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9 姫様のお茶会


※胸糞悪い描写があります。ご注意ください。

 


 レンフィは浮かない表情で廊下を進んでいた。

 カルナ姫のお茶会のため、中庭の奥の温室に向かう途中である。


『可愛い装いでご参加くださいね!』


 招待状に書かれていた言葉を真に受けて困り果て、バニラのお気に入りの水色のワンピースを借りた。


『ウエストが、余裕、だと……? ええい、締め上げてやるわ!』


 そのままではスタイルが悪く見えるということで、腰にリボンを巻いて調整された。バニラは悔しそうだったが、レンフィからすればバニラの女性らしい体つきの方が魅力的に思えた。

 それから髪を結い上げ、薄く化粧も施してもらった。バニラも「ふん、私にかかればこんなものよ」と満足する仕上がりである。


「何よ、あの格好……」

「まさか」


 初めてのおしゃれに気分が高揚していたレンフィだが、人目に晒されて我に返った。

 いつもの医療官の白い制服ではなく、控えめながら着飾ったレンフィを見て、すれ違う人々が様々な視線を寄越す。

 ほとんどの者が「これからシダールと会う」と思っていそうだ。侍女たちが怖い顔をしている。


 捕虜の身でおしゃれなんて図々しかった。レンフィは廊下の縁をこそこそ歩く。


「そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ。カルナ姫様は、レンフィさんにお礼がしたいんだと思います。それに、とても気さくな方ですから」


 ジンジャーが、いつもよりも少し大きな声で言う。彼もまた、カルナ姫のお茶会に呼ばれていた。年が近くて仲が良いそうだ。

 カルナ姫の名前を聞いて、侍女たちが「なんだ」と白けたように仕事に戻っていく。


「あ……ありがとうございます。先輩」

「なぜ礼を言われるのか分かりません。それに今は業務時間外です。先輩じゃないです」

「そうでした。ジンジャーさん」

「それはそれで変な感じですね。まぁ良いです。早く中庭を抜けましょう。寒い」


 医務室で一緒に働くようになってから、ジンジャーと打ち解けてきた。分からないことだらけのレンフィに、根気よく仕事を教えてくれる。とても真面目で努力家、周りに気を遣える頭の良い少年だ。

 レンフィは最大級の敬意を込め、仕事中は「ジンジャー先輩」と呼んでいた。年下でも、実際先輩なのである。


 バニラとジンジャーの姉弟は、本当に良くしてくれる。

 春に自分の身がどうなっているかは分からないが、二人には必ず恩返しをする。そう心に決めていた。






「まぁ! 素敵! ようこそおいでくださいました、聖女レンフィ様!」


 レンフィを見るや否や、少女が声を弾ませた。

 黒脈の王の資格を持つカルナ姫は、シダールと同じ色の赤い艶のある黒髪と瞳を持っていた。年は十一歳。兄と同じく筆舌に尽くしがたい美貌であったが、雰囲気は正反対だった。

 明るくて、元気いっぱい。飛び跳ねんばかりの歓迎ようだ。


「あ……お招きいただき、ありがとうございます。とても光栄です」


 これだけは絶対に言え、と念を押されていた言葉を紡ぎ、レンフィはおっかなびっくり礼をした。


「いえいえ。こちらこそ来ていただいて嬉しいですわ。さぁ、こちらへどうぞ! すぐにお茶を用意しますわ。ジンジャーもありがとう。座ってくださいな」


 幼いながら茶会の主として無邪気に振舞うカルナに、周りの騎士たちも微笑みを浮かべている。

 ものすごく和やかな雰囲気に、レンフィは拍子抜けした。


 テーブルに紅茶と菓子が並べられると、カルナ姫が神妙な表情で口火を切った。子どもっぽさが消え、堂々たる佇まいであった。


「改めまして、先日は命の危機を救っていただき、ありがとうございました。あなたがいなければ、わたくしもここにいる騎士たちも全員魔物の餌食でした。どれだけ感謝をしてもし足りません」


 姫に続き、数名の騎士たちが跪いて礼を取った。城の中とは打って変わり、ここでは敵意を感じない。レンフィは戸惑うばかりである。


「いえ、あの、私、何も覚えてないので……お礼を言っていただく資格がありません」

「存じております。さぞお辛いでしょうね。お兄様ったら、わたくしがお世話になった方だというのに、ちっともお礼をして下さらないんだもの。困っちゃうわ」


 頬を膨らませるカルナ。

 もしかして分かっていないのかもしれないと思い、レンフィは躊躇いがちに告げる。


「私は敵国の人間で、なぜ王国にいたのかも分かっていません。自分で言うのもなんですが、怪しすぎます。警戒するのは当然だと思います……」

「あら、ムドーラの対応を理解してくださるの? 嬉しい」


 それからカルナ姫は、可愛らしい笑顔を少し曇らせた。


「本当はもっと早くお礼を言いたかったのですけど、実はわたくし、謹慎していましたの。わたくしが黒の遺跡に行きたいとわがままを言ったせいで、三名の騎士が命を落としてしまいました。本当に申し訳なかったと思います」

「…………」

「でも、その犠牲に意味はありました。あなたを手に入れられたから。きっとあの日の朝の閃きは、『あなたと出会え』という黒の神様の思し召しだったのだわ……!」


 先ほどからレンフィは悪寒を感じていた。

 目の前の無邪気な姫が、人間の形をした別のものに思えて怖い。王族の傲慢さを自然と滲ませる姿に、シダールと血を分けた兄妹なのだと実感する。


「光の精霊によると、失った記憶はもう戻らないのですよね? ならばどうか、これからはムドーラ王国の一員として生きてください。他の誰がなんと言おうとも、わたくしは心から歓迎いたします。さらにお願いができるなら、お兄様の正妃になってほしい」

「……どうして、ですか」


 カルナ姫はため息を吐いた。


「あの魔女よりも、レンフィ様の方がずっと可愛らしくて才能に溢れている。きっとお兄様の癒しと力になれる。そう思うからです」

「魔女……?」

「お兄様の現在の正妃マグノリアですわ。ずっと城に顔を出さず、妻としても妃としても務めを果たさない。それどころか……とにかく残念な方なの。わたくしは、もうこの国に要らないと思う。でもお兄様はなかなか処分して下さらなくって」


 姫の外見に似合わぬ発言にどきりとして、レンフィは固まった。


「ああ、ごめんなさい。いきなりこんなお話をしてしまって。レンフィ様にも心の整理が必要ですわよね。春まで時間はありますし、ゆっくりとご検討くださいね。さぁ、お茶が冷めてしまうわ。お菓子もたくさん用意しましたの!」


 それからジンジャーを交えて他愛のない会話をした。楽しかった気もするが、レンフィの意識は別のところをぐるぐる回っていた。


 姫にも望まれてしまった。やはりシダールの妃となるべく、努力をした方が良いのだろうか。

 しかし魔女と呼ばれた正妃マグノリアのことが気になる。存在そのものはなんとなく察していたが、周りの者は誰も彼女の名を出さなかった。まるでいないように扱われている。

 彼女は、突然現れた自分のことをどう思っているのだろう。考えただけで恐ろしい。


 日が傾いたのを感じ、お茶会はお開きになった。


「あら、お菓子が余ってしまいましたね。よろしければお持ち帰りください。バニラも喜ぶでしょう」

「え、良いのですか、ありがとうございます」

「もちろん。あなたを喜ばせたくて用意したんですもの」


 見送りの際、騎士の少女がクッキーとマフィンを包み、レンフィとジンジャーに渡す。その手が震えていた。


「あ、あの、聖女様! あなたが覚えていなくても、私は御恩を忘れません。姫様の命を救っていただき、本当にありがとうございました……! おかげで私も私の家族も、これからも王家にお仕えできます!」


 泣き出さんばかりの勢いに、レンフィは気圧された。


「そうだわ、オレット。あれもレンフィ様にお返ししないと」

「は、そうでした。こちらをどうぞ」


 オレットと呼ばれた騎士が、ハンカチに挟んでいたそれを取り出す。カルナ姫が「内緒です」と囁いた。


「これは魔物と相打って倒れた際、あなたが握りしめていたものです。もしかしたら大切なモノかもしれないと思って、預かっておきました。血がこびりついていたので、洗浄もしました」


 他の者に見つかっていたら、取り上げられて捨てられていた可能性もある。実際、レンフィが着ていた服は、血塗れだったこともあって処分されていた。

 だからそれは、記憶を失くす前の聖女レンフィのただ一つの所有物だった。


「ボタン?」


 これといった特徴のない、くすんだ金色のくるみボタンだった。

 表面に小さな傷がいくつも走っており、何らかの服飾品につけられていたと思われる。自分のものなのか、他人のものなのかも分からない。見覚えはないが、どこででも見かけそうなものでもある。

 そっと握りしめる。これは失くしてはいけないもの。そんな気がした。


「ありがとうございます」

「いいえ、持ち主にお返ししただけですもの。お気になさらず。また遊びましょうね!」


 カルナ姫と護衛騎士たちに見送られ、レンフィとジンジャーは温室を後にした。


 バニラへのお菓子のお土産はもちろん嬉しいが、レンフィはボタンも有難かった。跡形もないと思っていた過去の自分の欠片が、思わぬところから見つかったのだ。

 きっと何の意味もない。だけど大切に持っていたい。


 姫には怖い一面もあったが、基本的にレンフィには優しかった。周りの者が笑っていてくれるとひどく安心する。ここにいても良いのだと、体の強張りが解けた。


「良かったですね。姫様は良い方でしょう?」

「はい。そうだ、このまま塔の部屋で、バニラさんと――」


 気分が上向いていたレンフィは、注意散漫になっていた。中庭から城へ続く廊下の門で、ちょうど曲がってきた人物とぶつかる。


「あ」


 よろめいたレンフィの腕を、相手が思わずと言ったように掴む。


「ごめんなさい、ありがとうござ――」


 レンフィが相手を確認する前に、腕を離された。

 バランスを崩して結局その場に尻もちをつき、レンフィは小さく悲鳴を上げる。


「…………」


 見上げて、心臓が凍り付く。

 相手は国王直属軍第二の将であるアザミ――霊力測定の際、首筋に短刀を当ててきた男だった。その瞳は暗く、今も憎悪に燃えていた。

 アザミは忌々しいとばかりに視線を切り、何も言わずに去った。レンフィの心臓は早鐘を打つ。


「大丈夫ですか?」

「……はい。なんともないです」


 ジンジャーの手を借り、立ち上がろうとしたそのとき、今度は足が伸びてきて肩を蹴飛ばされた。

 大きな音を立てて床に倒れ伏すと、男たちが声を上げて笑う。先日訓練所で絡んできた第二軍の兵士だった。


「こんなところで何をしてるんだ、聖女様」

「そんな可愛い格好をして、陛下を誘惑するつもりかよ」

「なら、もっと良い方法があるぜ!」


 廊下に置いてある花が活けられていた花瓶を、頭上でひっくり返される。

 水浸しになったレンフィの背をさらに衝撃が襲った。踏みつけられ、苦悶の声が口から洩れる。


「色っぽいじゃねぇの。なぁ?」

「いい感じに透けてるな」


 下卑た笑い声に、体が震えた。


「なっ、やめてください!」

「坊やは黙ってな」


 男たちに腕を取られて引きずれると、中庭の地面に思い切り放り出された。たちまち濡れた服が冬の空気を吸って、肌が切り裂かれるように痛む。すぐに歯の根ががちがちと鳴り出した。


「目障りなんだよ、人殺し!」

「二度とアザミ様の周りをうろつくな」


 ぶるぶる震えるレンフィを二度蹴って、男たちは去っていった。


「こんな、ひどいです……あんまりだ」


 ジンジャーが苦しむレンフィを抱えようとしたが、もう立ち上がる気力がなかった。痛くて寒くて怖い。


「すみません、少し待っていてください! すぐ戻ります!」


 一人になって、レンフィは呆然と自らの服を見た。


 バニラに借りたワンピースは、泥と靴跡で悲惨なことになっていた。カルナ姫にもらったお菓子も、踏みつけられて潰れてしまっている。

 自分が傷つくのはまだ良い。だけど、自分のせいで誰かの厚意までぐちゃぐちゃにされるのは、耐えられない。


「……っ」


 悲しくて、申し訳なくて、レンフィは泣いた。体が凍りついていくのに涙だけが異様なほど熱く、目の前が白く霞んでいく。


「これは……派手にやられたな」


 リオルがレンフィに上着をかけて、強引に抱き上げた。彼の服まで汚れてしまう。そう思って抵抗しようにも涙は止まらず、体に力が入らない。


「悪いけど、ジンジャーは廊下の掃除をしておいてくれるか? 俺が塔まで連れてくから」

「……分かりました。よろしくお願いします」


 いつも冷静なジンジャーの声が怒りで震えている。謝りたかったが、とても声を出せる状態ではなかった。

 リオルがレンフィの背中を慰めるように優しく叩きながら、ゆっくりと歩き出す。


「ひどい目に遭ったな。もう大丈夫……ごめん。本当は、違うんだ。こんなの、俺は――」


 珍しく戸惑いの色が滲むリオルの声を聞きながら、レンフィは声を出さずに泣き続けた。




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[良い点] 姫様がいい感じに不穏で私も胸がざわつきました。 胸糞と聞いて茶会で何か起きるのかとそわそわしていて一度不穏ながらも安心しましたが、その油断したところで来たのでダメージがモロに入ってしまいま…
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