2 緊急会議
大陸の北東に位置するムドーラ王国。
滅亡間近と言われていたが、シダール・ブラッド・ムドラグナ王の即位とともに息を吹き返し、軍事力という一点においては急成長を見せている。
四年前。
第三王子だったシダールは、血の繋がった父と兄弟、その他親類を自らの手で惨殺し、二十二歳という若さで玉座を手に入れた。
諸外国からは“黒脈の共食い”と唾棄される手段ではあったが、国力を損なう無能な王を滅ぼし、堕落した貴族を粛清し、内乱に干渉せんとする侵略者を見事跳ね除けた結果、民は新たな王を熱烈に歓迎した。
全ては新王シダールの圧倒的なカリスマ性ゆえに成し得たことである。
とある冬の日の午後、宰相ザディンの名の下に急遽会議が開かれることとなった。
大きな円卓を幹部数名で囲み、その他の関係者は壁際に立って発言の機会を待つ。議題は当然、聖女レンフィの処遇についてである。
「さて、大変なことになりましたねぇ。さすがの私も、この展開は読めませんでした」
幹部は同意を示しながらも、全員が全員、異なる表情を浮かべていた。
ムドーラ王国の中枢には、シダール王の気まぐれと実力主義によって登用された曲者が多い。
年齢も出身も経歴もバラバラ。序列という概念はあまりなく、それぞれが王に与えられた役割を粛々とこなす。一人の王に心からの忠誠を捧げているためか、不思議と軋轢は少なく、円滑な国家運営がなされていた。
今年十九になったリオル・グラントは、円卓に席を用意された者の中で最年少の幹部である。
とはいえ平民出身でまともな教育を受けておらず、国政のことは何も分からない。
いつもならば軍事的な会議以外は代理の者を立てるのだが、さすがに今日は顔を出す気になった。
ちなみにシダール王は円卓には着いていない。
窓際のソファに寝そべって、優雅に猫を撫でている。女を侍らせていない分、今日の議題には少しは興味があるらしい。
「まさか記憶喪失とは……失敗しましたねぇ。先手を打って屈服させるよりも、情報を伏せて懐柔すべきでしたか。教国の聖女という大物を目にして、年甲斐もなくはしゃいでしまったようです」
宰相がのんびりと述べた。
穏やかな外見とは裏腹に冷酷な男であるが、終始この調子なので会議の雰囲気はどこまでも緩い。
「まずは聖女レンフィについて、認識のすり合わせをしましょうか。おさらいというやつです」
目で合図を受けた文官が書類を読み上げる。
レンフィ・スイは、水と光の精霊から寵愛を受ける聖人である。
所属はマイス白亜教国――この大陸に君臨する大国だ。
かの国では強い霊力を持って生まれたら、教会に引き取られて育てられる。レンフィも例に漏れず、血の繋がった家族については不明。現在十七歳ということ以外、素性は何一つ分かっていない。
初陣は十二歳のとき。
彼女の精霊術によって、邪教徒の屍の山が築かれ、一躍その名を知らしめた。以来、華々しい戦果を挙げ続け、将として兵を率いるようになる。
治癒術を極めた医療官としても優秀で、彼女の属する軍では著しく死者が少なかった。ゆえに戦略的撤退はしても、決定的に負けたことがない。
また、敬虔な白亜教徒としても知られている。
戦時下以外では貧民街を回り、無償で治癒術を施し、私財を投じて孤児院の経営を助けている。そのため彼女を敬愛し、志願兵となる者は後を絶たないという。
戦場での神々しいほどの強さ、弱き者への献身的な行動、そしてプラチナブロンドの髪が目を惹く可憐な容姿。
彼女はいつしか“白虹の聖女”と称えられるようになった。
「霧の中に閉じ込めて、血飛沫すら白く染める。何が聖女だ。儂らにとっては悪魔のような娘ではないか」
軍事の最高責任者たる元帥ガルガドが鼻を鳴らした。
いくら教国が“聖女”と喧伝しても、敵国の人間にとっては忌々しい存在にすぎない。味方には慈悲深い聖女も、敵には一切容赦しないのだ。
マイス白亜教国は、ムドラグナ王家の血を絶やさんと侵攻してくる。ムドーラ王国もまた、奪われた土地を取り戻さんと幾度も戦争を仕掛けていた。
そうやって二国は戦争を繰り返している。シダールが即位してから、戦いの頻度はさらに増えた。
聖女レンフィと交戦したのも一度や二度ではない。
彼女が戦いの最前線に出てくることは少ないが、教国の防衛線に配置されることは多かった。そして王国が前線を食い破る度、彼女の軍に領土の奪還を阻まれてきたのだ。
「まぁ、ここ最近は、このリオルのおかげで負けることはなかったな。ついぞ勝つこともできなかったが」
「それ今言います? 結構気にしてるんだけど」
リオルが口を尖らせると、元帥は豪快に笑った。
聖女レンフィはリオルにとって因縁の相手と言える存在だった。
リオルもまた、兵を率いるようになってから無敗の将として名を馳せていた。一対一の勝負なら、国王を除けばムドーラ王国最強とも言われている。
しかしレンフィとの戦いだけは勝ちも負けもない。お互いの力が拮抗しているせいで、いつも決着がつかず、時間切れで撤退を余儀なくされていた。
単独で戦う機会もあった。こちらの間合いに捕らえたことだってある。それなのに、一太刀が届かない。
歴戦の将が相手ならまだしも、精霊頼りの年下の少女と互角というのは我慢ならなかった。
決着をつけたかったな、とリオルは思う。
昨日の様子を見る限り、もう再戦の機会はなさそうだが。
謁見の間で泣き出したレンフィはその後も罵声を浴び続け、気を失ってしまった。極度の緊張と混乱による酸欠らしい。
宿敵の醜態に、リオルは少なからずショックを受けた。
「まぁ、この辺りはみなさんもご存知の情報ばかりですね。では、彼女の発見時の状況について詳しく説明を」
「はっ」
前に出てきた騎士の少女は、王妹・カルナ姫の護衛を務める者である。随分と緊張していた。震えながら報告書を読み上げる。
「三日、いえ、四日前の朝のことです。カルナ姫様がいつもの気まぐれ、ではなく、閃きで黒の遺跡の祭壇に祈りを捧げに行きたいとおっしゃりまして……」
カルナ姫が思い付きで行動し、周りを振り回すのはよくあることだ。
自由で型破りなところは兄王にそっくりであり、純真で明朗なところは兄と正反対。みんな、愛らしい姫には甘かった。
シダール王でさえ幼い妹のわがままを聞いてしまうのだ。臣下に姫を諫めることなどできるはずもなく、すぐに動ける護衛騎士を集め、馬車で遺跡のある森へ向かった。
「しかし、黒の遺跡に辿り着いてすぐ、巨大なトカゲの魔物が現れたのです。毒の霧を吐く珍しい個体で、気づいたときにはほとんどの騎士が動けなくなってしまいました。後で調べたところ、二年前から懸賞金をかけられている大物でした」
騎士の少女はその時の恐怖を思い出したのか、青ざめて震えた。
魔物は出現してから日を追うごとに強くなる。二年以上生き延びている個体なら、数十人単位で討伐するのが通例だ。毒を持つと知らなければ、リオルでも苦戦しただろう。
「馬車を破壊され、私は姫様を抱えて逃げましたが、あっけなく追いつかれ、あわやという時……あの聖女が間に入り、魔物を引きつけてくれたのです」
最初は聖女レンフィだと分からなかったそうだ。それは当然だろう。敵対国の将が領土内にいて、ましてや助けてくれるなんて想像できない。
「あれは、凄まじかったです。硬いうろこで覆われていたトカゲが、見る見るうちに引き裂かれて小さくなって……私は改めてリオル将軍を尊敬いたしました。どうやってあの水の刃の攻勢をしのいでいらっしゃるのですか?」
「根性と慣れ。初戦はマジで死んだと思ったよ」
レンフィは水の精霊術で鋼すら両断するし、光の精霊術で毒も浄化できる。二年物の魔物が相手でも楽勝だったはずだ。
しかし、結果的に彼女はトカゲの魔物と相打ちになった。
「毒を浄化できなかったのか、あるいは最初から衰弱していたのかもしれません。随分顔色が悪いように見受けられました。途中トカゲに足を噛まれて、かなりの血が……」
聖女と気づいていなかった騎士たちは「カルナ姫の命の恩人を死なせるわけにはいかない」と急ぎ応援を呼んで城に運び込んだ。
神々しいプラチナブロンド、高度な水の精霊術を使う十代半ばの少女。
その特徴に「まさか」と思った医療官の一人がリオルを呼んで、初めて聖女レンフィだと発覚したのだ。
早めに分かっていれば情報を伏せることもできただろうが、姫が魔物に襲われたとあって城内は大騒ぎになり、敵国の聖女の存在は瞬く間に皆に広まってしまった。
そのせいで医務室に寝かせておけず、地下牢に運び込むことになった。何せレンフィ――白亜教国に恨みを持つ者は多いのだ。状況が分かるまでは、彼女の身を守るためにも隔離する必要があった。
「大切な姫様を危険に晒し、あまつさえ敵に助けられる始末……本当に申し訳ありませんでした。弁明のしようもございません。どのような処罰も謹んでお受けいたします。私も、私の家族も、覚悟はできておりますので……!」
悲壮感たっぷりに若い少女が跪いて頭を垂れた。早く殺してくれ、と言わんばかりの様子に、宰相は苦笑した。
「此度の騎士団の失態についてですが、既に陛下の御心が決まっているのでお伝えします。……不問といたします。護衛騎士の人数が減ってしまいましたし、カルナ姫からも嘆願がありましたのでね。聖女を生かして捕らえられたので、結果的に手柄ですよ」
命拾いした騎士の少女が大きく息を吐く。
「寛容な処置に感謝いたします。二度とこのようなことなきよう、騎士団一同精進いたします!」
「はい、頑張ってください。さて、当時の状況について補足しますね。聖女はほとんど身一つで行動していたようです。遺跡の周辺も隈なく調べさせましたが、何も見つかりませんでした。真冬だというのに、旅装すら纏っていなかったというのはおかしいですね」
「ふむ。まさかと思うが……亡命か?」
レンフィは何らかの理由で教国から逃亡し、ムドーラ王国に保護を求めていたのではないか。
元帥はその可能性を言葉にし、すぐに首を横に振った。
「あり得んか。聖女が教国を裏切るなど」
「それがあり得たとしても、ムドーラを亡命先として選ぶのは不自然でしょう。ウチは聖女との禍根がありすぎますからねぇ。聖女がどのようにしてムドーラに来たのか、何を目的にしていたのか、謎は深まるばかりです」
宰相の言葉に、リオルも首を捻る。
あの日、カルナ姫が遺跡に出かけたのは偶然。ゆえに目的は姫ではなく、遺跡だろう。あの辺りには他にめぼしいものがない。
しかし、たとえカルナ姫自身が目的でなかったとしても、教国の人間が敵対する黒脈の一族を助けるのはおかしい。
一体聖女の身に何が起こったのか。リオルには見当もつかなかった。
8/22 キャラクター名を一部変更しました
アリア → カルナ