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7 二人の実力



 食堂、医務室、中庭を案内された後、最後に訓練場に立ち寄った。


「ここは軍属の人間が使う。騎士団は別の場所だ。今の時間は……自主練中だな。ちょっと覗いていこうぜ」


 リオルが足を踏み入れると、すぐに男たちが駆け寄ってきた。強烈な熱気を感じ、レンフィは無意識に柱の陰に身を寄せた。


「リオル様、手合わせしてください!」

「オレもオレも! 今日はツイてるぜ!」

「待て。落ち着け小僧ども」

「将軍、今日は非番では?」


 新兵と思われる若者から、歴戦の勇を思わせる中年の男まで、あっという間にリオルを取り囲む。誰もが尊敬と親愛の眼差しで彼を見ていた。

 本当に人望があるのだな、とレンフィは感心しきっていた。

 理解できる気がする。シダールとは性質が大きく異なるが、リオルには人を惹きつけてやまない不思議な魅力がある。


「ああ、レンフィの案内役をしてたんだ。みんなが寄ってたかっていじめてるみたいで、見てられなくてさ……あれ、なんで隠れてるんだよ」


 レンフィが柱から引っ張り出されると、場の空気が一変した。


「聖女レンフィ……っ」


 分かっていたことだが、ここでも同じ。むしろ実際に戦場で相対していた分、大いに恨まれている。リオルの対応が特殊すぎるだけだ。


「ちょっと! なんでこんなところに連れてきてるんですか!?」

「霊力封じをしていないんでしょう? 危険では?」


 ものすごく警戒されている。訓練用の剣を向けられ、レンフィは半歩後ずさる。


「平気平気。聞いてるだろ? 前の人格は死んで、もう中身は別人だよ。侍女に睨まれて涙目になるような弱虫だ」

「あ、あの……お邪魔してしまって、ごめんなさい」


 リオルに庇われ怯えるレンフィを見て、兵士たちは目に見えて動揺した。


「確かに普通の女の子みたいだな……別人……」

「うわ、近くで見るとめちゃくちゃ可愛い」

「馬鹿野郎、こいつのせいで皆が――」


 ざわめきは広がり、訓練場全体に伝わっていく。

 リオルに近しい部下だけではなく、他の軍の者たちがレンフィの存在に気づいて近づいてきた。


「ここは訓練をする場所だぞ。お喋りならよそに行けよ」

「いいや、ちょうどいい。対教国戦を想定した模擬試合をしていたところだ」

「ああ、そうだな。良い考えだ。聖女様にぜひ相手をしてもらおう」


 強面の兵士たちが、レンフィを見てにやりと笑った。先日取り囲んで恫喝してきた男たちだった。

 第二軍の、と誰かが呟く。


「はぁ? 試合なんて無理だ。知ってるよな? レンフィは記憶喪失で、しかも水の精霊の加護を失ってる。戦える状態じゃない」


 リオルが前に出ても、男たちは引かない。


「やってみなきゃ分からないでしょう。どいてくださいよ」

「そうだ。妃にふさわしいか試してやる。これは王にも認められた行為だ」

「リオル将軍はなぜこの女を庇うんです?」

「あんたにとっても、部下たちを殺した女のはず。それとも、ああ、あの噂は本当だったのですか?」


 嘲る声で、一人の男は言う。


「お互いに功を稼ぐ為に、あんたと聖女が結託して、戦争を長引かせてたって」


 ぴり、と空気が破けた。


「なっ! ふざけるなよ! リオル様がそんなことするわけないっ!」

「そうだ! 言いがかりも甚だしい!」


 リオルの部下が顔を真っ赤にして言い返すが、第二軍の男たちは鼻で笑うだけだ。その態度に新兵の一人が思わず叫ぶ。


「じゃあ第二軍なら勝てたのか!? 無理だろ! 聖女と戦うことすらできなかったくせに!」


 その言葉は男たちの神経を思い切り逆撫でた。


「おい、どういう意味だ、小僧。あ?」

「そのままの意味だ! 国王陛下も元帥閣下も、リオル様が一番強いって知ってる! だから聖女と戦わせてた! そっちの将じゃ力不足だからな!」

「なんだと!? アザミ様を侮辱する気か!」

「先にリオル様を侮辱したじゃないか!」


 もはや騒ぎは訓練場全体を巻き込み、空気をこれ以上ないほど険悪なものにしていた。自分の話題から今にも殺し合いが始まりそうで、レンフィは泣き出す寸前だった。


「俺もアザミさんも人気者だなぁ。嬉しいけど、ちょっと待った。落ち着け!」


 そこかしこで言い争っていた声を、リオルの一声がかき消す。


「聖女レンフィは本当に強かったよ。俺はもちろん、多分アザミさんでも、倒しきれなかった。勝てなくて悪かったな。次こそは殺すっていろいろ準備してたけど、もう戦う機会がないから証明できねぇ。こいつは王国の……俺たちのものになったからな」


 リオルがレンフィの首に腕を回し、抱きかかえるように締め上げた。苦しそうにしながらも抵抗しないレンフィを見て、男たちが押し黙る。


「恨みがあって、レンフィを痛めつけてやりたいって気持ちは分かる。でも、今のこいつは戦えない。仕方ねぇから、俺が代わりに相手になるよ。鬱憤が溜まってる奴、全員まとめてかかってこい! 第二軍も、第三軍も、関係なく!」


 それからは、大混戦になった。

 レンフィを手近な部下に預けると、リオルは訓練用の剣で襲い掛かってくる兵士たちを次々と吹き飛ばしていった。

 軍人というくくりで見れば、リオルの体格はそう大きくない。しかし屈強な男たちを一人で何十人も相手にしているというのに、打ち負ける気配がまるでなかった。


 怒号が飛び交う中、リオルは一人だけ楽しそうに笑っている。遊んでいるみたいだった。


「すごい……こんなに強い方だったんですね……」

「当然だ! 王国最強の男だからな!」


 傍らに立つ男は、リオルの副官を名乗った。三十半ば近い男が、まだ二十歳にも満たないリオルの下に付き従っている。表情も声音も実に誇らしげだった。


 リオルの周囲で黒い炎――魔力の残滓が揺れる。

 王国の兵士は皆、国王シダールに魔力を与えられ、常人の何倍もの力を得る。与えられた魔力を育て、戦いを重ねるほどに力は増していくのだという。

 リオルはシダールの魔力に最も適応し、戦いを勝ち抜いてきた存在なのだ。


「貴様のような小娘に手こずっていたのは、属性の相性のせいだ! 火属性の将軍の方が圧倒的に不利だった。それに、間合いも全然違っていた。将軍の武器は剣で、貴様は精霊術での遠距離攻撃。この条件で負けなかった方がすごいだろう?」

「はい、本当にそう思います……」


 過去の自分が信じられない。よくリオル相手に互角の戦いができたものだ。今の自分が戦ったら、数秒で死ぬ自信がある。

 真面目に頷くレンフィを見て、副官の男が鼻を鳴らした。


「将軍は、リオルは間違いなく未来の英雄だ。シダール王が最も重用し、大陸中に名を轟かせ、ムドーラの王国史に欠かせない男になるだろう。つくづく貴様の首を取れなかったのが惜しい。リオルの人生の中で唯一の汚点となるかもしれない」

「それは、その……ごめんなさい」


 副官にぎりりと睨まれて、レンフィは小さくなって目を逸らす。

 もう負けでいいです。負けたことにしておいてください。そう心の中で頭を下げた。


「うじうじするな! 記憶を失って人格が変わったとはいえ、情けない姿を見せないでもらいたい。リオルの評価まで下がるだろうが」


 無茶を言う。

 しかし、彼の歯がゆさも分かる。


「リオルが貴様を気にかけるのは、唯一勝てなかった相手だからだ。それをゆめゆめ忘れるな。もっとしっかりしてくれ。リオル以外に負かされては面白くない」


 もしかしたら励まされているのだろうか。レンフィは恐る恐る副官の顔色を伺った。彼はもうレンフィを見ておらず、リオルの戦いに見入っていた。ちょうど最後の一人を吹き飛ばしたところだ。


「ふぅ、結構粘られたな。うん、この調子なら来年は教国に勝てるぞ! 明日からも頑張ろうな!」


 一息で呼吸を整えて満面の笑みを浮かべるリオルに、床に転がった男たちから呪詛のような声が上がる。


「リオルさん、やりすぎ……」

「オレ、今日夜番なのに、もう動けねぇっす」

「痛てっ! こ、これ折れてないか? 誰か医療官呼んでくれ」

「自分で行け……もう無理……くぅ」


 見渡す限り、死屍累々であった。

 どうして戦いが始まったのか、もう誰も覚えていなさそうである。


「あ、悪い。楽しくてつい……待ってろ。すぐに医療官を呼んでくるから!」

「いや、俺が行こう。話を大きくしたくない。……第二軍まで巻き込んで、アザミ殿にまた小言をもらうぞ。婆様にも怒られる」


 やれやれと副官がリオルを制して医務室に向かおうとする。このままだとリオルの責任になってしまうらしい。

 レンフィは衝動的に両指を絡め、胸の前で祈りの形を作った。


 治癒術の使い方は、光の精霊が実演して教えてくれた。

 そう難しいことではない。痛みを光で包んでもらい受け、癒してから返せばいい。


「…………」


 訓練場に光の粒が舞うのを確認し、レンフィは目を閉じた。


 精一杯の謝罪の念とともに、この場の全員に癒しを。


 誰もがその神秘的な光景に息を呑んだ。

 時折七色に輝いて降ってくる白い光。触れただけで体中から痛みと疲労が消えて、力が漲ってくる。

 柔らかい光を纏い、一心に祈り続けるレンフィの姿はまさしく聖女であった。

 敵意も害意もない、どこまでも透明で純粋な想いが伝わる。


「あ……」


 癒しが行き渡ったことを肌で感じ、レンフィが目を開けると、体を起こした兵士たち全員が呆然とこちらを見つめていた。

 リオルも目を見張っている。


「お前、こんなに霊力使って平気なのか?」

「だ、大丈夫。これくらいなら」


 多少の怠さはあったが、不調というほどでもない。


「マジかよ……」


 呆れられてしまった。もしかしたら余計なことをしてしまったかもしれない。レンフィは恐縮して俯く。


「まぁ、いいや。みんな、お疲れ! ごめん、後のことは頼む」


 副官に後始末を押し付け、リオルがレンフィの手を引く。最後に一礼して、レンフィは訓練場を後にした。


 残された兵たちは、複雑な心境だった。


「これ、勝てなくて当然じゃねぇか? 訓練前よりも体の調子がいい。ずるい……」

「でも次の戦争、教国に聖女はいないんですよね」

「それどころか……俺たちのレンフィちゃん、だろ」

「いやいやいや! 気が早いって!」


 リオルの部下たちは分かりやすくやる気を出した。レンフィが味方になるのなら、リオルを阻む者がいなくなり、自軍が強化されるということ。教国に勝利することも夢ではない。

 一方、第二軍、アザミの部下たちは苦々しい思いをしていた。殺すにはあまりにも惜しい。憎きレンフィの力と価値を認めざるを得なかったからだ。


 訓練場を離れた後、レンフィはリオルにも頭を下げた。


「庇ってくれて、ありがとう。私のせいで、あなたまで悪く言われてしまって……本当にごめんなさい」

「だから、謝らなくていいっての。今のレンフィのせいじゃない」


 めぼしい場所を巡り終え、二人は塔の一室へ戻ることにした。

 相変わらずすれ違う者の視線は冷たかったが、レンフィは意識して背筋を伸ばし、表情も引き締めた。

 自分が怯え、みっともない姿を晒すことで、リオルや周囲の人間まで侮られる。それはさすがに申し訳なかった。


 部屋の前まで送ってもらったところで、リオルが屈託のない笑顔を見せた。


「ああ、言い忘れてた。みんなの怪我を治してくれて、ありがとう。やっぱりお前、すごいな」


 また様子を見に来る、と去っていく背を見送りながら、レンフィはそっと胸を押さえた。


「…………」


 知らなかった。『ありがとう』が、こんなにも嬉しくなる言葉だなんて。嬉しいという気持ち一つで、生きる気力が湧いてくるなんて。


 かつての自分の宿敵だったというリオル。

 彼が生き生きと戦っている姿を見て、たくさんの人に慕われている姿を見て、心の底から羨ましく思った。


 聖女レンフィも教国では同じような存在だったのだろうか。

 今の自分に、欠片でも同じ素質はあるだろうか。


 少しだけ、空っぽな自分に希望を持てた。



気が向いたらで構わないので、感想やアドバイス、評価をいただけると嬉しいです。

よろしくお願いいたします。

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