105 語り継がれる奇跡
都から平野に出てきた巨大な竜に対し、四つの軍はそれぞれ前足と後ろ足に攻撃を仕掛けた。首などとは違い、大地に接している分、まだ攻撃を集中させやすかったのだ。
突如始まった竜討伐に対し、一つの軍を狙いうちしないよう、ヘイトを分散させるので精いっぱいであった。竜との我慢比べが続く。
「後ろに魔物が来てるぞ!」
「くそ! 邪魔するんじゃねぇよ!」
「竜の足が持ち上がった! 一旦引け! 潰される!」
灰色の魔物たちにまとわりつかれながら、竜に攻撃するのは至難の業だった。竜の骨は凄まじく硬く、剣では弾かれてしまい、魔法もほとんど効果が見られない。ガルガドやマチスの攻撃ですら、骨にひびが一つ入っただけだ。
それでも男たちは懸命に戦い続けた。
次第に疲労と諦めの色が漂い出すが、その度に上官が弱音を封じる。
「深追いをするな! 竜の体勢を崩すことを第一に考えろ!」
アザミは魔法で援護をしながら、負傷した兵を後方へ引っ張って退避させた。
竜の巨体を考えれば、バランスを崩して倒れるだけでかなりのダメージになるはず。それに加え、竜の弱点として最も可能性が高いのは一度断ち切られた首だ。首を攻撃するためにも、なんとしても竜を大地に横たえさせなければならない。
「埒が明かないな」
周囲の魔物を早く片付け、竜の足へ一斉に攻撃を仕掛けるのが得策だろう。しかしなかなか思う通りにいかない。もっと竜の屍を警戒し、魔法や武器を用意すべきだった。ここにきて超短期決戦ゆえの準備不足が露呈した。
指揮も混乱し、もうほとんど兵の独断で動いているような状態になってしまった。連携して動くのも限界だ。
このままでは、そう長くは持たないだろう。
「ピノ! ガジュ! 右だ!」
諦め悪く竜の足に切りかかっていた新兵二人は、瓦礫の影から忍びよっていた魔物たちに気づかなかった。その横腹めがけて三体の魔物が一斉に飛びかかる。
もう間に合わないと誰もが諦めた、その時。
「っ!」
透明の壁が魔物の攻撃を防いだ。
驚く間もなく、透明の壁は兵士を次々と囲み込み、頭上まですっぽりと覆った。身動きが取れない状況に皆は慌てたが、誰かが頭上を指さして叫ぶ。
「あれは!」
少女が宙に浮かんでいた。プラチナブロンドの髪が仄かに発光し、周囲には白と虹の光の粒が漂う。
その神秘的な少女は竜の頭蓋の前で静止し、淡いブルーの瞳で地上を見下ろしていた。
「レンフィちゃん!?」
全軍にざわめきが広がる。あまりにも現実離れした光景に誰もが目を疑った。
『諦めないでくれて、ありがとうございます。誇り高き戦士たちに、敬意を』
レンフィを知る者たちはその不思議な声に首を傾げる。姿形は確かにレンフィなのに、声だけが知らない少女のものだったのだ。
『この戦いは、世界の内側における竜と人間の一騎打ち。もう二度と邪魔はさせません。無粋な外側の亡霊たちには退場していただきましょう』
少女が思い切り両腕を広げた瞬間、光の粒が光線となって地上に降り注いだ。
光線に貫かれ、魔物たちがあっという間に殲滅されていく。その凄まじい光景を兵たちはただ呆然と眺めていた。
「光の精霊術に、こんな使い方が……」
あまりの威力に、思わずレンフィは意識の波の中で呟いた。
レンフィ、ではなくその体に憑依したソフィーラは、地上の人間たちを空の精霊術で防御した上で、光の精霊術を最大出力で放ったのだ。
「かっこいい! 美しい!」
広域殲滅の精霊術に、最も歓喜したのはフリージャであった。いつもの陰気さが嘘のようにはしゃぐ。その姿を見てグラジスはため息を吐いた。もう聖人の威厳も何もあったものではない。
「あれは聖女レンフィでは!?」
「生きていらっしゃったのか」
「ああ、なんと神々しい姿だ……!」
教国軍のほとんどの兵は聖女レンフィが死んだと思っていたため、衝撃が大きかった。驚きは熱狂に変わり、人々はまた希望を取り戻す。
「――――っ!」
竜の眼窩の奥に赤い光が宿った。かつて自分を滅ぼした者たちの気配を感じ取り、本能がそうさせたのだろう。今まで特定の者を襲うことのなかった竜が、空に浮かぶ少女に食いつこうとした。
間一髪、空間転移で避けてレンフィは地上に足をつけた。竜は敵を見失って暴れ出す。
『後はあなたに任せます』
「あ、ありがとうございました……でも、あの」
これでお別れなのか、とレンフィは体から離れたソフィーラを引き留めたくなった。千年以上も封印の核となっていたのに、ウツロギとの再会もほんのわずかで終わってしまった。
『大丈夫。竜の討伐を見届けるだけの時間はありそうです。私も、“みんな”も、一緒に戦いますね』
「みんな?」
『はい。父様の御力のおかげで、この地に刻まれた想いが現れやすくなっています。一人一人の力は弱くとも、その尊い想いは世界に強く作用するでしょう』
「それは、どういう……?」
ソフィーラはレンフィの両手をそっと撫でた。接触はなかったが、両手に温かさが灯る。
『祈りは奇跡を呼びます。この地のいる全ての者が力を合わせれば、きっとどんなことだって成し遂げられます』
ソフィーラの気配が光に溶けるように消えた後、レンフィは導かれるように両手の指を絡めて目を閉じる。
誰かが犠牲になる前に、この戦いを終わらせたい。
彼らのためにも、彼らを待つ愛しい人たちのためにも、勝利を。
その祈りに呼応するように、無数の気配が顕現した。
「あ」
レンフィは瞼の裏側で眩しさを感じた。
ソフィーラと同じように半透明の体を持つ者たちが、光の中で穏やかに微笑む。
かつて竜との戦いで命を落とした戦士たち。
封印のための百人の生贄たち。
教国の儀式によって絶望に陥れられた乙女たち。
『わたしたちもいるよ』
幼い少女たちの声にレンフィは息を呑む。直感的に、彼女たちが誰なのか分かった。
『もう謝らないで』
『愛されて幸せだった』
『ありがとう、お姉ちゃん』
無残に殺された“妹たち”が無邪気に笑う声に、レンフィはまた涙をこぼした。
『泣いている場合か』
しわがれた男性の声が聞こえ、レンフィは目を開いて必死に声の主を探した。
「オークィさん! 私はあなたに――」
『余計なものは背負わなくていい。お前はお前の思うように生きていけばいい』
「でも……」
『いいから前を見ろ。この地の守護霊が奇跡を起こしてやる』
霊たちはそれぞれ手を結び、光る鎖となると、そのまま竜の四肢に絡まった。
彼らの声なき声がレンフィには聞こえた。
死にたくなかった。幸せになりたかった。そばで見守っていたかった。
この世界にはたくさんの未練がある。だけど、恨んで滅ぼしたりはしない。愛する者のために意味ある死を迎えた自分を誇らしく思っているから。
「これは……!」
次々に起こる奇跡に呆然としていた兵士たちは我に返り、目の前の光る鎖に手を伸ばした。
この地に未練を残した者たちの魂が連なり、絶対に断ち切れない鎖となった。それを理解して涙を流しながら、力の限り鎖を引っ張った。
「引けぇええええっ!」
動きを封じられた竜が身じろぎをする。何人かが吹き飛びながらも、また鎖を手に立ち上がる。
竜の抵抗は激しいが、人間たちも負けていない。力は拮抗している。
「レンフィ! 無事か!?」
「リオル」
レンフィの元に駆け付けたリオルは安堵の息を吐いた。
「何がどうなったかさっぱりなんだけど」
「うぅ、あの、ごめんなさい……いろいろあって」
「分かった。あとで聞く。俺もみんなに加勢してくるから、お前は安全なところに――」
「ううん。私たちはこっち!」
「ん!?」
ムドーラ軍に合流しようとしたリオルを引き留め、レンフィは目尻に残った涙を拭いて手を引いた。
目指すは竜の頭蓋の真横だ。自分たちが何をすべきか、本能的に理解していた。
「うわわわ! なんかすごいことになってるんですけど!」
突然始まった竜と人間の綱引きに、マリーは唖然とした。先ほどから驚いてばかりで声が枯れてしまいそうだ。
気づけば、すぐそこにも光の鎖が現れている。自分たちにも協力を請われているようだ。
「我々も加勢した方が良いでしょう……手の空かない救護担当以外は、鎖の元へ」
「え? じゃあわたしもですか?」
「ここで参加しないというのは人としてどうかと思いますが、まぁご自由に……」
ヘイズに促され、マリーは渋々その後について行く。危険には近づきたくないのだが、協力しなかったことを後で詰られては困る。
ふと、何気なく背後を振り返った。
「あっ」
意識を取り戻したシンジュラが体を起こし、静かに涙を流していた。その姿には迷子のような頼りなさがあり、彼の美しさと相まってとても衝撃的な光景だった。長年つけ狙っていたが、シンジュラの涙は初めて見た。
「母上……」
彼は宙を見て、悄然とした声で呟いた。か細い光の粒がシンジュラの頬を撫でるように揺れて、一瞬大きく輝いて消える。
その時だった。
竜と人間の戦いに変化があった。
四肢を拘束された竜が、唯一自由な尾を思い切り暴れさせ始めたのだ。一振りで大地が抉れた。その威力を見て、後ろ足を抑えていたムドーラ軍とリッシュア軍の陣形が崩れそうになっている。
もうダメだ。やっぱりあんな大きな化け物を相手にして、人間の勝利はない。
マリーが絶望するのと、シンジュラが魔力拘束を外して駆け出すのはほぼ同時だった。
「シンジュラ様!?」
彼の手から魔力が一直線に竜の尾に伸びた。糸から布を織るような複雑な構築が一瞬で為され、強固な魔法となって竜の尾を縛り付ける。
「素晴らしい……!」
ヘイズが手放しで称賛する。
魔法に対して知識のないマリーでも、シンジュラがかなりの無理をしているのが伝わった。食いしばるあまりに唇を噛み切ったのか、口から血が流れている。
「なんですか、もう! 急に良いヒトぶって……!」
こんなことをしたところで、シンジュラの罪が許されることはない。
聞いた話によれば、シンジュラは聖人たちの体に密かに魔法構築を刻み、理性のない化け物に変えたらしい。ヘイズに無効化してもらわなければ、マリーも今頃魔物たちと一緒に討伐されていただろう。
マリーは己の恨みもあってもやもやとした気持ちを抱いたが、振り切って光る鎖を手に取った。
「全部終わったら、あの綺麗な顔が変形するくらい殴ってやるんですから……!」
なんだか無性に悔しい。シンジュラが連合軍の役に立つのなら、自分だって全力でやってやる。
自分がしたことは棚に上げつつ、シンジュラへの怒りを力に変え、マリーは鎖を思い切り引っ張った。
兵士たちが雄叫びを上げる。
手の皮は剥がれ、光る鎖に血が伝う。それでも力を緩めない。
まだ誰も諦めていない。自分が最初に手を離すのは嫌だ。そんな思いが尽きたはずの体に力を与えた。
尾が封じられて均衡が崩れたことにより、竜はついに人間の力に屈服した。その体を横たえ、弱点の首が地上から手の届くところまで降りる。
この時を信じて待っていた者が二人。
「リオル」
レンフィはリオルに視線で訴えた。
「ああ! 美味しいところをもらっちまって悪いな!」
剣に炎が灯る。竜の首を断ち切るため、リオルは地を蹴った。
その時、待ち受けていたかのように竜の眼窩の奥が赤く光る。
凄まじい魔力が凝縮する気配を感じた瞬間、竜が口を大きく開いた。巨大な炎の塊がリオルに向かって発射される。
しかしリオルは止まらない。
「信じてるぜ!」
その言葉にレンフィは喜びに震え、己の霊力を全て水に転じて放った。
リオルにぶつかる前に、炎の塊を水の刃が両断する。
「私も信じてる!」
衝撃で発生した蒸気が周囲を白く染める。その中で赤黒い炎が躍動し、一際強く輝いた。
「俺たちの勝ちだっ!」
何かがぶつかる澄んだ音。直後、白く煙る竜のシルエットから、首が大地に落ちて砕けた。
そこから瞬く間に炎が竜の全身の骨格に広がる。あれだけの強度を誇っていた骨が嘘のように灰となって崩れていった。
光る鎖も役目を終え、ガラス細工のように粉々に砕ける。火の粉と水しぶきと光の粒が平野に降り注ぐ。
戦士たちの勝利を祝福するかのように、見渡す限り世界が虹色に煌めいた。
「終わった……」
「勝ったんだ!」
「おおおおおお!」
歓声が大地を揺らす。全員が泣いて笑い、奇跡に感謝した。
その様子を見て守護霊たちは満足げに青い空に溶けていった。
「リオル!」
蒸気をかき分け、レンフィはふらつく体でリオルの元に辿り着いた。
大地に仰向けで倒れ、肩で息をしている。その肌は火傷だらけで痛々しいが、命に別状はなさそうである。
「ごめんなさい、霊力がもう残ってなくて……」
「治療はいいよ。なんか達成感でいっぱいで、あんまり痛くねぇし……でもさすがに疲れた」
抱き起す力もないレンフィは、せめてとばかりにリオルの頭を膝に乗せた。間もなく第三軍の面々が駆けつけてくるだろう。それまでの僅かな間だけは、二人で勝利を祝いたかった。
「やっと終わったな」
「うん」
「……なぁ、レンフィ」
リオルの金色の瞳がきらきら光り、なんの気負いもなく言った。
「すぐにじゃなくてもいいんだけどさ、俺、お前と家族になりたい。結婚してくれ」
一生分の幸せが凝縮したような瞬間だった。
レンフィは満面の笑みで答えた。
「はい」
白と黒が手を取り合い、生者と死者が力を合わせ、巨大な屍の竜を討ち果たした日。
後に“屍竜災と聖光鎖の奇跡”と呼ばれる伝説の一日は、聖女と英雄の伝記に詳しく記され、長く後世に語り継がれた。
二冊の伝記の筆者は別の人物だが、最後の一行は奇しくも同じ文章だった。
数々の苦難に見舞われながらも、最愛の人と幸多き人生を歩んだ、と。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
3/21 追記
感想や評価などありがとうございます。
主要キャラの後日談を計画中ですので、また見に来ていただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。