5 光の寵愛
城の人間とすれ違わない辺り、人払いをしてあるのだろう。宰相もリオルも急かさなかったが、時間を取ることが申し訳なくて必死に足を動かした。
「現在この世界は“白”と“黒”に分かれています。“白”は白の神の眷属たる精霊と、霊力を宿す人間。“黒”は黒の神の血を宿す王家と、魔力を宿す人間……あるいは魔物たちも“黒”に属していると言えますね。
とはいえ、単純に“白”と“黒”の勢力に分かれて戦っているわけではありません。元々戦争を始めたのは黒脈の一族同士ですし、魔物は誰かれ構わず人間を襲う。一方、精霊はどの国の大地にも等しく恵みを与えてくれます。多少、霊力を持つ人間に贔屓をしますが」
道中、宰相がのんびりとこの世界の在り方について教えてくれた。
「創世神話は聞きましたね。白と黒の神は元々一柱の神だった。ゆえに霊力と魔力も元々は同じ力です。精霊術も魔法も原理こそ違いますが、得られる効果はほとんど同じ。ここまではよろしいですか?」
レンフィがおずおずと頷くと、宰相も目を細めて頷いた。
「実は、この王国には一つ心配事がありましてね。魔力の強い女性でなければ解決できないとされてきました。しかし魔法士長が言うには、霊力の強い女性でも代わりが利くそうなのです。盲点でした。この王国には、基本的に霊力を持つ人間はいませんでしたから」
「それで私の霊力を測定するのですね。その心配事というのは?」
「全ては測定の結果次第です」
これ以上何も教えてくれないらしい。それきり宰相は口を閉ざした。
記憶とともに霊力まで消えてしまっていたら、宰相はまた手のひらを返したように冷たくなるのだろう。しかし心配事の内容次第では、大変な目に遭う。
レンフィは嫌な音を立てる心臓を鎮めようと、深呼吸をした。測定結果がどちらに転んでも、良いことはなさそうだった。拒否権も与えられそうにない。
やっと辿り着いた城の地下室には、大小さまざまな七つの水晶が連なって並んでいた。最も小さいものは台座に載った拳ほどのサイズで、最も大きいものは見上げるほど巨大だった。灯りを反射して光る姿に目を奪われる。
「ああ……! ようこそ、お越しくださいました。聖女レンフィ」
顔色の悪い男がレンフィに跪き、熱のこもった瞳を向けた。
「私は魔法士団長のヘイズと申します。何卒、お見知りおきを」
「はい……」
「怯える姿もお美しい。無垢な水晶のような透明感。どんな色にも染まりそうだ……ふふふ」
殺意とは違うものの、身の危険を感じる視線だ。寒気がして、レンフィは思わずよろめいてしまった。
他に数名、見物人がいた。値踏みするような不躾な視線を感じた。
「ヘイズ。さっさと始めるぞ」
「は。陛下、解錠をお願いいたします」
後から地下室に入ってきたのは、この国の王――シダールだった。顔を合わせるのは謁見の間以来である。
近くで見れば見るほど、美しくて恐ろしい男だ。全身が強張る。
シダールはレンフィの前に立つと、酷薄な笑みを浮かべて強引に腕を取った。
「封じを解いてやる」
錆色の腕輪がみるみるうちに黒く染まる。それを呆然と眺めていると、首筋に冷たいものが当たった。
「少しでもおかしな動きをすれば斬る」
背後に立った男が、ぞっとするほど暗い声で言った。いつの間にか首に短剣が添えられている。
「アザミさん。それ、俺の役なんだけど」
「リオルでは脅しにならないだろう」
前に恐ろしい王がいて、後ろには刃を突き付ける男。
気を抜くとまた泣いてしまいそうだ。レンフィは息を押し殺して恐怖に耐えた。
両手首から腕輪がからんと音を立てて落ちると、体にまとわりついていた倦怠感が軽くなった。
「あ……」
灯りが消され、地下室が薄暗くなる。
宰相がにこやかに促した。
「さぁ、聖女殿。台座の前へ。最も小さな水晶に触れてください」
「は、はい」
力が体の奥底から溢れ出てくる。今まで腕輪の力で抑えつけていた反動か、はたまた常にこのような状態なのか、レンフィには分からない。
首に刃を突き付けられたまま、アザミと呼ばれた男と歩き、台座の前に立つ。
恐る恐る右手で水晶に触れた。
「…………」
小さな水晶がまばゆい光を放つと、それはすぐに隣の水晶に伝播していった。七つ水晶群のうち、六つに光が灯る。それだけは収まらず、白い光の粒子が空間全体を彩るように舞い、時折虹色に煌めいた。
説明されずともなんとなくレンフィにも察せられた。
霊力が強ければ強いほど輝く水晶の数が多くなるのだろう。七つの内の六つが輝くなら、聖人と呼ばれるほどの霊力があるのは確かなようだ。
レンフィは一同の様子を伺う。
「素晴らしい……」
ヘイズはうっとりと水晶群を見上げ、宰相は満面の笑みで頷き、リオルはきょろきょろと幻想的な光景を楽しんでいる。
一方、それ以外の面々は顔をしかめていた。特に背後のアザミは奥歯を噛みしめ、どこまでも暗く冷たい瞳をレンフィに向けている。この結果を喜んでいないことは明白だった。
「物は試しだ。精霊に呼びかけてみよ」
シダールがレンフィに命じる。彼は驚きも喜びもせず、疎んだ様子もなかった。
「え? あの、どうやって?」
「知らん。適当にやれ」
精霊と対話できるのは洗礼のときの一度だけ、と先ほど聞いたばかりだ。
戸惑いながら、レンフィは両手の指を絡ませて祈った。ここ数日の間に募った感情をぶつけるように、強く強く願う。
――精霊様。どうか助けてください。もう限界です。
体中の霊力をごっそりと削り取られるような感覚があった。
直後、空を舞っていた光の粒が静止し、一点に向かって集まり始めた。光球が形成されていく。
『――レンフィ。我が光の愛し子よ』
光の中から声が聞こえた。中性的で、人間らしさのない不思議な質感の声。
「おお……!」
「これは、光の精霊!?」
「まさか顕現するのか!」
周囲がどよめく。レンフィも驚いた。あんな捨て鉢気味の呼びかけで、精霊が応えてくれるとは思わなかった。
肌に光のぬくもりを感じ、全身から力が抜けた。敵意も悪意も感じない。ただ全力で慈しんでくれる。
間違いなく自分の味方だと確信し、レンフィは縋りついた。
「あの……私、何も覚えていなくて、どうしてこんなことに……これからどうすれば良いのでしょうか。どうすれば、記憶を思い出せますか?」
震える声で問うと、光が明滅した。
『失ったモノは二度と戻らない』
レンフィは噛みしめるように意味を考えて、愕然とする。
「私の記憶は……もう戻らないのですか?」
『しかし我が寵愛は変わらぬ。その魂に清廉な光を宿し、世界をあまねく照らす定めを持つ者よ。哀れな愛し子の門出に、光の祝福を』
眩い光がレンフィに降り注ぎ、持っていかれた霊力がより温かくなって返ってくると、治りきっていなかった脚から違和感が消えた。
気づけば、瞳から自然と涙が溢れていた。感動と絶望が押し寄せてきて、何一つ言葉にできない。
「光の精霊とやら、答えよ。この娘はなぜこのような状態になった」
誰もが言葉を失う中、シダールが冷静に問いかけた。
地下室を満たす光の質が変わった。優しさに満ちた温かい光から、感情のない無機質な冷たい光へ。
『その問いの答えは失われたモノの一つ。我が範疇にはない』
「答えられんと? 役に立たんな」
臣下たちが慌て出すが、シダールも精霊も動じない。
『黒の神ならば答えを持つ。黒脈の末裔よ、より高みへ近づくが良い』
「そうか。では、この娘の人生に、今後お前はどれくらい干渉する?」
光が萎むように小さくなった。その頼りなさにレンフィは不安を覚える。
『我は寵愛と加護を託すのみ。人の生には関わらぬ』
「今この時が洗礼か? この娘にとっては二度目だろう」
『肉体と魂が同一とはいえ、精神が異なるゆえに』
「ふん。前の人格は死んだのか?」
『途絶えて消えた』
「水の精霊はどうした」
『今の愛し子を見定めている。再び力を与えるかは分からぬ』
「そうか」
レンフィが呆然としている間に、王と精霊の対話は終わった。
光が再び温かみのある色に戻る。
『レンフィ。願わくは、幸多き生を――』
最後に一際強い光を放ち、精霊は気配を消した。水晶群からも光が失せ、薄暗さと静けさが戻ってくる。
シダールがレンフィを見下ろし、次いでその背後の男に告げる。
「アザミ、下がれ」
「しかし、陛下、封じがまだ」
「もう必要ない」
躊躇いがちに首筋から冷たい感触が消える。
その代わり、シダールの爪がレンフィの頬に触れた。そのまま残っていた涙を指先で弾かれる。
「見目は悪くないが、中身が子どもではな……」
「それは教育次第でなんとでもなります。どうか時間を与えてください!」
宰相がすかさず訴えると、シダールは薄く笑った。
「そこまで言うのなら、冬の間の退屈しのぎとさせてもらおう。……王命を下す。春までこの娘の命を奪うことを禁じる。ただし、我が妃にふさわしいか試すのは自由としよう」
この場にいた臣下全員が膝をつき、恭しく頭を下げた。
一人だけ状況が分からないレンフィは、涙に濡れた瞳でシダールを見上げる。
妃とは、王の妻という意味で間違いないだろうか。自分の知識にまで自信がなくなってきた。
「聞いた通りだ。ひとまず春までは生かしてやる。我が妃になれぬなら、骸となって教国に帰ることになるだろう。どちらも嫌なら、己の価値を示してみよ」
レンフィはぶるりと震えた。自分の未来が冷たく閉ざされていくのが分かる。
「許可なく城を離れたら殺すし、臣下や民を傷つけても殺すが、それ以外は好きにしていい。捕虜としては破格の待遇であろう。良いな、レンフィ」
圧に負け、レンフィは思わず頷いてしまった。
雪解けまで約三か月。
レンフィの第二の人生は、思いのほか短い……かもしれない。