エピソード4 見守る王妃
たくさんの人が惜しむように声をかけていた。見送りの数を見れば、彼がどれだけ慕われていたか分かる。
最後に馬上から大きく手を振って、リオル・グラントは城門を出て行った。
その様子を城の窓から眺め、マグノリアは何とも言えない寂しさを覚えた。
季節は初夏。新天地に旅立っていくリオルを見ると、連鎖的にレンフィのことを思い出してしまう。
『たくさんお世話になりました。本当に、ありがとうございました』
そう言ってレンフィは瞳を涙で潤ませていた。
聖ソフィーラ協会に行くという話を聞いた時、マグノリアは咄嗟に引き留めた。わざわざ苦労することはない。シダールや聖人たちが何を言っても気にせず、この王国で穏やかに暮らせばいい、と。
もちろん分かっていた。レンフィの性格上、自分だけがぬくぬくと平和に暮らせないだろう。精霊に与えられた力でたくさんのものを守った分、精霊の求めるような生き方をしなければならない。
世界の浄化をするには、ウツロギのいる協会で働くのが一番だ。マグノリアでもレンフィと同じ立場なら同じ選択をしたと思う。
それでも、やっぱり心配だった。マグノリアの中ではレンフィは守らなければならないか弱い存在だったのだ。
『ごめんなさい。マグノリア様と先に約束していたのに……』
『そのことは気にしなくていい。わたしはもう大丈夫』
王妃と捕虜、お互いに協力して城での立場を確保することを約束した。
最初はマグノリアの帰還を喜ばない者が多くいた。その多くはシダールに黙らされたし、マグノリアもいろいろと王妃としての威厳を示し、忙しさのどさくさに紛れて地位を固めた。
少しはシダールの役に立てていると思う。認めてくれる人も増えた。今では随分と居心地が良くなったし、ようやく王妃の務めを果たせそうだ。
そして、マグノリアは気づく。
あれからレンフィはアザミと和解し、己の過去を知り、リオルと両想いになり、リッシュアへ行ったり教国へ行ったり、大変な目に遭った。
今ならば、シダールに言われるままに毒薬を飲んだりしないだろう。彼女は意志と力を持ち、たくさんの人の信頼を勝ち取っている。
自分以上に、レンフィは眩しいくらいに成長したのだ。
『そうね。今のレンフィもきっと、どこへ行っても大丈夫。そう信じている』
『マグノリア様……』
彼女が考え抜いた決めた道ならば、反対すべきではない。応援しなければとマグノリアは決意した。
『でも、落ち着いてからでいいからたまには帰ってきて。わたしが寂しいから。あと、結婚式には絶対に呼んで。わたしは新婦側の招待客として参列するから』
レンフィは感激したように何度も頷いていた。
いつの間にかリオルと結婚の約束をしたようだが、具体的な話はまだ先らしい。妹のように思っているレンフィの晴れ姿は絶対に見守りたい。
「妹と言えば……」
義理の妹であるカルナのことを思い出し、マグノリアは大きくため息を吐いた。
シンジュラ・ブラッド・ルークベルと電撃婚約したと聞いた時は耳を疑った。
『わたくしがいないとダメになってしまうような、可愛い方……そういう方を思い切り虐め、ではなく、愛でたら楽しそうですわよね!』
好みの異性の話になった時のカルナの言葉である。
シンジュラのことは正直よく知らないが、これからどのような目に遭うかはありありと想像できた。
しかし好みだったとはいえ、流刑に処される男について行ってしまうカルナの情熱には驚いた。そして、あっさりとそれを許したシダールの判断も信じられない。
普通だったら止める。まだ十一、二歳の黒脈の姫が一目惚れで結婚相手を決めるなんてあり得ない。
『わたしはカルナさんの婚姻には口を出さないと決めた。頑張って探して』
そう言ってしまったことが悔やまれる。本当に口を挟めなくなった。
宰相や騎士たちも頭を抱えていた。シダールが許しを与えた以上、結局誰もカルナを止めることはできなかった。
もう各国にも話が広まってしまっている。腹をくくるしかない。
リオルにレンフィ宛の手紙と贈り物を託した。
ならばカルナにも何かお祝いの品を贈らねばならない。
今度ヘイズがまたカルナとシンジュラの様子を見に行くというので、開拓に役立ちそうな魔法と魔石を預けよう。
そう思い付き、魔法士団の研究室に足を向けた。すると、ヘイズと誰かが会話する声が聞こえてきた。
「お断りします、他を当たってください……」
「どうしてですぅ? こんな美少女に誘われてるのに」
「美少女……? まぁいいですが、今は忙しいんです……」
覇気がないだけではなく、やや苛立ちが含まれるヘイズの声に、マグノリアは意外に思った。ふてぶてしいほどにいつも冷静なヘイズが怒っているところなど見たことがない。
そっと研究室を覗くと、ヘイズと一人の少女が睨み合っていた。
マリーというその少女は、白亜教国の元密偵である。レンフィの妹を名乗り、命乞いをしたが、結局捕らえられていろいろと悲惨な目に遭った。そしてレンフィの説得によって寝返って、少しは戦いの役に立ったために生かされ続け、今に至る。
レンフィがムドーラ王国から出て行ったというのに、なぜかマリーはここに残っていた。
『だって、聖ソフィーラ協会は清貧を謳ってるって聞きました。わたしの性に合わないですぅ』
ふざけた小娘である。
城から追い出してやりたいところだが、真面目に働いてはいるらしい。「城働きで稼いで、それを元手に商売を始めて大金持ちになる」という堅実なのか無謀なのか分からない野望があるとも聞いた。少し面白そうなので放っておこう、というのが多忙すぎて疲れたムドーラ幹部陣の総意である。
話の流れから察するに、マリーはヘイズを口説いているようだ。マグノリアは気まずい気持ちになりながらも、声をかけることも去ることもできなかった。だって気になる。
「忙しいなんて、嘘じゃないですか? シンジュラ様のところにはよく足を運んでいたくせに」
「それも仕事なので……」
「忙しいのが本当だとしても、休息は必要だと思いますぅ。だから食事に行きましょ。一晩くらい、いいじゃないですか」
「……シンジュラ王にフラれたばかりだというのに、懲りませんね」
「フラれてない。吹っ切っただけですぅ」
「似たようなものでは? 望みは全くなかったわけで……その彼がカルナ姫様とあっさり婚約したことが不満のようですね……?」
マリーは頬を膨らませた。
「別に!」
「分かりやすい……失恋の痛みを他の男にちやほやされて誤魔化したいというのなら、もっと若い男をオススメします。中にはころりと騙される者もいるでしょう……」
「ころりって。言葉の節々から侮辱されている気がしますぅ。わたしだって、誰でもいいわけじゃないんですけどっ」
「ほう、それは光栄ですね……なら当然、私にも誘いを断る権利を認めてくださいますよね。誰でもいいわけではないので」
完全にあしらわれ、マリーは肩を落とした。
「というか、もっと若い男って言いますけど、ヘイズさんはおいくつなんですか? 全然分かんないんですけど?」
しれっと重要な秘密に触れようとしているマリーに、マグノリアは別の意味でドキドキし始めた。
王妃として帰還してから、シダールに聞いた。
ヘイズは時の聖人の子孫で、もう何百年もムドラグナ王家に仕え続けているという。不老不死というわけではないが、いつ寿命が尽きるのかは本人にも見当がつかないらしい。
「実は、もう自分の年齢ははっきり覚えていないのです……」
「はぁ? からかってるんですか?」
「いいえ? 私は特異体質で年を取らないのです」
「からかってますね。そんなにわたしに付きまとわれるのが嫌なんですか?」
ヘイズは困ったように笑った。
「嫌になるのはマリーさんの方だと思いますよ。自分は老いて衰えていくのに、隣にいる男が若いままなんて。特にあなたのような女性は気にするのでは?」
「え? なんでです?」
マリーはけろりと言い放った。
「実年齢はどうでもいいです。見た目さえ若くて美しければ……かなり年下に見える男にエスコートされていたら、良い気持ちになれそうですぅ。それにわたし、おばあちゃんになっても十分可愛いはずなので」
ヘイズは絶句した後に弱々しく笑った。
「マリーさんは独特な考えの持ち主なんですね……というか、普通思っていても口にしないでしょうに……ふふふ、知能が低いですね」
「はぁ!?」
マグノリアはようやく我に返り、その場から離れた。
夜。夫婦の寝室でシダールに今日の出来事を報告する。
「ほう、ヘイズとあの小娘が……」
「びっくりでしょう。でもからかったりせず、そっとしておいてあげて」
意外な組み合わせだが、可能性がゼロではないように感じた。くだらない干渉でその僅かな可能性の芽を潰すのは申し訳ない。
まさか元上司の色恋を見守る日が来るとは思わなかった。マグノリアの方がそわそわと落ち着かない気持ちになる。
「止めぬのか」
「ええ」
周囲の人間が老いて死んでも、ヘイズはそのままの姿で生き続ける。時の流れに取り残された彼の心境は想像できないが、寂しさを感じないはずがない。
これは勝手な想像だが、ヘイズが今まで家族を持たなかったのは、近しい人間の死によって心が乱されるのを厭うているからではないだろうか。
その考えは正しいのかもしれないが、とても悲しい。
何がヘイズにとって幸福になり得るのか、マグノリアには分からない。だから見守る。
「応援も邪魔もしない。ヘイズさんが最良の選択をするまで、黙っていましょう」
「面白そうだしな」
「シダール」
シダールはグラスにリンゴ酒を満たし、マグノリアに差し出した。
「黙っていると言えば、お前の隠していることをそろそろ打ち明けてもらおうか」
「…………」
マグノリアは酒のグラスを受け取れず、夫の赤い光を帯びた瞳を見上げる。
「……気づいていたの?」
「ああ。しかし、何故すぐ打ち明けないのだ」
「今は忙しい時期だし、いろいろと慌ただしかったし……安定期に入るまでこれ以上城を騒がせちゃいけないと思って」
「本当か?」
「ええ。それに……その、どうやって言おうか考えていたの。嬉しくて……あなたも喜んでくれる?」
急に気恥ずかしい気持ちになって、そっと目を逸らした。
シダールはグラスを置いて、労わるような手つきでマグノリアを抱き寄せた。
「当然だろう。もう少し夫を信用しろ」
「じゃあ信用されるような言動をして」
「言うではないか」
そっと額に口づけられ、耳元で囁かれた。
「怖くはないか?」
「……大丈夫。あなたに愛されていることだけは、信じられるから」
魔力量に差があっても、二人の間に愛さえあれば黒脈の子は無事に生まれる。初めての出産に対する緊張や不安はあるが、シダールの気持ちを疑ったりはしない。
それが、あの日から一番大きく変わった心だ。
シダールは、マグノリアでも見たことのないほどご機嫌な様子で微笑んだ。
「明日からお前の公務を失くし、できるだけ安静にしていられるようにする」
「みんな忙しいのにいいのかしら?」
「良い。最優先事項だ」
それからしばらく、これからのことを話し合った。優しいシダールの言葉が嬉しい。
死を望むほど辛い出来事がたくさんあった。けれど、このような幸せな瞬間が来るのならば、生きていてよかったと心から思える。
転換期を迎えるムドーラ王国、遠くに旅立った友や義理の妹、ライバル視している魔法士の元上司、そして新たな生命。
これからもずっと見守っていきたい。愛する人と一緒に。
幸福な気持ちのまま、夜は更けていった。