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10 約束を果たすために

 


 あれからレンフィが熱を出してしまった。

 蹴られてできた怪我は治ったものの、精神的ストレスが原因の発熱を治療する方法はない。

 サフランが匙を投げ、バニラとジンジャーが交代で看病をしていると聞き、リオルは寝不足気味の姉弟に仮眠させることにした。

 その間、眠るレンフィを一人で見守る。

 それが失敗だった。


「教えてください。私は、何をしてしまったのですか」


 ベッドに横たわったまま、目覚めたレンフィが苦しげに問う。プラチナブロンドの髪は汗でしっとりと濡れ、淡いブルーの瞳は熱で潤んでいた。


 リオルは、ああ、と諦めに似た息を吐く。

 人殺しと呼ばれたことで、彼女は気づいてしまった。自分に向けられる強烈な憎しみが、戦場での行いだけが原因ではないと。


 弱り切った彼女にする話ではないが、ここまで真剣に問いかけられたら、はぐらかすことはできない。

 彼女は知るべきだと思うから。


「四年とちょっと前……まだシダール様が王になる前に、オンガっていう開拓村で大量虐殺があったんだ。白亜教国の小隊が、村人を全員殺して火を放った。その小隊に聖女レンフィが所属していた」


 マイス白亜教国側の主張はこうだ。

 ムドーラ王国の川から有害物質が下流にある教国領土に流れ込み、病が広がった。

 原因を調査したところ、オンガ村で生成していた毒が川に溶け出したせいだと判明。二度にわたり、当時のムドーラ国王ヒノラダに解決と賠償を要請したが、返事はなかった。やむを得ず武力行使によって村を制圧。村人の反発が激しかったため、毒ごと焼き払った。


「それが本当ならムドーラにも非はある。でも当時の王様は毒の生成を否定したし、白亜教国からはなんの要請もなかったと主張した。教国が言いがかりをつけて一方的に村を襲い、罪のない民を虐殺したんだって」


 マイス白亜教国は時に事実を捻じ曲げる嘘つきの国だ。しかし当時一兵卒だったリオルは、ムドーラ国王の主張も信じられなかった。

 シダールの父とは思えないほど、ヒノラダはろくでもない国王だったのだ。

 実際怪しい“薬”が国内に出回り、貴族間で取引されていた。それがオンガ村で生成されていたという毒の正体ではないか。誰もがそう疑いながらも、口をつぐんだ。


 事の原因が自国にあるなど、認めたくなかった。

 また、自国の非を認めたとしてもなお、白亜教国の虐殺は許しがたいものだったのだ。


「犠牲になったのは民間人……女子どももたくさんいた。全員殺す必要はなかったはずだ。それだけじゃない。怪我で退役した元将軍が開拓の監督官をしていて……それがアザミさんの親父さんだったんだって」


 アザミの父は、元帥ガルガドが退役を惜しむほど優秀な軍人で、部下にもとても慕われていたという。しかしアザミの父も、一緒に開拓村に移った親族も、白亜教国の襲撃で全員亡くなってしまった。

 家族の仇。アザミが教国を憎悪するのはそれゆえだ。そして、アザミとその父をよく知る軍の人間が、教国の非道に憤らないわけがなかった。


「軍のみんなは今までにないくらい覇気に満ちていて、絶対にオンガ村の敵を討ってやるって教国戦の準備をしていた。でも結局、王様が戦争に弱腰になって、オンガ村のことを有耶無耶にしたんだ。思えばあれが、王国が変わる決定打だったかも」


 オンガ村の襲撃から数か月後、無能な父王を討ち、シダールが玉座に就いた。

 シダールの王位簒奪は残虐だったが、痛快でもあった。軍の大半がシダールを支持し、護衛騎士団が中立を貫いて沈黙するほどには。


「それから貴族の粛清やら内乱やらいろいろあって埋もれたけど、村を一つ滅ぼされた恨みは忘れてない。教国も聖女レンフィも、ずっと王国に憎まれている」


 レンフィは潤んだ瞳を見開いてから、そっと瞼を伏せた。目尻からぽろぽろと涙が落ちる。


「そんなひどいこと、していたのに、どうして私、今も生かされているんですか……」


 リオルは彼女の透明な涙に、やるせない気持ちになった。


「当時のお前は十二か十三の子どもで、指揮官でもなかった。指示に従って動いたんだろ。それに、汚染された水源を浄化するために選抜されただけで、虐殺には関わってないかもしれない。責任があるかって言われると、ちょっとな……」


 そう、その水源の浄化が凄まじかった。ゆえにレンフィの名前は、王国民の記憶に深く刻まれてしまった。

 そしてレンフィはその後も多くの戦争で活躍し、教国の看板として名を上げていった。凄惨な虐殺に関わっておいて、悪びれもせず戦果を挙げ、白虹の聖女と呼ばれ出したレンフィに対し、王国軍の憎しみはどんどん募っていったのだ。

 特にアザミに親しい者は、レンフィを責めずにはいられない。


「今だって、記憶を失っているお前を責めても意味がないって、みんな頭では分かってるはずなんだ。でも、気持ちは別っていうか、モヤモヤしちまうのも確かなわけで……生かしておくだけで精いっぱいって感じで……妃なんてとんでもないって」


 大抵の兵士は、シダールが「春まで生かす」と言っているから耐えていた。

 アザミも同じだ。彼はずっと、オンガ村で何が起こったのか知りたがっていた。祖父母と両親と姉夫婦と甥と姪の最期を、死んだ理由をはっきりさせたかったのだ。

 レンフィが捕らえられたとき、ついに事実が明らかになると思ったのに、記憶喪失でその可能性は消えた。

 彼は今、行き場のない苛立ちで苦しんでいる。


 そんなアザミを見て、上官を慕う第二軍の兵士が今回過激な行動に出てしまった。先日の訓練場での一件や、医務室に少しずつ馴染み始めたレンフィを見て、面白くなかったのかもしれない。


 一方で、宰相やヘイズのような軍人以外の役職の者や、当時の様子を知らない新参の者は冷静だった。レンフィを感情的に殺すよりも、生かして利用した方がいい、と実益を優先している。

 感情と論理が危ういバランスを保ち、レンフィの首の皮は繋がっているのだ。


 リオルも軍属の人間として、聖女レンフィを憎いと思う心はある。

 ずっと殺すつもりで戦ってきた相手だ。オンガ村の件を抜きにしても、彼女には仲間を殺されている。

 記憶を失くしたから、命令に従っていただけだから、それだけの理由では全てを許すことはできない。


 だけど。


「どうして、あなたが、そんな顔をするの……?」


 か細い声で問われ、リオルは苦笑した。


「ごめんって、思ってるから」


 皆がレンフィを憎む心は理解できる。

 だが、こんなにも弱々しくて、可哀想で、申し訳なさそうに涙を流す少女を、どうして責められるのか。

 これまでの自分を全て失って、もう十分に傷だらけで、限られた自由の中で慎ましく生きているだけなのに。

 これではどちらが悪者か分からない。


「早く元気になれよ」

「…………」

「お前が回復しないと、バニラもジンジャーも婆ちゃんも落ち着けないだろ。姫様も気にしてた。だから、とりあえず今は何も考えずに寝ろ。いろいろ悩むのは元気になってからにしような」

「………………はい」


 レンフィが目を閉じ、呼吸が寝息に代わるまで見守ると、リオルはジンジャーと交代して部屋を出た。


『何も知らないくせに勝手なこと言わないで!』

『お前だって何も知らねぇだろ!』


 そんな風に聖女レンフィと罵り合った日があったと、リオルは思い出す。

 もう彼女はいない。ここにいるのは、記憶を失くした泣き暮らすただの少女だ。

 今まではかつての面影を重ねて混乱し、心のどこかで一線を引いていた。

 だけどもう、過去を振り切って今の彼女を認めるべきだ。

 そのためにも、約束を果たそう。






「陛下! お願いがあるんですけど!」


 王の執務室にアポなしで突入するくらいには、リオルは後のことを考えていなかった。ついでに言えばノックもしていない。

 シダールは小さく吹き出したが、部屋にいたもう一人の人物――アザミは深いため息を吐いた。


「リオル。いつまでもそのような言動をしていて、許されると思うなよ。もう子どもじゃないだろう」

「……すみません。出直します」


 急激に頭が冷えて、リオルは項垂れた。


「良い。アザミの報告はちょうど終わった。その様子では、どうせお前もレンフィ絡みだろう」

「え? 何の話を?」


 シダールに目配せされ、アザミは不満げに口を開く。


「私の部下が原因であの女が熱を出したと聞いた。このまま衰弱して死にでもしたら、王命に背くことになる。その謝罪と部下の処分についての報告だ」

「…………」

「ああ、お前にも面倒をかけたそうだな。そのことに関してはすまなかった。だが、少し肩入れしすぎだ。どうせ春には死ぬ女だ。情を移すような真似をしていては、第三軍の兵士たちも混乱するのではないか?」


 リオルは深呼吸をして、咄嗟に言い返しそうになった言葉を飲み込む。


 アザミのことは、素直に尊敬している。単純な戦闘以外では何一つ敵わないと思っているし、軍に入隊してから将軍になった今もなお、ずっと世話になりっぱなしだ。

 正直、第二軍と第三軍は仲が悪い。

 シダールの引き立てにより一足飛びに出世したリオルを快く思わない者がいる中、アザミがさりげなく庇ってくれたから、国王直属軍は分裂せずにいられるのだ。


「説教は外でやれ。それで、リオル。何用だ? アザミには聞かせられぬ話か?」


 若い将軍二人の間の微妙な空気を楽しむように、シダールは笑う。

 感覚頼りで生きてきたリオルには分かる。やるならばとことんやれ、と主に煽られているのだと。


「……レンフィの熱が下がったら、町に連れ出してやりたい。きっと気が滅入るばかりだろうから。陛下の許可があれば、城を離れてもいいっすよね? ほんの少しの間でいいので、お願いします」

「なぜ」


 問いかけてきたのはアザミだった。


「私ほどではなくとも、お前も聖女を敵視していたはずだ。どうしてそこまで気にかける。同情か?」

「うん。半分以上は同情。残りは、今のあいつをみんなでいたぶってる城の空気が嫌だから。昔、聖女レンフィに言われたことがある。『ムドーラ王国は野蛮で残酷な悪い国だ』って。俺は『そんなことない。シダール様が王になってから変わった』って言い返した。でも今は……胸を張って言い返せない」


 アザミの顔が強張る。

 下手に遠慮したら余計拗れると感じ、リオルは胸の内を素直に打ち明けた。


「アザミさんには、無神経なことをして本当に悪いと思ってる。でも俺は、やっぱりレンフィに死んでほしくない。俺だって他国の兵ならたくさん殺してる。陛下に命じられたらどんなひどいことでもやる。責める資格はない」

「…………」

「アザミさんはレンフィを許さなくていい。でも、俺があいつを許して庇うことは見逃してくれ。本当は陛下がレンフィのこと気にかけてくれりゃいいんだけど、それは俺が口出せることじゃないし、妃になるならないも本人同士の気持ちの問題だから――」

「お前……陛下の御前で何を言ってるんだ」


 はっとなって慌てて顔色を伺うと、王は窓の外を見ていた。

 面倒な問題に直面して考えるのが嫌になったとき、シダールは空模様で判断することがあった。今日はすこぶる快晴である。


「いいだろう。町に出かけることを許す。ただし条件がある。密かに見張りをつけ、レンフィには変装をさせろ」

「え、いいんすか! さすが陛下! ありがとうございます!」


 あっさりと許可が下りて、リオルは両手を挙げた。

 アザミが信じられないと言わんばかりに顔をしかめる。


「陛下はリオルに甘すぎます」

「甘やかして育てたのはお前も同じだろう。大体、元はと言えば、お前の部下がレンフィを泣かせるからいけない」

「…………」


 アザミは苦々しい表情で天井を仰いだ。




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