14 悪だくみ
「なかなか陛下に会いに来てくださいませんねぇ、聖女殿」
王の執務室で、宰相ザヴィンは肩を落とした。
霊力測定の日から一か月。
城の者が予想通りの拒絶反応を示す中、レンフィは自主的に医療官の手伝いをし始めた。一度兵士に手ひどく痛めつけられ落ち込んでいたが、最近また働くようになったらしい。宰相が手配した教師からも、熱心に学んでいるという。
それに加え、第三軍の雑用の手伝いまでしているとのこと。そこまで聞けば、誰がどのような影響を与えたのか察せられる。
「本当に彼女に関しては、思う通りに行きません」
宰相がその気になれば、彼女を脅かす人間を全て遠ざけることもできた。しかしあえて皆を宥めず放置したのだ。環境が悪ければ悪いほどレンフィの方からシダールに縋りつき、救いを求めて気に入られる努力をすると思ったからだ。
とはいえ心を病んでしまっては困るので、彼女に敵意の薄い、必要最低限の味方は配置した。その人選を誤ってしまったらしい。
「リオルに様子見などさせるからだ。あれは天性の人たらしだぞ。何かが違えば、黒脈の王か聖人であってもおかしくないほどだ。弱った娘など簡単に懐く」
宰相の持ち込んだ報告書の束を流し見しながら、シダールは鼻で笑った。
思わず宰相は不敬を承知でため息を吐いた。
宰相が陰湿で回りくどい手を使ってレンフィを籠絡しようとしたのは、元はと言えばシダールのせいだ。
いつまで経っても世継ぎを作らず、臣下を安心させてくれない。
女性の方が積極的なら戯れに興じることもあるし、遊び相手には苦労していないようだ。ただ、愛も魔力もない相手では、孕ませても死ぬだけということもあり、自分からは絶対に好みではない女性を口説かない。前の国王のように手当たり次第女性に手を出して殺すよりもはるかにマシだが、もう少し後の世代のことも考えてほしい。
その点、レンフィは、最後の希望と言えた。
優れた霊力に加え、見た目に合格点をもらえただけでも快挙なのである。
「ふふふ、一応釘は刺しましたが、効果はなかったようですね。今のレンフィ様はどこまでも純粋無垢……今となっては正攻法が一番だと分かります」
次の用件のために待機していたヘイズも会話に加わり、大きく息を吐いた。
「というと?」
「とことん陛下の魅力を説き、刷り込むのです。陛下の側にいれば安心安泰だと。依存させてしまえばいい」
「いやぁ、そのような娘では、陛下を満足させられるとは思えませんが」
「そうですか? リオル君に懐く彼女は、素直で可愛らしかったですよ。ああ、羨ましい……ふふふ」
ヘイズが不気味な笑みを浮かべる。
レンフィをシダールの妃にする、という同じ目論見を持つ者だが、手を組む相手を間違えたかもしれない、と宰相は肩をすくめた。
「とりあえず、リオル将軍に注意しておきますか。彼も彼で行動が読めない。何度も殺し合いをした相手に入れ込みすぎです。単純そうに見えて、どういう精神構造をしているのやら」
リオルは得難い人物だ。沈みかけた空気を変えるエネルギーに満ち溢れ、周囲を惹きつけて止まない。それでいて、決して周りの雰囲気に流されない。それは素晴らしいことであると同時に、時に組織の不和の元凶にもなりかねなかった。
悪意がないのは分かるが、王の妃候補まで惹きつけないでほしい。
「どこかズレたところがないと、将軍なんて務まらないのでは? あの冷静沈着なアザミ君だって、レンフィ様が現れてから私情に走りがちですし。姫様に“お説教”されるなんて初めてでしょう? いいな……私も呼んでほしかったです」
陶酔ぎみのヘイズを横目に、宰相は苦笑した。
「ガルガド元帥も嘆いていましたねぇ。後継はアザミ殿に決めていたのに、あの様子では考え直す必要があると」
「でも他に候補などいないでしょう。リオル君に元帥を任せるなら三十年はほしいですね……」
「そうなんですよ。なんとか復讐心に折り合いをつけてほしいものです」
宰相もヘイズも、それほど深刻に考えてはなかった。
実力を備えているとはいえ、将軍二人は若い。まだまだ伸び代があるということだ。アザミとリオルの活躍により、軍には若者がずいぶん増え、中核を担える人材も育ちつつある。
アザミの心中についても、時間が解決すると思っていた。カルナ姫に注意された以上、今後積極的に危害を加えることはできない。
両将軍のことはさておき、今は聖女レンフィについてだ。
「こうなれば、陛下の方から塔に出向いていただけないですかねぇ。せっかく部屋を整えたのですし、今ならおそらく抵抗はされません。教国の聖女など、今後二度と手に入りませんよ」
シダールは机に報告書を投げた。問題ないものと、対処が必要なものが的確に分けられ、優先度の高い順に並べられている。特に言及がないということは、やり方は任せるということだ。
「少しは成長したのか? 子守は面倒だ」
「思ったよりも子どもではありませんでしたよ。知識はともかく、思考力は年相応です。むしろ記憶がない分考えて行動しています」
宰相の分析を引き受けるように、ヘイズも頷く。
「そうですね。全てを諦めて老成した人間のように感じるときもあります……記憶喪失と言っても、元の人格の残滓が残っているのかもしれません」
「ほう」
「少しは興味が出ましたか?」
「いや、中身にはまるで惹かれぬな。それよりもヘイズ。レンフィの治癒術の効果について報告せよ」
待っていましたと言わんばかりに、ヘイズがにやりと笑う。
「素晴らしいですよ。さすが光の精霊の寵愛……邪悪なものを見事に弾きます」
「話が見えませんが」
宰相が説明を求めると、ヘイズは自慢げに胸を張った。
「陛下のご命令で、レンフィ様に怪我の治療をしていただいていたのですよ。普通の傷はもちろん、魔法で作った傷、強力な呪で作った傷、その他いろいろと。レンフィ様は全てを癒してくださいました。もう少し鍛えれば、恐ろしい魔女にも対抗しうるかと……」
「まさか」
呼応するようにシダールも口の端を持ち上げた。
「マグノリアとは、そろそろ決着をつけねばな。レンフィのことは耳に入っているだろう。若くて美しい聖女相手に、嫉妬に焦がれているといいが」
シダールは実に楽しげであった。獲物をいたぶる虎のようだ。
城の裏手、普通の人間では辿り着けない森の奥にある館。そこで王妃マグノリアはひっそりと暮らしている。
彼女はこの王国で唯一、シダールの命令に真っ向から逆らえる存在である。境遇を考えれば無理もないが、王妃として務めを果たさず、勝手に振舞う彼女のことを、宰相が好意的に受け入れられるはずがなかった。
「それは……ううむ。私では立ち入れぬ領域ですが……くれぐれもお気をつけて」
「ああ、我が妻は侮り難い女だ。そうだな、鍛えるという名目ならば、レンフィと遊んでやってもいい。マグノリアの力に負けてもらっては困る」
「それは本当ですか」
「ああ」
宰相とヘイズは顔を見合わせ、深く頷き合った。今までずっと放置してきたレンフィに、どういう形であれ関わりを持ってくれそうである。少しだけ希望が見えた。
「ヘイズの報告は以上か?」
「いえ、マイス白亜教国絡みのものが一つ。レンフィ様について探りを入れていたら、教国で面白いことが起こっていましたよ」
諜報を得意とするヘイズの部下が、教国から送ってきた情報だ。
「“空理の聖人”オークィ氏が殺されたそうです」
「それは……驚きましたねぇ」
オークィは金にがめつい老齢の聖人である。
その堕落ぶりは有名で、白亜教徒にも煙たがられるような存在だ。他の聖人の足を引っ張り、信者から金を巻き上げ、育てた孤児を利用して今の教国での地位にしがみついている。方々で恨みを買っているだろう。殺される動機は十分ある。
しかし、腐ってもオークィは聖人。レンフィと同じく膨大な霊力を身の内に宿している。彼を殺せる人間がどれだけいるというのか。
「目撃者はおらず、犯人は不明。遺体は鋭利な刃物で八つ裂きにされていたそうです。時期的には、レンフィ様が王国で見つかった日の前後です」
続く説明で、疑問は氷解した。
聖女レンフィは水の刃で戦う現役の将だった。
「……なるほど。無関係の話ではなくなってきましたねぇ」
「やるではないか。俄然あの娘に興味が沸いてきたぞ」
変なところに食いつかないでほしい、と宰相はこめかみを押さえた。
「状況的に限りなくクロですが、決めつけるのは早計かと。濡れ衣を着せられて逃亡という線もあり得ますから……教国上層部は、レンフィ殿については?」
ヘイズは首を横に振る。
「密かに捜索する動きがありますが、まだ教国内を重点的に捜している様子。表向きは山の神殿で一人祈祷と修業を行っている、ということになっています。なぜそのような嘘を吐いているのかは分かりませんね。オークィが殺害されたことについても、一般教徒にはまだ発表されていません」
「そうですか。問題は、レンフィ殿がムドーラにいると気づいている者がいるかどうかですが……」
「おそらくはまだ、としか。今のところ新たな間者は入ってきていませんし、特別ムドーラへ意識が向けられていないようなのです。教国上層部は一枚岩ではありません。老害たちを一人一人洗っているわけではないので、断定はできません」
もたらされた情報を吟味し、宰相は唸った。
レンフィを王国で保護して一か月以上が経つ。
いくら冬で人の動きが鈍っているとはいえ、未だに白亜教国がレンフィの所在を把握できていない様子なのは意外だった。
しかしそれも時間の問題だろう。
城には身元の確かな者しかいないが、不届き者はどこにでもいる。城全体が聖女レンフィの存在を把握している以上、必ずどこかから情報が漏れる。
そのとき教国がどのような動きを見せるのか、そしてどのような対応をすべきか。可能な限りレンフィが王国に来た経緯を把握したい。
「しかし全てを知るのは神のみ、ですか。もう少し手がかりが欲しいですねぇ。教国に有効な手札を揃えておきたい」
彼女は自らの意思で失踪したのか、はたまた何者かに命じられて王国にやってきたのか。
謎の輪郭さえまだ掴めない。
「ならば、少し賭けに出るか」
シダールは報告書の束から書類を一枚抜き取り、優先事項を変更した。
「時の聖人を探せ。運が良ければ、まだ王国内にいる」
それはマイス白亜教国に所属していない、数少ない聖人だった。