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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第三章 聖女と過去の幻

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32 白指の精霊

 


 白の神は十本の指を切り落として精霊を生んだ。その精霊たちは大地の浄化と管理のため、世界を巡っている。


 原初、空の精霊が空間を切り取って器を造り、時の精霊が時間の流れを生み出した。

 それから光と闇の精霊がお互い重ならぬように飛び交い、火と水、風と土、雷と金の精霊が後に続いた。


 白指の精霊に守られ、世界はくるくる回る。

 精霊の手の届かぬところは、より小さき手を持つ人間に託した。


 心優しく誠実な、あるいは気高く勇敢な、自然との親和性の高い人間。彼らは精霊たちの加護を受け、その霊力で大地を清め鎮めていく。

 特に、精霊自ら声をかけるほどの寵愛を受けた者は聖人と呼ばれ、大いなる力で大地を潤した――。


「聖人の特徴は、まず莫大な霊力です……精霊の寵愛を受けたから霊力が強いのではなく、霊力が強いから精霊の寵愛を受ける。霊力自体は鍛えて増やすことはできますが、やはり生まれた時点での霊力の多寡は重要……」

「たか……?」

「多いか少ないか、です。現時点のレンフィ様は文句のつけようがありません。理論上、どの精霊の寵愛も授かれるほど……ああ、素晴らしい!」


 今日、レンフィは初めて魔法士団の研究室を訪れていた。

 雑多な研究器具と膨大な資料の中で居心地の悪さを感じつつも、ヘイズの歌うような説明を真剣な表情で傾聴する。


「しかし、精霊にはそれぞれ性格がある。そう、好き嫌いがあるのです……例えば、光の精霊と闇の精霊。彼らは人間の魂を見て、寵愛を授けるそうです。魂とは何なのか、人によってどのような違いがあるのか、考えだすと無限に止まらなくなってしまう……ゆえに簡潔にまとめますが、光と闇に関しては生まれつきの素質で寵愛の有無が決まります」


 びしっと人差し指で指され、レンフィは背筋を伸ばした。


「霊力と魂。あなたは極上の素質に恵まれたということ……」

「そ、そうなのですね……とてもありがたいことです」


 ヘイズは芝居がかった調子で頷く。


「時と空の精霊については、好みが判明していません。何せ、寵愛を受ける聖人の数が圧倒的に少ない。さすが親指……精霊たちを束ねる存在は、より人間を厳しく見ているということでしょうか」

「な、なるほど」

「では、それ以外の精霊について。一般的に、火は勇敢で豪快な戦士を、水は清廉で気高い乙女を愛するそうです。風は自由な在り方を、土は堅実な生き様を好む、と。雷は生き急ぎ人々を騒がせる方、金は物静かに大業を成し得る方が多い印象でしょうか……あくまで傾向に過ぎませんが」


 レンフィは曖昧に頷いた。

 ようするに、立派な精神を持っていたり、大きな影響力を持っていたり、人間として優れた者が寵愛を受けやすいということだろう。


「こんな話があります。精霊の寵愛は一度与えられたら色褪せない。たとえその力で人を殺めても、たとえ老いて欲に塗れても、人生でたった一度、精霊に愛されれば永遠に力を行使できる……」

「えっと、心が綺麗な人が悪人になっても、精霊様が寵愛を没収することはないということですか?」

「没収……良い表現です。そう、その通り。白亜教国を牛耳っている老人たちは、レンフィ様の御耳が汚れてしまうようなあくどいことばかりしているのですが、未だに聖人として寵愛を保持しています」


 精霊は人間の一生には関わらない。人間に寵愛を授けた後、どのように力が行使されても顧みないのだ。


「ということは、もしかして若い人間の方が寵愛を授かりやすいのでしょうか?」

「そうですね。教国が霊力の強い子どもを引き取るのは、寵愛を得やすい環境で育てるためだと推測されます」


 レンフィは小さくため息を吐いた。


「では、もう手遅れかもしれません。今の私では、水の精霊様に見向きもされなさそうです……」


 清廉で気高い乙女。

 乙女の部分しか体現できそうにない。


「おや、十分に清らかな心と気品をお持ちだと思いますが……?」

「そんなことないです」


 少し前までは、心の中は空っぽで透明だった。何物にもなれたかもしれない。

 しかし今は欲を持ってしまっている。

 尊い命に優先順位をつけ、大切な人が傷つくくらいなら他の誰かの不幸を願ってしまう。

 好きな人と共に歩むために、過去の自分の大切なモノを捨てることを半ば決めてしまった。

 彼の負担になることは分かっているのに、想いを止めることができない。


 卑怯で薄情で、自分勝手。

 そんな心を持ってしまった今、もう精霊に愛してもらえるとは思えなかった。


「レンフィ様の場合は……異例も異例ですから、何が起こるか分かりませんよ。記憶喪失の影響で、光の精霊さえ二度も顕現して寵愛を与えた。水の精霊もあなたを見ている……そもそも寵愛を没収されたとは限らない。今後、どのような奇跡を起こしてくださるか、楽しみだ……」


 その期待が辛い。

 レンフィはさりげなく視線を逸らした。


「でも、今すぐ寵愛を得るのは難しそうですね……」

「光の寵愛でも護身は可能だと思いますが?」


 ヘイズはレンフィがここに来た目的を看破していた。

 しかしレンフィは首を横に振る。


「マグノリア様に教えていただいたんです。光の精霊術は強すぎると」


 光の精霊術は防御には向かず、攻撃に使うと強力すぎる。レンフィは自分の身を守りたいだけで、決して相手を傷つけたいわけではない。光の寵愛は治癒術に絞った方が良さそうだった。


「そうですね……あなたの霊力で攻撃されたら、どの精霊術でもとんでもない威力になるとは思いますが……光はその性質上、確かに手加減が難しいかもしれません」

「はい。あの、加護はどうやって得るのでしょうか?」


 ヘイズは肩をすくめた。


「それがですね……加護の獲得については、決定的なことは分かっていないのです。祈祷や鍛錬などの修行の末、自然に授かるものだと言われています。要するに気づいたら精霊術が使えるようになっていたということですね……」

「そうなのですか?」

「はい。お力になれず申し訳ありません。修行の内容についても、古く伝わるものしか知りません。おそらく効率の良い方法があるはずですが、精霊や霊力に関することは白亜教国が知識を独占しています……個人的には研究したいと思っていたのですが、今まではサンプルが少なかったので」


 ただならぬ視線を感じ、レンフィは悪寒に震えた。


「せっかくですから、いろいろ試してみませんか? 大丈夫です……痛くも苦しくもないものから順番にやりますから」

「あ、あの……ありがとうございます。が、頑張ってみたいです」


 ヘイズが陰のある笑みを浮かべ、近づいてくる。軽率に頷いてしまったことに後悔しながら、レンフィは身を固くした。


「では、さっそく――」

「ひっ」


 その時、窓から何かが飛び込んできた。

 小さな黒い塊がヘイズの手に収まる。


「小鳥?」

「ああ……部下からです。少々失礼いたします」


 ヘイズが席を外し、レンフィは胸を撫で下ろした。連絡用の魔法だったらしい。

 しかし困った。加護を得ることすらすぐには難しいとは。

 自己防衛の術を学びたいとマグノリアに相談したところ、苦渋の表情を浮かべながらヘイズに相談することを提案してくれた。自分よりも断然精霊について詳しいだろうから、と。


 ヘイズの話はとても為になったし、試していけば何とかなるかもしれない。しかし春までの一か月で習得できるだろうか。


「…………」


 リオルに守られるばかりではいけない。

 ただでさえここのところずっと彼のことばかり考え、日常に支障をきたしそうになっている。これでリオルの言葉に甘えて何もしなければ、ますます依存して彼なしでは生きられなくなる。

 それは甘美で幸福な気分に浸れるかもしれないが、リオルに負担をかけたくはないし、あまり自分に失望したくもない。

 自分の命のことだ。自分がまず頑張らないと筋が通らないと思う。


「レンフィ、いる!?」

「あ、マグノリア様」


 研究室の扉が勢いよく開いた。

 現れたマグノリアは、いつになくぴりぴりとした不機嫌なオーラを纏っている。


「ど、どうしたんですか?」

「聞いて。シダールが今朝寝ぼけて『あまりくっつくな、ルルミー』ってわたしに向かって口走ったのよ。どう思う?」


 レンフィは少し考えて答えた。


「シダール様は本当に猫ちゃんと仲が良いですよね」

「…………猫?」

「あ、そう言えば解呪の時も、たまにベッドに上ってきて、シダール様にくっついて眠ってました。あんなに懐かれるなんて……シダール様が羨ましかったです」

「……そう。そ、それは、可愛らしい光景ね」


 先ほどまでの険しい表情から途端にしおらしくなったマグノリア。


「えっと、わたし、ちょっと急用ができたから。また今度お茶をしましょう」

「あ、はい。ありがとうございます」


 マグノリアが小走りで去っていった。

 一体何だったのだろう、と思いつつも、シダールとマグノリアが朝から仲良く過ごしているようで安心した。






 リオルは懊悩していた。

 ここ数日、ずっとレンフィのことばかり考えてしまう。


「どうすっかな……」


 訓練場の床に横たわり、うだうだしているとブライダのしかめ面に覗き込まれた。


「それはこちらのセリフだ。どうするんだ、これは」


 体を起こすと、第三軍の部下たちが悔しそうに床を叩いていた。肩で息をしている者ばかりだ。


「くっそー! また一撃も入れられなかった!」

「最近ぼんやりしているからいけると思ったのに……」

「逆だったね。考えて動いていない分、容赦がないや」


 集団戦闘の訓練のため、また一人で全員を相手にしていたところだった。


「あ、ごめん。まだ続けられる奴は?」


 蜘蛛の子を散らしたように部下たちが出て行く。


「もういいですー!」

「昼も近いんで失礼しまーす!」


 まだ十分元気そうに見えるが、追いかけてしごこうという気にはならなかった。


「それで? 何を悩んでいる?」


 ブライダがため息交じりに尋ねてきた。


「いや……それは……」

「聖女レンフィのことだろう」

「分かってるなら聞くなよ」


 リオルも負けじと息を吐いた。

 良い機会だ。年長者であり、妻帯者であるブライダに思い切って相談することにした。


「レンフィのことが……可愛くて仕方ない。どうしよう。惚れちまったかも」

「…………」

「そんな目で見るな。いや、なんか違うんだよ。普通に可愛くて好きなんだけど、恋愛的な好きなのかは微妙なんだ。だって、レンフィに懐かれていろいろお願いされたら、好きじゃなくてもグラっとくるだろ? 断れるか?」


 手を繋いでほしい、抱きしめてほしい。

 レンフィに顔を真っ赤にしてそんなお願いをされて、耐えられる男がどれだけいるだろう。リオルもそうだ。自分に気があるのだとはっきり分かったら、もう平常心を保っていられなかった。


 その上レンフィは言った。過去の自分のことはもういい、と。記憶喪失とはいえ、これまでの十七年の人生への未練を少しも感じさせず、リオルを選んだのだ。

 嬉しくてたまらなかった。

 あの夜、あれ以上手を出さず、紳士的に塔の部屋を去った自分を褒めてやりたい。軍服を着ていなかったら危なかった。

 異性に対して、ここまで衝動的な感情を抱いたのは初めてのことだった。


「放っておけねぇというか、守ってやりたいというか……俺の前で笑ってくれるのは嬉しいんだけど、他の奴にはその顔を見せたくねぇ気持ちもあって……なんか、めちゃくちゃ心狭くないか? まぁ、あれだよな。俺の手で幸せにしたいってことなんだよな、きっと」


 ブライダは昔を懐かしむように宙を睨んだ。どこか笑いをこらえているようにも見える。


「それはもう、惚れていると素直に認めるべきだな」

「……やっぱりそう思うか」

「そうだ。何を躊躇っている」


 煮え切らない想いもついでに吐き出す。


「俺で本当に良いのかなって。レンフィを守るのは俺の役目でいいけど、レンフィを幸せにするのは別の男でもいいじゃん。もっと普通の……レンフィのことを一番優先するような奴。俺みたいに冬以外はほとんど城にいられなくて、レンフィの気持ちより教国との戦争を優先するひどい男じゃなくてさ」

「仕事なんだから仕方ない。向こうも承知の上だろう?」

「そうだけど……レンフィには選択肢がほとんどねぇからさ。消去法で俺なのかも。そんで、いつか目が覚めるかも。今ならまだ引き返せる」


 珍しく思考が悪い方に落ち込んでいく。

 今レンフィから向けられている熱のこもった瞳が、徐々に冷めたものに変わっていったら、耐えられる気がしない。

 レンフィのことを本当に考えるのなら、今我慢して保護者的な立場を貫くべきではないか。

 リオルの悩みの根本はそこにあった。


 ブライダは容赦がなかった。


「今更無責任ではないか。あれだけ目をかけてその気にさせておいて。随分前からあの娘の気持ちに気づいていたくせに、自制しなかったんだろう? 相手のことを思いやるふりをして、自分の守りを考えるのは卑怯だぞ。もう陛下の妃云々を言い訳にはできないのだからな」

「う、痛いところを……」

「お前らしくない。好きなようにやって、意見が合わなかったらその時に解決する。いつも通り、それでいいじゃないか」


 頭を思い切り叩かれたような心地がして、リオルは目を瞬かせた。


「そっか! そうだよな!」


 考えるのが苦手なのに、考えすぎて億劫になっていた。

 単純でシンプルが一番。リオルは目の前が明るくなった気がした。


「てか、ブライダ。反対しないんだな? レンフィのこと、そんなに認めてないと思ってた」

「王妃としては認められない。しかし、その目はもうなさそうだからな」


 ブライダのような人間は結構いた。

 レンフィがシダールの妃になるのは絶対に許せないが、妃にならないのならその存在を許しても良い。

 そう思える分には、城で働く姿が馴染んでしまった。聖女の面影はなく、ただの純粋でか弱い少女に対し、処刑など望めない。この二か月には確かに意味があったのだ。


「お前の相手として考えるのなら、元宿敵の聖女というのは悪くない。箔がつく」

「その言い方はちょっとモヤっとするけど……まぁいいや。ありがとうな! なんかすっきりした!」


 リオルは清々しい気分で立ち上がった。


「レンフィの顔見たくなったから、行ってくる」

「それはいいが、ちゃんと汗を流して着替えてからにしろ。清潔感のない男は一番嫌われるからな」


 妙に実感の籠った言葉に、リオルは強く頷きを返した。




9/18 単語の選択ミスがあったため、5話を微修正しました。

   物語に大きな影響はありません。

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