3 聖女の処遇
会議は続く。
「姫様と遭遇した時点で、記憶が朦朧としていたのでしょうか。その辺りも含め、彼女の現在の様子についての報告を」
「……はい」
幼い少年が前に出る。この城の医療責任者である老婆の孫で、今日は代理でこの場にやってきた。彼は見習い医療官である。
先ほどの騎士よりもよほどしっかりとした口調で、報告を始める。
「今朝目覚めてからは、容態も精神状態も比較的落ち着いています。どこかぼんやりした様子ですが、会話も可能です。ただ、やはり何も覚えていないようで……宰相様に用意していただいた問いかけにもまともに答えられず、随分戸惑っていました」
会話ができるということで、簡単なテストを行った。結果、今のレンフィにはこの国における十歳児相当――日常生活に困らない程度の知識量しかなかった。
ただし、自分に深く関わることになると、本当に何一つ分からない。
名前も、年齢も、出身国も、親しい人間も、好き嫌いも、国家情勢についても、精霊術の使い方も、白亜教の教えも。
ムドーラ王国にいた理由も、カルナ姫を助けたことさえ忘れてしまっている。
白虹の名と同様、記憶まで真っ白になっているらしい。
「記憶を失った原因については、婆様にも分からないとのことです。頭に怪我はありませんでしたし、魔物の毒で記憶を失うという話も聞きません。該当する精霊術や魔法も見つからず、あと考えられるのは精神的なショックくらいで――」
「演技ではないのか?」
それは、当然の疑問だった。
リオルの同僚であり先輩――国王直属軍第二の将アザミ・フーリエが険しい表情で述べた。
「命欲しさにとぼけている可能性は?」
「……個人的な意見ですが、演技には見えません。誇り高いと噂の聖女とは思えないほど、萎縮しています。敵意も感じません。ただ、僕は以前の彼女とは面識がありませんので」
会議出席者の視線が、一斉にリオルに向けられた。この中で、最もレンフィと関わりが深いのはリオルだった。
「俺だってそんなに知ってるわけじゃねぇけど……確かにあれが演技だとは思えない。だって、俺が抱きかかえても無反応どころか、服に掴まってきたんだぞ。あの、男嫌いの潔癖症っぽい女が……媚びを売る感じでもなかったし、記憶喪失だって聞いてめちゃくちゃ納得した」
昨日の弱々しい少女は、戦場に立つ聖女とは似ても似つかない。
気高くて高慢で冷酷。些細なことでは揺らぐことのない人形のような無表情。たまに口を利く機会があっても、虫のような扱いを受けるだけ。
『早く死んでくれませんか? 何度も何度も本当にしつこい。目障りです』
とにかく感じの悪い女だった。リオルは思い出してげんなりした。
「聖女レンフィの男嫌いは有名でしたねぇ。白の神に操を立てているんでしたっけ」
「さぁ、知らない。でも嘘は吐かないんじゃないっすか? 精霊は嘘つきを嫌うって聞くし」
宰相が頷く。
「まぁ、もちろん演技の可能性はありますが、今は本当に記憶を失っているという前提で話を進めましょうか」
「……はい」
アザミが面白くなさそうに息を吐いた。
普段は冷静沈着な男だが、レンフィのことになると感情が先立つようだ。彼もまた、彼女とは浅からぬ因縁がある。
「ようやく本題です。彼女の処遇について、どうしましょうか。正直今のままでは持て余してしまうのですが」
ムドーラ王国に、捕虜の取り扱いに関しての決まりはない。時と場合、相手によって対処が変わる。
「さて、戦後処理を部下任せのリオル将軍。この場合、どのような選択肢がありますか?」
「ええ? えっと……普通は人質とか、交渉材料にするんだろ。でもなぁ……」
あの教国がまともに相手にするとは思えず、リオルは首を傾げた
「そうですねぇ、相手がマイス白亜教国では、人質としては使えないでしょう。聖人が次から次へと生まれるゆえか、時には将自ら囮になり、民兵にも自爆を命じるような国です。聖女と言えど、使い捨てにしかねない。それどころか兵の士気を挙げるために、我々が聖女に非道を働いたと騒ぎ立てるかも」
「ああ、あり得る。記憶喪失まで俺たちのせいにしそう。基本的に話が通じないよな、教国の奴らって」
それどころか「王国が聖女を誘拐した」と濡れ衣を着せて糾弾してくる可能性が高い。
厄介なのは、どれだけ信憑性のない不自然な話でも、教国の上層部が「是」と言えば、教徒たちが全く疑わないことだ。
おかげでムドーラ王国は“悪の王国”とされているし、シダールは“残酷な魔王”と認識されている。
確かに何度か白亜教国に喧嘩を吹っ掛けたことはあるが、今では全く身に覚えのない悪行までムドーラの仕業だと流布される。
そんな国相手に交渉する気にはなれない。
実際シダールが即位してから、冬の間の休戦の約定以外、お互いに合意を得られた事柄はなかった。
「人質にも交渉材料にもできないなら……」
カルナ姫を救ったという恩もあるのだし、いっそ解放してしまえばいい。
考えるのが面倒になって、リオルはそう言いたくなった。だが、記憶を失っているとはいえ、敵国の要人をみすみす解放できないのは理解している。もし自由になったレンフィが王国の人間を手にかけたら、後悔してもしきれない。
「あ、そうだ。王国で働かせるっていうのは? 記憶がないならちょうどいい」
「おや、実際に彼女と殺し合いをしていたというのに、抵抗はないのですか」
宰相の言葉にリオルは頷く。
「変な感じはするけど、俺は特に気にしない。だって、別人みたいだったじゃん。そりゃ監視役は必要になるけど、医療官が増えるならおつりがくるだろ。名前も見た目の雰囲気も変えて、他の国には内緒にして」
なかなか悪くない思い付きだとリオルは思った。
かつての強敵が味方になる、そんな英雄譚はいくらでもある。
さすがにレンフィに背中を預けて戦うのは不可能だし、あの様子では戦闘はできないだろう。だが、医療官というのはいつでもどこでも貴重な存在だ。レンフィほどの治癒術の使い手が仲間になれば、どれだけ心強いことか。
「記憶が戻ったらどうするのです?」
「戻ったらそのときにまた考えればいいよ」
記憶が戻ったら、レンフィはきっと怒るだろうし、絶望するだろう。
しかし、かなりマシな処遇だということも理解できるはずだ。上手くいけば白亜教国の極端な価値観から解放され、本当に王国の味方になる可能性だってある。
「都合の良い話だってことは分かってる。でも俺は」
「分かっているのなら弁えろ。そんな悠長な対応はしていられない。教国の人間の治癒術など信用できないし、城を歩かせるなど以ての外だ。投獄は必須だろう。あの女がどれだけ憎まれていると思っている」
アザミがリオルの提案を冷たく切り捨てる。
「いや、投獄すら生ぬるい。痛めつけて教国の情報を吐かせ、役に立たなければ処刑すべきだ」
「それはそれで、後々厄介なことになるのですが……あなたたちの意見は極端ですねぇ」
宰相が物憂げな表情で述べた。
「聖女を傷つけたという事実が明るみに出れば、教国を大いに刺激します。来年の戦争は荒れますよ。それこそ、彼女を慕っていた兵が自爆覚悟で突っ込んでくるでしょう」
「それがどうしたというのです。教国の連中にどう思われようが、今更だ。相手が冷静さを欠いてくれるなら、罠に嵌められて好都合です」
アザミは言う。
どうせ聖女についてあることないこと流布されるなら、本当に手荒なことをしてでも有益な情報を得るべきだ。
「でも、記憶がないんだぞ? 痛めつけたって意味ないだろ」
「刺激を与えれば思い出すかもしれない。それに、記憶喪失を偽っているかどうかは、やはり確かめねばなるまい。何も喋らないのなら、それまでのこと」
アザミは宰相と元帥を視線で制して立ち上がると、窓際に歩み寄り、跪いた。
「陛下、私に命じてください。亡き同胞たちのためにも、この手であの女に同じ痛みと苦しみを味わせたく」
アザミが示唆したレンフィの末路に、会議室の空気が一気に冷たいものになった。
シダール王は猫から手を離し、アザミを一瞥した。
「慎重なお前らしくない提案だな。それほど聖女が憎いか」
「……私怨を抜きにしても、やはり聖女を生かすことには賛成できません。危険因子は排除すべきかと。この状況、どうも不可解です。あの状態の聖女を我らの内側に入れることが、教国の企みでないと言い切れない」
「ほう、それは面白い。教国にどのような思惑があるのやら」
くつくつと肩を揺らし、シダールは円卓の面々を順番に眺めた。
「皆、教国と交渉する気はないようだな。聖女を解放するつもりもない。医療官として働かせるか、危険因子として処刑するか。他に案はあるか? ないのなら、その二案で多数決を採れ」
気だるげな声色に、一同は悟る。シダールは記憶喪失の聖女に、それほど価値を見出していない。
宰相が苦笑した。
「陛下。どちらの案も実行すれば問題が生じます。少し落ち着けば彼女の記憶が戻る可能性がありますし、教国の動向も気になります。しばし様子を見ませんか?」
「小娘一人に振り回される状況は、見ていて面白くない。早急に決めよ」
臣下たちは顔を見合わせる。
聖女を生かすか殺すか。
僅かでも彼女に価値を見出す者は生かそうとするだろうが、彼女に恨みや不信感を持つ者は処刑に票を投じるだろう。
「……勿体ない。では陛下、もう一つご提案を」
発言者は、今まで黙っていた顔色の悪い男――魔法士団の長ヘイズだ。
「レンフィ・スイは聖人です。凡人を五千人集めたって、彼女の霊力とは釣り合わない。どんな宝石魔石よりも価値がある。殺すなんてとんでもないし、医療官にするのすら惜しい。もっともっと資源は有効活用しないと」
ヘイズは恍惚とした、薄気味悪い笑みを浮かべた。
「彼女はとても美しい……。てっきり教国の誇大表現だと思っていたけど、神や精霊の寵愛を受けるに足る尊い存在だ。あんなに若くて美しく、素晴らしい力を持った少女を、記憶を失くした状態で手に入れることができた。その僥倖を、もっと喜ぶべきだ……」
リオルは寒気を感じ、思わず腕をさすった。
研究室に閉じこもっているヘイズとは、今まであまり接点がなかった。物静かな人だと思っていたが、今後は危ない人という認識になりそうだ。
それに、なんだか嫌な流れだった。
兵士の間では、レンフィの今後の処遇について下種な話で盛り上がっていた。前王時代、女の捕虜や密偵がどのような扱いを受けていたか、耳にしたこともある。
心臓が嫌な音を立て、変な想像をしないように理性が戦い始めた。しかし、リオルの予想をさらに上回る提案を、ヘイズはあっさりと口にした。
「陛下、いかがでしょう。彼女ならば、貴方様の御子を産むことも可能のはず。妃に迎えることを考えては」
その一言によって、かつてないほどに会議が紛糾したのだった。
主要キャラのメモ(仮)
レンフィ
17歳。水と光の精霊に愛される白虹の聖女。マイス白亜教国出身。記憶喪失。
シダール
26歳。ムドーラ王国の王。他国からは残酷な魔王と呼ばれている。美形。
リオル
19歳。ムドーラ王国の第三軍の将軍。レンフィの宿敵だが、聖女は生かしてほしい派。
アザミ
23歳。ムドーラ王国の第二軍の将軍。教国とレンフィに強い恨みを持つ。聖女絶対許さねぇ派。
ヘイズ
年齢不詳。ムドーラ王国の魔法士団長。聖女を陛下の嫁にしたい派。
8/22 キャラクター名を一部変更しました
アリア → カルナ




