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12 満ちる心


 

 食事の後、ジンジャーの靴を仕立てるため工房に行ったのだが、食べ過ぎたレンフィは革の匂いに当てられてしまった。


「もう少し時間がかかるってさ。俺たちは他の店を見てようぜ」

「うん」


 リオルとともに、落ち着いた雰囲気の雑貨屋に入る。せっかくなので、ジンジャーへのお詫びの品を選ぶことにした。

 すぐに無くなると言っていたことを思い出し、ペンと植物紙の束に決めた。この紙もまた、他の黒脈の王の作品らしい。


「あ、可愛い……」


 小さな花がちりばめられたレターセットに心を奪われる。しかし手を伸ばしかけて、やめた。


「買わねぇのか?」

「使うときがないし……」

「姫様に手紙書いたらいいじゃん。きっと喜ぶぜ」

「そ、そうかな。そうだね。じゃあ」


 会計をしている間、ちらりとリオルの様子を伺う。一度断られてしまったが、本当は彼にも何かお礼がしたい。いつもお世話になっているし、今日は昼食もご馳走になってしまった。


 しかしリオルが何を貰えば喜ぶのか、見当がつかない。

 レンフィがじっと見つめていると、彼は手持ち無沙汰に店内を見て回り、ハンカチが置いてある棚で足を止めた。しばらく考えるように眺めていたが、手には取らなかった。


 レンフィは勇気を振り絞り、金額を計算している店主に小声で問いかけた。老紳士という言葉がぴったりの知的な男性である。


「あの……お世話になった男性にハンカチをプレゼントするのは、おかしいことでしょうか」


 それだけで全てを察したらしい。店主は相好を崩し、リオルに聞こえないように声を潜めた。


「何もおかしなことはありませんよ。きっと喜ばれます。ですが、そうですね」


 カウンターの奥から店主は無地の布を持ち出してきた。


「ご自分で染めたり、刺繍をされたりしてはいかがでしょう? いっそう大切に使ってもらえますよ」

「…………」


 できるだろうか、と自分の心に問いかける。バニラに聞けば教えてもらえそうだが、時間を取らせてしまう恐れがある。いや、教えてもらったらできるなんて、思い上がりが過ぎるのではないか。

 レンフィは急激に冷静になった。大体、宿敵であった相手からプレゼントを贈られて、リオルが喜ぶはずがない。手を加えた品なんて嫌がられてしまうかもしれない。

 しかし店主が良かれと思って素敵な提案をしてくれたのに、今更断るのも失礼では……。


「どうした? 時間がかかってるな」


 いつの間に背後に立っていたリオルの声に飛び上がる。


「え、えっと、この色にします。下さい!」

「お買い上げありがとうございます。お包みいたしますね」


 店主の流れるような手さばきのおかげで、何を買ったかは分からなかったはずだ。リオルは首を傾げていたが、追及してこなかった。

 冷や汗を滲ませながら会計を終え、商品を抱えて雑貨屋を出る。店主が外まで送ってくれた。


「一枚おまけさせていただきました。失敗を恐れず、気楽に頑張ってみてください」


 去り際に囁かれ、レンフィは恐縮して何度も頭を下げた。


「良い買い物ができたみたいだな。持とうか?」

「ううん、大丈夫。ありがとう」


 既に女子二人分の服を持ってもらっている。何より中身のことを思えば、リオルに持たせるのは心臓に悪い。






 姉弟と合流し、城に帰ることになった。

 もうすぐ太陽が山の向こうに落ちてしまう。最初は憂鬱だったのに、終わるとなれば寂しく感じた。

 みんなには本当に感謝の気持ちでいっぱいだった。塞いでいた心が少しだけ晴れた。同時に罪悪感で胸が軋む。

 城が近づくにつれ、足が鈍った。あそこに戻れば、またいろいろな視線に射抜かれることになる。


「あ、そうだ。お前らは先戻ってて。もう一つレンフィを連れていきたい場所があるんだ」

「え?」


 リオルは二人に荷物を渡すと、レンフィの手を引いて砦の中に入った。兵士たちがぎょっとする中、軽く微笑んでどんどん奥へ進み、階段を上がっていく。


「こっち。滑るなよ」


 砦の上、無人の見張り台に引き上げられ、寒さに肺がきゅうっと縮んだ。ついでに高さに眩暈を覚える。


「眺め最高だろ。町が近くてよく見える」

「うん……」


 冬の澄んだ空気が斜陽の光に照らされ、町の輪郭を柔らかくしていた。この優しい町が白亜教国では“悪の王国”と呼ばれているなんて、レンフィには信じられなかった。


「どうだった? 今日」


 問われて、レンフィは思ったことをそのまま伝えた。


「た、楽しかった。町の方たちもみんな優しくて、笑顔で働いていて、素敵だった……」

「だろ? ここは、今は本当に良い国なんだ。前とは違う」


 リオルは誇らしげに町を一望して、白い息を吐いた。


「お前との約束、果たせたよ。今日は付き合ってくれてありがとな」


 驚いてレンフィが顔を上げると、リオルの視線は遠くにあった。


「みんなには内緒な。陛下以外は知らない話。あれは、二年前の冬だったかな。豪雪の中で聖女レンフィと戦ってて、二人揃って崖から落ちたことがある。それでそのまま遭難した」

「え」

「俺は肋骨と足の骨が折れていて、身動きができなかった。レンフィも怪我をしたみたいだったけど、あっさり自分だけ精霊術で治しやがった。『あ、これは今度こそ殺される』と思った」


 こんな不本意な形で死ぬのを避けたかったリオルは、プライドを捨ててレンフィに交渉した。

 リオルの魔力の属性は火。魔法は苦手だが、火を起こすくらいはできる。このまま暖を取らないと凍死するしかない。今は手を組もう、と。

 雪山の恐ろしさを三倍くらい盛って伝えると、レンフィは渋々承諾し、リオルの足の骨折だけ治療した。


「それから近くに小さな洞窟を見つけて、二人で夜を明かした。あ、変なことはしてないからな。俺はもう怪我が痛くて痛くて、ずっと焚火の側で転がってた」

「ごめんなさい……非常事態なんだから、治してあげればいいのに」

「無理無理。殺されなかっただけマシ。いつになく不機嫌だったから。敵国の若い男と協力しなきゃならない状況なんて、あの時のお前には耐えられない屈辱だったんだろうな」

「うぅ、本当にごめんなさい……」


 それからリオルとレンフィは、洞窟の中で少しだけ会話をしたのだという。

 戦場で顔を合わせるようになってから数年。ゆっくり言葉を交わしたのはそれが最初で最後だった。

 何がきっかけだったのか。聖女が忌々しげに言った。


『ムドーラ王国なんて、野蛮で残酷な悪い国です。滅ぼされて当然です』

『そんなことねぇよ。シダール様が王になってから随分変わった』

『ああ、そうですか。良かったですね』

『信じてねぇな? 一回見に来い。つーか見せてやる。絶対に白亜教国よりも良い国だって証明してやっからな! 覚えてろよ!』


 それが、リオルの言っていた約束。

 売り言葉に買い言葉から生まれた、一方的な宣戦布告だった。


 そのときのレンフィは、冷ややかな微笑を浮かべていたらしい。馬鹿にされたのだとリオルは受け取った。


『本当、教国って一体どうなってるんだよ。兵の命を使い潰すような作戦ばっかり。お前、そんな国のために戦って、楽しいのかよ』


 それから教国を否定する言葉を二、三投げたら、レンフィがいきなりキレた。


『何も知らないくせに勝手なこと言わないで!』

『お前だって何も知らねぇだろ!』


 洞窟に怒鳴り声が響いたとき、リオルは怪我の痛みに呻き、レンフィは我に返ってそっぽを向いた。


「そのまま無言になって……寝落ちした。俺は痛みで何回か起きたけど、レンフィはずっと寝てたと思う。それで雪が止んで朝になったら、レンフィはいなくなってた。しかも気づいたら、怪我が治ってたんだよ。一体どういうつもりだったんだろうな。その後戦場で会っても、お互いあの時のことを掘り返すこともなくて、とうとう真意を聞けなかったな……礼も言えなかった」


 リオルはバツが悪そうに顔をしかめた後、力が抜けたように笑った。


「そういうわけで、俺は聖女レンフィにこの国の良さを見せつける約束をしてたんだ。それが今日果たせた。胸のつかえがとれたよ」

「私、その、覚えてなくて……」

「分かってる。いいんだ、俺の自己満足で。もう昔のお前には会えないわけだし、会えたところで殺し合うだけだろうし、どうせ俺との会話なんて覚えてねぇよ。お前が楽しい一日を過ごせたなら十分だ」

「…………」


 本当の意味で約束が果たされることは二度とない。

 リオルが約束をした相手は自分であって自分でない。なんてもどかしいのだろう。レンフィは、これまでで最も記憶喪失になったことを悔やんだ。


「そんなに落ち込むなよ。俺がこの話をしたのは、そんな顔をさせるためじゃない。お前に覚悟を決めてほしいんだ」

「なんの?」

「この国で笑って生きていく覚悟だ」


 レンフィの心に影を落とすように、空が夜色に移り変わっていった。

 リオルは真剣な表情で言う。


「開き直っちまおうぜ。記憶を失くして、お前は真っ新になった。正直見る影もない。今までの罪も消えたってことにして、もう気に病むなよ」

「そんな、そんなこと……できない。だって」


 レンフィが咄嗟に首を横に振って後ずさる。


「私を見つけると、城の皆さんが嫌な顔をするの。でも今日は違った。町の人たちは、私が教国の聖女だって知らないから……そうでしょ? 知ったらもう、笑いかけてもらえない。記憶は消えても過去は消えないよ。私は、許してもらえない」


 リオルがぎゅっと両手を取って引き止めた。


「じゃあまず俺が許す。きっとバニラとジンジャーも気にしない。陛下がお前を認めれば、そういう奴はどんどん増えるよ。過去は変えられなくても今と未来は変えられる。それでも許さないっていう人間は仕方ない。憎まれても受け流せ。できないなら、俺が間に入って守ってやるから」


 レンフィは息を呑んだ。

 分からない。どうしてリオルがそんなことを言ってくれるのか。

 問う前に答えが返ってきた。


「俺はお前にこの国を好きになってほしいんだ。それで、今度こそ分かり合えるといいなって思ってる。今のお前は泣き虫で臆病で卑屈なだけで、何も悪いところなんてない。他人の為に頑張れる素直で謙虚な良い奴だ。だから力になりたいと思ったんだよ」


 その力強い言葉に、熱い手に、沈んでいた心が引っ張り上げられるような気がした。


 目覚めてから何も分からず、恐ろしい想いばかりしている。

 ここは敵国で、心から信じられる人なんていなかった。

 バニラとジンジャーでさえ、命じられているから親切にしてくれているだけで、本当は世話役など辞めたいのではないかと疑ってしまう。


 他の者の優しさには打算しか感じなかった。王の子どもが産めるから、強い霊力を持っているから、正妃よりもマシだから。そんな理由でしか居場所をくれない。

 誰も、レンフィの中身を見なかった。笑っていいなんて言ってくれなかった。


 でも、他の誰に咎められてもリオルが許してくれるなら、生きていける。

 リオルのいるこの国にいたい。応えたい。もう泣き暮らすのは嫌だから。


「…………」


 唐突にレンフィは理解した。

 やはり自分は聖女ではなかった。これからも、なれない。


 ほんの些細なことでいい。幸せを感じたい、安らぎたい、誰かに認めてほしい。

 その欲には抗えなかった。一度満たされてしまったら、もう手放せない。


 今まで行方不明になっていた感情が溢れ出し、レンフィは俯いた。本当は両手で顔を隠したかったのに、まだ掴まれて塞がっていた。自分からは離しがたく、なす術がない。

 これで最後と心に決めて涙を落とす。


「すぐには、無理だと思う……けど」

「ん?」

「もう少し、頑張ってみるから、今だけ、許して……」


 あなたが望んでくれるなら、そばにいてくれるなら。

 どれだけ傷ついても、どれだけ疎まれても。


 もう簡単には、泣かない。





第一章・完

続きを書き溜めたいので少々時間をいただきます。

申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。


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