~~っ!?)
ロザリーさんが、ドアを開けて心の中で悲鳴を上げているリンを無情にも中へと促した。
全体的に白を基調としているこの部屋は、赤いビロード張りの椅子や、金で縁取られた白のテーブル、シャンデリア、絵画など豪華の極みを体現しているような場所だった。
早朝の薄い太陽の光が部屋に差し込んでいて、この高級で立派な部屋を神秘的に見せていた。
リンはこんなに豪華な部屋を掃除したことは一度もなく、むしろ幼い頃でさえこんなに豪華な部屋を使っていなかったくらいだった。
こ、ここを掃除するなんて…。リンは、気づいた時にはあまりの緊張で息を止めてしまっていた。
「ここは、王宮で太陽が昇るのを一番最初に見えるから日の出の間と呼ばれているわ。最初は国王陛下の部屋だったのだけれど、今は王女殿下のものになっているわ」
「お、王女様!?」
「そうよ。王女殿下が、親しい友達や特別なお客様が尋ねた時に使う部屋よ。だから、この部屋の掃除は何回しても足りないことはないわ」
「は、はい!」
「それと、王女殿下がこの部屋をいつ使うか分からないの。だから、毎朝四時に起きて少なくとも二時間はかけて隅々まで掃除してほしいの。大変だと思うけど、二週間だけだからお願いね」
「はい!」
「三日節とその前の週は、一番この部屋が使われる週なの。掃除を頑張ってくれれば給料も上がるかもしれないから、頼んだわよ」
「はい!誠心誠意、頑張ります!」
リンは確かにこんな大役を任されたことにとても緊張していた。しかし、給料が上がるかもしれないといえば話は別。
リンは、いきなりやる気に満ち溢れた。