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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第二章 聖女と魔王、そして魔女

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22 王妃の怒り



 レンフィは重たい瞼をこすりながら報告した。


「ごめんなさい。どうしても、これ以上治らなくて……」


 シダールは姿見に自分の背を映し、目を細める。

 解呪を始めて十日目の朝、傷口はほぼ塞がり、薄い痕だけが残った。しかしどれだけ霊力を込めても、この痕が消えない。


「上出来だ。もうほとんど痛みがない。しかし、呪いを完全に解くにはやはり直接対決しかないようだな」

「対決……?」


 徹夜で頭が働かず、首を傾げてよろけるレンフィ。


「今から夕方までの休息を命じる。できる限り霊力を回復せよ。そして今夜、マグノリアの元に行くぞ」

「……………はいっ!」


 呪われた夫と呪った妻の再会。そして巻き込まれたレンフィの修羅場行きが決定した瞬間であった。






 夜。雪に隠れた木の根に足を取られ、レンフィは転んだ。


「あっ」


 冷たさに驚いて座り込んでいると、コートの首根っこを掴まれて無理矢理立たされる。


「何をしている。鈍臭い奴め」

「は、はい。すみません」

「足元だけ見ていろ」


 ランプを持つシダールの後ろに続いて歩く。今転んだら巻き込んでしまうということもあって、レンフィは慎重に歩みを進めた。


「見えてきたぞ。存外近かったな」


 前方に不気味な雰囲気の館が視認できた。

 城の裏手に広がる森には、踏み入れた者を惑わす魔法がかけられている。元々侵入者防止のためにかけられていたものをマグノリアが改良し、王であるシダールさえ容易に森を歩けないようにしていた。

 迷わず辿り着けたということは、無事にヘイズがこの森にかけられた魔法を中和してくれたのだろう。


 ヘイズには森の入り口で見送られた。


『館まで辿り着けた暁には、マグノリア妃によろしくお伝えください。……この手の魔法では、まだまだ負けません、と』


 ヘイズとマグノリアは、かつては上司と部下の関係だった。王妃となり、しかし役目を放棄して城を出た彼女に対し、思うところがあるようだった。レンフィに「絶対に負けないでください、応援しています」という激励を寄越した。

 そしてシダールには、硝子の小瓶を渡していた。二人揃って悪い笑みを浮かべていたので、おそらく良からぬ企みだろう。あまり関わりたくなかった。


 白い息を吐き出しながら、レンフィはシダールに尋ねた。


「お体は平気ですか?」

「ああ、少し痛み出してきたが、耐えられぬほどではない。良いか、レンフィ。今宵はマグノリアの呪いに対抗する以外で霊力を使うことを許さぬ」

「分かりました。全力でシダール様を治癒します」


 足元を照らす光すらランプを使い、レンフィの霊力を節約してここまで来た。元々魔力の量ならばシダールの方が圧倒的にマグノリアより勝っている。呪いで魔力を削られても二対一ならば押し負けない、とシダールは断言した。


「では、行くぞ」

「はい」


 館に近づくにつれ、雲に隠れていた月が顔をのぞかせ、白雪を煌めかせた。


 幻想的な風景の中、レンフィは見た。

 一人の女がゆらりと立ち上がるのを。


 女性らしい豊かな曲線を帯びた体を黒一色の服で包み、月よりも雪よりも輝く長い金髪をかき上げる美女。

 その憎しみに燃える瞳が二人を睨んでいた。


 なんて苛烈で美しいのだろう。

 あの呪いの激情と同じ波を感じ、レンフィは動けなくなった。


「出迎えとは感心したぞ、マグノリア。まだ我が妃としての意識が残っていたか」

「痴れ言を……」


 シダールの言葉に舌打ちを返し、マグノリアは腰掛けていた切り株から鉈を引き抜いた。

 凛と佇みながらも、全身に怒りが渦巻いている。


「ほぼ三年ぶりの再会なのだ。他に言うことはないのか」

「それはわたしのセリフ。用件を言いなさい。新しい女が見つかって、用済みのわたしを追い出しに来たか、それとも殺しに来たのか。どちら?」

「おかしなことを言うものではない。わざわざ迎えに来てやったというのに。今なら許してやる。我が元に戻れ」


 どうしてそんな高圧的な言葉を選ぶのだろう、とレンフィは固唾を呑んで夫婦のやり取りを見守る。


「ふざけるな! お前の顔など見たくもない!」


 案の定、マグノリアは激高した。

 シダールの背中から強烈な魔力を感じ、レンフィは咄嗟に治癒術を発動させた。今までで一番の反発を感じるが、全力の霊力を注ぎ込んで抗う。

 赤黒い呪いの炎を、虹色に煌めく光が包み込み、鎮火していった。


「……白虹の聖女」


 マグノリアの怒りがレンフィに向けられる。今までも散々憎しみの目で貫かれたことはあったが、種類が違うように思えた。


「レンフィ、お前からも何か言ってやれ」

「えっ? 私ですか?」


 シダールに水を向けられ、レンフィは困り果てた。あまり自分が前に出るのは良くない気がしたのだ。

 しかし夫婦揃ってレンフィの発言を待つ構えである。仕方なく一歩前に出て、マグノリアにお辞儀をした。


「あの、マグノリア様、初めまして。レンフィと申します……マイス白亜教国からなぜかこの王国に来て、記憶を失っていて……」

「それぐらい知っている。わたしにだって情報網くらいある。水晶を六つ以上輝かせる霊力の持ち主で、光の精霊の寵愛を受ける聖人。この男の新しい妃になるのでしょう? 何? おめでとうとでも言えばいい?」


 マグノリアは吐き捨てるように言う。


「いいえ、私はシダール様とマグノリア様に仲直りをしてほしいのです。ごめんなさい、勝手にあなたの呪いを解こうとしてしまって……でも私の力では足りなくて、こうしてお願いに参りました。どうか呪いを完全に解いて、お城に戻ってきてください。シダール様のお妃様は、マグノリア様にしか務まり――きゃっ」


 魔力の暴風を叩きつけられ、レンフィはよろめいた。


「何を言い出すかと思えば! わたしの気持ちも知らず、よくそんな厭味ったらしいことが言える!」

「え、えっと、ごめんなさい……分からなくて……お話はシダール様から伺ったのですが、本当に分からないんです」


 レンフィは両指を絡めて祈りの形を作り、恐る恐るマグノリアに願った。


「どうか、教えてください。何に対して怒っているのですか。なぜシダール様を呪ったのですか。本当はシダール様のことを、どう思っているのでしょう?」


 じっとマグノリアを見つめる。彼女は目を見開き、その身を怒りで震わせた。


「どう思ってる? 憎いに決まっている! その男のせいで、わたしの人生はめちゃくちゃになった!」


 レンフィもシダールも、静かに彼女の怨嗟の声を聞いた。


 八年前、夢と希望でいっぱいだったあの頃。

 王子同士の下らない諍いに巻き込まれたせいで、魔法士として生きていく道を閉ざされた。


「女としても、ひどい侮辱を受けた。アークスは当てつけのためだけにわたしを穢し、シダールの反応が悪いと見たら、散々罵った挙句、もう見向きもしなくなった。王子の妃でありながら四年経っても子どもができないわたしを、周囲がどういう目で見ていたか……」


 絞り出すような声に、レンフィは胸が締め付けられる思いがした。


「あの時も、そう。生き永らえて恥を晒すことになった。あの日、扉越しに聞いた。お父様が、シダールにわたしの命乞いをするのを。……あれさえなければ、わたしは安らかに死ぬことができたのに。お父様の死と引き換えに生かされてしまったら、自ら命を絶つこともできない……!」


 ああ、そうか、とレンフィは腑に落ちた。

 マグノリアの父は、娘の助命をシダールに乞うのと同時に、娘の自殺を食い止めるために壮絶な死を遂げたのだ。

 それは娘を想うゆえだろうが、同時に安息の死という逃げ場を奪うことにもなった。


「全て、全て、シダールのせい……この男がわたしに関わらなければ、こんなことにはならなかった。お父様への義理立てか知らないけど、よくもわたしを妃にできたものだ。無神経にもほどがある。皆に慕われ、国を豊かにし、王としては立派かもしれない。でも、わたしは……」


 レンフィは魅入られていた。

 嘆き、激昂するマグノリアの感情の彩り。その激情を真っ直ぐに受け取り、心が何度も殴られているかのような痛みを覚える。

 こんなに悲しい人を、レンフィは知らない。


「許せない! これ以上辱められるくらいなら殺す! だから呪ってやったの! わたしの怨念を全て込めて!」


 悲鳴のような拒絶の声を聞いて、レンフィは息を呑んだ。

 これはもう、修復は不可能ではないか。仲直りなどと暢気なことを言ってしまった自分を恥じた。


 叫んで少し溜飲が下がったのか、マグノリアは嘲るような笑みをシダールに向けた。


「お前もさぞ、わたしが憎かったのでしょう? 痛かった? わたしはそれ以上の屈辱を味わってきた。でも……わたしを妃の地位から解放するのなら許してあげてもいい。呪いを解いて、この国から出ていく。もう二度と関わらないと誓って。わたしを忘れて、お前はその娘を可愛がって暮らせばいい」


 その声にどこか悲しげな色を感じ、レンフィは思わずもう一歩前に出た。


「待ってください。シダール様はあなたのことを憎んでいませんし、私はシダール様の妃にはなれません。何か誤解があるような気がします。シダール様が愛しているのは、マグノリア様ただ一人です!」


 話を聞く限り、やはりマグノリアはアークスを愛していない。にもかかわらず、ここまでシダールに怒りを向けるのは、特別な感情があるからではないか。そして決定的に何かがすれ違っている。レンフィはそう感じた。


 顔をしかめるマグノリアに、レンフィは必死に伝える。


「本当です。シダール様はいつもマグノリア様のことを『可愛い女』って言ってます。私の扱いは犬猫以下です。ものすごい差があります。そうですよね?」


 肯定を求めてシダールを振り返るが、彼は鼻で笑った。


「どうだろうな?」

「シダール様……まさか」

「その男がわたしを愛している? そんなはずない。適当なことを言うなっ」


 マグノリアの怒りを再燃させる形になり、レンフィは裏切り者を問い質した。想像していたより関係が拗れてしまっている原因が分かった気がした。


「もしかして、一度も気持ちをお伝えしていないのですか?」

「伝えたことはある。大昔にな。一度言葉にすれば十分であろう?」

「不十分だと思います。そんなの、不安になるに決まっています」


 シダールがレンフィにも分かることを分かっていないはずがない。わざとマグノリアを追い詰め、苦しめていたに違いない。やはり少しはマグノリアに対し、怒っているのだろうか。

 レンフィは後悔していた。今からでもシダールからマグノリアに鞍替えしたい。味方をする相手を間違えてしまった気がする。


「あの……マグノリア様、ゆっくり話し合われた方がいいです。一度、落ち着いて――」

「わたしを馬鹿にしているの!?」


 マグノリアが魔力を紡ぐと、空中に無数の氷の刃が構築された。


「もう何も聞きたくない! 帰って!」


 それが一斉に降り注ぎ、レンフィは頭を抱えて蹲った。


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