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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第三章 聖女と過去の幻

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43 案ずる人々

 



 マグノリアは資料を広げて唸った。

 古巣、魔法士団の研究室に自分の机を用意してもらい、ここのところ毎日通っている。王妃の執務室もあるにはあるが、研究には向かない。

 華やかで立派な執務室よりも、陰気で雑多なこの部屋の方がずっと思考が捗るのだ。


「おや、マグノリア様。難しい顔をして、何をお考えで……?」

「レンフィのこと」

「はぁ、女性同士というのも耽美で素晴らしいですね……とても絵になります」


 情感たっぷりのため息ごと凍てつかせてやるつもりで、マグノリアはヘイズを睨む。ちょうど良い機会だ。怯みもしない元上司に、マグノリアは文句と推論をぶつけることにした。


「レンフィの、記憶のことを考えていたのです。ヘイズさん、おかしいと思っているのに黙っているでしょう? シダールと宰相閣下もだけど」


 レンフィの心臓に魔法の痕跡を見つけてからずっと考えていた。

 精霊術の類ならば納得できる。しかし魔法は、魔力を用いた“黒”の力だ。

 それが“白”の国――マイス白亜教国で暮らしていたレンフィの体から見つかるのは違和感がある。

 聖女レンフィの死亡を発表した時期を鑑みても、魔法をかけたのは白亜教国の人間に間違いない。心拍の有無で生死を伝えるだけとはいえ、あのような魔法構築を施せる人間が教国にいるという事実に、マグノリアは肝を冷やした。

 魔石自体は白亜教国でも流通しているが、魔法の知識を持つ者はそういないと思われていたからだ。


 レンフィの扱いについても、不思議だった。

 彼女は二指の精霊に寵愛された聖人。ムドーラ戦線の要でもあり、一般教徒からの人気も著しく高い。尊重され、お姫様のように大切にされていたのだと思っていた。

 しかし実際はどうだ。


 まず、心臓という命に関わる臓器に魔法がかけられていたことにきな臭さを感じる。

 まるで彼女が、教国に管理される奴隷のようではないか。


 死亡の発表があった時も腑に落ちなかった。


 例えば、もしムドーラの幹部が他国に亡命したら、国家機密の漏洩を一番に心配する。

 レンフィは将として戦場に立っていたので、教国の軍事情報をいくつか握っていただろう。たとえ死んだと分かっても、それが他国に伝わったか否かは突き止めねばならない。彼女が教国を離れ、死ぬまで二か月もの期間があった。その空白の二ヶ月の足取りを追わないと安心できないはず。


 しかし、現在の教国からはさほど焦りを感じない。死亡を発表したきり、もう遺体の捜索も行われていないという。あっさりしすぎである。

 レンフィが他国に捕まり、拷問で情報を吐かされて死んだ。その可能性をまるっきり考慮していないのだとしたら、導き出される答えは……。


「教国は、レンフィが記憶喪失だと知っている」


 だから情報の漏洩を気にしないのだ。


「それでもやっぱり不自然……記憶喪失が一時的なものではないと確信しているとしか思えない」


 霊力測定を行った際、レンフィは顕現した光の精霊から寵愛を受けた。その際の出来事を伝え聞き、マグノリアはやはり不思議に思った。


「光の精霊曰く、『失ったモノは二度と戻らない』……記憶が完全に失われてしまうなんてあり得る?」


 肩をすくめ、ヘイズは言う。


「記憶は人間の脳に刻まれるもの。病気や事故の衝撃、あるいは精神的なショックが原因で失ったのならば、普通、戻らないとは断言できないでしょう。第一、光の精霊ならば脳の治癒も可能なはず。それができないということは、レンフィ様の記憶は意図的に消された、あるいは奪われてしまった……もう彼女の頭の中には存在していないのでしょうね」


 やはりヘイズはその可能性に思い至っていた。

 なぜ黙っていたのか追及する前に、彼の結論を聞かせてもらうことにした。


「光の精霊はレンフィ様が記憶を失くした原因について、こう発言しています。『我が範疇にはない。黒の神ならば答えを持つ』……なぜ黒の神がレンフィ様の記憶のことを知っているのか。そこが引っかかりますよね……」


 マグノリアは頷く。

 レンフィ自身は“白”に深く関わって生きてきた。しかし、彼女の記憶喪失には、黒の神が関係しているらしい。

 そして、彼女の心臓に魔法をかけた者も“黒”。


「誰が、なぜ、どうやって……疑問は尽きません。ただ、私の推測ではおそらく、白亜教国に“黒”の人間がいる。その者はレンフィ様を――」


 





「待てぇ、コラ!!」

「大声を出すな! 雪崩になったらどうするんだよ! ガジュの馬鹿!」

「てめぇーも叫んでるじゃねぇか!」


 第三軍の面々は、雪山で狒々の魔物を追いかけていた。

 魔物の動きは早い。木を伝って縦横無尽に飛び、時に雪を蹴って視界を奪い、逃げると見せかけて襲い掛かってくる。

 なかなかの知能を見せる魔物に翻弄され、ガジュとピノは大いに苦戦していた。


 しかし、強さの面では大した魔物ではない。せいぜい三か月ものと言ったところだ。地の利さえ対等ならば、軽く狩れるだろう相手だ。

 実戦経験を積ませるためにガジュとピノに任せてみたが、リオルは太陽が傾くのを感じて痺れを切らせた。


「二人とも、悪いな。今回は急いでるんだ。ちょっと手伝わせてくれ」


 狒々の魔物の前に先回りし、殺気と魔力で威圧する。思わず足を止めた狒々に、ガジュが追い付く。


「もらった! うりゃあ!」


 剣が分厚い毛皮を裂く。早さも力強さも申し分ないが、雪に足を取られた分、少し浅い。リオルは警戒を強める。


「とどめはボクが! て、うわぁ!」


 ガジュのつけた傷をなぞるように、ピノが剣を差し込む。こちらは逆に雪で滑って勢いがついた。魔物共々ピノが倒れ込む。

 この一撃が致命傷となり、魔物は魔石に姿を変えた。


「あ、危なかった……でも、やった! 初討伐!」

「なっ!? ピノ、てめー、横取りしやがって!」

「ふふーん。最初の一撃で仕留めない方が悪い」


 魔石を拾って得意げなピノに、ガジュが顔を真っ赤にして抗議している。このまま喧嘩に発展するかと思われたが、大人たちがそれを許さない。


「何を揉めている。将軍に手伝ってもらっておいて、いい気になるな。二人の攻撃も全くなっていない。なんだ、その軟弱な足腰は。鍛錬をさぼっているんじゃないか? これでは及第点を与えられないな」


 ブライダの言葉にばっさり斬られ、二人は項垂れる。


「まぁまぁ、いいじゃねぇか。最初はこんなもんだろ」

「初めての魔物討伐で、一年物をほぼ単独で仕留めた者のセリフではないな」


 そうだったか、とリオルは記憶を辿ろうとしてやめた。ガジュとピノが涙目になっている。


「ずるいっすよ、リオルさん。もう少しオレたちを信頼してくださいよ……」

「自分で言うのもなんですけど、ボクたちは伸び盛りなんですから、やればできます!」


 仲良く口を尖らせる二人に、リオルは苦笑を返した。


「ごめんって。どうしても今日中に片をつけたくてさ。二人が走り回ってくれたおかげで、すぐ魔物を見つけられて助かった。これからも期待してるからな!」


 リオルが肩を叩くと、ガジュもピノも元気よく返事をした。第三軍の飴と鞭は今日も正常に機能し、場の空気を清々しいものに変える。


「じゃあ、一応他の魔物がいないか確認して、下山するぞ!」


 リオルがきびきびと引率し、兵たちがそれに続く。

 上官の背がいつになくそわそわしていることに気づき、ブライダはこれ見よがしにため息を吐いた。


「もしかして、本気でアヌビア川に行こうとしているのか?」

「え!? どういうことっすか!」

「アヌビア川って、確か、第二軍とレンフィちゃんが魔物討伐に行ったところですよね?」


 ガジュとピノが目を輝かせる。


「おお! もしかして、レンフィちゃんを心配して迎えに?」

「へえええ! そういうことですか! それは急がないといけないですね!」


 他の部下もにやにやと顔を歪め、一気に緊張感がなくなった。

 ブライダを恨みながらも、リオルは正直に告げる。変な反応をしたら余計にからかわれるだろう。


「そうだよ。レンフィが心配だから、向こうの様子を見に行く。下山したら俺だけ班から離脱するつもりだったけど……ついて来たい奴、いるか?」


 今回連れてきた八名の部下の全員が即座に手を挙げた。ブライダですら仏頂面で手を挙げているので、リオルは面食らった。


「いいのか? すぐ城に帰れば、その分開戦まで休暇に充てられるのに」


 言ってからリオルは気づいた。ここにいる者のほとんどが、休暇を取っても結局訓練場で剣を振ってしまう男ばかりだった。

 ただ一人の例外であるブライダはやれやれと肩をすくめる。


「この人数で押しかけてみろ。また第二軍に睨まれるぞ。アザミ殿の心証が悪くならぬよう、フォローせねば……その役は私にしかできないだろう」


 真の引率者が誰かリオルは思い知った。


「……ありがとう。じゃあ、明日の朝イチでアヌビア川に向けて出発するからな!」



 翌日。

 一行はそりを勢いよく走らせていた。

 山岳地帯の魔物は予定よりだいぶ早く片付き、王城にはアザミたちに合流すると連絡を入れてある。

 水棲の魔物は捜索が大変なので、人手があって困ることはない。言い訳は立つ。


「オレ、嬉しいっす! ついにその気になってくれたんすね!」

「ボクも! かつての宿敵同士が結ばれるなんて、物語みたいです!」


 朝から、いや、昨夜からずっとガジュとピノが興奮してうるさかった。そういうお年頃とはいえ、上官の色恋ではしゃがないでほしい。リオルは恥ずかしさのあまり片手で顔を覆う。


「後世では、本当に物語のように語り継がれていくだろう。リオルの伝記の第十節は、聖女との恋物語になる予定だ。戦記ばかりでは味気ないと思っていたところだ」


 制止役のブライダがこの調子なので、もうどうにもならない。ちなみにブライダは妻にリオルの伝記の執筆を頼んでいる。夫婦揃って若き将軍のファンなのである。


「もう十節に突入したのかよ……絶っ対に、世に出すんじゃねぇぞ!」


 何度「やめろ」「恥ずかしい」「ごめん、気持ち悪い」と言っても、英雄の記録は必要だと正当性を訴えるのだ。弁舌に自信のないリオルは、引き下がるしかなかった。

 リオルは小さく呟く。


「大体、まだ確定してねぇのに……本人を差し置いて浮かれやがって……」


 レンフィに今の気持ちを正直に告げると決めてすぐ、慌ただしく魔物討伐の遠征の話が出て、結局何も言えずに別れてしまった。

 一度タイミングを逃すと、どんどん言えなくなる。そうなると、またいろいろ考え出してしまう。


 どんな言葉で伝えよう。

 喜ぶだろうか、驚くだろうか。

 もしも困らせてしまったらどうしよう。笑って頷いてもらうにはどうすればいい。

 そしてレンフィは、どのように答えるのか。


 あらゆることを想像してしまい、落ち着かない。


「今はそれどころじゃねぇのに……」


 本当に浮かれている場合ではなかった。

 レンフィが泣いていないといい。

 食欲はあるだろうか。夜はしっかり眠れているだろうか。慣れないそりでの移動で体を壊していないだろうか。アザミと衝突せず、上手く立ち回れているだろうか。魔物の討伐で怖い思いをしていないだろうか。

 心配の種は尽きない。


 お揃いのハンカチをこっそり取り出し、レンフィの無事を祈る。


「あ」


 そのとき、ひどく嫌な予感がして、思わず空を仰いだ。不思議な七色の光がちらつき、リオルは目を細める。


 第二軍から応援の連絡魔法が届いたのは、それから数時間後のことだった。

 急ぎ駆けつけると、なんとか日暮れ前に第二軍と合流を果たせた。


「は!? アザミさんとレンフィが流された……?」


 マチスとオレットから事の経緯を聞き、リオルは眩暈を覚えた。

 この川には魔物だけではなく、前時代の生物兵器まで生息していた。その討伐は至難を極め、全員が川に落ちるというハプニングに遭ったという。


「レンフィ様が……私たちを助けて下さって……っ」


 オレットは説明の途中で堪えきれず、泣き出してしまった。目の周りが腫れて真っ赤だった。


「ああ、どうしよう……本当に僕は騎士失格だ……守れないなんて……陛下にお約束したのに……」


 マチスも自責の念を滲ませ、深く落ち込んでいた。


 現在、第二軍の半分はウィロモ村に残り、治安維持軍と合流して村人の調査を行っている。そして残りの半分とマチスとオレットが下流に向かい、レンフィとアザミの捜索をしていた。

 二人が流されてから、もう半日以上経過している。普通だったら絶望するしかない状況だ。


「皆についてきてもらって良かった。俺たちも二人を探すぞ!」


 しかしリオルは心の不安を拭い、顔を叩いて気合を入れた。


「レンフィは水の寵愛を授かったんだろ? なら、溺れて死んだりしねぇよ。アザミさんが一緒なら遭難しても生き延びられる。大丈夫。二人は生きていて、助けを待ってる。絶対に見つけてやろうぜ!」


 暗い雰囲気を吹き飛ばすような強い言葉に、騎士の兄妹と第二軍の面々は顔を上げる。

 日が暮れるギリギリまでリオルたちは二人の名前を呼び、捜索を続けた。連絡魔法が飛んでこないかと時折空を見上げたが、良い知らせが舞い込んでくることはなかった。


 リオルは強い後悔に苛まれていた。


 レンフィは村人によって、生贄にされかけたという。

 魔物と冬の寒さ、そしてアザミの動向くらいしか危険視していなかったが、まさか片田舎の民までレンフィに牙を剥くとは思わなかった。


 この国は良い国になった。そうレンフィに自慢げに語った自分を全力で殴り飛ばしてやりたい。

 いくら管轄外とはいえ、軍に籍を置く者として今回のことに責任を感じないわけにはいかない。まだまだ平和とは程遠い国の内情を知って、誰にも気取られぬように落ち込む。


 リオルは二人の無事を強く願った。


 しかしその日は結局、手掛かり一つ見つからなかった。

 夜には激しい雪が降り出し、捜索する者たちの心をさらに凍てつかせた。



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