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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第四章 聖女と愛しの宿敵

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51 ムドーラの決断


 

 依然として場の空気は重苦しかった。


「本当にごめんね。こんな酷い過去なら、知らずにいた方が幸せだっただろうに……オークィの遺志にも反してしまった」

「いえ、これは……知っておくべきことです。で、でも――」


 自分でも意外なほどに、レンフィは堪えていなかった。いつものように涙は出ない。

 かつての自分が受けた仕打ちは、我が事ながら酷いと思う。しかし実際に体験した記憶が一つも残っていないのだ。話を聞くだけでは、どこか他人事のように感じる。それに、自分が傷つく分には割と平気だ。


 ただ、自分が誰かを殺したり、自分のせいで誰かが殺されたり、そちらの方がよほど堪える。

 妹たちのことが心に大きな影を落とす。そしてオークィに対しても、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 記憶以上に、失った命は取り戻せない。それを改めて痛感した。


「あなたのせいじゃない。悪いのは教国の教主でしょう」

「そうですわ。レンフィ様、せっかく生きているのですから、その幸運を喜び、オークィ様に感謝すべきです」


 レンフィの思考を先回りしたかのようにマグノリアとカルナが言う。


 オークィへの感謝の気持ちはもちろんある。もしも凄惨な記憶を持ったまま逃がされていたなら、きっと心は死んだままだった。

 そもそも逃がしてもらえなかったらどうなっていただろう。恐ろしくなって、レンフィは想像を止めた。

 今、自分が生きていることが奇跡だ。

 レンフィはこの場にいる者たちを見渡し、改めて頭を下げた。


「はい……皆さんも、私を殺さないでいてくれて、ありがとうございます」


 その瞬間、シダールが嘲るように笑い、マグノリアとアザミが力なく俯き、ヘイズと宰相が困ったように顔を見合わせるのを見て、レンフィははっとなった。


 思い返せば、この王国に来てからもそれなりにひどい目に遭っていた。

 兵士に蹴られ、罵声を浴びせられたこともあった。

 氷の魔法から守ってもらえず、怪我をしたこともあったし、毒薬を飲まされ、仮死状態になったこともある。

 つい先日も囮にされ、真冬の川に投げ入れられそうにもなった。結果的に川に落ちて遭難も経験した。


「だ、大丈夫、レンフィ? この空気は一体……」


 ウツロギがいろいろと察して慌て出す。


「え、えっと、大丈夫です……やっぱり『ありがとうございます』で合っています。私が死なずに済んだのは……生きたいと思えているのは、皆さんのおかげです」


 戦場で敵対していた以上、ムドーラの人々に恨まれるのは当然だ。捕まってすぐ殺されても仕方がなかった。

 傷ついた時、優しい人たちが助け、励ましてくれたから、生きる気力を失わずに済んだのだ。


 リオルと繋いだままの手を見て、レンフィは改めて思う。

 今の自分は決して不幸ではない。そしてとても幸運だ。


「……レンフィはもう、ムドーラの人間だ」


 リオルが不意に呟いた。


「元々教国には未練もなかったし、今の話を聞いてなおさら心が離れたよな?」

「……リオル?」


 彼の金色の目を初めて怖いと思った。戸惑うレンフィに一度微笑んで、リオルは皆に提案した。


「もう、滅ぼしちまおうぜ。ウツロギさんの話が全部本当かどうかは分かんねぇけど、ある程度は筋が通ってる。どっちみち、あの国はずっと邪魔だった。ムドーラが悪の王国だなんて、笑わせてくれる。自分たちの方がよっぽどあくどいことをして、世界を危機に晒してるじゃねぇか。領土を取り戻すだけじゃ気が済まない。次の戦争では、もっと痛い目に遭ってもらわないと……少なくとも、今の教主は生かしておけない」


 もしかして、リオルは怒っているのだろうか。

 レンフィはそう思いながらも言葉をかけられず、表面上はいつも通りの彼を見上げる。


「私も、同意見です」


 リオルに追随したのはアザミだった。


「滅ぼすまではいかずとも、今の教国の体制は瓦解させるべきかと。もちろん情報の裏を取ってからになりますが……ウツロギ殿の話が全て真実なら、ムドーラが安泰でも、他が滅ぼされたら“黒”の国は共倒れ。世界もどうなるか分かりません。手遅れになるくらいなら、リスクを承知で中枢まで攻め入るべきです。もしも命じていただけるのなら、戦果を挙げて見せます。どのような手を使っても、必ず」


 オンガ村の過去の記憶を視てから、アザミの憎悪はより強く白亜教国に向かっていた。


「両将軍の意見が合うのは喜ばしいことですが……少々私情に流されすぎですねぇ」


 宰相が苦笑を浮かべる。


「…………」


 若い将軍二人からの進言を受け、シダールは空模様を見たくなったが、遺跡の中ということもあって諦めた。


 気に入らない。

 一見してウツロギはレンフィを思いやる言動をしているが、その実、彼女の不幸を引き合いに出し、リオルの教国に対する敵愾心を高めた。ご丁寧にオンガ村の記憶を“再生”したのもアザミの復讐心を煽るためだろう。

 マグノリアとカルナも黙ってはいるが、リオルたちと同じ気持ちになっているらしい。顔つきで分かる。

 時の聖人にただ踊らされるのは、面白くない。


 しばしの沈黙の後、シダールは白けた気分でため息を吐き、ウツロギに問う。


「そもそも白亜教国を滅ぼし、再び黒脈の一族が栄えれば、神々の融合は遠ざかるのか?」

「そのはずだよ。もうそれくらいしないと、バランスが取れないほど“白”に偏っている。どの国でも黒脈が生まれづらくなっているし、生まれても王の質が悪かったりしているでしょう? 黒の神の血に異常が起きている証拠だと思う」


 殺した父と兄たちを思い浮かべ、シダールは小さく頷いた。


「無茶なことを頼んでいるのは分かっている。今のところ、他に世界を救う方法を思いつかないんだ」


 じっと時の聖人を観察する。

 何百年、あるいは何千年も生きているだけあって、人間らしい感情が透けてこない。まるで植物を前にしているような心地になった。

 しかし聖人とて人間。私欲はあるはずだ。


「なぜ我らに与してまで世界を救おうとする。今までどの勢力にも肩入れせず、彷徨うだけの聖人だったというのに。まさか、自分の命が惜しいわけではあるまい」


 世界の調整のために動くにしても、遅すぎる。シダールはウツロギが行動を起こしたきっかけが何か、明確な理由を聞きたかった。


「うん……本当なら世界が完成するまでずっと静観しているつもりだったし、そうするべきだったのかもしれない。でも、彼らは許されないことをしたから」


 ウツロギは命を慈しむように胸に手を置いた。


「記憶は歴史、歴史は時の堆積物、その人が生きてきた道だ。それを故意に歪めて悲劇で彩り、奪うなんて許されない。時の流れを断つ、禁忌に等しい行為だ。実は、レンフィが初めてではないみたいなんだ。白の神を思わせる少女が聖人になる度に、同じことを繰り返していた。ボクの知らない間に、かけがえのない時が失われ続けていた……」


 初めて、彼の瞳に攻撃的な色が宿った。


「自分の領分を侵されたんだ。ボクだって、怒るよ」


 穏やかで抑揚のない声に、何人かは思わず息を止めた。


「これ以上は繰り返させない。儀式を継承させないために、教国の上層部を葬る。そのために、ムドーラに協力してほしいんだ」

「……それが本音か」

「うん。ごめんね。ボク一人では、無理だから」


 垣間見えた時の聖人の素顔。まだ溜飲は下がらないが、それでも本音の一部は引き出せた。そこで手打ちにすべきと判断し、シダールは気怠さを隠さずに言った。


「誰に言われずとも、戦争は継続する。今年は国境戦で勝てる見込みもある。ただ、教国の首都まで攻め入る余力は、まだない。滅ぼすには国力に差がありすぎる」

「陛下! 俺が頑張るから!」

「個人のやる気一つでは、どうにもならぬ。できるものならば既にやっているだろう」


 悔しげなリオルとは対照的に、アザミが何かを悟った。


「ムドーラだけでは、力が足りないなら……」


 待っていたとばかりに、ウツロギが朗らかに頷く。


「もちろん、ムドーラだけに危ない橋は渡らせないよ。これ以上、黒脈を絶えさせるわけにはいかないからね」

「まさか、全ての段取りを我に押し付けるつもりではあるまいな?」

「それがまずいことくらい、分かってるよ。既にフレーレの王には打診してある。会談する準備はあるって。リッシュアゼルの王にも謁見の約束は取り付けてあるんだ。これから急いで説明しに行くよ」


 話の本題は、これだった。ウツロギ自身が発起人となり黒の王国を繋ぎ合わせる。


「できれば、シダール王から説得力のある書状があると助かるんだけど……」

「それは逆効果だ。我が名を出せば、なんらかの策略だと勘繰られる。噂を聞く限り、リッシュアゼルの王は面倒くさい男だからな」


 マグノリアが「あなたが言うの?」と言わんばかりの冷めた目をしているが、シダールは見えない振りをしていた。


「より効果的な方法は……いや、ここで話すことでもあるまい。城に戻るぞ。やることができた」


 シダールはマグノリアの肩を抱き、ウツロギを伴ってあっさりと通路に向かう。


「はぁ、そう来ましたか。これからのことを考えるだけで、眩暈がしますねぇ」

「ふふふ、面白そうです……見たことのない光景が見られそうで……実に興味深い」


 激増した仕事量の気配にザディンがやれやれと肩をすくめ、ヘイズはいつになく楽しそうだった。


「え?」


 レンフィは完全に流れに置いていかれ、リオルに視線で説明を求める。その頃にはリオルも理解したらしく、その目を爛々と輝かせていた。


「つまり……他の二国と同盟を組むってことだよな?」

「ああ。現在、教国と戦争をしているリッシュア王国とフレウ王国……三国が協調すれば教国にも対抗できるかもしれない。ただ、本来なら争い合うのが黒の王国だ。同盟どころか、会談が実現するかどうか」


 アザミが物憂げな表情を見せた。


「そこは陛下の手腕を信じようぜ、アザミさん」

「……そうだな。同盟が叶えば、経験したことのない大戦になる。念入りに準備をしなければ」


 自分の身に起きた出来事を中心にしながらも、全く手に負えない規模にまで問題が大きくなってしまった。

 まるで雲が嵐に発達していくような不安を覚え、レンフィは言葉を失くした。



申し訳ありません。

数日更新をお休みさせていただきます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] あの場にいた多くの者がウツロギの話や計画に 引きこまれるばかりだったのに対して、 国を率いるものの矜持と責任からか ウツロギの生の感情と本音を引き出してやろうとした シダール陛下に感服しま…
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