3.元・王女は仕事についてのレクチャーを受ける
昨日ほど運がついていなく、残念ながらリンは乗り合い馬車を捕まえそこなった。
他の国については知らないけれど、この国の乗合馬車は決まった時間には動かない。ランダムで来るため、一度逃すと次はいつくるのか分からないという仕組みになっていた。理由は分からない。
リンは仕方なく、王宮まで歩くことにした。
王宮につくころには、もう夕方になっていた。王宮につくと、まずリンはこれからの仕事の時に着る服を三着与えられた。
それから、地下にあるこれから自分が住むことになる部屋に連れていかれた。
「ここがこれからリンが過ごす部屋。個人部屋ではなく、二人で使う部屋だから」
「はい」
ここまでリンを案内し、説明してくれたのは、リンの大・大・大先輩にあたる台所女中のデラニーさんだった。リンはどこかで見たことがある顔だなーと案内される間中ずっと思っていたが、よく見てみればなんと彼女は昨日の面接官のうちの一人だった。二十代くらいの、ずっと厳しい顔だった女性だ。
「蝋燭は支給されるけど、絶対に倒して火事にしたりしないように寝る時には必ず消しなさい」
「はい」
(面接だからずっと厳しい顔してるのかと思ったけど、きっと元からこういう表情筋の人なんだろうな…。いっぱい怒られそう。仲良くできるかな?)
リンに一抹の不安を抱かせたデラニーさんが案内してくれたリンの部屋の中には、ベッドと小さな椅子と小さな机がそれぞれ二つずつ置いてあった。
とても簡素だけれど、15人で一部屋を使わなければいけなかった孤児院よりは全然マシだ。みんなでワイワイ騒ぐのも楽しかったけれど、男女構わず同じ部屋に入れられて、少しプライバシーがなさ過ぎたし、狭すぎた。
でもここでは二人部屋。
天国だ!と、リンは思った。
「とても良い部屋ですね!」
「………そう?まあ、気に入ったのならよかった。同室の部屋の子もリンと同じ新人よ。まだ来てないみたいだけど、一週間以内には来るから、仲良くしなさい」
「はい!」
(新人か、友達になれそう!ううん、お友達になりたい‼)
リンは新しい友達の予感に目を輝かせた。
「それじゃあ、次にリンの仕事について説明するから」
「はい」
「リンは、雑用専門下働きよ」
「?」
(何だって?雑用専門?なんて??)
まったく意味が分からなかったリンに、デラニーさんは雑用専門について説明してくれた。
何でも、掃除と皿洗いを担当する仕事らしい。そして、頼まれれば洗濯もする。というか、頼まれれば何でもする。要するに、みんなが嫌いなことや、みんなから頼まれたことを率先してやる下働きということだ。なるほど!
「今日は初日だから仕事はないから、旅の疲れをゆっくり癒して。だから、明日からバリバリ働きなさい!」
「はい!」
「じゃあ食堂に行きましょう。夕食よ!」
「…はい」
夕食という言葉を活気よく、だけど厳しい顔のままでデラニーはリンに告げた。
(せめて、ちょっとでも笑えばいいのに)
リンはそう思ったが、それを口に出す度胸はなかった。
リンはデラニーと一緒に下働き専用の食堂へと向かった。デラニーは女中のためこの食堂は普段使わないけれど、今回はリンのために一緒に食べてくれることになったのだ。
「食事はカウンターに並んで、係の人が食事をくれるわ。文句を言うんじゃないのよ!美味しいんだから!多分!」
「…はい」
リンはデラニーさんと一緒にカウンターに並んで、食事を受け取った。
食事はポタージュスープと、チーズつきの黒パン、塩漬けニシン、リンゴ。
とんだご馳走である。
何だか野菜が少なくて栄養が偏っているような気がするけれど、孤児院では、見るだけで涙が出てくるような貧相な食事しか出てこなかった。この違いはすごい!
昨日から二日以上何も食べていなかったリンは目を輝かせた。
「とても豪華ですね!」
「豪華とまではいえないけど、ここは王宮よ。下働きにも相応の食事は与えられることになってるの。朝はパンじゃなく、オートミールになって、果物は日替わりね」
「日替わり‼」
最高だった。
「それだけじゃなく、女中になると、たまに肉類が食べれる日もあるの」
「肉!?」
肉類はとても高級品だ。そんなにやすやすと食べれるものではない。
女中でも食べれるなんて、さすがは王宮である。
「だから、死ぬ気で頑張って女中を目指しなさい。雑用専門下働きだからといって、女中になれないわけではないから」
「ふぁい!」
「食べながら喋るのはやめなさい」
訂正する。
確かにデラニーさんは怖い顔の人だけど、とても優しい人だ。
リンは、デラニーさんが自分の指導役についてくれたことに心から感謝した。それを伝えたかったけれど、口に食べものがたくさん入っていたからとりあえずはやめることにした。
「それと、これからリンに働くときの心得を説明するから」
「ふぁい!」
「口の中に物があるときは、相槌は打たないで。リンは王宮で仕事をするのだから、勿論仕事中に貴族や王族とすれ違うことがあるの。そういった場合は、絶対に一言も喋らずに、90度に腰を折り曲げて、深く頭を下げて」
「…」
質問したいことがあったため、リンは慌てて口の中の食べ物を全て飲み込んだ。
「王族と貴族で対応は変えなくていいのですか?王族に対しては、地面に頭を擦り付ける必要があるのでは?」
「勿論、そんな必要はないわ!」
ギョッとしたようにデラニーは叫んだ。
「王族のお方々は、私達にそんな礼をする必要はないとおっしゃったの。それに、私達の敬愛する王族は、私達がわざわざそんな礼をしなくても充分に尊く高貴な方々よ」
「そう‥ですか‥」
リンは少し考え込んだ。
リンが幼く、まだ王女だった頃。リンの前にいる人々は、みんな地面に頭を押し付けて礼をしなければいけなかった。リンはそれを不思議には思わなかった。なぜなら、リンは王女だったから。そのころまで、リンは民が顔をあげて直視することも敵わないほど尊い存在だったのだから。
だからリンは、当然この国の王族にも同じ礼をしなければいけないと思っていた。
でも、デラニーさんはそんな礼はしなくていいと言う。なんだか、リンはその価値観にヒビが入ったような気持ちだった。
リンは夕食後、デラニーさんと共に入浴してから自分が使う部屋に戻った。二人部屋で、まだ相手は来ていない。
孤児院の騒々しさに慣れてしまっていたリンには、ようやく渇望していたプライバシーを手に入れることができたのに何だか物足りない気持ちだった。
寂しい、のかもしれない。
目の前に、孤児院のみんなの顔が一人ずつ浮かんでくる。リンは寂しさを紛らわせようと、はやくベットに入って布団にくるまった。
布団は孤児院よりもふかふかで柔らかく、良い匂いがしていた。リンはすぐに眠りに落ちて行った。