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8 医務室の聖女


諸事情で一部キャラクター名を変更いたしました。

 アリア → カルナ


混乱させて申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

 


 どれだけ傷ついても、どれだけ疎まれても、誰かの幸せのためならば、命すら惜しまない。

 献身的で慎ましく、慈愛に満ち溢れた無欲な心。

 これが、これこそが、真の聖女。


「聖女って、すごい……」


 本を抱きしめ、レンフィは物語の余韻に浸りながら呟いた。

 繕い物をしていたバニラと、また様子を見に来ていたリオルが訝しげに振り返る。


「はぁ? 自己肯定激しすぎない?」

「とりあえず聞いてやろうぜ。なんか様子がおかしい」


 感動を分かち合おうと、レンフィはバニラとリオルに本を掲げて見せた。


「これです。この物語の主人公が、後世で聖女と呼ばれるんです。尊敬しました」

「ああ、『カスミソウの乙女』ね。誰よ、本物の聖女にこの本を渡した奴」

「あ、俺のせい。司書が持ってきてくれた本だろ。子どもの情操教育? に良さそうな内容でリクエストしたから。どんな話なんだ?」


 バニラはため息を吐いた。


「命を削って流行病を根絶させたのに、別の女に手柄を横取りされた上に、魔物の生贄にされて死んじゃう女の子の話よ。全く報われないの」

「え、ひどい話だな。胸糞悪っ」


 二人との温度差を感じたものの、レンフィは止まらない。

 今まで疑問に思っていたことの答えが、この本には書いてあった。


「おかしいと思っていたんです。戦争で手を汚して、たくさんの人に恨まれているのに“聖女”だなんて……間違っていたんです。見返りを求めず、差別なく人を救う存在。誰かを傷つけるよりも自分が傷つくことを選ぶ。それが本物の聖女です。生きているうちから聖女と呼ばれるなんて、恥ずかしいことです」


 バニラが嘆くように首を横に振った。


「全力の自己否定だったわ。可哀想に……相当精神的に追い込まれてる」

「そうか? 本人はいつになくやる気に満ちてるぜ」


 記憶を失ってから、あやふやな自己を抱えて生きる日々に嫌気が差していた。

 何かを決めようにも、意思がなければ迷うばかり。周囲の意見がまとまっていない以上、自分で決めるしかない。

 レンフィは心の指針となるものを切実に求めていたのだ。


 昔の人格になり切ってみようかとも思ったが、リオルの話を聞いてやめた。捕虜の身で高慢な聖女を演じたら、間違いなく袋叩きに遭う。これ以上争いの種を生みたくない。

 何より今の自分の人格との乖離が激しすぎた。きっと疲れる。


 ならば、理想の人格を構築しよう。この物語の聖女をお手本にするのだ。


 空っぽなおかげで、心が透明で欲もない。常に罪悪感に晒されているため、贖罪として人の役に立ちたいと思っている。

 奇しくも今の状態のレンフィは、物語の謙虚な聖女に違和感を持たなかったのである。






 医務室の独特な匂いにも、数日で慣れた。


「ほら、もたもたするんじゃない。包帯の洗濯は終わったのかい?」

「はい、サフラン先生。次は何を」

「じゃあ薬の在庫を数えておいで。ラベルを読み間違えるんじゃないよ。分からなかったらジンジャーに聞きな」


 レンフィは城の医療官の手伝いをさせてもらうことにした。

 今の自分の唯一無二の特技は治癒術だけ。人の役に立つという点において、これ以上ない能力であった。


 城の医療責任者は、バニラとジンジャーの祖母サフラン――牢でレンフィの診察をした老婆であった。

 レンフィは彼女に弟子入りを志願し、あっさりと許しを得た。


 医療官はとても貴重な存在である。

 魔力を用いた治癒魔法、もしくは霊力を用いた治癒術が使えなければ、一流とは言えない。しかしそのような人間は限られる。

 もっと言えば、医療官が治療できる人数にも限りがある。


 城に勤める以上、最も優先すべきは王族の命。

 シダールとカルナの万が一の場合に備え、常に一定の力は残しておかなければならない。時には魔法の使用を控え、医学知識のみの治療をしなければならない。

 死にかけの患者が来ても全力を尽くせず、歯がゆい思いをすることもあるという。


 医療官はどれだけいても困らない。というわけで、レンフィも受け入れてもらえた。歓迎されたと言ってもいい。化け物みたいな霊力がありがたい、と。


「医療官は信頼されないと仕事にならない。必要ないからって勉強を怠るんじゃないよ」

「はい」

「医学知識があれば、治療に必要となる霊力も少なくて済むはずだ。常に効率を考えな」

「分かりました」

「あと、苦しんでいる人がいるからって、むやみやたらと治癒術を使うんじゃないよ。城の中ではともかく、外では力を隠し、どうしても治療するときはそれなりの代金を受け取ること。これは絶対だ」


 レンフィは頷きを止めた。


「それは、なぜですか?」

「痛みと苦しみがないと、人間はすぐ怠ける。健康に気を遣わなくなっちまう。一人そういう人間が周りにいると、どんどん増えていくもんだ。治癒術で人をダメにするなんて、笑い話にもなりゃしないよ」

「……なるほど」

「それにね、甘い顔をして治癒術を無償にすると、次から次へとたかられる。同業者にも迷惑をかけるよ。運が悪ければ権力者に攫われて、一生閉じ込められ……ごほん、今のあんたは似たような状態だったね。でもね、ここよりもっと悪い環境はいくらでもある。想像できるかい?」


 サフランは何か嫌なことを思い出したかのように、眉間にしわを寄せた。実際に体験したことがあるのかもしれない。


「は、はい」

「もし城を出て治癒術で食っていくなら、しっかり稼いで護衛を雇わないといけない。まぁ、あんたには関係ない話かもしれないがね」

「えっと……とても為になりました。もしお城の外で治癒術を使う機会があったら、十分気をつけます」


 誰かが苦しんでいるからと言って、軽率に治してはいけない。レンフィは一つ学び、訓練場での出来事を反省した。


「とは言っても、あんたの治癒術は未熟だ。無駄が多いし、危なっかしい。今は患者が来たら、どんどん練習しな」

「はい……!」


 そう意気込んではみたものの、レンフィの出番は少なかった。レンフィの治療を拒否する患者が多いのだ。


「はぁ、どこかの誰かさんのせいで、医務室に行きづらくなっちゃったなぁ。あかぎれ痛いのに」

「身の程知らず。おまけに恥知らずね。この国でも聖女気取りってわけ?」

「婆様のお手伝いして、陛下に有能だってアピールしてるつもり? 最近じゃ、リオル様にも取り入ってるんでしょ?」

「すごいすごい、わたしも見習わないといけないかなぁ?」


 少し廊下を歩けば、レンフィに聞こえるように陰口や嫌味を言われる。以前にも増して、城で働く女たちから敵視されていた。

 最初は聖女がどんなひどい目に遭うか高みの見物ができていたのに、今では国王の妃候補。シダールに恋焦がれる娘ほど、レンフィの存在は面白くないのだ。


 しかし嫉妬で睨まれる分には、まだマシだった。


「たくさん殺したくせに、今更……」


 親しい者を戦争で亡くした者と思しき者たちは、視界に入っただけで「死んで償え」と言わんばかりにレンフィ自体を拒絶する。

 医療官の手伝いは、その者の神経を逆なでる行為だった。そのことに思い至らなかった。


 やっぱり大人しく塔の部屋に引きこもっていた方がいい。

 何度かそう思ったものの、結局レンフィは医務室に通った。


 死にたくないと強く思っているわけではない。歓迎されていないことは痛いほど理解している。いくら記憶がないとはいえ、過去の自分がやったことに対しての罪悪感は持ち合わせている。


 しかし、本物の聖女(・・・・・)なら、どれだけ傷ついても、どれだけ疎まれても、きっと自分の役目を全うする。

 それに、一度「やる」と言った手前、あっさり「やめる」なんて無責任すぎて言えない。


 誰かを嫌な気持ちにしたり、医務室の利用率を下げてしまうのは申し訳ないものの、この経験が誰かを救うことに繋がることを切に願い、レンフィは学び続けることを選んだ。


「あ、レンフィ。怪我人を連れてきたぞ。治してやって」

「嫌だ! リオルさん、ひどいっす! ジンジャーか婆ちゃん先生がいい!」


 そんな中、リオルがたまに怪我人を連れてくるようになった。今日は厨房の若い料理人のようだ。あまりの嫌がりようにレンフィはジンジャーかサフランに代わってもらおうかと視線を送る。


「いつもは『若くて美人の医療官に診てほしい』って文句を言ってるじゃないですか」

「へぇ、良かったね。望みが叶って」


 二人は自分の作業に戻ってしまった。他の医療官も助け船を出さない。


「ごめんなさい、すぐに治しますから」

「オレは認めねぇぞ! こんなポイント稼ぎ! やめろー!」  

「少しだけ我慢してくださいね」


 やけどをしている腕を取り、レンフィが祈りを捧げると、またたく間に肌が健康な色を取り戻した。


「うぇ……もう治った?」

「はい、終わりました」

「良かったな。礼言えよ」


 リオルに促されても、料理人はムスッとしたままそっぽを向く。頼んでないし、という呟きが聞こえた。


「あの、勝手に治療してごめんなさい。これからも医務室に来てくださいね。今度は私、裏に下がってますから。我慢して苦しんでほしくないんです。もちろん、怪我がないのが一番ですけど……」


 ちらりと料理人が視線を寄越す。


「………………分かったよ」


 彼は最後、小さく会釈をして出ていった。


 終始このような感じで、レンフィの治療を希望する人間はほとんどいない。

 しかし一人だけ毎日・・必ず指名してくる変わり者がいた。


「レンフィ様、レンフィ様、どうかお願いします」


 魔法士団の長・ヘイズ。

 いつもレンフィの言動に異様な反応を見せる顔色の悪い男だ。


「え、またお怪我をされたんですか?」

「ふふふ、すみません、ドジなんです」


 この人は嘘つきだ、悪い大人だ、とレンフィは警戒を強める。最初の三日は疑わなかったが、さすがにおかしい。

 ざくりと皮膚が裂け、血が伝う指先。医務室に来る口実を作るため、自分で傷つけているのだろうか。だとしたら異常だと思う。


「わ、分かりました。すぐ治します」


 本人が故意ではないと言っている以上、問い質せなかった。レンフィは患部に光を注ぎ、粛々と治療した。


「ん!」


 ヘイズに治癒術を施すとき、毎日ではないが、たまに傷がすぐに治らないときがある。体質の問題だろうか、とレンフィは過分なほどに霊力を注ぎ込む。

 ちなみにヘイズの顔色の悪さも一向に治らない。それはそれで心配だった。


「はぁああ、何度見ても美しい……やはり精霊術は神秘的ですね。眼福……」

「そ、そうですか?」

「ええ。精霊術を肌で感じられる機会は少ないですからね。得した気分になります」


 薄暗い笑みを浮かべるヘイズから視線を逸らし、「終わりました」と距離を取る。いつもならすぐ満足して帰るのだが、今日はなかなか動かなかった。


「あなたは、思った以上に芯が強い。素晴らしいです。精霊の寵愛を受ける高貴な魂は、凡愚ごときに汚せはしないということですか」

「ぼ、ぼんぐ……」

「いやぁ、少し目論見が外れました。すぐに陛下に縋りついて下さると思ったのに……」


 ヘイズは小さく息を吐いた。


「どうしても辛くなったら、迷わず陛下を頼ってくださいね。あの方は、実は女子どもや小動物には甘いのですよ。見目麗しい者にもね。あなたが全力で媚びれば、少しは情けをいただけるはず……ああ、なんと耽美な……!」

「? えっと?」

「まぁ、大抵の男はあなたに頼られれば、目が眩んでしまうでしょうけど。くれぐれも相手を間違えないでいただきたいものです」


 ヘイズは懐から封筒を取り出した。


「失礼。今日はおつかいを頼まれているのです。こちらをお受け取りください」

「なんですか?」

「可憐な妖精からのお茶会の招待です。邪な私は参加できない……無念です」


 肩を落として去っていくヘイズ。

 レンフィは差出人を確認した。


 カルナ・ブラッド・ムドラグナ。

 シダールの妹姫からの招待状だった。




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