13 幕間 魔性の姫君
お時間をいただく予定でしたが、幕間を投稿するのを忘れていましたので更新いたします。
※残酷な描写・パワハラがあります。苦手な方はご注意ください。
大きな黒い瞳が、赤い光を宿して揺れる。
「わたくし、とても恥ずかしかった」
カルナ姫がそっとため息を吐く。その幼い美貌には、見る者を不安定な気持ちにさせる魔性が滲んでいた。
「あの日は、とても楽しい時間を過ごせていたの。だけど、せっかくのお茶会は台無しになってしまった。どうして大切なお客様を部屋にお送りしなかったのかと、ずっと自分を責めていたの」
「…………」
「真冬の庭に水浸しの状態で投げ出して、罵りながら何度も蹴ったのですって? わたくしのために着てくれた素敵な御召し物を汚して、わたくしがお渡ししたお土産を踏み潰して、ジンジャーのことも突き飛ばしたと聞いたわ。わたくしの一番のお友達は、とても怒っていた。あんな悔しそうな彼は初めて見た……ひどい」
言葉とは裏腹に可憐な笑みを浮かべたカルナに、跪く者たちは肝を冷やした。
「いい? レンフィ様はこの国にとって、とても大切な方なの。傷つけるなんて許されない」
温室にはカルナ姫と護衛騎士の他、アザミとその部下三名が呼び出されていた。レンフィに暴行を働いた兵士である。
「申し訳ありません。私の監督不行不届きでございます」
「ええ、それはもう聞いた。アザミがあの後すぐに謝罪に来てくれたから、様子を見てあげたの。あなたはお兄様にもきちんと報告し、そこにいる者たちにも厳しい処罰を与えた。でも……がっかりした。どうしてまだレンフィ様に謝っていないの? 家族の仇だから?」
心の一番繊細な部分を貫かれ、アザミは言葉を詰まらせた。
「お言葉ですが、姫様」
「黙っていろ」
部下の男たちは毅然とした態度で首を横に振った。
「いいえ、言わせていただきたい。確かに姫様にはご不快な思いをさせてしまいました。それは大変申し訳なく思っております。しかし、聖女レンフィを試す行為はシダール陛下にも認められています」
男の言葉に、他の二人も追随するように頷く。
「試す? か弱い女性を暴行することが? それで何が分かるというの?」
「……あの女が、猫を被っていないかどうかです。追いつめられれば本性を現し、暴れるかもしれないでしょう? それで陛下や姫様の危険があったら大変なことです」
「結果、暴れはしなかったですが、抵抗もせず、人としての矜持がないように見受けられました。我らの王の妃としては不適格かと」
カルナは呆れた。もう口を利く価値もないとばかりに、アザミに声をかける。
「アザミ。さっきからあなたの部下はおかしなことばかり言うわね?」
「……姫様、どうかご容赦を」
カルナはにこやかに頷き、一枚の便せんを優しい手つきで広げた。
「レンフィ様がね、お手紙をくださったの。『迷惑をかけてごめんなさい』ってたくさん書いてあるわ。文字も一つずつ丁寧につづられている。いじらしい方。きっと何度も書き直してくださったのでしょう。わたくし、こんなに心がこもったお手紙をもらったのは初めて」
いきなり何の話をし始めるのか、と男たちは困惑した。
「それと比べて……心も、価値も、何もかもが著しく劣っている。ねぇ、アザミ。この国に必要なのはレンフィ様と彼ら、どっち?」
アザミは答えない。その顔は苦しげに歪んでいた。
「姫様、一体何をおっしゃっているのです」
「捕虜と正規の軍人である我らを比べるのですか?」
「その手紙に、我らへの厳罰を求める言葉でもあったのですか?」
カルナの顔から笑みが消えた。
「言い方を変えてあげる。わたくしの命を救ったレンフィ様と、わたくしを嫌な気持ちにさせる愚図、あなたにとってどちらが大切?」
さらにカルナは言い募る。
「光の精霊の寵愛を受け、水晶を六つ以上輝かせるレンフィ様と、そんな彼女を試そうなどと宣った身の程知らず、どちらに価値がある? 聖人というのは、この世界で黒脈の王に次ぎ神に近い人間。彼女を試す資格を持つのは、お兄様とわたくし、あるいは彼女に匹敵する価値を持つ者くらいなのよ。アザミでもギリギリというところかしら。そんなことも理解できないなんて、可哀想」
ここにきてようやく男たちは青ざめ、言葉を失った。
「もう一つ言えば、レンフィ様と出会ったとき、わたくしは大切な護衛騎士を三人も亡くした。彼らの犠牲に報いるためにも、レンフィ様のことは大切にしないといけないと思っています。今後、彼女が怖がることのないように、要らない者はこの城から消えてもらわないと」
無邪気で高貴な微笑みには、熱が全くなかった。
「ひっ」
男たちは気づいた。明るく可憐な一面だけが彼女の全てではない。
血を流すことを躊躇わない王者。カルナ姫は、間違いなく黒脈の一族なのだと。
「ちょうど良かったわ。聞いたところによると、この者たちは元山賊の囚人なのでしょう? 前に教国の監獄から逃がしてあげたという。改心の機会を与えられながら、この体たらく……」
歌うようにカルナは告げる。
「黒脈の一族に与えられた役目は、無色の人々を導き、神に近づくこと。命を最適化すること。そして、見込みのない者を淘汰すること」
「……っどうか! どうかお許しを!」
男たちは震え、次々と床に伏せて許しを請う。
アザミもまた深く頭を垂れて慈悲を願った。
「……仕方ないなぁ。じゃあアザミ、一人だけ選んで。最も不要だと思う者の首を刎ねるの。今、ここで。それができたら許してあげるわ」
「カルナ姫――」
「わたくし、アザミとリオルがお兄様の左右を飾る姿が美しくて気に入っているの。これからも王家に仕えてほしい。だから……忠誠を示して」
護衛騎士の一人が無言でアザミに剣を差し出す。
しばしの逡巡の末、アザミは剣を握り、恐怖で人相を歪めた部下たちを見下ろした。
「っ嫌だ! 死にたくない!」
目の合った一人が錯乱し、脱兎のごとく逃げ出した。
なりふり構わず温室の出口を目指し、そして。
「わ、びっくりした」
見張りの騎士にレイピアで心臓を一突きにされ、崩れるように倒れた。赤い血だまりが広がっていく。
「も、申し訳ありません、姫様。つい……」
「構わないわ、オレット。ご苦労様。……良かったわね、アザミ。残り二人になったから、比べるのが楽でしょう?」
残された男二人は戦慄した。
アザミは分かっていた。カルナ姫が望む答えを示さない限り、この試練が終わらないことを。
「オレットは強いでしょう? わたくしの自慢の騎士なの。そんなオレットが戦えないと判断した魔物を、レンフィ様はたった一人で倒してしまったのよ。あのときのお姿……本当に凛々しくて惚れ惚れしたわ。もちろん、今の可愛らしいレンフィ様も素敵なのだけど」
うっとりとため息を吐くカルナ姫。
「くそが! こんなところで死んでたまるか!」
その姿が隙だらけと見るや、男の一人が飛び掛かった。姫を人質にしてこの場から離脱しようと、イチかバチかに賭けたのだ。
「愚かな」
アザミは躊躇わなかった。
飛び掛かった男を横から蹴り飛ばし、倒れたところにさらに足を叩き落とす。折れてはいけない骨が折れ、生々しい音が温室に響いた。
「無作法をお許しください。斬ると、姫様に血飛沫がかかると思いましたので」
「まぁ、お気遣いありがとう。それで?」
「……今のは浅ましい暴漢から姫様をお守りしたまで。私の真の忠義は示せておりません」
残された一人は、茫然自失で座り込んでいた。
アザミが近づいて剣を構えても声も上げない。
「今までよく働いてくれた」
せめてもの慈悲にと一撃で絶命させた。
返り血を浴びる。胸の中でどす黒い感情が蠢く感覚がして、アザミは大きく息を吐いた。
「お見事です、アザミ・フーリエ将軍。それでこそムドラグナの臣。これからも、変わらぬ忠誠をお兄様とわたくしに捧げなさい」
「は」
カルナ姫は三つの死体など存在しないかのように、華やかに微笑んだ。
「レンフィ様への謝罪は、もう少し落ち着いてからでいいわ。今日から医務室でお手伝いを再開するんですって。お手紙に書いてあった。せっかく立ち直ってくださったのに、アザミを見たらまた怯えてしまうかもしれない」
「……承知いたしました」
「言っておくけれど、手紙にあなたやあの者たちを非難する言葉は一つもなかったのよ。確かめる?」
アザミはレンフィが書いたという手紙を一瞥し、首を横に振った。
護衛騎士の一人がアザミに囁く。
「遺体の処理はこちらで。あの者たちは、国境付近で奉仕労働をする予定でしたね? しばらくはその通りに」
これで彼らの存在は、文字通り消える。
誰かが死を悼むことすらなく、忘れられていく。
「失礼いたします」
アザミもまた、感傷に浸ることはなかった。温室を出てすぐに思考を切り替える。
怒りも悲しみもない。生え抜きの部下ではないし、特別目をかけていたわけでもない。
彼らの素行の悪さは前々から問題視されていた。前科者を栄えある第一軍に配属するわけにもいかず、新兵の多い第三軍では荷が重い。仕方なく第二軍で引き取っただけだ。
アザミならば制御できるだろう、という元帥の期待を裏切る結果になったのは申し訳なかった。
しかし、今回の件は本当に余計なことをしてくれた。
これでは、聖女レンフィが被害者になってしまう。
リオルやカルナ姫、その他にもレンフィに同情する者は増えるだろう。
「……っ!」
廊下の柱に拳を打ち付け、アザミは浅くなった呼吸を整える。
許さない。許してはいけない。
聖女の皮を被った罪人を殺す。
どんな手を使っても、必ず。