94 作戦開始
「本気で言っているのか?」
レンフィが聖人に会いに行くつもりだと告げるや否や、アザミは眉をひそめた。
「はい。機会をください。戦わずに済む可能性が少しでもあるのなら、試す価値はあると思います。えっと、今年はできるだけ戦力を温存した方が良いですよね?」
国境の砦に到着し、出迎えてくれたアザミとブライダに二人揃って行方不明になったことの説教をたっぷり受けた、その後。
まだ開戦していないことを確認し、レンフィは自分の目的を告げた。
教国から新しく派遣された聖人二人に密かに会いに行く。本格的に交戦する前ならば、まだ話を聞いてもらえる可能性がある。
自分が生きていること、教主リンデンにされたこと、教国上層部の危険な行いやリッシュア王国でシンジュラが何をしたのか、その全てを明らかにして説得するのだ。
信じてもらえなくてもいい。協力してもらえなくてもいい。ここでムドーラ軍と教国軍が正面から戦わずに済めば成功だ。
今年の戦いは教国中央まで攻め入ることを目標としている。国境戦の負担が減れば、全力で進軍できる。反対に、ここでまともに戦ってしまえば後の戦いに響くのは間違いない。
レンフィとしては、ムドーラの兵にも、かつての自分が指揮していた教国兵にも、誰一人として死んでほしくない。不要な戦いで大地が血で汚れるのも避けたかった。
リッシュアからの帰路で黒竜退治の劇を見た時から、その想いはあった。
世界の危機が訪れようとしている今、本来の敵同士でも手を取り合えるのではないか。黒の三国だけではなく、教国の人間たちとも。
アザミは難色を示した。
「リスクが高すぎる。説得できなければお前の生存を知られるし、最悪連れ去られることになる」
「……その心配はありません。説得できなければ、空間転移で聖人の方々を攫ってきます。そうすれば、きっと戦いを避けられますよね」
ただでさえ新たな聖人を迎え、今年から編成された練度の低い軍だ。突如トップが行方をくらませば、たちまち下の兵たちの統制は取れなくなる。ムドーラ軍を前にしたら脆く崩れるだろう。逃げ出す兵も出てくるに違いない。
「簡単に言うが……能力的には可能でも、お前にそのような真似ができるのか?」
「やります」
「お前が捕らえた聖人を、我々が殺す可能性があることを理解しているのか?」
「……それは、できればやめてほしいですが、仕方ないとも思います。正面から戦うよりも少ない犠牲で済むのなら」
レンフィの意志が固まっていることを見て取ると、アザミはリオルに視線を向けた。
「リオルはそれでいいのか?」
「俺は、正直レンフィに危険なことはしてほしくねぇけど。作戦としてはアリだと思うし、反抗期みたいだし……今回は止められなさそうです」
「反抗期……確かに霊力を封じでもしない限り、今のレンフィを止める術はないな。陛下からも『好きにやらせろ』と連絡が来ている」
アザミは考えるように目を閉じた。
緊張のあまりレンフィの胃がキリキリと痛む。
ここで反対されても、レンフィは隙を見て聖人を訪ねるつもりだった。それ以外に自分にできることはない。
しかし、できれば軍とは対立したくない。シダールには根拠なく反抗できても、アザミに正論で切り捨てられたら自信がなくなる。自分が気づいていないだけで、この作戦にはとんでもない問題点があるかもしれないのだ。
「あのー、説得できる可能性は高いと思いますよ。だって、グラジス様とフリージャさんが相手でしょ?」
レンフィの後ろに隠れていたマリーが、恐る恐る手を挙げた。
「貴様がなぜこの砦に来たのかは知らないが、勝手に発言するな。イライラする」
「先輩! この人の態度ひどすぎませんっ? 先輩とわたしに向ける目が全く違うんですけど!」
すでにアザミとひと悶着あったらしく、マリーは文句を言いつつも怯え切っていた。
気持ちは分かる。今でこそ睨まれることはなくなったが、そばで見ているだけでレンフィも怖い。
「ご、ごめんなさい。アザミさん、マリーの話を聞いてもらえないでしょうか」
「……手短に話せ」
投げやりに促され、マリーは唇を尖らせながら説明した。
“烈風の聖人”グラジスは教国上層部に毒されておらず、本来の意味での真っ当な白亜教徒である。自然を愛し、戦争でも大地へ配慮を忘れない。
レンフィの口から真実を語れば、教国上層部の行いに憤るのは間違いない。
「そういやリッシュアの王子様たちも、グラジスって聖人には一目置いてるみたいだったな。卑怯なことはせず、正々堂々と戦うタイプだって」
リオルはリッシュアでの滞在中、ミスルトとレドウからムドーラ戦線に回された聖人の情報を得ていた。マリーの話と合致し、信憑性が高まる。
「もっと攻略しやすそうなのは“星砂の聖人”のフリージャさんです。あの人、レンフィ先輩のことを崇拝してましたから、絶対に言うこと聞いてくれると思います。先輩が命じれば、靴だって舐めそうなくらいメロメロでしたよ」
すぐ近くからヒヤリとするような気配を感じた。見れば、リオルが満面の笑みを浮かべている。
「そっか。教国にはそういう危ない奴もいるのか。じゃあ俺が挨拶に行――」
「私がレンフィに同行しよう」
アザミはきっぱりと宣言し、リオルが面食らう。
「え!? 俺が一緒に行きます! なんなら三人で!」
「お前では話どころではなくなりそうだし、三対二では警戒される」
「う」
「そもそもリオルは交渉事に向いてない。たとえレンフィがこちらの指揮下にいなくてもムドーラ側に立って話す以上、我々から停戦を申し込むと受け取られかねない。その状態で国の面子を保ちながらの駆け引きは、私でも難しいと感じるが」
リオルは黙るしかなかった。
レンフィもまた、急激に不安になる。ムドーラ軍の体裁までは考えていなかったのだ。
「大体、お前とレンフィの今の関係を向こうに悟られてみろ。変な勘繰りをされて拗れるに決まっている。徹底して公人として話をする自信はあるか?」
アザミの懸念はもっともだった。
レンフィとリオルは、好敵手としてお互いの国で有名だった。二人揃って現れれば、教国側を余計に刺激するだろう。それに「記憶喪失の捕虜を恋人にした」という話はやはりあまり外聞が良くない。下手をすれば当初から懸念していた通りレンフィの洗脳や脅迫を疑われる。
「分かりました。すみません。……レンフィのことを頼みます」
リオル自身も、リッシュアで王子とプルメリスとの交渉事で難儀したことを思い出したのか、渋々引き下がった。絶対に無茶をするなと念を押され、レンフィは何度も頷く。
「動くなら早い方がいい。今夜にでも敵の砦に忍び込む。聖人以外に見つからないように。いいな?」
「は、はい。ありがとうございます。よろしくお願いします」
まさかアザミが一緒に来てくれるとは思わなかった。心強い。
長年教国を憎んで戦ってきたアザミからすれば、この提案は受け入れがたいものであっただろう。レンフィは心から感謝した。
アザミはブライダと視線を交わし、深刻な表情で頷いた。
「詳しい打ち合わせをする前に……元帥閣下に話を通さねばならない。リオルとレンフィ、至急二人でリッシュアからの帰還と交際の報告をしてこい」
「え?」
その言葉に、レンフィとリオルは顔を見合わせた。
夜。
ガルガドの鷹のような瞳を思い出し、レンフィは身震いした。
リオルはまるで孫のように親しげに諸々の報告をしていたが、その間ずっと睨まれていたレンフィは生きた心地がしなかった。
交際については、祝福も反対もされなかった。
『うむ』
と、重々しく頷かれただけだ。ガルガドよりも他の幹部たちがそわそわしていたのが気になる。
レンフィとアザミが教国の聖人と話をしに行くことについても、「好きにせよ」とのことだった。
『小物の相手は面倒だと思っていた。今年は大きな舞台で派手に戦えそうじゃな』
ガルガドは先の戦いを見据え、楽しそうにしていた。とりあえず機嫌を損ねなかったことで、レンフィは命拾いをしたのだった。
「十分に休めたか?」
「あ、はい。私は大丈夫です。アザミさんの方こそ、お仕事は……」
夜が更けるまで、レンフィは仮眠を取らせてもらった。しかしアザミはリオルといろいろと情報交換をしていたので、昼からずっと働き詰めのはずだ。
「この数日ずっと睨み合いと哨戒しかしていない。大した疲れはない。行くぞ」
レンフィは昼間のうちに目視で確認していた。ムドーラの砦は森の端の小高い丘の上にあり、南西の山の中腹に教国側の砦がある。夜だとかろうじて篝火が見えるだけだ。
二つの砦の間は岩場や沼が点在し、生い茂る木々で視界も悪い。リッシュアの荒野とは全く異なる戦場である。
レンフィとアザミは黒い外套を身に纏い、出立した。
二国とも夜間も砦の前に隊を置き、侵入者を警戒している。
レンフィは目を閉じて、空間認識の範囲を広げる。まだ慣れなくてあまり広範囲を索敵できないが、見つかる距離に兵が配置されているかどうかは分かる。
「では、一度目の転移を行います。えっと、着地の時にふわっとするので、足元に気をつけてください」
「ああ」
アザミの腕を掴み、教国側の砦の真横にある岩場の陰まで転移した。
静かに着地し、すぐに周囲を再確認する。近くに見張りはいない。
初めての空間転移にアザミは珍しく苦笑いを浮かべた。
「反則だな。こんな簡単に距離を詰められるとは……ただ、多用はできないんだったな」
「はい。連続で使うと頭痛がひどくなります。あと人数が多くなると、移動できる距離も短くなる気がします」
リオルと二人でムドーラに帰った時よりも、今日マリーを加えた三人で転移した時の方が負担は大きかった。
「そうか。では、念のため少し休め。周囲の警戒は私でもできる」
「ありがとうございます」
冷えた夜気の中、無言で時が過ぎるのを待つ。
アザミと二人きりになるのは遭難した時以来である。以前ほど緊張することはないが、気軽に話しかけられる仲でもない。アザミに話したいことはあるのだが、どう切り出せばよいのかレンフィには分からなかった。
「……あのオトギリという男と戦って生け捕りにしたらしいな」
「あ、はい」
まさにそのことを考えたため、レンフィの心臓は跳ねた。アザミは無表情で遠くを見つめていた。
「あのような下種でも、お前は殺せないのか」
「……ごめんなさい」
「謝る必要はない。敵を殺せないからと言って、お前が悪いわけでも弱いわけでもない。むしろ健全だ」
やや躊躇った後、アザミは呟いた。
「ただ少し、心配になった。時には冷酷になって手を汚さねば、自分と周囲を危険に晒すかもしれない」
レンフィは目を瞬かせた。このようにアザミに案じてもらえるとは、少し前までは考えられなかった。嬉しさのあまり心が緩み、つい弱音が口をついて出た。
「私、自信がなくて……殺してしまったらもう命は取り戻せないから」
相手の命を絶って、それが間違いだったと後で分かったらどうしよう。命の尊厳よりも、間違えることへの恐怖や自己保身の気持ちが強いのだとレンフィは自覚していた。
「その判断が正しい時もある。ただ、十分に気をつけろ。たとえ後で間違いだったと分かったとしても、お前が死んだら答え合わせもできなくなる」
「……はい」
アザミは微かに目を細めた。
「だが、あの男を生かしておいてくれたことに関しては、素直に感謝しよう。誰よりも惨たらしく死んでもらわねば……良い判断だった」
背筋に冷たいものが走り、レンフィは頷くだけに留めた。




