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覚えてなくて、ごめんなさい〜囚われ聖女の第二の人生〜  作者: 緑名紺
第二章 聖女と魔王、そして魔女

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21 心の拠りどころ



 

 いつの間にか気を失い、気づいたときには太陽が昇っていた。

 治療を受け、「だいぶ痛みは和らいだ」とシダールは述べた。

 傷の見た目も最初に比べて改善している。しかし、たった一晩光の治癒術を施した程度では、マグノリアの強力な呪いを解くことはできなかった。

 これから毎晩霊力が続く限り解呪をすると約束し、レンフィはふらふらと塔の部屋に戻った。


 それからは生活リズムが狂っていった。

 夜にシダールの寝室に出向いて解呪。霊力が底をつきたら気を失い、昼頃に目を覚ます。それから医務室と第三軍に顔を出し、霊力を必要としない簡単な仕事があれば手伝う。そして夜にまた……その繰り返しだ。


 事情を知っているサフランからは「無茶をするんじゃないよ」と心配され、ヘイズからは「そちらを頑張ってくれるのは喜ばしいことなのですが、別の方向でも頑張っていただきたい」と注文をつけられた。

 それ以外の事情を知らない面々の反応の方がレンフィには堪えた。

 いつの間にか、すっかりシダールと円満な関係になっていると思われていたのだ。


 宰相と廊下で行き会ったとき、満面の笑顔で頷かれた。


「春にはおめでたい報せが届きそうですねぇ。助かります」


 そこでようやく男女が寝室で夜を明かすことが結婚に近い意味なのだと気づき、レンフィは焦った。しかし口止めされている以上、言い訳ができない。


 城の中はどこか浮足立っていた。

 レンフィに向けられる視線の多くが、好奇と興味に変わる。敵意や悪意は目減りし、今まできつく当たってきた者たちを見かけなくなった。たまたま目が合っても、逃げるように去っていく。中にはへりくだったように挨拶してくる者までいた。

 これはこれで、レンフィは居心地の悪い思いをした。


 中でも一番ショックだったのが、心の支えであるリオルの変化だ。


「リオル……あの」

「うん、どうした?」

「何か手伝えること、ある?」


 表面上の態度は何も変わっていないが、レンフィは気づいていた。

 彼の方から声をかけてくれる頻度が圧倒的に減っている。


 砦にある第三軍の事務室を訪れても、リオルはほとんどレンフィを見なかった。


「ああ、今日はもういいぜ。ありがとうな。部屋で休んでろよ」

「うん……失礼します」


 言葉も気遣いもいつも通り優しいはずなのに、どこか不機嫌な色が滲んでいる。まるで追い払われているかのように感じ、レンフィは悲しかった。

 リオルが巡回から帰ってきてから、結局一度もゆっくり話ができていなかった。本当はもっと一緒にいたい。笑いかけてほしい。

 しかし、レンフィからはそのようなわがままは口が裂けても言えなかった。


 ちらりと見れば、彼の机にはたくさんの書類が積まれていた。彼自身も、巡回の報告書を作成しているようだった。

 リオルは忙しく働いており、自分は手伝いをさせてもらっている身。困らせたくはない。

 声をかけたことさえ、貴重な時間を取らせてしまった気がして申し訳なかった。明日からはもう、話しかける勇気すら出せそうにない。


「ああ! そう言えば、姫様に呼ばれているのをすっかり忘れていましたー!」


 オレットが不自然なほど大きな声を出した。


「申し訳ありません、レンフィ様。少々お傍を離れますが、よろしいでしょうか?」

「え、はい。分かりました。一人で部屋に戻りま――」

「それはダメです! 許されません。こちらでお待ちいただけますか?」


 レンフィは戸惑いながら、事務室内にいるリオルとブライダに視線で問う。用もないのにうろついていたらきっと目障りだろう。

 リオルが口を開く前にブライダが咳払いをし、応接用のソファを指さした。


「ふん。そ、それは仕方がないな。ほら、そこに座って大人しく待っていろ」

「助かりますー! では、すみません、次の鐘が鳴るまでには戻りますのでー!」


 オレットはどこかぎこちなく言葉を紡ぐと、いそいそと出て行った。するとブライダまで扉に向かう。


「新人どもの報告書に不備が多すぎるので叱ってくる」

「おい、ブライダ。あからさますぎるぞ。今じゃなくてもいいだろ」

「今しか話せないこともあるだろう。避けて通れない道なら、早めに突破する。戦場ならお前もそうしてきたはずだ」


 リオルが面食らって黙ると、ブライダはレンフィを一瞥し、去っていった。


 事務室に二人で取り残される。

 降って湧いたおかしな状況にレンフィは戸惑い、身を固くした。リオルと二人きりになるのは本当に久しぶりなのである。


「…………」

「…………」


 そして、リオルと一緒にいてこんなにも気まずい思いをするのは初めてのことだった。

 書類を見つめたきり、彼は顔を上げない。レンフィもまた、自然と俯いてしまっていた。


 不思議だった。

 前は一目姿が見られればそれで満足だったのに。

 リオルが帰ってくれば、心にぽっかりと開いた穴も元通り埋まると思っていたのに。

 たった二週間離れただけで、どうしてこうなるのだろう。会っても声を聞いても寂しくなる一方で、どんどん心が力を失っていく。


 分からない。

 何か嫌われることをしただろうか。ハンカチの贈り物がやはり迷惑だったのだろうか。

 シダールとのことを聞いて「自分の役目は終わった」と、距離を取ることを決めてしまったのかもしれない。

 ならば、どうしようもなかった。


「ああ、もう……泣くなよ」


 涙をこらえようと小さく鼻をすすったら、リオルが席を立った。よく気づいたものだとレンフィは驚く。


「な、泣いてないよ……」

「時間の問題だっただろ? 声震えてるぞ」


 リオルは大きくため息を吐いて、レンフィの隣に腰掛けた。


「陛下のところに行くの、辛いのか?」

「え? ううん。それは平気。だいぶ慣れたから」


 レンフィは平然と述べた。

 あれから一週間。シダールが最初に述べた通り、大変なのは最初だけで日を重ねるごとに施術は楽になっていった。効率よく霊力を使う方法が分かり、呪いの浸食を食い止め、傷もだいぶ薄くなった。解呪までもう一息と言ったところだ。


「本当か?」


 リオルがじっとレンフィの顔を覗き込んできた。なんだか恥ずかしくなって、頬を両手で押さえ、熱を冷ます。


「うーん、未遂っぽい。つーか、これ、やっぱり俺……?」

「何が?」

「いや、何でもねぇ。陛下とはだいぶ打ち解けたのか?」


 レンフィは遠くを見た。


「打ち解けた……のかな?」


 信頼されているのか、舐められているのか、レンフィが全力で治癒術を施している間、シダールはぐっすりと眠っている。この三年間、背中の痛みで寝不足になっていたらしいが、今は昼に気怠さを感じないとご機嫌だった。シダールのその様子がまた、城の者たちをざわつかせている原因だった。


「陛下にレンフィとの仲がどうなってるのか聞きに行ったんだけど、はぐらかされたんだよな。お前の見た目と素直なところは気に入っているらしいけど」

「そうなんだ……」

「どうでも良さそうだな?」

「どうでも良いと思っているのは、シダール様の方だと思う」


 シダールが本気で愛しているのはマグノリアだけ。最初からレンフィのことを妃にするつもりはなかったのだ。

 一途なところは素敵だし、仲直りを応援したいと思う。だから都合よく利用されても何とも思わない。本当にシダールには感謝しているのだ。


 しかし、レンフィには一つだけ心配事がある。やはりマグノリアはシダールのことなど欠片も思っておらず、ただ嫌いだから呪いで遠ざけているのではないか。

 仲直りどころか、最初から最後までシダールの一方通行の片想いだったらどうしよう。マグノリアにとても迷惑をかけてしまう。

 呪いを解いて真実を知るのが怖い。


 レンフィの表情の移り変わりを見て、リオルは肩の力を抜いた。


「なんか、いろいろ察した。陛下は他人を豪快に振り回すし、意味もなくからかったりするから。……ごめん。最近の俺、態度悪かったよな」


 突然謝られ、レンフィが見つめ返すと、リオルは気恥ずかしそうに目を逸らした。


「お前は何も悪くねぇから。陛下の手前、これまで通りの態度も良くねぇし、俺の問題っていうか、ちょっと悩んでることがあって……気まずい感じになっちまっただけ」

「悩み……私には、関係ないこと?」

「あるけど」


 即答であった。


「ご、ごめんなさい。やっぱり私、リオルに迷惑を」

「かけてない。大丈夫。今、大丈夫になりそうな気配を感じたから」


 リオルは少し自嘲気味に笑い、


「ああ、動くな。やっぱり涙が……」


と、そっとレンフィの目尻をハンカチで拭った。


「使い道あったな。持ってて良かった」

「あ、それ……」


 レンフィが贈った大人っぽい赤色のハンカチだった。


「ありがとうな。バニラに聞いた。すごく頑張って刺繍してくれたんだろ? 嬉しかったよ」

「う、でも、あんまり上手くなくて、ごめんね」

「そうか? 綺麗にできてると思うけどな」


 褒められ、心が弾むように軽くなる。


「でも、なんでハンカチなんだ? 俺のイメージじゃないよな?」

「あ、あのね、町に行ったとき、リオルが雑貨屋さんで見ていたから……気のせいだったかな」

「……ああ、あの時か!」


 リオルは声を上げて笑った。


「あの時はレンフィがすぐ泣くから、一枚持っておいた方がいいかなって思ってたんだよ。でもそれなら本人が持ってればいいじゃんってなって、買ってやろうか迷ったりして、そもそも泣いてほしくないからやめたんだ……巡り巡って、結局、お前の涙を拭くことになったな」


 なんと言えばいいのか分からず、レンフィはあわあわと口を震わせた。あの時自分がリオルのことを考えていたように、リオルも自分のことを考えていた。それに驚いて、嬉しくて、上手く言葉にならない。

 気づけばリオルが困ったようにこちらを見ていた。


「もう泣かなくなったのかと思ってたのに……なんだよ。ちょっと俺が離れただけで、どうしてそんなにめそめそするんだよ」

「それは、だって……リオルに、嫌われたら、悲しいから……」


 もしも本気で嫌われていたら、春を待たず死んでしまうかもしれない。

 そう思うくらいには、レンフィはリオルを心の拠り所にしていたのだ。情けなくて、恥ずかしい。


「そうかそうか。ふぅん」


 レンフィとは裏腹に、リオルはどこかうきうきしていた。


「大丈夫。そう簡単にお前を嫌ったりしない」

「本当? 絶対?」

「ああ。守ってやるって言っただろ」


 リオルはいつもの彼らしい、なんの陰りもない笑顔を見せた。思わず呼吸が止まった。やはり彼は心を満たして温かくしてくれる、エネルギーの塊のような人だ。


「うん……嬉しい。ありがとう」


 堪らなく幸せな気持ちになって、レンフィは微笑み返した。

 まだ何も成し遂げておらず、この国で笑うことなんて許されないのに、どうしても我慢できなかった。


「……うわぁ」


 リオルが悲鳴のような声を漏らし、目元を手で覆って天を仰いだ。


「あ、ご、ごめんなさい。笑うなんて、図々しかった……」

「違う、そうじゃねぇ。ちょっと眩しくなった」


 呪文のように、保護者、保護者、と呟くリオル。いつになく動揺して挙動がおかしい。

 レンフィには意味が分からなかった。


「大丈夫?」

「あ、ああ。一瞬大丈夫じゃなくなったけど、持ち直した」


 また大きくため息を吐き、リオルはレンフィの肩を叩いた。


「とにかく、俺のことはそう心配するな」

「う、うん……本当に大丈夫? 悩み事、私に関係あるなら、何か――」

「それはもういいって。ちょっと嫉妬してただけだから」


 嫉妬。

 その言葉に、レンフィはリオルをまじまじと見つめる。


「リオルでも嫉妬するの? え、私に?」

「この流れで分かんねぇんだ? じゃあ内緒」


 信じられなかった。

 マグノリアの激情に似た感情が、リオルの中にもあるなんて。

 俄然レンフィは興味を持った。


「どうしても教えてくれないの?」

「いずれ話すよ。今はまだ時期が悪い」

「? そう……あ、じゃあ違うこと、聞いていい? 全然関係ないことなんだけど」


 頷くリオルに、レンフィは温めていた質問を投げかけた。


「えっとね、男の人に背中の傷を治してって言われて……どうして怪我したのか聞いたら、奥さんに爪で引っかかれたって言われたの。どういう状況だと思う?」


 シダールのことだと分からないよう気をつけ、慎重に伝える。


「は? それは……その男、なんつーか、ちょっと自慢げじゃなかったか?」

「うん。ものすごく楽しそうだった」


 リオルは顔色を変えた。


「どこのどいつだ!」

「そ、それは言えない……患者さんの秘密だから。そんなに変なこと?」

「ああ。趣味が悪い。そんな傷、レンフィに見せて喜ぶなんて」

「え、ええ、そうなの?」

「そういう変態野郎の言うことは真に受けるなよ。反応すればするほど喜ぶからな。また医務室に来たら、すぐ婆ちゃんに言うんだぞ。つーか、俺に言え」


 レンフィは黙って頷いた。

 言えない。変態の正体がこの国の王だなんて。


 シダールに嘘を吐かれた。リオルの面白い反応が見られると聞いたのに、ただただ心配させてしまっただけだ。

 ますますレンフィは呪いを解くのが不安になった。




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