5.元・王女は給料をもらう
結論から言おう。
リンとメレーヌは、出会って数分でとても仲良くなった。
ただの同室のメンバーで仕事上のパートナーというだけではなく、苦しいことも楽しいことも一緒に笑い合える友達になったのだ。
なんせ、二人はとても境遇が似ている。どちらも、人生の半分以上を孤児院で過ごしてきた。それも、普通の孤児院ではない。
どちらも、院長がそれなりにクズな孤児院で苦労を重ねながら人生の半分以上を過ごしてきた。悲しむべきことに。
二人の価値観はほとんど同じだから話も合い、話が合えばお互いへの共感や親近感が芽生えるのは当然だった。
二人は朝食が豪華なことに喜び、果物が日替わりであることに喜び、二人部屋であることに喜び、王宮で働けることに喜び、雑用だろうが仕事があって給料があることに喜び、二人で一緒に仕事をすることが出来ることに喜び、自分たちの指導役がデラニーさんであることに歓喜した。
二人は雑用専門下働き。
基本的な仕事は洗い物や、汚れが落ちにくい場所、匂いがひどい場所の掃除だった。誰もやりたがらない仕事のため、とてもつらい仕事ばかりだった。
冷たい水と洗剤をつかう洗い物はとてもきつい仕事で、手を赤く擦り向けさせ、ヒリヒリにさせ、ボロボロにさせた。軟膏を手に塗って少し良くなったと思っても、水を触ると傷口に沁みて痛く、すぐにまた洗剤を使わなければいけないから、結局手の怪我は治らないという悪循環だった。
掃除も、なかなか落ちない壁や階段の汚れは、何時間も擦らなければいけないときもあった。
だけど、二人は一緒に働けていつも笑顔だった。
そして、デラニーさんはどんなつらい仕事を命じてもいつも笑顔な二人のことを見直すようになった。勿論、どこか抜けているところも多い二人のせいで問題に巻き込まれることも何回かあった。
けれど、昔流行り病で妹を亡くしたデラニーさんにとって、二人は妹のようなものになっていた。
そうして、リンとメレーヌは仕事を始めて最初の一ヵ月を無事にやり抜き、初めての給料日を迎えた。
王宮では、一ヵ月に一回の給料日がある。
今まで無一文だった二人は、衣食住が保証されている日常生活はお金がなくても支障がないとはいえ、お金を貰える日をとても楽しみにしていた。
「お金だ!」
「給料だ!」
デラニーさんから給料袋を受け取ったリンとメレーヌはニッコリと顔を見合わせる。中にどれくらい入っているのかは分からなかったけれど、給料袋のずっしりとした重さを手にするだけで、心臓が弾んだ。
「リンとメレーヌの日給は400リル。先月は15日間働いてくれたから、その袋の中には総額6000リル入っているはずよ」
「6000リルも!」
リンはお金を持ったことがないため、買い物をしたことがない。幼い頃、王女として王宮にいたときは、まず買い物をする必要もなかった。欲しいと言えば、すぐに用意されたから。
だから、6000リルというのが正確にどれくらいなのかはまったく分からなかった。6000リルあれば何を買えるのだろうか。
でも、取り合えずは喜んでおく。だって給料だもの!
「今はただの雑用専門下働きなので、給料は低いです。けど、頑張って仕事をすれば昇進して給料が上がります」
「これよりももっと給料があがるんですか!?」
「当り前です。むしろ、日給400ラルというのはかなり低い部類に入ります」
「そうなんですか!?」
「そうです。ちなみに、私の日給は5000ラルです」
相変わらず厳しい顔のままだが、どことなく誇らしげな声でデラニーさんは宣言した。
それに、日給が5000ラルも!?と、リンとメレーヌは震え上がる。
二人にとって、5000ラルなんてものは今までに想像したこともないくらいの大金だった。それを毎日手にしているデラニーさんは、まさに雲の上の人だった。
「あなたたちも頑張れば、私みたいにお金を稼げるようになるわ。お金を稼いだら、いつか王宮をやめた時にも幸せに暮らせるから」
「王宮を出たあと?デラニーさんには、どこかへ行く予定があるんですか?」
「当り前。死ぬまでここで働いてるわけにはいかないじゃない。いつかお金をためて外に出て、どこか旅行にいくのよ。そのために頑張ってるの」
「旅行…」
「王宮を出る…」
旅行?
それは、二人にとってあまり考えたこともない選択肢だった。お金を貯めたら王宮を出て、どこか旅行をする。
「私、死ぬまでここで骨をうずめるなんて嫌よ。どこか遠くへ行きたい」
デラニーさんは、元から厳しい表情を更に歪めてそう呟いた。
この一ヵ月の間で初めて見たデラニーさんの表情の変化がこれだったことに、リンとメレーヌは内心ひどく落胆しながらも何て言えばいいのか困って顔を見合わせる。
二人の世界は、ほとんど孤児院だけで構成されていた。
辛うじて王宮の存在は知っていたけれど、ほとんど勉強をしたことのない二人にとって、他の場所なんて想像したことがなかった。
「…今のは聞かなかったことにして。どうでもいいことだから」
「え、いいえ‥」
「ええと‥」
だからデラニーさんが誤魔化すようにそう言ったときにも、二人はもごもごと口を動かす他に出来ることは何もなかった。
「さあ、給料の話に戻るわよ。その給料は、自分で管理してもいいし、銀行に預けてもいいわ。自分で管理するときには、ちゃんと誰にも盗まれない場所に管理しなさい。王宮にあるお店には、鍵つきの小さな金庫が販売されてるわ。まあ、ちゃんと毎日部屋の鍵をかけるようにしていれば金庫を買う必要もないと思うけれど」
「はい」
「はい」
「銀行に預けるのは、10000リルを超えたら可能よ。だから二人は来月まで待つ必要があるわね。それと、銀行に預ける際は、必ず外出届を出してから行きなさい。じゃないと何か重要な情報を持って逃げたと見なされて現行犯で殺されるか投獄されるわよ」
「殺される!?」
「投獄!?」
「充分に気を付けなさい。銀行は、シエナ銀行という名前よ。来月になったらどこにあるのか地図を書いてあげるから、もし銀行に預けるならそれを使って探しにいきなさい」
「はい!」
「はい!」
特段、投獄されたくもなく殺されたくもない二人はピン!と背筋を伸ばしてデラニーさんに返事を返す。それに満足したように一回だけ頷いて、デラニーさんは二人の部屋から出て行った。
残された二人は、目と目を合わせる。
「デラニーさん、旅行に行きたいんだね…」
「うん。旅行なんて考えたこともなかった」
「私も」
「ねえ、メレーヌ。旅行、行きたい?」
「分からない。王宮の外に、孤児院以外にどんなところがあるか知らないから」
「私も。…王宮で働いた後何するかとか、考えたことある?」
「…ううん。てっきり、死ぬまでここで働くしかないのかと思ってた」
「…私も」
リンとメレーヌは、まったく考えたこともない選択肢を提示されたことに混乱していた。
その夜は、二人ともあまり眠れないままに過ぎて行った。
すみません、たぶん現代の中世には洗剤なんてものはなかったと思います。でも、ファンタジーのご都合主義だと思ってふわっと流してくださると幸いです。
あと、リルとかいう単位が出てきます。リンの給料は一日400リルですが、最低賃金もない時代なのでかなり低いです。大体200円くらいのイメージで書いています。ちなみに、紙幣はわりと市内にかなりの量が出回っているイメージです。